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第十九段:名に弓とる者ども(二)


     二 真弓(まゆみ)春彦(はるひこ)()(よい)


 弥生某日、真弓(まゆみ)春彦(はるひこ)、今月初の出勤日であった。勤め先、内嶺(ないれい)大学文学部漢文学科新二年次生の登校日なのだ。

「成績表の配付と、副担任変更通知と編入生の紹介をすれば完了なのだが、()れだけでは誰でも遂行できる気がしてね」

 春彦は、食卓でため息をついた。手前には独特の模様で縁取られた皿に、これまた独特の香辛料薫るトーストが盛り付けられていた。

「学生に何か、人生に滋味ある話をしたい。(しか)し、私の性格上、説教くさくなってしまうんだ。丁度良い冗談を練り込みたい。まゆみに名案を希求したいな」

 細君(さいくん)のまゆみは、目が合うとかじりかけのトーストを一気に押し込んで、きなこ入り牛乳を飲んだ。

「はあー、なかなかおつな取り合わせだったわ。冗談、だったわね春彦さん」

(おう)とも」

「いみじく容易(たやす)いわよ。赤い前掛けをして、くねくね踊りながら教壇に上がってね、『私は、貴君(きみ)達の亜父(あふ)だ!』と宣言するの」

「…………語呂は合っているよ。だが、中年の男が実行するには恥ずかしくないか?」

「漢文式の冗談よー? いっそのこと頭を剃っていけばどうかしら!? これぞ芸人魂じゃない!」

 ずっこけたい衝動を抑えて、春彦は細君手製の朝食をいただいた。シナモントーストならぬ、カレートーストだ。「シナモンパウダーを買ったつもりだったのだけれど、カレー粉つかんじゃったのよね」是に対して叱責する輩は、まゆみを充分に理解していない三流以下だ。彼女の才能であることに気づき、伸ばすのが夫。

「走り込みの前にさっと作っておいたの。春彦さんの大好きな炒飯(チャーハン)弁当よ!」

 アルミ製のどでかい箱に、刻んだ焼き豚入りの炒飯、おととい作り置きし冷凍した焼売(しゅうまい)、ひよこ豆の和え物がぎゅうぎゅうに詰められている。もちろん、大衆が想像する「中華」の味には(あら)ず。三品みな、クミンが先駆け、コリアンダーとカルダモンが息を合わせ、チリペッパーが強烈な連打を繰り出し、ターメリックがしんがりを務める、華麗なる「まゆみ味」に進化しているのだ。彼女は、あらゆる料理を華麗に辛い咖喱(カレー)へと飛躍させる才を持っていた。

「毎日、美味な弁当を持たせてくれて、感謝」

 細君に拝み、丁寧に蓋をして風呂敷に包んだ。同僚に、ワンパターンな味付けで飽き飽きしないか、と言われるが、残したことなど全く無い。外食や出前の誘惑に乗りそうになった日はあるけれども(愛妻家を自負していても、煩悩は断ち切れない。君子ではないのだから)、まゆみの真心と食費が浮く得を選んだ。

「明日は油そばにするわ。お休み重なっているでしょ?」

嗚呼(ああ)

「あと、忘れちゃダメなのは」

 寝室のクローゼットに駆け込み、まゆみが引っ張り出してきた物は……例の赤い前掛けだった。

「やらねばならない?」

「私に名案を求めてきたんだから、当然よ」

 春彦は、いがぐり頭をかいて苦笑した。バリカンを当てる余裕は、遺憾ながらまだあるようだ。



 漢文学科は、創設当初の名残だろうか、男子が圧倒的に多い。共学なので、女子の在籍も認められているが、三年に一人か二人入ってくるぐらいだ。春彦が受け持つ二年生学級は、全面青き(くさむら)だった。昨日までは。

「今年度より、新しい仲間が増える。吉野(よしの)女子(じょし)大学から編入した、(くれない)柘榴(ざくろ)さんだ」

 若衆がざわめく。年の近い女性に飢えていたのだ、そうなるだろう。

「紅柘榴と申します。これから三年、一緒に切磋琢磨します。よろしく」

 流行りの髪型、洗練された服装、賢そうだがやや儚げな容貌。どこをとっても、若衆には「どストライク」な才媛だった。頭をてからせて「亜父」を全力で演じ入室した春彦とは、反応がえらい違いである。

「吉女の何学科だった?」「うわ、めちゃええにおい。香水か?」「今度、ぼ、ぼぼぼくと食事でも……!」「抜けがけすな、このヤロー。皆で飲みいくべ!」

 自分も同類だが、あえて申そう。男は、救いようもない単純な生物だ。そして、莫迦である。幾百年経っても、蜜の罠が絶えないわけだ。

「まゆみ、滑って失敬……」

 本日、晩酌に決定だ。肴を各種調達してこよう。



 校庭の梅林に、青年が悶々として売店のかつ丼を食していた。名は、大和(やまと)詩男(うたお)。月変わると漢文学科の二年生になる。

「もう少しで、IDを聞けそうだったんだ……畜生」

「しけたツラするなよ、朋友(ほうゆう)

 まだ肌寒い時節にタンクトップと半ズボンの、筋骨隆々とした同級生が、天然水のボトルを投げた。

「適度に水分を取らないと、その鬱々とした心情が熟成させた便がいつまで経っても出ないぜ」

「排泄物を公共の場で口にするな、ガキじゃあるまいし」

 同級生は、声をかけるまでもなく、当たり前のように詩男の隣にあぐらをかいた。学内のコンビニエンスストアで買ったゆで卵とサラダ用鶏肉を同時に開けて、ほおばる。

「足りるのか、(しら)()?」

「俺が満たされるかは関係ない、筋肉が満たされるかが重要なんだ」

「あっそ」

 (しら)()難、「難」と書いて「かたし」と読む。難産の末、産院一の巨大児に認められた彼を称えて母親が付けたという。親が風変わりだと、子も似るものだ。

「柘榴姫と対戦したかったようだが、あんなお高く止まった女がゲームにハマるのか?」

「だからこそ、隠れた『オタク』の可能性ありなんだよ。思うに、彼女は知略派のとびたいかっぱさんの使い手だ」

 空き容器を白居の分とまとめてくずかごに捨て、詩男は携帯ゲーム機の電源を入れた。「大混戦すみっこキャラクターズ」の無線通信対戦モードを迷わず選択する。

「お、もう開戦じゃないか!」

 白居もウエストポーチをまさぐってゲーム機を出す。限定版の金色だ。

「今日こそ一位獲()る!」

「一位ならもうなっているだろ、敗北の方に」

「うるさい、慢心はいつか自分の足を掬うぜ朋友」

 使用キャラクターは、詩男が、ほっきょくぐまさん。白居が、ふとっちょみけねこさん。陣地の「すみ」を守りつつ、相手の陣地を横取りするか相手をたくさん「ちゅうしん」へ押し出すかで得点が貯まる。昼休み恒例の学内対決は、得点が高いプレイヤーを優勝とする通常ルールであった。

「またあいつが参加している」

 詩男が呆れた声をもらした。最近、いももちちゃんを使用するプレイヤーが現れたのだ。猛者ならともかく、話にならないほど弱い。そもそも、いももちちゃんは四体でひとつのキャラクターのため、各体を操る技術が不可欠、超絶扱いが難しい。遊び歴が長い詩男ですら、手を出したことがない。彼か彼女か知らないが、いももちちゃんの性能を全然活かせておらずもたもたしている初心者が、本気で最高得点更新を目指す詩男には、邪魔な存在でしかなかった。

「いももちちゃんをナメては禁物だ。わざと同じ動きをして場外にしてくる」

「それでやられるのは、白居だけ」

 おなじみの顔ぶれに、やる気が高まる二人。すみを横取りさせない鉄壁のとべないかっぱさん、着実にちゅうしんへと誘いこつこつ得点を稼ぐどすこい揚げ物くん、気配を消せてしまう反則級スキル持ちのちびネッシーくん。去年の春から競い合っている。いつか対面して、現実に会合を開いてみたい。


  READY , FIGHT!!



 詩男達の裏側にあるベンチにて、春彦が液晶画面を前に肩を落としていた。

「今回も、最下位から二番目だった……」

 細君が駆ると、皆自由に移動して相手を翻弄させる。複数の事を同時に処理できない私では、歩みの鈍いみけねこさんを「ちゅうしん」に出すのに精いっぱいだ。

「可愛いのだけれどもね、いももちちゃんは」

「その子、真弓(まゆみ)先生がプレイしてたでやんすか」

「! ……嗚呼、(なき)(どり)君」

 春彦が副顧問である書道部の部長、漢文学科三年生・(なき)(どり)夜来(やらい)がゲーム機を片手にやって来た。

貴君(きみ)も、対戦に?」

「へい、どすこい揚げ物くんで参加してますでやんす」

「存外、身近にいるものだ。貴君、強いね」

 タオルで覆った頭を叩いて、啼鳥は笑ってみせた。番傘を二本交差させて背負った甚平姿は、大学生というより放浪の芸術家が合っている。

「いももちちゃんは、実はオートモードが搭載されているでやんす。三体オートにしてメインに専念すれば、ビギナーでもそれなりに勝てるでやんす」

「それは朗報だ。如何にすれば可能かな?」

「個人設定でいけるでやんす。ええとでやんすな……」

 啼鳥の丁寧な説明で、春彦はいももちちゃんの設定を変えることに成功した。

「おや、あのお人は」

 向こうの木に登ってゲームを楽しんでいる学生を、書道部長が発見した。春彦がみることになった留年生、黄鶴楼(こうかくろう)碧空(すかい)だ。髪と髭をたくわえ、たわしのようである。

「機体に、ネッシー親子のステッカー。スペシャルステータスのちびネッシーは、おそらく彼でやんすな」

「鋭い洞察力だ」

 その木の陰では、少年がきんきん響く声で怒っていた。

「僕が、僕が、負けたと!? ほっきょくぐま使い、憎いけん!」

()()清輝(きよてる)君か」

 春彦のゼミに所属している最高学年の子だ。小学五、六年にあたる年齢だが、飛び級している。

「僕が奪ったすみを、さらに横取りしよって! 許せん、許せんけん!」

「ちびっこくんは、古参のかっぱさん使いでやんす。バレバレでやんしょ」

「杜甫君にも、年相応な部分が有ったんだ」

 彼はしっかりしていて、二十二、三歳の中にいても浮いていなかった。普段の、学びに貪欲な姿勢は素晴らしいけれど、ゲームに熱を上げている面も、子どもらしくて良い。

「蓋を開けてみれば、漢文学科かもしれないでやんす」

「然り、だね」

 芳しい花の香が、教員および青年達の鼻腔を通った。桜は、まだ遠い午後であった。



「ふうん、男の子はゲーム好きなのねー」

 朧月の夜、自宅の縁側に細君と寄り添う。分け合った缶ビールは既に四本目だ。

「まゆみの学級は如何? 彼処は女子学生が大半じゃないか」

「そうね、そうなんだけれど私の学年はめずらしく半々ぐらいだから……。女子は漫画、男子はキャラクターズもそこそこ話題にのぼれど、カードゲームね。学生ホールで決闘しているわ」

「漫画。恋愛かな」

 まゆみは、ピスタチオを剥いてふき出した。

「もう古いわよ。私世代は恋愛かスポ根しかなかったけれど、今はいろいろ! 前、学生が貸してくれたのは、新入社員が団結して、嫌ーなお局様にひと泡吹かせる話」

「所謂、スカッとさせる系統か」

「ええ。若手の成り上がりも描かれていたかしら。予想の斜め上をいく展開に、ついつい魅せられてしまうのよ。他にはね、グルメ系。料理好きのひとり暮らし院生が、お隣のサラリーマンにおすそ分けするという」

 春彦の口から自然に「ふーむ」「ほう」が出ていた。

「最近の漫画家は、ネタの引き出しがゆゆしく豊かよねー。前職での経験が、作品を生むんだもの」

「芸大卒業かプロのアシスタントを経てデビューが、寧ろ希少になっているそうだ。象牙の塔では成功しない」

「ふふっ、耳が痛くなるわ」

 腕をさすり、まゆみが上着を取りに中座する。春彦もいるか? と目で訊いてきたが、首を横に振った。黒い法被をはおる細君。勤務先が教派神道の学校であり、ゼミ生が誕生日祝いと称して特別に作らせたそうだ。

(そら)(だい)(にち)(ぶん)、安達太良教会! をかしでしょ」

(これ)で箒か拍子木を手にしていたら、まるきり信者だ」

 細君は大いに笑って、ポテトチップの袋を破った。

「ん? いくら味?」

「北国限定。今週、物産展やっていたものだから」

「プチプチ感が無視されているんじゃない?」

「それは……実食しなければ」

 せいの、で一枚かじる。

「あー、醤油漬けの方向で攻めたわね」

「刺身醤油か? 魚卵の脂っぽさもあるには、ある」

「赤いわね」

「いくらパウダー、だと。粉末に出来る?」

「できるから、赤くしたんでしょ」

「失敗ではないが……」

 お互い、ひょっとこ顔をした。考えている事柄は、一緒だ。

「責任持って、成仏させよう」

「春彦さんたら、成仏なんて……ふふっ」

 早朝の音楽番組で、太鼓を供養する曲が紹介されていた。「(だい)ドラム供養(くよう)」だったはず。一世を風靡した「カツケンサンバ」の作曲者が書いたのだと。ならば、此方(こちら)は「大いくらポテチ供養」だ!

「私が全部いただいてもいいのよ?」

(いな)、バキューム食べでは罰が当たる」

「ちまちまつまんでいたら、それこそ罰当たりだわ」

 観音開きにした袋を軽く谷折りにして、口へ持ってゆくまゆみ。

「止め、草葉の陰で鮭が嗚咽している!」

「えー?」

 細君よ、わざと聞こえていないふりをしているな。こちとら錫婚式を過ぎたのだ、ごまかされまいぞ。

「こら、止めい!」

「ほめんへー。いふらはわはひひはへひははっへは」

「『いくらが私に(かえ)りたがっていた』? 名曲の文句じゃあるまいし。貴君の罪業は重い! 依って、グリーンカレー味イカ天は私が完食する!!」

 まゆみが高速でビールを飲み干し、イカ天を吸い込もうとする春彦に体当たりした。

「私にもよこしなさい! カレーは広くあまねく与えられるべきよ!」

「否、否、否! 貴君の健康の為でもある」

「なによう! 健診でお腹まわり◯センチ増えたとかこち顔していたのに!」

「まゆみは高脂血症だったじゃないか」

「ぬあんですってえ!?」

 薄い鶯色したイカの揚げ菓子が、いくつか縁側にこぼれた。ココナッツミルクとナムプラーの、甘ったるくてしっかり発酵された風が、月をさらに霞ませるのだった。


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