第十八段:橘(ときじくのかくのこのみ)は朽ち果てない(二)
二
「おめん親子、作ってくれたのかっ。なんだか気を遣わせちまったな」
五段の重箱には、玉子焼きや鮭の塩焼き、蟹に見立てたウインナーといった定番のおかず、だし香る野菜の煮物、和え物、ヒロインズにちなんだ五色のおにぎりがぎっしり詰まっていた。
「華ちゃんの女中さんは、お料理上手やもんねぇ。あらま、こちらのサンドイッチ盛り合わせは?」
「私、私! とこよちゃんと早起きしてせっせとね」
「んだ!」
「額田先輩達がですかぁ、ありがとうございますぅ」
夕陽は、バスケットにいっぱい並べられたサンドイッチのうち、玉子サンドを選んだ。卵料理が好物なのである。他にレタスとハム、ツナ、トマトとチーズ、ポテトサラダがあり、どれにするか迷ってしまいそうだ。
「……………………」
「あの、唯音先輩、欲張っていっぱい取って午後動けるんですか?」
「ふみセンパイの言ウ通りデスよー。萌子、おにぎりコンプしタイっスけド、ガマンしてルんスよ」
梅、あおさ、昆布の佃煮、たくあん、焼きたらこをそれぞれ混ぜてあるおにぎりを順に指さして、悔しい表情をする萌子。涙をのんで、桃色の焼きたらこを紙皿に乗っけた。
「額田さん、尼ヶ辻さん、応援に来てくれて、ありがとう。隊員の士気がいみじく高まっているわ!」
司令官と呼ばれたい「日本文学課外研究部隊」顧問・まゆみが、太陽もかすむぐらいの笑顔を二人に向けた。膝元には、山盛りのおむすびとサンドイッチが鎮座していた。
「私達の新たな使命を、聞いたのでしょ。驚いたんじゃないの?」
きみえととこよは、顔を見合わせて、首を縦に振った。
「実のところ、戸惑っていますね。だけど、親友が勇気を出して伝えてくれたので、信じます」
「トコは、怖いなっで思いました。空想だったらすんげくいいのにっで。なっちゃん達が、やんなきゃいげないなんて、あんまりなんだ……ちがっだ、です!」
まゆみは二人の受け止め方を、噛みしめていた。
「あなた達に知ってもらって、正解だった。心配も、私達の励みになるの。必ずや、空満に来たる災いをうち祓ってみせるわ」
ウインクして、まゆみはおむすびとサンドイッチを交互にかじった。嬉しそうにぱくぱく召し上がってくださると、調理した者として冥利に尽きる。
「さあさあ、私達もしっかり食べよう! ヒロインズの勇姿を収めないと」
「は~い」
付き添いの二人は、箸を動かした。
午後の稽古は、五人で協力する形式であった。
「一人一回、私に攻撃を当てたらあなた達の勝ち! それまでに私の術で戦えなくなったら、私の勝ちよ。三十分あれば充分よね。私の時計が十三時十五分〇秒になったら、始めましょ」
まゆみが袖をまくり、左手首に付けた文字盤をのぞく。
「五十七、五十八、五十九、開始!」
号令を出し終えてすぐに、はなびグリーンが常盤色の玉をまゆみへ投げた。普段は目くらましできる護身用の道具、戦闘時には火花を散らして爆発する武器「時分の花」だ。
「こいつで、火力倍増だっ!」
「速」の祓を吹き荒ばせ、スーパーヒロインに進化する。宝石の花を前に出し、花火玉に風を起こした。玉が割れて、大輪の緑の花を咲かせる。
「へっ、緑様が一番乗りよっ!」
「川詠・巻第十四・第三三七三番歌、玉川に さらす手作り さらさらに 何そこの子の ここだ愛しき!」
白き川が、竜のように天を昇り、水の槍を落とした。花火はむなしくもしぼみ、グリーンの頭が冷やされた。
「勢いは良し! でも、熱意だけでは押せないわよ」
滴を振り払い、グリーンは歯ぎしりした。
「切歯扼腕っ、呪いってやつだな……」
この世に奇跡を起こす術「呪い」は、「祓」だけではない。物を介して奇跡を叶える「寄物陳呪」、散文や命令形の言葉を介して叶える「正述陳呪」、まゆみが行使した「詠唱」もある。「詠唱」は、和歌や俳諧・詩などの韻文を声にして効果を発揮する。不思議・五感でとらえられぬものに対する信心が薄れてきた現代では、和歌の「詠唱」が残り、安達太良家のみに継がれていた。
「次はだあれ?」
『疑わず、質量いれ! いおん・ゆうひコラボレーション!!』
黄色い布吹雪が、薄い青の空気に乗ってまゆみの周りを囲んだ。まばたきするまでに、布のひとひら、ひとひらが格子となり、檻を形成した。
「いみじく巧みな幻ねー。破るには三首いるかしら」
鉄網にさわろうとしたら、隙間から露草色の刃と、黄金の鎖が突き出た。まゆみはとっさに後ろへ退いた。
「間一髪だわ。思いの外、容赦しないのよねあの二人」
いおんブルーとゆうひイエローが、松の枝にて見張っていた。
「怖い顔しないの。あなた達の秘めた性格が浮き彫りよ。気性の荒いブルーと、冷徹なイエロー。私には、視えている」
ジャージのズボンにしのばせていた指示棒を、最大まで長くしてまゆみは握った。指揮者にも、魔術師にもたとえられそうな構えに、二人のスーパーヒロインは警戒する。
「三首唱えれば、解けるのよ。三首、ね」
舞踏曲の拍子をとるまゆみ。唇を開かせるか! と、ブルーは鋭利な水を飛ばし、イエローは珠鎖をめいっぱい伸ばした。
「天なるや ささらの小野に 沖つ国 うしはく君が 人魂の 青なる君が!」
素早く唱え、檻を煙にしてかき消した。刃は霧に、鎖は途切れてばらばらになった。
「巻第十六・第三八八七から第三八八九番、怕物歌三首や。天、海、地の恐ろしいものを詠んだ歌です」
メガネの位置を正して説明するイエローに、ブルーがあごに手を添え考える仕草をとった。
「和歌は、二句まで、唱えた……」
「そうなんですよ、やけど、コラボレーションを破りはった。なんででしょうか」
「私くらいの年になるとね、全句唱えなくても行使できるのよ。今のは、恐ろしいものを幻に見せつけて解きました。巻第十六は、呪いの解除に適しているの」
指示棒をしならせながら、まゆみは二人のもとへ歩く。
「人生の半分以上、練習していたら、歌を思い浮かべるだけで望みを叶える域に達するわ。私は趣を重んじたいから、口ずさむけれどねー」
ブルーとイエローが身構える。指示棒の先に、霜が発生していたからだ。
「霜詠・巻第十一・第二三九五番歌、行き行きて 逢はぬ妹ゆゑ ひさかたの 天の露霜 濡れにけるかも」
おびただしい霜が、二人の前途を妨げんと降りかかる!
「敷島、皆の傘になって!」
「チョープ・チョープ・ビーム☆」
無垢なる色の霜は、おはじきの盾に拒まれる。続いて、まゆみとブルー達を引き離すように、ハート型の光線が数本放たれた。
「レッド、ピンク! 助かったわぁ」
ふみかレッドが、背を向けたまま頭を縦に振った。上空では、もえこピンクが片手でピースサインを送った。もう片方の手は、はなびグリーンの襟をつかんでいた。
「あたしも飛べるっての!」
「ウルさいデス、みどりん。コノ方ガ早イんデス」
顧問は、微笑ましくかけ合いを聞いていた。
「粘ってくれるわね。教えがいがあるわ!」
「まだまだ、これからですよ」
五人を代表して、ふみかレッドが堂々と言い放った。
「まるで、ファンタジーみたいなんだな」
ビニールシートに腰を下ろしたとこよは、くせっ毛をなでつけた。整髪料で押さえつけても直らない、悩みの種だ。
「私は、前に一度あったけど……なかなかついていけないね。説話の世界か! と熱くなる部分はあるけどさ」
「説話? 古典ですか?」
きみえが、うんうんと返して、水筒のコップを差し出した。ほうじ茶が、湯気をたてていて、一瞬でも寒さを忘れさせる。
「鉢を宙に浮かせたり、雨を降らしたりしてね。和歌を詠んで命拾いした話もあったな。そういうこと、今の時代にもあるんだー。へー、うおー! な感じ」
額田きみえは、空満大学四回生、レッド・イエロー・ピンクと同じ日本文学国語学科で学んでいた。化学科のブルーとは、文系・理系を越えた絆で結ばれている。尼ヶ辻とこよは、空満高校全日部進学科三年生、グリーンとは鯉でつながった友情を育んでいる。
「とこよちゃんは、卯月は空大?」
「はい! 体育学部です。夢にまた近づいたんだな! 先輩は、お仕事ですだか?」
「そうそう。空高で国語の先生。陸上部、だったね。とこよちゃんの後輩を教えているかもよ」
「んじゃ、メールしよがな。すんげくスタイルいぐて賢い先生が来るよ! っで!!」
きみえは大笑いした。
「とこよちゃんこそ、スマートだよ。でかめの私より背高くて、無駄なお肉が無い」
「長距離と槍投げしでたら、こんなになっだんですよ~。お洋服探すの大変なんだな~」
とても面白い子だと思った。教育実習で会えなかったのが悔やまれる。
「ねえねえ、とこよちゃんの夢、教えてもらえるかな?」
「えへへ、言っでみるっでなると、恥ずかしいんだな」
とこよは、頭の後ろをかいた。
トコの夢は、陸上選手! 五輪に出て、お父さん、お母さん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、地元の人達をますます元気にさせたいんだな。マラソンで、世界一になりだい、新記録を残しだい!
小四の時、空満に金メダル選手が来たんだな! テレサ・ウンディネ選手、マラソンでいっぱい優勝獲って、荒れ地の故郷においしい水を引かせたんだな。
テレサ選手が、特別に空大海原キャンパスでトレーニングするっでなっただよ。トコ、手を上げて参加したんだな。走ってるとこ、選手が見でくれたんだ~。
「あなたは、ドウモウな風になるわ」
すんげく自然な日本語で、言われたんだな。たった半日の滞在なのにだよ? きっどすんげく勉強してきたんだと思うだ。
「私を超える足よ。ソラミツは、栄える」
ほんとに? トコ、胸がフツフツ沸いてきたんだな。
「トコヨ・アマガツジ。あなたに風の精霊シルフの加護が、永遠にありますように」
帰ってすぐに、おばあちゃんに「ドウモウ」っで何か訊いたんだな。「獰猛」と書ぐんだって。荒々しい、とか、ものすんげくパワフルな様、なんだって。トコ、いつも元気だね~っで周りに言われるけど、荒々しいとこは、無いんだな。
でも、中学の部活で「嵐のような怪物が出た!」っで先輩や先生にたまげられたんだな。トコが走っでて、抜こうとしだら、威圧されるんだって。そんなこと、しでないんだけどな~。テレサ選手は、トコの本質? を発見しでたんかな。そんじゃあ、トコ、選手に応えなぎゃって、走りに走っただよ。
選手は、引退しでコーチに回っでるけど、記録は破られてない。トコが、超えるんだな。空満をわっで盛り上げて、金メダルかけて戻ってくるんだな!
「技術は、あんましなってないっで叱られるけど、大学のアスリートコースで、しっかり身につけで、再来年出場したいんです!」
「とこよちゃんは、根性あるから、目標をどんどん達成できるよ」
きみえは本心から言って、伸びをした。
「先輩は、先生にぴったしですよね~! すんげく勉強デキるし、正義感強そだし」
「いやいや、私はとこよちゃんが抱いているイメージをかなり裏切っているよ。勉強苦手で、努力を嫌っていて、卑怯なんだ」
遥かな空に、寄せ集まった雲と、あぶれた雲が流れていた。
せっかく話してくれたのだからさ、私は黙っているわけにいかないよね。
教員になったのは、高校の担任の先生に憧れて、もあるけど、最低だった私の心を入れ替えるためでもあったんだ。それで許されるものじゃないとは、分かっている。だけど、教員にならないと、ずっと晴れないまま一生を終えそうで、嫌だった。
私のクラスで、いじめがあったの。成績が良いから、美人だから、男子と一緒にいるから、不潔だから、周りに比べてできないことが多いから、というはっきりした理由は無かった。なんとなく標的にされた子がいたんだ。ごめん、ごめん。当たり前だけど、いじめられる側にも理由がある、なんて考えは通じないからね。「ノリで」選ばれるのも、おかしなことだよ。
その子とは、あいさつやちょっとしたおしゃべりは交わしていた。関わりが有る無しはおいといて、私も立ち向かうべきだったのに、見て見ぬフリをしたんだ……。かばったら、次は私が狙われる。親や先生に知らせたら、あいつだけいい者ぶって、とクラスから孤立する。その子より、自分を優先したんだよ。
ある日ホームルームでね、先生が仰ったの。
「もし、自分の家族や友達がいじめられていたら、どうする? 自分が、心ない言葉を浴びせられ、いないように扱われたら、どんな気持ちだ? イメージしてみなさい。できる人は、なぜ止められなかった? できない人は、なぜ痛みを分からない? 人を傷つけることは、最低な行為だ。それよりも最低な行為は、人が傷つけられているところを目にしておいて、他人事だからと放っておくことだ」
私は、バカだった。イメージしようとしなかった。他人事で片付けていた。自分を守ることしか、考えていない最低なやつだったの。
先生が動いて、解決したよ。でもね、その子が受けた痛みは消えることはないんだ……。謝って、そばにいさせてもらったけど、数日で保健室登校に変わって、進級したら全然会えなくなった。この時点で、しつこく押しかけてでも会いに行かなかったのも、薄情だ。
その子とは、それきり。実は、許してもらえなかったんじゃないかと思う。私がその子の立場だとしたら、今さら味方づらして何よ、となる。私みたいな生徒が増えないように、勉強以外のこと、人としてどう生きるか、も教えられる先生をやりたいんだ。
「トコは、いつでも私が正しいっでいばる先生より、自分が間違っでたことを認めで反省できる先生についでいきたいだよ」
「とこよちゃん……」
「額田先輩は、周りがら『いい人』に見られようどしでないんだな! 過去にしだことは無かっだことにできないけど、この先ちゃんとしよう、っで努力しでる!」
きみえのかじかんだ指先が、急に温まった。
「トコは、先輩の夢が、かっごいいです!」
「照れるね……」
「トコ達、変身できないし、火も風も出せないけど、スーパーヒロインですよ!」
きみえは、小鳥がさえずるような声をたてた。
「君がとこよマンダリンで、私がきみえパープル、かな」
「はい!」
新たなスーパーヒロインの名に、二人は朗らかになっていた。
制限時間が残り十分を切った。スーパーヒロインズが、草や小枝、土で汚れているのに比べて、顧問のジャージは雪のように真っ白であった。
「最後の機会になるかしらねー。一人も成功していないけれど、その調子で障りを祓えるの?」
指示棒を五人に向け、まゆみは長歌を暗誦する。
「勇詠・巻第十九・第四一六四番歌、ちちの実の 父のみこと ははそ葉の 母のみこと おほろかに 情尽くして 思ふらむ その子なれやも ますらをや むなしくあるべき 梓弓 末振りおこし なぐ矢持ち 千尋射わたし 剣太刀 腰にとりはき……」
「皆、例の技をしよう!」
「ふえ、あれはまだ完成していないんやないの?」
「リスクが、高い……です」
「最後かもしれねえだろっ、奥の手を使う時だぞっ!!」
「センセの大技ニ対抗するニハ、やっパ例のアレっスよ☆」
スーパーヒロインズは、両目を閉じて「祓」を練りあげはじめた。
「あしひきの やつを踏み越え さしまくる 情さやらず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも!」
藤色の雲がまゆみの全身を螺旋状にめぐり、弓と刀が周囲に顕現する。
対して五人は、各々の足元に丸で囲まれた陣を張った。
「読」のスーパーヒロイン・ふみかレッドは、緋色の円を、
「技」のスーパーヒロイン・いおんブルーは、露草色の三角を、
「速」のスーパーヒロイン・はなびグリーンは、常盤色の星を、
「知」のスーパーヒロイン・ゆうひイエローは、蒲公英色の下弦の三日月を、
「愛」のスーパーヒロイン・もえこピンクは、撫子色のハートを描いた。
「言霊助け、H2Oかけ、風の前に、努めぬき、新シキ歌詠む! ふみか・いおん・はなび・ゆうひ・もえこディヌモーン!!」
東に「愛」の陣、西に「知」の陣、南に「速」の陣、北に「技」の陣、中央には「読」の陣が置かれ、天をゆき、まゆみへと発射された。五つの陣がを雲を押しのけて、武具と相手を折り曲げ、斬りつけ、吹き飛ばし、縛りあげ、乱反射した。
さて、手応えは…………?
「ものぐるほしき攻めをしちゃって……。このジャージ、限定モデル一万二千円が空満本通りで七割引きだったのよ」
よじられ、穴や傷があちこちにできてぼろになった白い上着を、肩にかけて顧問は座り込んだ。
「条件は満たしているものね、良し! あなた達の勝ちよ。おめでとう」
五人五色のスーパーヒロインは、飛び跳ねて手を叩き合わせた。
「ディヌモーン、『大いなる障り』を退けるのにふさわしい奥義だわ」
ズボンから、振動が起こった。着信だ。まゆみは携帯電話を出して、五人にことわって対応する。
「はい。……あらー、なゆみちゃん? 何ですって!?」
一旦電話を離し、隊員に告げた。
「あなた達、出番よ。ここに忘れ去られた妹の傑作を倒しなさい」




