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第十八段:橘(ときじくのかくのこのみ)は朽ち果てない(一)

     一

 安達(あだ)太良(たら)なゆみは、とにかく喉が不快でたまらなかった。

 痛み、腫れ、体液が逆流する、などの物理的なものであれば、とうに然るべき医療機関にかかっていた。病名を知り、治療法を教わり、薬をもらえば済む話だった。

 残念なことに、この気持ち悪さは、自ら解決しなければならなかった。放っておいている物が何なのか、いい加減に思い出さないと、事態が重くなりうるのだ。その「物」と、置き場所が、あとひと息のところで出かかっているのに、かれこれ三時間、まだつかえたままなのである。

「……()(おん)、おかわりを頼む」

 なゆみが担任を務める学年の一生徒、佐久間音(さくまね)(おん)にコーヒーカップを渡す。

「……そう、博士(はかせ)、これで八杯目、カフェイン中毒?」

 音遠は、小さな顔を半分以上覆っている、アイスブルーのネックウォーマーをもごもごさせて言った。博士、と呼んでいるのは、なゆみが博士号(はくしごう)を取っているから、ではない。栄養学の博士(はくし)ではあるが、なゆみは音遠の生みの親、であった。音遠は、普通の女子大生ではなかった。「擬者語(ぎものがたり)シリーズ」の弐号機、いわゆるアンドロイドだった。

「うるさい、僕の命令に従え」

「…………イエス」

 もやしみたいな身体をくねらせ、音遠は沸かしなおしたコーヒーを注いだ。ご機嫌斜めなので、カルシウム補給に牛乳、満足感を得られるグラニュー糖を混ぜようと考えたが、実行はしないでおく。お小言を浴びせられる結果が確定していたからだ。

 命令されたことだけをしたら「気が利かない」、「二、三手先を読めない」旨を長々と伝えられ、逆に博士のかゆい所に手を届かせたら「余計な仕事をするな」、「それぐらいは自分でやれる」という意味を遠回しにふっかけられる。いずれにせよ、文句がつく。音遠にとって、ましなのは前者だった。

「早いな」

 ……それだけ? 神経(にあたる回路)を尖らせておかわりを淹れてきたのに。さすがに物静かな音遠も、コーヒーをわざと顔面にこぼしてやろうかと思った。冷静でいる博士にやけどを負わしたら、すっきり度86%だろうに。

 音遠は、聞こえなかったふりをして、テレビをつけた。来月の卒業式まで、暇だ。()りだめていたドラマを全話通しで見よう。

「……………………」

 オープニング曲の拍子に合わせて、二人の女性が会社の制服姿ですれ違う。かわいこぶった若い女(おそらく新人か現役アイドルが演じているのだろう)と、ブスで太っているせいで老けてみえる女(芸人か。肉体改造した実力派の可能性もあり)。題名は「(ひめ)とひめ」、かわいい方が「(この)花咲(はなさくや) (ひめ)」、ブスが「岩永(いわなが) ひめ」の役名がつけられている。

 本編が始まるまでの合間に、扉のそばに積んである段ボールからみかんを持てる限り取っていった。音遠は、大学の安達太良研究室、略してアダケンに住んでいる。他の「擬者語」四名も一緒だが、今日はチョコレートを買いに出かけている。出不精(でぶしょう)かつ人混みが嫌いな音遠は、お留守番していたのだった。四人は、なゆみからの雑用を免れたので喜んだ。

「……なぜ、博士も、こもって、いる?」

 実験机にみかんをお店広げして、音遠はつぶやいた。なゆみには家があるのに、帰った日が無い。往復が煩わしい、生活に必要な物がここに揃っているから、と理由をつけて棲みついているのだ。

 ドラマに集中するか。二個皮をむいて、薄皮をのぞきながらテレビにかじりついた。

 ……そう、こういう話が見たかった。音遠は、序盤から満たされた心地になった。やや腹黒いが見栄えが良く皆にちやほやされている姫が、ますます恵まれた待遇におかれてゆく。一方、気立てはいいのかもしれないが醜い容姿のひめが、惨めな状況にとことん堕ち続ける。最近の漫画やドラマは、ひめみたいなたいしたことない女が、成り上がって幸せな結末を迎えるから、虫唾が走る。

「……美人が、勝つ」

 ブスの成功譚が多く出回っているわけは、世間にブスが蔓延しているから。かわいそうに。音遠は、ネックウォーマーの中でほくそ笑んだ。

 容姿においては、音遠は過剰な自信があった。(もと)にした人間が、仁科(にしな)唯音(いおん)だったのが運命の分かれ目。思慮深いクールビューティ、憂いを帯びた青年のようにもみえる顔が、私にも備わっている。普段は誰の目にもふれさせない(他人にこの美しさを拝ませる資格があるとでも思った? 強気度100%)けれど、私は「持っている」部類なのだ。

「……視聴率、低い、理解不能」

 私物のモバイルパソコンをインターネットにつなぎ、「姫とひめ」の評価を調べた。名作なのに、悪口がいっぱい書かれている。ドラマは新章に突入し、姫は甘くて贅沢な新婚生活を送り、ひめは左遷先でいじめに遭っていた。

「……すっぱい」

 最後のみかんは、あんまりだった。熟しているはずなのだが、だまされた。博士に食べさせてあげたら良かった……。

「それだ!」

 前置きなく大声を出さないでほしい。音遠はうっとうしくなりながらも、博士の方を向いた。

「音遠、お前…………!」

 叱られるようなことでもしただろうか。美貌を持っていても、現実は、理不尽だ。博士をはじめとした、「姫」を虐げる人間が

「お手柄なのだ!!」

「…………意外、誉められた」

 音遠は、手入れされていないスカートを引っ張り上げた。腰回りが細すぎて、スカートが落ちやすいのである。

「霜月の中旬、夏祭山(なつまつりやま)にあれを設置して、放っておいてしまった。あらかじめ認識させた対象以外は襲わないが……。音遠、今日の日付は?」

 スカートを無理やりベルトで固定して、教え子は答えた。

「……如月(きさらぎ)十日(とおか)、水曜日」

「なに!?」

 なゆみは絶望的に総身を震わせた。

(ねえ)さん達が、そこで寒稽古を行っているのだ! 僕の阿呆(あほう)、年内に撤収しなかったことが悔やまれる。とみの任務だ、うずめ達に信号を送れ!!」

 音遠は頭をかいて、命令に従った。最終回は、またの機会だ。いと、口惜し。



 朝の山は、空気がきりりと冷たくて、心まで引き締めてくれる。

「これだけ離れていれば、当たらないよね」

 ふみかレッドは、草むらにしゃがんで呼吸を整えた。スーパーヒロインになっているので、感覚が冴えて誰がどの位置にいるか「読め」る。

「休みまで五分、守りきったら私の勝ちだ」

 腰帯に付けた紐がゆるんでいないか、確かめた。大丈夫。紐には毛糸の人形が通されていた。

(ばん)(ぺい)()ちゃん、けっこう好きかも」

 ふみかレッドは息を殺した。疾風(しっぷう)のごとき速さで、あの子が近づいてくる。

「うりゃりゃりゃりゃあっ! 見つけたぞっ!」

 同じくスーパーヒロインはなびグリーンが、蹴りを入れに飛び込んだ。スーパーヒロインに目覚めたことにより、身体能力がいっそう高められ、格段に速くなっている。

敷島(しきしま)!」

 (まじな)いの()「敷島」を巨大化させて、防御した。普段は、赤い石のおはじき兼髪留めだが、レッドの手の動きに応じて大きくも小さくもなってくれる。

「けっ、こーなりゃてめえごと吹っ飛ばしてやらあ!」

 諦めるものかと、グリーンは呪いの具「無常(むじょう)(はな)」で竜巻を起こす。橄欖(かんらん)(せき)でできた(はちす)が、グリーンの燃え盛る不思議な気「(はらえ)」を風として咲かすのだ。

「耐えるよ、敷島」

 辰砂(しんしゃ)(まる)い盾を地面について、レッドは風をしのぐ。

善戦(ぜんせん)健闘(けんとう)っ! 強めて、なぎ倒すっ!!」

北風(きたかぜ)作戦……ですか」

 第三者の気配に感づけなかった。はなびグリーンは、背後をとられて水の刀を受けた。

「みね打ち、安全……です」

 スーパーヒロイン・いおんブルーが、銃剣「(おき)青波(あおなみ)(かい)」を構えて(ざん)(しん)をとった。河川が通っていなくとも水の性質を持つ「(わざ)」の祓を武器に流し込めば、刀は作れる。「祓」は、最高位の「(まじな)い」―この世に奇跡を実現させる(すべ)ゆえ、可能にするのだ。

「正確な攻撃、祓がブルーの視力をもっと上げたんだ……まったくもって恐ろしいよ」

 竜巻が消えても、危機には変わりない。ふみかレッドは、緋色の羽衣で飛翔した。

「逃がさない……」

 とんぼの(はね)を模した露草色の羽衣をはばたかせて、ブルーが追う。二人の間に、フリルとレースで洋風仕立てにした巫女服のスーパーヒロインが割り込んだ。

「アンラッキーっスね☆ ピンクがセンパイ達を一掃シテ、隊長のマスコットもイタだきマース!」

 撫子色の羽衣から光る粉を舞わせ、もえこピンクは愛らしくて豪華な杖「共感(きょうかん)のシグナルシグナレス」を振った。ハート型の頭部より、温かみのあるきらびやかな光線が放たれる。近未来の少女玩具に思えるが、れっきとした呪いの具である。「(あい)」の祓を彼女が望んだ光に変換してくれるのだった。

 目を閉じたレッドに接近し、ピンクは(ばん)(ぺい)()ちゃんを手に入れた。

「ひゃっほう☆ 午前のトレーニングは、ピンクが勝利デス」

「慢心は、ようないで。ピンク」

「にゅはっ!?」

 金の(たま)(くさり)が、ピンクから晩白柚ちゃんを取りあげた。同時に黄色いリボンが、彼女を拘束する。

「漁夫の利なんかもしれへんけれど、うちかて負けたないもん。寒稽古でも、退()かへん!」

 地上で鎖とリボンを操っていたのは、スーパーヒロイン・ゆうひイエローだった。呪いの具である鎖付きの鈴「(たま)小櫛(おぐし)」と、長く戦いを共にしてきた髪飾り「(むす)(たま)()」を組み合わせた、あっぱれな策であった。

「無念っスー」

 リボンをちぎって、イエローが逃げる。蒲公英(たんぽぽ)色の袴は、以前のヒロイン服ではいていたスカートに比べて丈が短くなったものの、数センチ裾が上がったにすぎない。袴の端をつまんで、ゴールの松の木へ急いだ。そこに待機している顧問に人形を見せて、はじめて勝ちとなる。

「あかん、もうすぐやけど……飛ぼう」

 下弦の月に曲がった羽衣に念じようとしたら、

「通さないよ!」

 辰砂のおはじきが、イエローに覆いかぶさった。

「レッド、まだそんな力が残っていたんか…………」

「もうちょっと起きるのが遅かったら、イエローに負けていたよ」

 光線のまぶしさに体勢を崩して、落ちてしまった。持ち前の負けん気の強さで立ちなおしたレッドは、様子を伺い「敷島」を縮めてイエローへ(はじ)いた。隙が生じた時に、一気に広げたのである。

「人形、もらうね」

 晩白柚ちゃんを握り、松の木へひとっ飛びした。白いジャージを着こなした顧問が、幹に背を預けていた。

「あらー、うまく逃げ切れたようね。お疲れ様」

「取られないようにするのに気がいって、先生に届けることが抜けちゃいましたよ」

 顧問は毛糸の人形を上着のポケットに収めて、笛を鳴らした。

「寒稽古、午前の部はおしまい! お昼休憩にしましょ」

 はなびグリーン、いおんブルー、ゆうひイエロー、もえこピンクが(はらえ)を解除し、木陰へぞろぞろ集まった。ふみかレッドも緋色の祓を出すのをやめ、通常のヒロイン服に戻した。

「肝心肝要のお弁当が、まだ来てねえじゃねえかよ、あまからまゆみっ」

 顧問は、人差し指を左右に振った。

「ふふっ、ひもじさは、ごはんを百倍も美味しくさせるスパイスなのよ、はなびグリーン。あまからもいけるけれど酸っぱ辛い派な私の名前は、安達(あだ)太良(たら)まゆみ!」

 おなじみのかけ合いが済んだら、

「おーいおーい! ランチ便お待たせしたよー」

「できたてなんだな~、早ぐ皆で食べよなんだな!」

 額田(ぬかた)きみえと尼ヶ辻(あまがつじ)とこよが、バスケットや重箱を()げて坂をのぼって来た。五人の娘は、歓声をあげて迎えに走りだしたのだった。


ひとりごと(めいたもの)

 拙作の登場人物、近松初徳先生と森エリス先生のモデルとなった先生方が、なんとご結婚されていたことが判明して、衝撃が走っております。まさかの中の人(注:モデルです)がご夫婦に……! いや、前々からモデルのお二人で純愛(意味深)な物語を妄想していたのですが、八十島、空を舞いそうです。この場をお借りして、先生方、ご結婚おめでとうございます。


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