第十七段:初春の めでたく椿 おさめけり(一)・(二)
一
新たしき年の初めの夜、携帯電話にメールが入った。大学で同学科の友人、夕陽ちゃんからだった。
件名:あけましておめでとう!
本文:夜分遅くにごめんね。そして、急な話なんやけど、明日ふみちゃんのお宅に伺っ
てもええかな?
せいちゃんと薬師寺の吉祥天女像を見に行くんやけど、せっかく内嶺まで出る
から、ふみちゃんに会えたらええなあて思って。あかんかったら、遠慮なくいう
てください!
通常なら、いくら親しい仲であっても、お断りしていただろう。三が日の中日は、母方の祖父宅(電車で六駅分のほどよい近さ)にて、親族こぞってすき焼きを作る行事が入っているからだ。しかし、今回はお奉行様の祖父が年の瀬に足を骨折して入院しているため、注視となった。高齢者にはしばしばある、加齢による不意の骨折(俗に、いつのまにか骨折、なんて呼ぶらしいね)だったので、大事に至らなくてほっとしたのだけれど。
返信の前に、開いて伏せたままにしていた単行本に、しおりをはさんで閉じておく。年末年始用に借りてきた本の、最後の一冊だ。
件名:こちらこそ、あけましておめでとうございます
本文:うん、来てくれていいよ(^_^) 念のため、家族に聞いておくね。時間とかは、後で相談ってことで、よろしく。
友達が自宅を訪ねてくれるなんて、いつぶりだろうか。幼稚園? 小学校低学年くらいか? 子どもだった頃は、母があれこれおもてなししていたけれど、今や私は大学生、そして二十歳である。なんとかして、夕陽ちゃんたちに楽しんでもらわなきゃ。
背筋を伸ばして、滅多に出さないやる気を込めて、部屋の扉の取っ手を握ったのだった。
「お邪魔しますぅ」
睦月二日のお昼前、大和家へ慣れ親しんだ声がした。
「い、いらっしゃい…………あれ?」
夕陽ちゃん、せいちゃんこと平田清香さんの間に、もう一人お客様がみえていた。
「私も来たよう、ふみか!」
「うずめちゃん」
陣堂女子大学文学部国文学科の二回生、天野うずめちゃん。私、大和ふみかと顔が瓜二つの女の子だ。実は「擬者語シリーズ」なる、科学と呪い(この世にありえない奇跡を起こせる術のこと)が産んだアンドロイドである。うずめちゃんは、私を原作としているんだ。ちなみに、清香さんの原作は、夕陽ちゃんだよ。人間よりも人間らしく生きている二人は、大学生活を謳歌しているそうだ。
「ふみかのために、遠くまで来てくれてありがとうね」
年が改まったので新調したスリッパを、パタパタ鳴らして母が出た。
「皆、おしゃれなコーデねえ。おろしたてでしょ? お正月には新しいお洋服、着たくなるわよねえ。ごめんなさいね、うちの娘ってば、寝間着みたいなイケてない格好でお客様の前に」
「お母さん、そういうのいいから、居間へお通しするよ」
母は鼻歌を唄いながら私たちの先を行った。
「ふみちゃんのお母様て、愉快な方やねぇ」
目をきらきらさせて、夕陽ちゃんがのんびり言った。一日体験ならば、それなりに楽しいと思うけれど、二十年も同居していたら、すさまじい責苦だよ。
「対照的な親子やなァ。髪質と体型は遺伝しているようやけどォ」
「せいかちゃん、対照的じゃないよ。思っていることを口に出すか出さないかの違いだけで、二人とも雄弁なんだから」
後列の清香さんとうずめちゃんが何やら話していた。う……、私ってば雄弁だったの? 母を反面教師として「沈黙は金」を貫いてきたのになあ。
「そうだ、皆、食べられない物ってある? お昼はおせちなんですけど……」
幸いなことに、全員何でも食べられると返ってきた。
「せや、良かったら、うち達が選んできたお菓子も召しあがってなぁ」
「ありがと」
不思議だ、朝は「人」の字を掌に書いて飲みこむをしこたま繰り返していたというのに、今はわくわくが勝っている。友人と過ごす時間って、干したての雲の上で弾んでいるみたいだ。たまには目いっぱい楽しもう!
二
「助かったわあ。いつもなかなか減らないから、私のぜい肉を肥やすのがオチなんだよ。いっぱい食べてくれると、こしらえた甲斐がある!!」
母、大和歌子謹製・おせち五段重は、ものの三十分で空っぽになった。寝正月を全うする父と、薄っぺらい体に似合わず濃厚こってり特盛りが好みの弟に強制しても、到底成し遂げられなかった偉業を、女子大生三人がたやすくこなしてしまったのだ。いや、ほとんどは清香さんの活躍だね。豊かな体型を保つには、それ相応の食事量がいるそうで、ひと口ひと口に舌鼓を打つ余裕すら見せていた。うずめちゃんは「おいしい!」を連呼して、全種類まんべんなくつまんでいたし、夕陽ちゃんもゆっくりながら箸を動かし続けていた(黒豆と数の子、栗きんとんをいたく気に入っていた)。え、私? 私は、お雑煮と田作りさえあれば充分なので、お重は遠慮しているんです。お客様の食事が少なくなるでしょ? 年末年始は誘惑だらけで、気を抜いたら体重がとんでもないことになるんだから、ね。
「いッチ、美味でございました」
口の周りを拭ったおしぼりを巻きなおして、清香さんが深々とお辞儀をした。露出がまったく無い栗色のワンピースが、彼女に隠された上品さを引き出している。普段はおちゃらけているけれど、大事なところでは場を弁えられる人って、そばにいて気分が良いものだなあ。
「おそまつさまでした。えーっと、本居さんはふみかと同じ空満大学なんだったね。平田さんと、天野さんは陣堂の大学に通っているそうだが、どういうきっかけで知り合ったのかな?」
父、文男が本日初めて口を開いた。そこにうずめちゃんが、手をしっかり上げて溌剌と答えた。
「私たち、近畿の大学間でしている文学サークルの交流会で出会ったんです。お話していたら、たまたま参加者の数や、活動内容が同じで、つい時間を忘れて盛りあがっちゃって」
それで、海よりも深いつながりができているんですよ、と、私の肩を組んできた。すかさず夕陽ちゃんが、うずめちゃんの腕を払いのける。
「深いゆうてもぉ、先月知り合ったばかりでしてぇ……あはは、あはははは」
一瞬、うずめちゃんと夕陽ちゃんとの間にとげとげしい空気が流れた……ような気がする。
それはさておき、本当のことを言うと、うずめちゃんたちとは、うちの顧問をめぐって相争ったり、共に闘ったりした間柄なのである。私が参加している「日本文学課外研究部隊」の顧問、安達太良まゆみ先生は「特別な力」を宿しており、しかも神が先祖で、いずれはその座を継ぐことになっている。
うずめちゃんたち「グレートヒロインズ!」と出会い、まゆみ先生の先祖、弓と文学を司る神・アヅサユミと戦った。「空満に災いが来る。そのままにしておいたら人の心が滅ぼされ、害が世界に及ぶので救ってほしい」とアヅサユミに頼まれ、運命の、弥生と卯月の間に、うずめちゃん達に支えてもらいつつ、顧問と六人で一手ひとつとなって災い「大いなる障り」に勝たねばならない使命を背負って……なんて、そのまま伝えられない。語弊が生じるどころか、大事になりかねない(特に母は、町内に広めるだろう)ので、ああいう体にしているわけだ。
「…………姉さん、自室へ案内したら?」
我が家で最も物言わずな、弟、詩男が漢文の全集本ごしにしゃべった。私よりも人付き合いが苦手なんだもの、間が持たなかったんだね。はいはい、退散しますよ。席を外して、二階へ皆を連れてゆくことにした。
「キュートな弟君やったなァ。耳、真っ赤にしてやったでェ。あたいのバスト、チラッチラ、チラッチラ気にしていたしィ。ウブな坊やや」
からから笑う清香さん。
「漢文が恋人みたいなものなので、異性に免疫ないんですよ」
年齢と恋をしていない歴が一緒だし。あ、私もか。蔑んでごめん、弟よ。
「本を熱心に読んではったね。勤勉なんやなぁ」
杏色のスカートをふんわりさせて、夕陽ちゃんが愚弟に感心した。そこに、チェリーレッドのとっくりを着こなしたうずめちゃんが唇を突きだす。
「ぶー、はずれ。詩男くんは、こっそりゲームをしていたの。『大混戦すみっこキャラクターズ』、使用していたのは安定のほっきょくぐまさんだね」
胸をはるうずめちゃんに、夕陽ちゃんはちょっと不服そうに目を細くしていた。うずめちゃん、分析機能で弟の趣味をのぞいたな。
「こほん。ところで、ふみちゃんのお部屋、どんなんやろう。いっぱい本があるて伺っているんやけどなぁ」
やっぱり、部屋の全貌は期待されるものなんだね。招いても恥ずかしくないくらいには、片付けしたんだけれども。これといった特徴のない木製の扉を開け、三人を先に入らせた。




