第三段:歌合(うたあわせ) 唱する武士(もののふ)ども(一)
一
文学PR活動は、意外にも肉体を酷使するものだった。
「もうダメっス」
「のど、かれそうやわぁ」
二〇三教室に着いた瞬間に、萌子ちゃんと夕陽ちゃんがへたりこんでしまった。どちらもしばらくは動けなさそう。
「二時間、立ったまま……です」
無表情のまま、唯音先輩はつぶやいて、壁にもたれかかった。
「ったく、情けないな。オバさんかよっ」
こんな時でも仁王立ちのままでいられるとは、さすが華火ちゃん。一人だけずっとぶれることなく同じ姿勢を続けていたよね。拍手を送りたかったけれど、
「頭、パンクしちまうな……」
突然よれよれになって、患部を抑えながらしゃがみこんだのだった。体力自慢少女、脱落。
「はなっち、途中デ下ノ句ド忘れシテまシタな」
「あたし、覚えんのニガテだっての」
「和歌は、難しい……です」
皆、茹で上がった青菜のように、くたびれてしまった。
「さすがに百人一首すべて暗誦って、きついよね」
さらに、変身してやることで、精神的にもダメージを受ける。
「そやねぇ……。あらま、ふみちゃん平気そうやね。疲れてへんの?」
横たわったまま夕陽ちゃんが訊ねる。
「そ、そうでもない、かな」
ごめん。正直、疲れを通りこして、もうどうでもいい状態なんだ。座っても立っても変わらないと思えてきたの。
「さっさと帰りたいなあ」
「はーい、お疲れ様!!」
片手で力いっぱい扉をこじ開けて、本朝一 (かもしれない)元気な方が登場。
「なんだよ、ギラギラまゆみ」
ぐったりしても、華火ちゃんは恒例の「あれ」を忘れないようで。
「せっかくなら、エレガントに『キラキラ』にしなさい」
相方もすっかり乗ってくださっているよ……。
「忘れないように言ってあげるわ」
ドアを押さえていない方の手で、五人をビシッ!と指さし、こう言い放った。
「私の名前は、安達太良まゆみ!」
それから小さくガッツポーズ。どうもありがとうございます。
「あらー、喜ばしい日だというのに、こんなにしおれちゃって」
先生にとっては、毎日が「喜ばしい日」だと思うんですけど……。
「先ほどの文学PR活動の後、学内の図書館で『百人一首』関連の本が、じゃんじゃん借りられていったそうよ」
「ソレ、偶然じゃないスか?」
めずらしく疑ってかかる萌子ちゃん。そばで夕陽ちゃんが力なくうなずいた。
しかし、まゆみ先生は動じることなく、
「前向きに考えないとダメ!これは『スーパーヒロインズ!』の快挙といえるのよ」
胸をドンと叩いて言い張った。
まあ、少しでも日本文学に興味を持ってくれたのなら、私たちにとっては嬉しいけれどもね。
「快挙なら、ごほうびくれ」
ゆらりと華火ちゃんが起きあがって、手を出して催促した。
「華火さん、はしたない……です」
唯音先輩がとがめた時、
「ごほうび。その言葉を待っていたのよ!」
ミュージカルのような口調で、先生が応えたのだった。
「あんだって?」
思わず拍子抜けした声を出す華火ちゃん。それから、おかしな展開をみせた先生が「ふふ、ふふふふ」と笑いだす。
「文学PRを頑張ったあなた達のために、お茶を用意したの」
『!!』
力を無くしたヒロインズに、生気が宿りはじめた。
「若人達を労う、それが私なのよ」
まゆみ先生は堂々と言い、近くにいた華火ちゃんの手を取った。
「なっ!?」
「いざ子ども 我が研究室に 今はこぎ出でな!!」
いつでも万葉の心を忘れない先生は、華火ちゃんを連れて部屋を旅立った。
「ぎゃあああー○△×□◎!?」
華火ちゃんのにぎやかな(?)叫びが、隣の部屋へ隠れる。
「まゆみエンジン、全開だね」
軽くため息をついて、私は茫然としている夕陽ちゃんたちに一言いってみた。
「私たちも、こぎ出でようか」
「安達太良先生、ありがとうございますぅ」
「そんなにかしこまらないで、本居さん。さあ、どうぞ」
「ほへー。冷エタ体ニハ、やっパ紅茶っスよね☆」
「あたしはお菓子がありゃいい」
「食べすぎ、いけない……です」
お言葉に甘えて、私たちは労ってもらうことになった。
何度も訪ねたことのある、先生の研究室。掃除がゆきとどいていて、白で統一された部屋。中心には、一台のテーブルと複数のイス。私たちは今そこで、お茶を飲んでいる。隅におかれた大きな本棚には、びっしりと『万葉集』やその研究書などが詰められていた。
このメンバーで研究室に来たのは、初めてだなあ。温かい紅茶をすすりつつ、皆の様子を見る。
「この紅茶、なんだったっけ。さっきまゆみが言ってたな……マンドリン?ダンジリン?」
「ダージリンっスよ」
「あ、それ。紅茶に詳しいたぁ、あきこにしてはたいしたもんだな」
「ぺぎゃーっ、本名禁止!!」
「ふふ、仲良しさんね、お二人とも」
『全然ちがうっ!』
華火ちゃんと萌子ちゃん、あいかわらず騒いでいるようだけれど、いいコンビだよね。
「まゆみさん、あの本、読みたい……です」
「どうぞ。あらー、仁科さん、旋頭歌に興味あるの?」
「……です」
「よかったら今度、私のゼミにおいでなさい。お友達の額田さんも、きっと喜ぶわ」
「……!」
この二人も良く合っているなあ。唯音先輩にまゆみ先生、師弟というより姉妹みたいだね。
何気なく目をいろんなところへ運んで、私はそれなりに人間観察を楽しんでいた。けれど、胸の奥で突っかかるものがあった。
「ふみちゃん?」
そばで、やわらかな声。黄色いリボンが目印の友人が、心配そうにこちらをうかがった。
「具合でも、悪いん?」
「あ、いや……なんでもないよ」
見てばっかりで、黙っていたから心配させちゃったのかな。
「ねえ、夕陽ちゃん」
「はいな」
楽しそうな光景を前に、私は思っていることを素直に言ってみた。
「あのさ、とっても嫌な予感するんだけど」
「?」
首をかしげる夕陽ちゃん。メガネまで傾いているのは気にしない。
「こんなにごきげんなのは、ね……」
私はそう言って、真ん前の白いスーツを見る。
「まゆみ先生、何かたくらんでいそうじゃない?」
ギラリ。先生の首元につけている弓矢のチャームが、恐ろしげに輝いた。おまけに、本人が私の視線に気づいて、切れ長の目を細めた。うう、予感が現実に変わりそう……。
「あはは、ふみちゃん。そんなんありえへんてぇ」
夕陽ちゃんが、手を左右にふった直後、
「そろそろ、本題に入りましょうか」
まゆみ先生がいきなり立ち上がった。
「ふええええええっ」
「なんだなんだ!?」
「本題っテ、どーゆーコトっスか」
「帰りたい……です」
あーあ、始まっちゃったよ。まゆみ先生がこの世の者ではない笑みをたたえて、私たちを見すえた。
「そおれ!!」
真っ白な上着から、器用に五枚の紙を取りだした。
「とうっ!」
紙を手裏剣のようにシュパパパッと、ひとりひとりの手元にすべらせていった。配られた物は、どこにでもある折り紙。私→赤、夕陽ちゃん→黄、唯音先輩→青、華火ちゃん→緑、萌子ちゃん→ピンク、と好みの色に合わせられていた。
「まゆみ先生、これはいったい」
何が何だか分からない皆を代表して訊ねてみたら、先生は立ったままこう返した。
「『スーパーヒロインズ!』のテーマソングを作るわよ!」
『!?』
ただただ驚くしかない一同。あのー、映画かアニメーションでも作るんですか?
「あー、ゆくゆくはそうしてみたいけど、別の動機なんだな」
腕組みしてにっこりする先生。その口元が怪しげに動いた。
「いい? 戦隊ものには、テーマソングがつきものよ。いつかは、作るべきだと決めていたの」
「それと折り紙に関係があるんですかぁ? 安達太良先生」
誰もが抱いていた疑問を、夕陽ちゃんが伝えてくれた。鶴を折って神頼みで歌を作ったりは……しないよね?
「大ありよ。そこに歌詞を書いてもらいたいんだわ」
意外にもシンプルな方法でした。まゆみ先生が、私の前にある、赤い折り紙を裏返し、色のない面を見せる。そうか、用紙の代わりだったんだ。まあ、謎は解けたとして。
「なるホド、歌詞デスか……。萌子、書キ方ワカらナイんスよねー」
「ルールってのがあるのか?」
顔に「?」を浮かばせる、文学部一回生・高校生。そんな二人に対し、まゆみ先生は
「難しく思わなくていいわ。ヒロインズらしいものなら、なんでも良し!」
と、いつもの親指立てポーズでアドバイス。
「ヒロインズ、らしい……ですか」
プレパラートを扱うように、慎重に折り紙を手にとる唯音先輩。それを横目に、夕陽ちゃんが首をかしげて、さらに質問。
「文学をテーマにする、ということですかね?」
「ふふっ、ヒントは出しません。自分で考えてみてね」
指で「ヒ・ミ・ツ」とサインを送る先生。なかなか解けそうにもない問題を出してきましたね。五人それぞれ紙を持ったり見つめたりして悩んでいた。
「翌日に完成させて持ってくるのよ。後出し・不備は厳禁、以上!」
課題を与えた先生は、言い終わった後、紅茶を一気に飲み干した。
時間をつかまえる方法を打ち立てることもできず、あっという間に次の日になってしまった。二〇三教室にて、机を囲んで全員集合。
各々が持ってきた五色の折り紙が、円を描くように並べられる。
「では、見せてもらいましょ」
先生の合図で、置かれた自分の紙をひっくり返していく。テーマソング制作が、これから始まる。
「う、うわ」
「あんまり、見やんといてなぁ」
「おっ。てめえら、いいこと書いてんじゃないか」
「個性バリバリ出てマスな」
「はずかしい……です」
皆が書いたものは、かくのごとし。
さあ 開いてみよう 文学という名の 扉を 大和ふみか
つながる 言葉と言葉 まるで 共有結合のよう 仁科唯音
ページの中を 火花散らして 走っていけ 夏祭華火
心から 心へと 時を超える メッセージ 本居夕陽
すべての 物語に 愛をこめて 与謝野・コスフィオレ・萌子
「あらー、力作ぞろいね!」
盛大に拍手を送る、まゆみ先生。
「相当時間かかったんじゃない?」
先生の言葉に、五人は固まってしまった。
「あはは、はは」
その場をとりつくろう夕陽ちゃんの笑い声に、ほか三人が「実は今日あわてて作りました」と言いたいけれど言えそうにない雰囲気を出していた。ごめん、私も昼休みに急いで書きあげたんです。
「どうしたの? 変な顔して。ま、いいわ。後は作曲だけね」
「誰がやるんスか?」
なんとかぎこちなさを脱却した萌子ちゃんが問う。
「私」
『えええっ!?』
女子たちのリアクションに、ニヤリとする先生。おまけにネックレスも立派に光っているし。
「昔、合唱部で作曲したことあるの。ついでに、指揮・伴奏・作詞も経験済み」
顧問かつ担任の先生に、音楽の才能があったとは。
「もしかしてだけどよ」
自信に満ちたまゆみ先生を、じとーっと見つめる、華火ちゃん。
「テーマなんとかを、どっかで歌うとか言わねえだろなっ」
あ……。冷や汗が流れだしていく。ま、まゆみ先生!
「当然歌うに決まっているわよ」
そんなこと聞くまでもないじゃないの、と強気に出る先生。
「ほんまですかぁ!?」
上官の無茶な作戦に驚く部下みたいに、夕陽ちゃんがリボンごと揺らして叫んだ。
「ひが事ではありません。一週間後にステージに立てるよう、今日から特訓開始!」
もはや止められない域に入ったようで。どこからつっこめばいいのやら。
「『スーパーヒロインズ!』いざ音楽棟に、出陣よ!!」
―日本文学課外研究部隊、ついに音楽活動へ進出!