第十四段:少年誠文の祖父(四)
四
村雲神社に列なる露店の多くは、「仕込み中」の看板がかかっていたり、立ったりしていた。夜の花見に向けて、だろう。
駐車場に自転車を置く。端っこにやっているから、迷惑にはならないと思う。大鳥居をくぐり、頭を低くして社務所を過ぎる。神主につかまれば、親は一緒じゃないのかと訊かれる。羆みたいなじいさんは、子ども、特にひとりでいる子が心配でたまらないんだ。また、両親と神主は旧知の仲だけに厄介だ。
手水舎で清め、そばの小屋をちょっとのぞく。小屋には、鶏たちが窮屈そうにしていた。日中は放されていて、かまびすしく鳴く。雲の神・シラクモノミコトを祀っているんだけれど、使いが飛べない鳥なんだ。四十羽の使いに、おれのお気に入りがいる。一本足のクロ(おれが勝手に名付けた)だ。クロは、群れないし、人に媚びない。足の数を卑下せず、奢らず、あるがままに生きる。おれは、クロを先達としている。小屋でも、あいつは孤独を謳歌している。いいぞ。
石段を登り、新しい神様の住まいを目指す。梓弓社、だったな。白い木造の建物だ。社の縁に腰をおろし、息をついた。
「あらー、誠文くんじゃないの」
戸の奥から、矢のようにまっすぐ通る声がした。
「こんな遅くに、めずらしいわね」
「今晩、世話になるよ。これは、お供え」
戸の前に、和舟ばあさんの軽食と、露店のたこ焼きを置いた。
「カレーホットサンド! 『椰子の実』のイチオシメニューなのよ。ありがとう! たこ焼きもあるんだ。誠文くんが買ってくれたの?」
「うん。新作のピザ味だって。サンドだけじゃ、あんたには足りないだろう」
「ふふっ、察しがいいわねー。いただくわ。あなたもいかが? ひとりっきりのご飯は、寂しいのよー」
「なら、お相伴にあずかる」
社にもたれて、たこ焼きをもらった。ソースがかかっていないと思えば、中にトマトソースとチーズが入っていたのか。たこの代わりは、サラミだ。具材は、確かにピザだよな。
「豆キーマだわ、棚無先生のお料理は、どれもいみじく美味しいの」
「和舟ばあさんは、あんたの元へ足繁く通っているのか?」
「私の恩師なの。ご飯を持ってきてくださるのよ。掃除までしてくださって」
神様に、いったい何を教えるんだか。やっぱりばあさんは、妖怪だ。
「あんたは面白いな。話せるし、お供えを食べられる」
壁がぴし、ぴし、と鳴った。神様が笑っているのだ。
「私だって、びっくりしたわよー。誠文くんに声が聞こえているんだから。初めは、お宮参りだったわね。お母さんに『ここに、だれかいるよ! うたっているよ!』と必死に伝えていたの! お母さんは、誠文くんがわんわん泣いていて、困っていたけれど」
「やめろよ、耳が熱くなる」
「七五三に来てくれた時は『おれの千歳飴を、お供えのポテトチップスと交換してください』、とお願いされたわね。飴は女子供がなめる物、だったかしら?」
「やめてください」
過去をほじくりかえさないでいただけますか。神様に接遇っていうのはいらないのか。
「ねえ、泊まってもらってもいいけれど、お母さんに話さないの? 『満くんを殴るなんて、いけないよ』に腹を立てた理由を」
あんたは、弓と文学の神だったな。おれの心を、射抜くなよ。
「馬鹿な母親に、通じるわけあるか。『先生さん』よ」
神様の前職に、わざと「さん」を付けた。
おれは、「先生さん」が信用ならない。先に生きているからって威張りくさって。おれより後に生まれた照さんとあいつでも、古典文学と法律を教えられるんだ。「先生さん」は、国の方針に従って教科書を読み聞かせるだけで、自分が次の世代に教えてやりたいことなんて、持っていない。教職課程で適当に単位をもらって、筆記試験では点取り虫、面接では猫をかぶって、晴れて就職。社会の信用度が高い身分(公立の学校に勤めると、公務員なのだそうだが、おれには公務員は安定の神話に耽っているようにしかみえない)にあぐらをかき、金をもらうために黒板にチョークを走らせ、職員室の机でコーヒー飲んで、生徒が問題を起こさずに卒業するまでやりすごす。もし問題があっても、根っこから解決しようとしない。逃げる。もみ消す。偽りの「平和な結末」にすり替える。未来の種を育てないんだ、ほったらかしのくせに、自分の世代では叶わなかったことをやらせるよう押しつける。「先生さん」が送ったしょうもない生徒が、しょうもない大人になって、社会に出る。その大人の何人かが「先生さん」になって、もっとしょうもない生徒を量産する。母さんでもなれるんだから、「先生さん」はお気楽な職業だ。
「誇りを持って勤める教師は、まだいるわよ。それに、あなたのお母さんは、馬鹿じゃないわ」
「どうだかな」
「お母さんは、あなたが嫌われ者になってほしくなかった。あなたを理解してくれる満くんと友達でいてほしかった。誠文くんは、満くんを許せなくて殴った。二人の気持ちに、ずれができているわよね」
当たらずとも遠からず、だよ。「先生さん」は、整理がお得意なことですね。
「殴ったのは、どうして?」
「…………おれの名前を、からかったんだ」
おれは「よしふみ」だ。「誠」は広く「まこと」と呼ばれている。あいつは、誤読だと分かっていて「まこふみ」と呼んだんだ。やーい、まこふみ、まこふみ! 普段はおどおどしているくせに、あいつは、くだらないやつらに流されて……!
「名前をからかわれたことが、許せなかったわけじゃないわよね」
「……」
「満くんが、あなたの名前をからかうような人だとは思わなくて、手をあげたのよね。信じていたから。あなたは、満くんを」
友達だって、信じていたんだ。あいつが「まこふみ」なんて言うわけがないじゃないか。おれの名字と名前を、一回で正しく読めたあいつが。おれが本を読むことを、意外そうに思わなかったあいつが。
「許せなかった。けれども、おれは、あいつを、満を、捨てたくないんだ……」
「満くんと、何年先も、いたいのね」
そうだ。満と考査の点数を競いたい。中学では満に勝つんだ。体育はおれが上だが、勉強は負ける。満に本を貸してやる。満の家には、童話全集と、漫画がある。興味があるので、借りてみようか。大人になって、満と酒を呑みながら、慶びを祝いあうんだ。夢を叶えたのか、頑張ったな。結婚したんだ、おめでとう。子どもが生まれたのか、父親は大変だな。悲しみにも寄りそいたい。無いことを望むけれど。
「満とは、墓に入るまで会っていたいよ」
「あなた達のお母さんも、同じことを言っていたわね」
「大学でやっと出会った親友なんだってな」
「お母さんと、会う気になれたかしら?」
「まあ、な……」
あくびが止まらない。母さん、和舟ばあさん、じいちゃんと母さんの先生たち、人に酔ってしまったかな。少し目をつぶっていよう。
母さんが、真っ赤な自転車を全速力でこいで、空満本通り(空満のでかい商店街だ)を騒がせる夢を見た。年明けに買い替えたのだが、父と三番目の伯父に赤く塗ってもらったんだったな。かごと荷台、車輪の軸も赤。鈴とハンドルの握る部分とかは、赤い物をはめ直した。母いわく、とにかく目立って、学生に印象づけたいのだそうだ。地味な容貌だものな。
「……くん、誠くん」
起こしてくれたのは、まさかの母さんだった。
「どうして、ここに?」
「電話がかかってきたんだよ。新しい神様と会っている、って」
神主に見つかっていたのか? けっこうしゃべっていたからな……。
「誠くんが悪い、みたいな言い方してごめん。私ってば、誠くんの話を聞かなくて」
「…………家で、言うよ。母さん、疲れただろ」
汗かいて、靴汚してまでおれを探し回ったんだ。居間でゆっくりしてもらわないとな。
「晩ご飯食べたら、満くんのお家に伺うよ。満くん、反省しているよ。誠くんと絶交はいやだって」
梅干しみたいな面をして、べそかいているんだろうな。誠文ぃ、勘弁してぇなー、絶交はやめてぇなぁーってね。
「献立は?」
「カレーライスにしたかったんだけれど、変更。ミート、えーと、あ、ミートローフと、茶碗蒸しと、焼きなす。再放送の推理ドラマでね、おいしそうだったから」
「ストッキングをかぶっているやつが、今日の被害者だったりして」
「すごい! よく分かったね」
おれの「なんとなく」は、当たるらしい。考査の山勘は、全然だ。
「母さん」
「ん?」
「つらかったら、おれにも話してよ。……役に立てるかは、別だけど」
化粧っ気のない母さんの頬に、赤みがさした。
「ありがと、誠くん」
桜の花が、母さんを麗しくしているのだろうか。おれは、母さんを馬鹿だと決めつけていたことを、恥じた。
「自転車は、どこ? 冷えてくるから、ね」
母さんの手を、つながなければ。迷子になる年齢でもあるまいが、昔のように歩いていたかった。もうしばらくは「ただいま」と、言おう。母さんと、「時進」の札がかかった、小さな家に。
〈次回予告!〉
「時っちゃんは、あたしの担任の父ちゃんなんだよなっ!」
「そうなんです。いつも三男が世話になっています。ところで、もうすぐ聖夜ですが、夏祭さんのお家にはサンタさんは来ますか?」
「いんや。一昨年ぐらいから来なくなっちまったんだ。プレゼント欲しいのによ……」
―次回、第十五段「五十鈴鳴る 聖きこの夜」
「ははは、無垢なるお嬢さん、心配はいらぬよ」
「うげっ、松えもん!?」
「私が、君のサンタクロースになってあげよう。いや、君のトナカイになっても好い。
そりでも直に私が乗り物になっても構わぬよ」
「変態わいせつ教師め、塩まくぞ、塩っ!」
「近松先生、森先生に報告しますよ。そして、減給です」
「す……すまない、それだけは勘弁しておくれ……」




