第十三段:文学部安達太良准教授(二)
二
天使の銅像らに、これ以上自陣の籠にボールを入れさせてはならない。時進・土御門・森が妨害し、真淵・宇治が隙を窺い安達太良を解放する。近松には相手を監視してもらう。
作戦が定まったところで、ボールが時進のもとへ転がった。
「私達の番らんれすね」
右手でボールを拾って、籠の位置を確かめる。縛られた安達太良の近くにあるゴールの反対側、時進達の後ろだった。
「始めに配置された所と相手側の人数が、妙れす。五対五が一般的ではらいれしょうか」
「呪いに常識はあらへん。詩に誤った解釈したようなもんや」
土御門の扇が、上・中・下を指した。坊主頭を遥かに越える高さ、二階キャットウォークの大きな窓に、雲がかかった太陽が濁った光を漏らしていた。薄汚い白の空だった。土御門とほとんど変わらない身長の主任。彼のボールは狙われていない。二人の腰ぐらいはある天使が、ぴたりと固まっている。静物のあるべき様子が、かえって不気味だった。
「加減をしとるのか、侮っとるのか。人間くさい芸当よの」
どれ、貸しなされ。時進にボールを投げ渡させ、鞠つきした。てんてんてん、ここらでええやろ。
「ほいっとな」
青線で描かれた四角の内部を当てるように、球を投げた。息子がランドセルをしょっていた頃、フリースローの練習に付き合ってやった。担任が、やたらクラスの団結が非行の防止につながるなぞ唱え、全員フリースロー成功するまで下校させなかった。そやつがサノだったかマノだったか思い出されへん。だが、家内が迎えに行ったついでに誓約書付きの謝罪をさせたというのは、息子がべそかいて懸命に話してくれたから覚えとる。
「日文ティーチャーズ、一点や」
見事、ゴールを決めた。近松が収容されている檻の前に、ずっとあったかのように立つ点数札が無人でめくられる。日文:1、天使:1。
「ほいで、わたしらにはええことはあるんか」
安達太良を空中に留める縄は、六本のまま。好色侍を戦場に放してくれるわけでもなかった。呪いに公平性を求めたって、どこ吹く風だ。
「けちなもんよの」
「ご褒美はあるそうですよ」
「真淵先生や、寝ぼけとるんか? 貝みたいに閉じよって」
嫌味を込めても、真淵は笑顔を歪めなかった。
「得点板をご覧ください」
天使の点数がかかった下に、「800」の札があった。
「先ほどは『1000』だったのです。土御門先生が点を取られました際、数が変わりました。森先生もご覧になりましたよね」
「はい」
味方がついとったか。記憶違いやないかと指摘したかったが残念。
「ほんまに相手の数が二百除かれとるんかや?」
「私が数えていたよ。確かに少なかった」
柵から声があがった。戦えないことに負い目を感じていたのだろうか。
「あないにおったら、こんがらがらへんか」
「恋した女性の名前を当てはめれば、造作のないことさね。千は二十代前半で到ったけれどもね」
「初さんの武勇伝とやらは、いらん」
森のまとう空気がいっそう冷えたように思う。侍とべっぴんさん秘書(からかい半分で土御門がつけている)の危ない間柄は、傍観していて面白い。
「めちゃんこてっとり早く終わらせる方法、あるじゃないですか!!」
うるさい「腕章の女史」。なにかひらめいたらしい。
「物量的にシュートを打てなくすれば、先生を救出できるのですよ!」
腕章の輪っか部分を天使の集団にかざす。臙脂色の布に、金糸で「文学部日本文学国語学科」と刺繍した、教員の証。
「空満大学文学部日本文学国語学科特殊業務規定・其の七に基づき、呪いを行使します!」
呪いを以て、呪いを制す。コートにいる日本文学国語学科の教員は、呪いを行使できる。道具を経由して、あるいは、言語に託して。宇治は教員が佩用すべきとされる物に寄せて、深く息を吸い、呪いを陳べた。
「寄物陳呪・輪廻腕章、三悪道之一・地獄道!!」
深緑色の炎が、腕章の中心にて渦巻く。高速回転した不思議な炎が、竜巻になりて銅像らへ襲いかかった。館内は焼き焦がさない。天使だけを飴のごとく噛み砕き、溶かし、蒸発させる。六道の苦しみを奇跡に用いる、宇治の術であった。
「六九四、六四五、五九三、五三八、どんどん退場させますよおおおおー!」
時進は温かく、真淵は表面上にこやかに、森は人形のように、土御門と近松は呆れ気味に眺めていた。安達太良に次いで攻撃に長けた行使者だ。障害の掃討はお手のもの、取りかかりが早い。欠点としては、
「失敗せえへんでできるんが、地獄道のみや」
赴任して三年、洞察の天上道がやっと成功率七割に届いた。天性ではなく、努力で呪いを扱う者なのだが、進歩がいまひとつだった。
天使勢の札が「300」までめくれたあたりで、どこからか笛の音が鳴った。
「審判!? いらっしゃったのですか!? わわわわ!!」
宇治のお腹にバスケットボールがぶつかった。目をむく宇治が白く光って、近松の頭上に降りた。
「いやああああ、そんなところをつかまないでください!」
「これは、君が怪我をせぬようにだね……」
際どい所に触れてはいるものの、宇治は近松に受け止められて健在だった。
「なるほど、禁止形ですか……。興味深いですねえ」
ブローチの石をいじり、真淵が感嘆した。
「宇治先生、檻を壊してくださいますか」
「任せてください!!」
命の恩人を押しのけて、腕章を柵に向けた。
「寄物陳呪・輪廻腕章、三善道之一・修羅ど、うぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」
口と手足をはしたなく開いて、宇治は卒倒した。見えざる雷に打たれたように。
「おやおや、酔いで気が大きくなりましたか。未だに成功させられない術を使ってどうなさるのです」
女史を抱き留めた近松を、滅多に開けない瞳で一瞥してから再び話す。
「檻には、呪いがかかっておりますねえ。突破しようと呪いを行使する者を戒める、でしょうか。ただの物に効果を付与する方法は、呪いの基礎ですよ」
「そうか、私には鉄の牢屋に過ぎぬが、宇治さんには脅威だったのか」
士族は特殊な訓練を受けているので、呪いが効かない(また、行使できない)。だが、近松を閉じ込めている柵は呪いで作られたわけではなく普通の柵であるから、腕ずくで曲げぬ限りあり続ける。かけられた呪いの影響は受けないけれども、だ。
「天使は、正しい方法で消さなければ拘禁されてしまいます。天使が攻撃にまわった時は、ボールを狙うとよろしいかと存じますよ」
「分かりらした~」「ふん、そうかえ」「異議無し」
真淵の分析を踏まえて、四対三〇〇の局面に入る。




