第十一段:國見祭に行こう!(三)
三
本学の前身は、空満外国語学校だった。空満神道を世界に伝えることが主な目的であった。ちなみに日本文学国語学科は、外国語学校時代から置かれていたのだとか。学部の増設等の改変を経て、国際学部外国語学科になり、英米・中国語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語・韓国語・日本語(留学生対象)と充実しており、確かな発音・表現力・意思伝達能力を身につけられ、たいへん評判である。受験者の倍率が、桁違いに高い(夕陽ちゃん談)んだそう。
語劇は、外国語学科の腕試しにちょうどよい機会なのだ。台詞は履修している言語を、日本語字幕は、この日にだけ用いる電光掲示板に表示させる。できあがりに演劇部や日本文学国語学科の倍はかかるんじゃないかと思うが、そこは専門分野、受付期限内にやり遂げるのだ。國見祭とくれば、語劇。A号棟四階の講堂に於いて、ゆめゆめ、見逃さぬよう。
なんて通ぶったものの、イタリア語コースの劇を終盤から観て、ちんぷんかんぷんの私、大和ふみかである。
「まったくもって、読めない……」
「あらすじヲ載セてプリーズっスよ」
訳が赤橙色の電灯で記されていても、過程をたどっていないため、飲みこめずにいた。
「洗濯干しの町娘さんに、新たな出会いが訪れたゆうところやね」
一回生の必修英語さえ単位を取得すれば、外国語は習わなくたって卒業できるのだけれど、向学心のある夕陽ちゃんは、イタリア語を時間割に登録していた。
「始めに、恋人を取られたんやないかな。BGMのメロディー、聞き覚えあるわ。喪失のレシタティーブを題材にしたんやね」
「センパイ博学っスー☆」
掃き溜めに鶴、友人にぴったりはまることわざだ。あ、いや、別に、空大をけなしているわけじゃないんですよ。
演者と裏方が、幕の前に横並びになって出た。簡単な自己紹介をし、仲間の手をとりあい、一斉に観客へお辞儀した。感動やねぎらいの雨あられの中、暗かった周りが、ほの明るくなった。
「あんだ、ふみかじゃねえか」
ポニーテールの女の子が、座ったまま振り向いた。華火ちゃんか。このあたりで会えるんじゃないかなって思っていたんだけれど、まさか近くにいたとはね。
「姉ちゃんだろっ?」
「うん。あれ、お友達は?」
華火ちゃんが、左を指さししてくれた。沈んだ頭がふたつ、剃りこみが入った頭がひとつ。
「寝てんのは、尼ヶ辻と平端。んで、そっちは」
「前栽でーす」
剃りこみの子が、立って挨拶した。開けた口、首、胴……いろいろでかい。身長は私より低いが、身体能力が高いとうかがえる。運動部なのかな。
「がっはっは、すいませんねー、遠足前みたいにわくわくして眠れなかったようです。嘘つけ、ってなハナシですけれどねー、授業も平気で舟こげる連中なので! うら、さっさと起きろ」
肉付きの良い掌が、尼ヶ辻さん・平端さんをベチン! と打った。前栽さんに不届きなことはやめよう(するつもりありませんよ、でも念のため)。
「いてー」
うめく平端さん。髪の長さは、萌子ちゃんとなかなかの勝負かも。
「ひどいんだな、ぶったんだな~」
半泣きの尼ヶ辻さん。この人が、ちょくちょく華火ちゃんの話題にのぼる「とこよ」ちゃん? ちっちゃい子なのかと想像していたけれど、逆じゃありませんか。
「なっちゃんの従姉妹のお姉さんが、きばるんやぞォ。耳かっぽじって、目ぱっちりさせて臨めー!」
「うす」「んだ!」
体育祭の空気だよ、それ。
「ひょうきんなお友達だね」
「おうよ」
イタリア語コースの次は、お待ちかねの化学科。原子博士・作『元素くんの冒険 エピソードⅣ:賛歌に燃えよ』を舞台化した。
遠い世界「気身離」の大国・物失国が、反乱に崩れた。争いと飢えに無縁だった国を、善政をしいた王族を滅ぼしたのは、優しかった民たち。生き残った王子・元素くんは、民の変わりように、誰も信じられなくなった。人への恨みが頂点を超え、元素くんは呪われた能力「アトムへの逆らい」を得る。「アトムへの逆らい」は、自分に悪意を持つ、と考えた者を分解する代償に、元素くんの大好きな人たちとの大切な思い出を失う。民への復讐を諦め、代えがたい思い出と息絶える場所を求めて遠くへ―。
底なし沼のように暗い元素くんが、嫌いだった。エピソードⅠの前半までは。作品と絵が合っていないという満たされなさをくるみ、最後まで読んだろかとだらしなく頁を繰っていたら、鼻の奥がしょっぱくなった。元素くんは、澄んだ心をむりやり凍らせていたんだ! 墓場を探している途中に会った人々が、温かいのなんの。私も気身離に旅をしたくなった。読み終えたら、挿し絵が色鉛筆画なわけに、きっと納得するよ。学校の図書室でエピソードⅦ「表向きの優しさ」を借りたのですが、冒頭で反乱の真相が語られて、寝耳に水ですよ。ああ、続きをめくりたい。
エピソードⅣは、元素くんが他国の戦争を止めに走る。錆取りの薬をめぐっていがみあう「C王国」と「O王国」は、元々ひとつの国だった事実を伝えに、元素くんが「C王国」の王子を訪ねるんだ。そんな夜半の場面。
「C王子、どうか、お考えを改めていただけますか」
土に膝をついて訴える、元素くん。半ズボンと野球帽が見苦しくない、こぎれいなちび男子だった。配役がうまい。
バルコニー(ひな壇をお城の壁を描いたベニヤ板で隠したもの)に現れたのは、細長い身体の王子。アラビア風の衣装とダイヤモンドが、高貴さを演出している。ダイヤは本物じゃないよね、もどき、だよね。色白の美形だなあ……そうじゃないでしょ、私に言わせてもらいたいのは、
「い、唯音先輩が準主役だって……!?」
てえへんだよ、唯音先輩が表舞台に! こいつぁ、雪どころか槍が降ってくるわえ、なあ皆の衆。
「いよっ、仁科研究所っ!」
歌舞伎なの!? 華火ちゃん!
「王子様やわぁ、先輩はシュッてしてはるもん。真淵先生の次にやけどなぁ」
きたよ、泰盤府民の「シュッと」。夕陽ちゃんの行く末が心配だ。演歌の王子か韓流のなにがし様の追っかけにならないか……。
「い・お・り・んフーフー☆ い・お・り・んシュワシュワ☆」
萌子ちゃん、光る棒を振り回すなあー!
「イケでる理系女子、縮めでイケジョさんなんだな~!」
「ガチ惚れた」
「受験疲れに効くわー」
女子高生三名が攻め落とされています! 末恐ろしいよ、先輩。
さあ唯音先輩、ううん、C王子はいかに答える?
「Cの民にあらざる者は、害虫なり。歴史はまやかしだ。余は、O王国を焼く」
やや機械的だけれど、途切れ途切れではない。作者の孫という自負があるためか。
「王子! なりません! 憎しみを継いでは、錆は増えるいっぽうです!」
「黙れ! 旅がらすの分際で、戦をかき回すな!」
しびれた。先輩が怒鳴ったの、初めてだ。
「君が、僕に重なってみえるんだ」
元素くんが帽子を脱いだ。「アトムへの逆らい」に蝕まれた証のあざが、まだらをなしていた。
「昨日までは僕も君と同じだった。違う、もっと、残酷な思想だった。でも、君には僕と同じ未来を見てほしくはない」
「そなたは、害虫が持つ毒を知らぬのだ……」
うつむき、去るC王子。
元素くんの粘り強い説得に、C王子の心境が揺らいでゆく。やがて、暁に照る薬草園のもと、和睦の儀を行うのだが、C王国の城に火柱がたつ。O女王が欺いたのだ。女王を拘束し、王子と元素くん一行は城へ飛ぶ。燃える城の露台に王子は立ち、争うCとOの民に命を懸けた行動に出る。
「Oの民よ、そなた達を人とみなかったことを、同胞であったそなた達を虐げたことを、詫びる。許さなくとも構わぬ、裏切っても構わぬ、余は受け容れる。Cの民よ、そなた達に誤った思想を植えつけたことを詫びる。錆は、争いをせぬことで治る! 矛を収めよ、憎しみを断てよ、薬は要らぬ! 血と炎の歴史は、尽きた!!」
C王子が、唯音先輩を借りて、呼びかけている。私が読んで想像してきた王子そのままだった。民役の化学科の人たちが切なそうに震えているわけは、演技の他にあると信じたい。
「センパイの王子サマ、本気度ボルケーノでシタ☆」
「前夜に電話あってよ、マジか、ってあんときゃ青天霹靂だったぞっ」
「んだ、すんげくカッコいがったんだな!」「ソレに尽きる」「養われたーい」
語劇午前の部がお開きになり、外の空気に当たっていた。
「先輩に差し入れお渡しせななぁ」
A・B号棟広場と研究棟前に、模擬店が勢揃いしていた。各学科と、部活・サークルの一部が、食べ物・飲み物を販売する。
「屋台のやつは食べるなって言われてんだけど、今日は特別なんだよなっ! 座って食べるならいーんだってよっ! 多岐亡羊っ、うまそうで迷っちまうじゃねえか」
名字に合っていなくて、つまづきそうになった。金券を買い、おのおのお昼ごはんを選ぶことにする。
「トコ、肉食べたいんだな~。バーガーのパティダブルにしよっがな~。ハっ、唐揚げ串ある~」
「ビリヤニいっときます? 平端さんよ」
「うっす」
種類が豊富で、かえって決められないなあ。世界文化学科は、七大陸の代表的な料理がいただける。華火ちゃんが紙袋を抱いて、席を探している。アジア・オセアニアコースに走っていたみたいだったよね……小籠包かな。
「萌子、アフリカコースのカランガ、ゲットしマース☆」
夕陽ちゃんが、後輩の肩をぽんと叩いた。
「日本文学国語学科なら」
笑顔で圧力をかけているんですけど!
「ほえ」
「ふみちゃんも例外やないで。日本文学国語学科なら」
私もですかい。
日本文学国語学科の学科団、日本文學國語學科團の「おにぎりカフェ」は、梅・鮭・おかか・こんぶ・ツナマヨの五種類から二個、自由に選べます。お味噌汁つきで、食券一枚です。ゴム手袋ごしですが、まごころ込めてにぎります。伝統と安定の「おにぎりカフェ」、和の味を召しあがれ。
『いただきます』
第一体育館の前、特設の休憩所にて女子七人が戦利品を広げた。分け合う心、うるはしき空満精神です。
「小籠包とピロシキ、まだぬくいなっ!」
「おにぎり&カランガ、ベストマッチっスよ☆」
「ビリヤニうま」「トコ、ウチに唐揚げよこせ」「ど~ぞ~なんだな」
十代組のさえずりを音楽に、梅干しのおにぎりをかみしめる。種を除いてくれているんだ。行き届いているね。甘酸っぱい方の梅干しだ。しっかり漬かった塩辛い梅よりも、はちみつ梅が好きなんです。
「てめえらはよ、店番ねえのか? こんぶおにぎりもーらいっ」
夕陽ちゃん、萌子ちゃん、私の手が止まった。こんぶは次に食べようと、とっておいたのに。じゃあ、後で小籠包もらおう。
「秋学期一回目ノ講義前ニ、学科団ノ幹部サンがオ手伝イ要請シテまシタ。しかしbutしカシ、演劇部ノお友達にストップかけラレたんスよ」
「うちとふみちゃんは、発表が近うてでけへんかったんやよ。去年かて行かれへんかったんや。幹部さんは講義と準備を両立できて、えらいわぁ」
夕陽ちゃんだったら、素直な褒めことばになるんだよな。私だと、おだてや皮肉に成り下がってしまう。
「演劇部ゆうたら、島崎くんがおにぎりカフェにいたやんか。萌ちゃんのを作って、接客までしていたなぁ」
うん、他の客に比べて長いこと相手していたよね。「小生がにぎったであります。稚拙な出来でありますが、与謝野さんのお口に合えば幸いであります」うんたらかんたら。もしかして、
「あかんてぇ、島崎くんの想いを尊重してあげな」
し、失礼をば……。馬に蹴られて出直してきます。うぷゅ、緑茶だと思ったのに、かぼすジュースだった……せっかくの無料券があ…………。
外国語学科フランス語コースのマカロン、世界文化学科ヨーロッパコースのザッハトルテを食後に、語劇午後の部へ繰り出した。
日本文学国語学科の演目は「王朝文学大合戦」だ。ごく普通の日文二回生が、共同研究室の書庫にある「絶対に開いてはいけない絵巻物」を、誘惑に負けて開き、大騒ぎになる話。日文生が目を覚ますと、なぜか恋仲である紫式部と源氏、才気あまって高飛車な清少納言、向上心皆無な腰抜け藤原道長と時間軸が狂って人物像までねじれた空間にいた。在原業平のかぐや姫求婚作戦を成功させろ!? 絵巻物を脱出する鍵は、菅原孝標女の同人誌即売会!? 日文生の運命やいかに。
「うち、幹部の先輩に清少納言役やってくれへんか、て頼まれたんやわ」
清少納言が日文生に『白氏文集』が何たるかを教える場面で、夕陽ちゃんがゆったりと知らせてくれた。
「お稽古事がありますし、そないな大役はうちには荷が重うてちょっと、てお断りしたんや」
十二単を着て長い講釈をされているのは、三回生の上田威空さんだった。実は、私と同じ高校出身なのである。ここでは髪を下ろされているが、普段は蟹のはさみみたいに二つ結びにしていて、真っ赤な口紅をさした前衛派な身なりなんだ。
「上田先輩の方が、よう似合てはるやんなぁ」
「先輩といったって、年いっしょでしょ」
夕陽ちゃんは、志望校に受からなくて一年遅れて空満に入った。同い年なんだし、へりくだる必要なんかないんだけれどな。
「先に学んではるんやで、敬うやんか」
「でも、勝っているのは夕陽ちゃんだよ。上田さん、夕陽ちゃんをライバル視してくるわりには、たいしたことないもん」
高校のあだ名は、永世バカクイーン。有名だったんだよ。
「スパイシーふみちゃんになっているでぇ? 天才ゆうんは、周囲の理解を得られへんねんよ」
あれ、背景が竹やぶに変わっている。もう、求婚作戦の決行なの? 展開が早くないですか。
「おおきにね。うちを励ましてくれたんやろぉ?」
「う、うん……まあ、ね」
かぐや姫があっさり業平に嫁いだ。正妻じゃなくても大丈夫なのか。ほら、上田版清少納言が平手打ちした。え、そこは業平に「女の敵」と罵るところでは。即興かな、かぐや姫が固まっている。主人公、どいて。清少納言にかぶっていますよ。
「へんてこなのになあ」
膝に乗せていた鞄のふたを、見つからないようにこっそりはたいた。年末の漫才で弟がこたつ机にしていたように。
掉尾を飾るのは、演劇部「ゲスタンニス・アイナー・マスケ」の『少年改革ハチス』。顧問・近松先生の新作なんだって。そこそこ売れている戯曲家……ね、色気おじさんに二物を与えたらまずいよ。
「来―るか、春風を従えーる初ー心な花よ!」
集まる照明の下、玉座に深くかけて遥か彼方を望む女性。根を逆さまにしたような生命力にあふれ、おぞましさも漂わせる髪の女帝だった。睫毛が孔雀の羽みたいに派手な色をしていた。
「びおらブチョーっスよ!」
「マジかよ!?」
そっか、華火ちゃんは予行練習の時、いなかったっけ。覇気があって目鼻立ちのくっきりした女帝が、のっぺらぼう沙翁ビオラ部長の化けた姿だとは、信じがたいよね。
「玄武学園の肥やしとなーるか、あーるいは、黴となーるか」
女帝あらため生徒会長ユリネが、揺りかごの形にした両手を差し出すと……
「ここが玄武学園だな!」
後ろで熱意が込められた声と、光が差した。ほとんどの人が振り返る。オオオニバス帽子の青年が、舞台へ胸張って歩んだ。
「び、びっくりしたあ」
「演出っスな。近ちゃんセンセは、校舎丸ゴト劇場ニしタんデス☆」
ありなの!? 邪道な気がするけれど、前向きに言い換えれば、斬新、か。
「よーうこそ、少年ハチス。自由の楽園へ!」
だめだ、余韻に浸りすぎて、裏合唱部の歌がぼやける。学祭の芝居だよ? 虜になるとかおかしい。繰り返し観たくなる衝動を抑えるのに限界がきているだなんて。全体像を完全につかむには、最低三回は集中して鑑賞しなきゃ。
「センセの劇ハ、様々ナ考察ガありマス。サイトをチェックしてミテはどーっスか?」
帰ったら調べるよ。ああいう友情の形を示されたら、価値観を改革されるではありませんか。
「ニュルンベルクのマイスタージンガーかぁ。マイスタージンガーを連呼していったら、コメディータッチになるんやねぇ」
もずく酢を食べた感想みたいな曲名だね。ああ……生徒会長の開けっぴろげな好意が、逆に潔くて、肩入れできるわー。




