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第十段:庭の七竈(四)

     四

 萌子専用機、「銀河レールウェイ(略)」は臨時の乗り手を煩わせることなく、無事に研究棟まで運んでくれた。だが、乗り手の体力はひどく消耗していた。

「はあ、はあ…………二人乗りって、すさまじくしんどいんだね……」

 息を切らしながら、ふみちゃんと夕陽は階段を上っていた。

「ごめん、うち、重かったやんなぁ。ふぅ、ふぅ……」

「いや、私が力無しだったんだよ、はあ」

「ふぅ、ふぅ、ほんまやったら、エレベーター使わせてもらいたかったんやけど……」

「はあ、だめだよ。あれ、すさまじく遅いもん。私、この前あれのせいで遅刻したんだから」

「あぁ、先々週の木曜の『日本文学講読A』やんね。安達太良先生が笑顔で成敗してはったなぁ。指示棒でチョークを千本ノックしてはったん、覚えてるわぁ」

「んもう、やめてよ。また夢に出てくるってば」

 夢を思い出したのか、ふみちゃんはつい、笑ってしまった。夕陽も声を出して笑っていた。二人とも、疲れを忘れるくらいに騒いでいた。

「あかん、千本ノックいうたら近松先生も思い出してもうたわぁ」

 ケタケタ騒ぎもやっとおさまり、二階に来た。廊下をまわっていると、夕陽が別の話題をふった。

「何だったっけ、あ」

 夕陽とふみちゃんは、合図をせずに指をさしあった。

『研究室に金属バットと木刀!』

「びっくりしたよね、ほんと」

「ほんまそれやわぁ。一緒にレポート出しにいったら、先生の机に堂々と置いてたんや。うち、腰抜かしそうになったで」

「拷問の道具かと思ったよ。それか新手のプレイを模索してたとか」

「ふえ!? 新手のプレイて、その……ふええええ!!」

 顔を真っ赤にして、夕陽が奇声をあげた。

「近松先生、いたぶるんも好きや仰ってたけど、ほんまにしはるんやぁ!? それで森先生を過激に責めて、責められて…………はうああああっ!!」

「ちょっと、落ち着こう。というか、妄想の世界から戻ってきて」

 ふみちゃんが肩をゆさぶって、夕陽を我に返らせた。

「後でゆーっくり聞くから、着替えと荷物取りにいこう」

「せやな。あはは、うち、また暴走してたわぁ」

 日本文学国語学科の優等生には、激しい妄想力があった。好奇心と豊富な知識が源で、つい現実からはみ出してしまいがちだ。ふみちゃんは、そんな夕陽の意外な一面に慣れてきているし、個性なのだと受け入れている。

「あれま、電気付いてるわぁ」

 画一的な作りの回り廊下を進み、共同研究室に至った。扉の上部に張られたすりガラスから光がもれている。誰か、いるのだろうか?

「失礼しますぅ……」

 夕陽がおそるおそる入ると、机のそばに人が立っていた。モスグリーンのベストに、きれいな石がはめられたブローチ。青年にもみえるし、まゆみ先生よりもうんと年上にもみえる男性、国語学担当の()(ぶち)丈夫(ますらお)先生だった。

「おやおや、夕陽(ゆうひ)さんと大和(やまと)さんではございませんか」

 目を細めて、真淵先生は二人に挨拶をした。彼の手には、夕陽のノートにはさんであった一枚物の小説があった。

「夕陽さん、ご無礼をお許しください。何しろ、開かれた状態で置いてありましたので、いったい何が書かれているのか、興味深くなってしまったのです」

 先生は、貴婦人に粗相をした執事のように、膝をついて夕陽に頭を下げた。そして、小説の紙を、丁寧に畳んでお返しした。

「い、いえ、いえ、構いませんよぉ」

 途端に頬が紅潮して、ぎこちない喋りになった夕陽。愛しの真淵先生の前だと、彼女は縮こまってしまうのだ。それを見るたびふみちゃんは、素の自分を出せばいいのに、もどかしく感じている。というか、どうして先生は夕陽ちゃんを名前で呼んでいるのだろう。姓・名を間違えているのかな。いや、二年もいる教え子だよ? うーん、謎だ。

「『庭の(なな)(かまど)』、懐かしいですねえ……」

 ふみちゃん達の背後から、ささやきが聞こえた。二人で振り返ると、そこに真淵先生がクスクスとかすかな笑い声をたてていた。いつの間に移動したのだろうか。足音すらしなかった。まるで、ずっとそこにいたかのように。

「読まれたこと…………あるんですか?」

 夕陽が訊ねると、先生は細めた目のままうなずいた。

「若い頃の知人が書いたものなのです。彼は、文壇に立つことを夢見ていましてね。学生時代に、授業の課題で創作したようです」

 真淵先生は前髪をかきあげて、ぱっと下ろした。

「不思議ですねえ。夕陽さん、なぜあなたがお持ちなのです?」

 その問いに、夕陽はふみちゃんに話した事を不器用ながら簡潔に説明したのだった。すると、真淵先生の閉じていた目が急速に開かれた。

「あなたのお母様が………………。そうだったのですか」

 この人は、『庭の七竈』と深く関わっている? ふみちゃんは先生の反応を推し測った。夕陽のお母さんと会ったことがあるのかもしれない。夕陽がお母さんの話をしていた時、先生は一瞬だけ眉を動かしていたもの。

「夕陽さん、もうひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

「はう、はっ、はいぃ」

 肩を上下させてあわてる学生に、真淵先生は温かいまなざしを向けた。

「あなたが黄色のリボンを結ばれているのは、カズコさんにあやかってでしょうか?」

 夕陽は深呼吸して、おもむろに言葉を紡いだ。

「……そうです。うちは、あのおまじないを信じているんです。カズコさんが笑顔になって皆を明るくしたように、うちも笑って、誰かを明るくして、幸せにできる人になりたくて……」

 ゆるくうねった栗毛に映える、おまじないのリボン。まるで、夕陽を励ますかのように揺らめいていた。

「このお話の作者も、そういう人やと思うんです。うち、このお話に出会って、夢ができました。作家です。『庭の(なな)(かまど)』みたいな、優しくて、読んだら幸せな気持ちになれるお話を、いろんな人に届けたいんです。簡単にはいかへんし、時間もかかるかもしれへん。せやけど、あきらめません。どないなっても努力し続けて、夢、叶えます」

 緊張しつつも、つかえつつも、夕陽は真摯に答えた。技巧に頼ったものではない、まぎれもなく彼女が考えた、彼女の本心だ。

 期待以上の返しだったのか、真淵先生はとても満ち足りた面持ちをしていた。

「『庭の七竈』は、あなたの人生に光を与えたのですねえ……。作者はきっと喜んでいますよ。最初で最後の作品を、これほどまでに愛している読者がいらっしゃったのですから」

 開いた目を再び閉ざし、先生はつかみどころのない笑みを浮かべた。

「ところで、お二人はどちらへ出かけられていたのです? おめかしをされて、不用心にも貴重品を置いてゆかれて。鍵当番の僕がいなければ、物騒な事になっていたところですよ」

「ふえっ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 ヒロイン服を必死に両手で隠す夕陽だったが、あまり意味をなしていなかった。

「本日は夕陽さんに免じて、お許ししましょう。しかし、次はございませんよ。どうぞ、お気をつけてお帰りください」

 促されるまま、夕陽とふみちゃんは着替えを終え、早々にカバンを持ってゆき共同研究室を発った。彼女達の背中を見ていた先生は、

「夢は作家、ですか……。夕陽さん、あなたの事、幾久しく見守っておりますよ。僕は…………鮹が本殿を襲う物語でも、書いてみましょうか」

 とささやいて、書庫へと入っていった。




「結局、作者については藪の中だったなあ」

 砂金のごとき星がきらめく夜空の下、赤いパーカーが足どりを重くして歩いていた。

「夕陽ちゃんだって、知りたかったんだよね?」

「ええの。うち、すっきりしたから」

 『庭の七竈』の核心に迫れそうだったのに、何の収穫も得られなかった。隣で友人はスキップをしている。どうしてごきげんなのだろう。まるで、長年の間解けなかった問題を明らかにできたかのように。…………あれ? まさか、作者が分かったとか……?

 ふみちゃんが、夕陽の晴れ晴れとしているわけを探っているところに、

「ひらめいたわぁ!」

 当の彼女のソプラノが、冷たい空気に響きわたった。

「ふみちゃん、今度ヒロインズで、ロシアンたこ焼きせえへん?」

「え」

 あの二〇三教室で、罰ゲームをするのか。ふみちゃんは突然の提案に困ってしまった。

「共同研究室にたこ焼き器あるやろぉ。あれお借りしたらええわ。材料は分担して持ってきてもらって、真っ暗にして作るんや。どやろ?」

「す、すさまじそうだね。……いいですけど」

 どこからか闇鍋のルールが入っているけれども、まあ、いいか。

「ほな、決まりやな!」

 ふみちゃんから同意をもらい、夕陽はリュックサックの紐を握りしめてにっこりした。

 彼女のリボンが、夜の道に鮮やかさを添える。小人の語りより織られし帯は、ひとりの読者に希望の橋を架けた。黄色のリボンは、これからも彼女に幸福をもたらすだろう。

「味のバリエーション、ぎょうさん考えとかな……せや」

 当たりは、数の子にしよ! 夕陽はこっそりと、ロシアンたこ焼きパーティの筋書きを練りはじめたのだった。


〈次回予告!〉

 「夕陽ちゃん、(くに)()(さい)のPR、始めるよ!」

 「はいな! (そら)(みつ)大学、霜月恒例の祭典「(くに)()(さい)」は今年で九十九回目! テーマは「WA ~『わ』で始まる愛コトバ~」ですぅ。各学科による『わ』にちなんだ展示と模擬店と舞台をお楽しみくださいねぇー」

 「あ、うちの学科は『注文の多い料理店』の展示と巨大灯籠、おむすびカフェ、劇は『王朝文学大合戦』やります」

「野外ステージにて、学科団のダンスもありますので、よろしくお願いしますぅ」

―次回、第十一段 「(くに)()(さい)に行こう!」

 「伝説のバンド『天津(あまつ)乙女(おとめ)』が、後夜祭に! 聴いてみたいわぁ」

 「う、とてつもなく嫌な予感がするんだけれど」

 「これは真相を確かめなあかん! ちなみにおにぎりは、鮭味がおすすめですよぉ」

 「梅味も、よろしく」


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