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第九段:雨宿りの品定め(三)

 これで、日本文学国語学科の女性教員、名付けて「(にち)(ぶん)レディース」が揃った。皮肉にも、雨が彼女たちを祝福するかのように勢いを増してゆく。

「心遣い、感謝する」

「いえ、お構いなくですわ」

「あれ、今日は近松先生とご一緒ではなかったのですか?」

 宇治先生は珍しいとばかりに首を斜めにした。森先生は、絶えず同学科の近松(ちかまつ)初徳(そめのり)先生と行動を共にしている。そのせいか、一人でいるのを不自然に思ったらしい。

「先生は朝から卒業論文の指導で、忙しいのである」

「いよいよ大詰めですものね。私も、担当学生から質問をたくさん受けますわ」

 空満大学の卒業論文は、師走の初旬に提出期間が設けられている。その前月にあたるこの時期は、論の再検討や、取りこぼし資料の収集、下書きなどで慌ただしくなるのだ。いわばラストスパート期間なのである。それだけではなく、次年度に卒業論文を書く学生がゼミの申し込みに、担当教員をたずねて交渉する時期も重なっている。担当教員は、今年と来年分の卒業論文の世話をしなければならないということだ。

「安達太良先生は、今日も例の勝負をしていたのだろうか」

「ええ」

「安達太良先生が勝てば、土御門先生の奢りでカレーライスを、逆に土御門先生が勝てば、安達太良先生の奢りで月見うどんを一緒に食べられるというルールでしたよね!」

 安達太良先生と土御門先生による昼食をめぐる勝負は、もはや大学の名物と化していた。それに乗っかり、一部の学生が当日の勝者にわずかな小遣いを賭けて「ランチダービー」を行っているそうだ。ついには食堂のおば様方が勝敗を予測して、すぐに二人分を出せる態勢を整えているとか、そうでないとか。

「安達太良先生が赴任されてからずっと続いていますけど、お二人には因縁があるのですか?」

 すると、安達太良先生は一瞬だけ遠い目をして、

「因縁、といえばそうかもしれませんわね。かつて担任と教え子の間柄でしたから」

 爽やかな笑顔で、さらりと答えた。

「先生は空満のOGであったな。しかし、土御門先生とそのような繋がりがあったとは、知らなかったのである」

「初耳です、衝撃の真実です!!」

 一方、森先生と宇治先生は、驚きを隠せなかったようだ。雨までも二人の心情に呼応して、ズドドドドと衝撃を走らせていた。

「あらー、意外でしたかしら。それに、土御門先生は、昔からあのような人ではありませんでしたのよ」

「そそそそ、そうなのですか!?」

 大げさにリアクションをとってくれる女史に、安達太良先生はおほほほ、と高らかに笑った。

「ご自分のことを『雅そのもの』と仰いませんでしたし、よく動き回る先生でしたわ。いわゆる熱血教師でしたの。それに……髪の毛が、随分たくさんございましたの」

 最後のひと言に、宇治先生はふきだしかけたが何とかして抑えた。

「意外です! ずっとあの感じだと思っていました!」

 土御門先生といえば、陽光をはね返すつややかな潔い頭だ。まさか、あの頭に毛が茂っていたなんて、とても想像がつかないと彼女は思った。

「頭髪がありし先生を、目にしたいものである」

「今度、当時の写真をお見せしますわ。今と全く別人ですわよ。無駄な肉が一切ありませんの。もう、細くて細くて。おほほ、体格のよろしい近松先生と並びますと哀愁を誘われましたわー」

 おほほほほ、と安達太良先生は声を二段階高くして笑う。

「期待の若手研究者でした二人の周りには、女性が絶えず群がっていましたわ。落ち着いていて紳士的な近松先生と、熱くて何事にも全力でぶつかってゆく土御門先生。それぞれにファンクラブがついていましたのよ。空大の二雄として、『東の近松、西の隆彬(たかあき)』という異名まで生まれましたわね」

「方角は、二人にゆかりのある場所を表しているのだろうか」

「ええ、出身地のことですのよ。東は、首都・東陣(とうじん)、西は、古都・陣堂(じんどう)ですわ」

「今の『()(なた)の安達太良、(つき)(かげ)のエリス』のようなものですね!!」

 実は、安達太良先生と森先生も学内で「二麗」とうたわれている。太陽と月に譬えられた異名は、日本文学国語学科の間で言われているらしい。詩歌に用いられる「対句」を意識しているだけでなく、それぞれの美貌を端的に表している。

「誰が呼び始められたのかは知りませんが、表現がお上手ですよね! とても羨ましいです!」

 両の頬に手を添えて、宇治先生は体をゆらゆらさせた。

「最近では、『綺羅(きら)(ぼし)の紘子』が追加されたようであるが」

「ええええ!? わわわわ、私、お二人のような通り名があったのですか!?」

 宇治先生はびっくりしたあまりに、後ずさりした。雨は彼女の心中を表してくれているかのように、戸惑いながら地を打つ。

「どなたなのですか!? どなたが考えられたのですか!?」

「近松先生が広めていた」

「ふふっ。戯曲を書かれているだけあって、お洒落な詞を紡がれますわね」

 近世文学を教えている近松先生には、戯曲家というもうひとつの顔がある。ジャンルは問わずだが、恋物語に長けており、特に悲恋のシナリオが多くの観客の心をつかんで離さないと評判だ。数年に一作を書いては、大ヒットし、数々の名の知られた賞を受けているという。

「近松先生には、自分の呼び名を次々と考案されて、困惑している」

 提げていたスカーフのしわをのばしながら、森先生は言った。

「どのようなものですの?」

「……口にする事が憚られるようなものである」

 控えめに咳払いする森先生。いっさい詳細を語らないつもりだ。

「もう、気になってしまうじゃないですか! 教えてください!!」

 宇治先生が鼻息を荒らげた。ひとたび興味を持てばどこまでも追究しなければ気が済まない。これが研究者の(さが)というものか。

「森先生、まさかとは思いますけれど」

 安達太良先生が、切れ長の目を細めて森先生を一瞥した。

「口説かれているのではありませんの?」

「………………」

 ナイフよりも鋭いまなざしに、森先生は屹立した。安達太良先生の眼力には、見た者の心を射抜く凄まじさがある。鬼や神すらもたじろいでしまいそうだ。見られていない宇治先生まで、思わず冷や汗をかいている。

「まままま、まさか図星なのですか!?」

「……違う。思い出すだけで、面映(おもは)ゆくなったのである」

 森先生はやっと視線を避けて、二人から顔を背けた。だが、少しばかり早口になっていたことを安達太良先生は、しかと聞きとっていた。

「あらー、仲睦まじいですこと。きっと、毎日耳元で甘い言葉をささやかれているのでしょうね。それだけでは飽き足らず、夜もすがら……かしら」

 いたずらっぽく笑う萬葉レディ。それに乗っかって腕章の女史が、

「きゃああ、ロマンスの香りです! 赤面してしまいます!!」

「お二人は、前世での契りがいみじく深かったのでしょうねー。桐壺帝と更衣のごとしですわ。おほほほ、おほほほほほほ!」

「契りですか……! きゃあああ、海よりも深い仲なのですね!! リア充なのですね!! キャーキャー!!」

「ひゅーひゅーですわ」

「ひゅーひゅーひゅーです!!」

「勘違いである……」

 勝手に盛り上がるお二方に、森先生は頭を抱えた。雨だれをも消し飛ばす笑い声。淑女では恥じらって出せない音量を、軽く超えている。いくら身なりを若々しく整えていても、彼女たちは不惑の周りに立ついわゆる「おばちゃん」なのだ。

「近松先生ったら、硬派そうにみえて、甘えん坊なのですわ」

「ええええ、甘えたさんだったのですか!? 全然イメージできません!」

「昔から女性にいろいろと『おねだり』していたみたいですわよ」

「ぎゅーっとしがみついたり、頬ずりしたり…………。もしかして、膝枕で耳そうじなどされるのですか!? 子守り歌もつけて!?」

 宇治先生は頬を上気させて、矢継ぎ早に言った。目や肩、胸や腰、と体中をものすごい速さで動かしている。このまま、頭の天辺から蒸気が機関車のように噴き出しそうな勢いだ。

「想像力が(すこぶ)る豊かであるな、宇治先生。実際に本人が頼むものなら拒否する」

 引き気味の森先生。冷めきっている彼女に対して、安達太良先生はますます興に入ったらしく、

「こほん、『森きゅん、お願いがあるのだよ。私を甘えさせておくれ。抱擁とまでは言わぬ、せめて君の膝にてひとときの安らぎが欲しいのだよ。好いだろう?』いかがかしら?」

「わあ、そっくり! 完成度高すぎじゃないですか!」

「……三十五点」

 雨音とともに、微かに採点結果が下された。

「あらー、いみじく厳しいですわー。どこが不足でしたの?」

 ふくれっ面をする安達太良先生に、森先生は目を伏せて、

「成熟した色香と、奥深い寂しさ」

 切なげに呟いた。詩的な指摘に、安達太良先生たちは分かったような分からないような顔をしたのだった。

「とても難しいことを仰るのですね! あ、森先生、顔が少し赤くなっていますよ!?」

「錯覚である……」

 またそっぽを向く森先生。冷静に答えたつもりだが、耳のあたりが赤くなっていた。

「お熱いですわー。近松先生たら、昔は毎日違う女性教員といらっしゃったものですのに。特別ですのね」

「もう、こうなったら、お付き合いすればいいじゃないですか! 愛に年の差など関係ありません!」

「勢いで夫婦になるのもいいかもしれませんわねー。祝言でしたらわが安達太良家が喜んであげさせていただきますわ。祝詞も高砂もお任せくださいな」

「それで、ハードルも火も飛び越して、逢坂の関の向こうまで行っちゃってください!!」

「激しい妄想はそれまでにしてもらいたい!」

 ついに森先生が声を張り上げた。場が水を打ったようにしんとした。実際のところ、空から水が落ちているのだが。しかしながら、あの森先生が叫ぶとは、安達太良先生と宇治先生は予想だにしていなかったので、しばらくの間あっけにとられていた。

「…………ところで、宇治先生はどうなのだ?」

 軽くせきばらいをして、森先生が別の話題を振った。照れた顔を軌道修正するのに、なかなか苦戦しているようだ。

「どう……って、どういうことなのですか!?」

「説明が必要か?」

 森先生は、ようやくいつもの調子に戻り、妖しげに微笑んだ。

()(ぶち)先生と仲が良いではないか」

「ええええ、そう見えるのですか!?」

 今度は、宇治先生が赤面してしまった。あわてて顔を押さえこみ、豊かな体ごと激しく振っている。

「そそそそ、そんなことありませんよ! 真淵先生は同僚の方ですから、清らかな関係ですから!!」

「誤解をしてはいないだろうか。自分は、単に親しいのかと訊いたのであるが」

「あれ、そういう意味だったのですか!? 失礼いたしました!」

 折り目正しく体を曲げて、宇治先生は謝った。律儀といえばよいのか馬鹿真面目といえばよいのか。女史は、些細なことでも自らの非礼は詫びるべきと決めているのだ。

「そうですね、親しいといえば親しいです! 赴任してからずっとお世話になっておりますし、何かと一緒になる時が多いですし…………」

 宇治先生は腕章のゆがみを直し、ついでに頬にかかった髪をかき上げた。

「ですけどけど、とても謎だらけな方じゃないですか!?」

「ほう」「あらー」

 森先生と安達太良先生が同時に声をもらした。

「どこかに出かけられたと思ったら背後にいらっしゃるし、逆にご一緒していたのにあっという間に姿を消されているのですよ!」

 目をありったけ見開いて、宇治先生は語った。

「確かに。突然消えては現れ、現れては消える。瞬間移動でも使っているようである」

 森先生は、鉤の形にした指をあごにあててうなずいた。安達太良先生も「むべなりですわ」と首肯して、

「学生から目撃情報を聞きますの。真夜中の空満ダムで見たとか、海原(うなばら)キャンパスのトレーニングジムにひょこっと現れたとか、あちらこちらで見かけるそうですわね。日文の七不思議のひとつに挙げられていますわよ」

「称するならば、霧に包まれた言葉の術師、か」

 「謎」が詰められた箱の中に、さらに「謎」が詰められた箱があり、またその箱には……を繰り返す「謎」の入れ子構造を持つ真淵先生については、学科内でもその全てを知らない。彼を解っている者は、彼自身と神だけではないだろうか。

「あと、常に着けられているブローチ! あれ、明らかに女性物ですよね!!」

「私も思っていましたの。きれいな青い石に、古風なリボン……。真淵先生、お洒落な物をお持ちですわ」

「あれは相当高価な物だと考えられる」

 真淵先生の襟元に着けられているブローチは、日文レディースの関心を寄せていた。女性として、装飾品に心ゆかしくなるのかもしれない。

「お母様にいただいたのか、それともお付き合いしている方からのプレゼントか……。もう、気になって眠れません!」

 こぶしをぎゅっと握りしめて、宇治先生が力説した。

「考え過ぎではないだろうか」

「考えてしまうじゃないですか! だって」

 だって、だって……と、宇治先生は身体を震わせ、

「真淵先生はニコニコするばかりで、あんまり喋ってくださらないのですから!」

 肩につくぐらいの髪を振り乱して、思いのたけを吐露した。

「講義では熱弁をふるわれていますが、普段はご自分から話をされません! 私、もっとお話してみたいのに……」

 残念そうにうつむく宇治先生。言外からも「もっと仲良くなりたい」と発せられていた。

「いっそのこと、ブローチについて訊いてみてはいかがかしら?」

「ええええ!!」

 安達太良先生の提案に、宇治先生は目を白黒させた。

「真淵先生なら、丁寧に教えてくださるはずですわ。きっと、先生も同じお気持ちなのかもしれませんわよ」

「そうなのですか……?」

「思っているよりも、言ってみる! とにもかくにも行動あるのみですわ」

 とアドバイスして、安達太良先生はウインクした。お召し物と同じ白い輝きが放ってきそうだ。

「話すと、それなりに面白い人物である。自分を、一分経たずして笑わせたのだから」

 案ずるな、といいきかせるかのように、森先生は宇治先生の背中を軽くたたいた。先輩方からの応援に、腕章の女史は心強さを感じた。

「分かりました! 今度、話してみます!!」

 声に明るさが戻った宇治先生に、安達太良先生は親指を立てて「良し!」とサインを送った。

「ところで、真淵先生の担任は、時進主任である事は、果たして本当なのだろうか」

 スカーフを手に巻いてはほどきを繰り返して、森先生は訊ねた。

「ええ。真淵先生も私と同じく空大出身でしたのよ。最近ご本人から聞いたばかりで、驚きましたわ」

「ということは、時進先生と土御門先生、近松先生は、学生だった安達太良先生と真淵先生を教えられていたのですね!? すすすす、素晴らしいです!」

「長きにわたり教鞭を執られているのだな」

「そうですわねー。日文以外でも昔からいらっしゃる先生とお会いしますもの。時の流れを感じさせますわ」

 そう言って、安達太良先生はうっとりとした表情をして目を閉じた。


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