第七段:宇治(うじ)華(はな)の合戦(一)
「始め!!」
テストを「先生との戦い」だって言い出したやつは、どいつなんだろなっ。出題するやつが先生、ソレを解くやつが生徒。問題用紙と答案用紙の紙二枚の上で、肉弾戦か魔法か知らんけどよ、一対一でぶつかり合うってわけだ。でもよ、テストの日よりも前に、問題ってのはとっくの昔にできあがってて、先生はいざ当日になりゃ監督の別の先生に配らせて、質問聞きに回りに来るだけだろ? あたしらが戦ってるやつって、先生自体じゃねえよな。先生が作っておいた問題ってーことは、先生の分身じゃねえかっ。戦うんなら、あたしは、正真正銘のそいつ、本物とじゃねえと嫌だっ。分身とか手下とか出しといて己の手を汚さずーって権謀術数タイプのやつは、不埒千万だっ! 学校のテストは、受けねえと卒業できねえからマジメにやってっぞ、あたし。
学校以外でテスト、中学の漢検とコレで二度目だっ。父ちゃんが勝手に出願しちまって、不承不承っ、空満なんたら生涯学習センターまで足運んだわけだ。帰り、姉ちゃんと伯母さんに偶然会ってご飯食べたし、合格だったし結果良かったんだけどな。母ちゃん、父ちゃんの教育方針どーにかしてくれよ。若いうちに何でも経験、だっ? あたしにはあたしのやることあんだから、あたしに予定管理させてくれってんだ。
この三問、正解できるかできねえかで、あたしのこれからが決まる。たかが三問、されど三問だっ。二問マルもらえりゃ、あたしはこのままでいられる。逆だったらあたしは、
ヒロイン脱退しねえとならねえ。
「っしゃあーっ!」
テストを「学生との戦い」と言い始めた方は、日々に退屈されていたのでしょうか。平凡だな、いっそテストを介して戦争やっていることにしてしまおうか。なんて思われていたのでしょうかね。平凡でいいじゃないですか、戦が無い日々は素敵なものですよ。青空と一緒に走って、汗をかく! 学生と講義を外れてお話する! 私、今も毎日が充実しているのですから。
私は、テストは戦いというより、対話だと思っています。争うことが苦手で、学生とはできれば、敵対したくないのです。私が出した問題に、学生がどんなリアクションをくれるか、考えてみるだけでも楽しそうじゃないですか!? 講義をよく聞いてくれていた方は、私の言葉を一言一句覚えていますよと、愛を持って丁寧に答えています。出席はしているけどあまり聞いてなかったのかなという方は、分からないなりにも頑張って答えようとしていて、いじらしくなりますね! 寝ていたり欠席ばかりしていたりする方は、もってのほかです! 学問への愛が欠けています! こちらが話しかけても無視されてがっかりした気分と同じです!
この三問を解けるか解けないかで、筆記具を握りしめて、問題をまっすぐな目で読んでいる女の子の今後が決まります。たかが三問ですけど、されど三問です。私が約束を取りつけたのです。二問以上正解しましたら、本学で課外活動を続けても構いません。正解が一問以下であれば、
日本文学課外研究部隊を脱隊していただきます。
一週間前は、こんな子が大学生と文学を楽しく研究できるわけがない、辞めていただいた方がこの子のためだと思っていました。ですけどけど、この日になって、私の気持ちが変わったのです。そっと、願っておきます。
はなびちゃん、私にうち勝って。
一
空満大学の鐘の聲、四限開始の響きあり。
スーパーヒロインズ!の服の色、五人戦隊の理を顯はす。
恐れる者も久しからず。ただ秋の夜の夢の如し。
避けし人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。
近く研究棟をさぶらふに、大和のふみか、仁科の唯音、本居の夕陽、与謝野のコスフィオレの萌子、これらは二階二〇三教室の使用規定に従ひて、楽しみを極め、文学PRを思い入れ、国原キャンパスが穏やかである事をも悟り、民間の日本文学に疎い所を知れば、放課後に集ひて早々にまうけしにし者どもなり。これまた近く空満高校を窺ふに、夏祭の華火、この娘は多少奢れる事も猛き心もありしかど、まぢかくは空満大学の文学部日本文学国語学科准教授の日本文学課外研究部隊顧問安達太良まゆみ先生と申しし人の有様、傅へ承るこそ、心も詞も当然及ばれね。
こたつが日本文学課外研究部隊に来て、よろしき事づくしだ。
「内嶺県ハ空満市ノ冬ヲ越すニハ、マストなアイテムっスよ」
萌子が、背を丸めてこたつ布団に手足を入れている。放課後が楽しみで、ヒロイン服、と名付けられた課外活動用の制服を早くも着ていた。なお、ヒロイン服に着替えることを日本文学課外研究部隊では、「変身」という。
「無限に本が読めていいよね。家、こたつ無いから」
ハードカバーの頁を繰りながら、ぼそっと話すふみか。卓上には、文庫本、新書本、別のハードカバーが数冊平積みにされていた。
ふみかの向かいで、甘酸っぱく親しみのある色の山が築かれている。跳んでいった手鞠がお殿様にだっこされて行き着いた新たな生、みかんだ。
「耐えろ、耐えろ……です」
去んぬる月見のお団子みたく、緻密にみかんを積んでいるのは、隊唯一の理系女子、唯音であった。耐えているものは、自身の食欲。薄い身体をしているが、黙々と平らげる、大海級の胃袋をお持ちなのだ。
「入ってたら、ぽかぽかやもんなぁ。女の子に冷えは大敵やぁ、て母がよう言うてたんやよ。はい、唯音先輩、ゆず茶ですよぉ」
紙コップから、爽やかで安らぐ香りがのぼる。
「導入ビフォーでモ教室はパラダイスでシタが、アフターでパラダイスレベル、アップしまシタな☆」
「萌ちゃんとふみちゃんの頑張りがあったからやでぇ。王朝文学講読会に勝って、いただいたんやもん」
こちらのこたつは、戦利品である。霜月の第一週目、古株文学サークル「王朝文学講読会」の指南役、翻刻の翁こと土御門隆彬教授との、部隊の命運(とまゆみ先生の自尊心)を賭けた対決にて勝ち取ったのだった。広く「くずし字」と呼ばれる「変体仮名」を、おなじみのひらがなや漢字に直して読みやすくする「翻刻」で、ある講義の関係があって、萌子とふみかが土御門先生と勝負したのだ。
「うーん、解散はともかく、王朝文学講読会に入れられるのは、どうもいただけなかったんだよね。負けたくなかったのもあるし」
パーカーの袖で手をくるみ、ふみかは用心深く紙コップを自分の方へ寄せた。淹れたてに痛い目をみたのかもしれない。
「あの、みかんどうするんですか。重ねていたらくっついているところ、かびちゃいますよ」
「顔、描く……です」
「いいんですか、先輩。まゆみ先生の旦那さんからのお土産なんですよ」
「…………」
静かに凝視され、ふみかは何て声をかけたらいいのか悩む。
「え、えーと」
「いいのよ。私が良し! としているんだから」
頭の上に、声が降ってきた。雪のように真白いスーツに、弓を象った銀のチャームを通したネックレス、切り揃えられた短髪。このご婦人こそ、顧問の安達太良まゆみ先生である。
「瓜の代わりは、みかんにもできるわ」
「は、はあ。『枕草子』……ね」
正解! と仰って、荷物を四人に見えるようにガサッと卓に置かれた。不透明のビニール袋が、ところどころ丸く盛りあがっている。
「いよかん、いただいてきたの。ドナルドくんの寮で余っていたんですって」
「ドナルド・ヘイケテール先輩ですよねぇ。英国の留学生で、外国語学科日本語コース四回生の、王朝文学講読会の会長さん」
夕陽が、いよかんを袋から出すのを手伝う。彼女は記憶力が優れていて、日本文学課外研究部隊の生き字引として重用されている。
「先の勝負でいみじく慕われちゃってねー。講読会に一回生三人を連れてきただけよ、天の恵みだー! って、ことごとしく喜んでくれて。指南役の肩を持つつもりは無いけれど、歴史ある講読会を絶やすわけにはいかなかったのよ」
紀の国・柎果山県のみかん、四国地方の相薗県のいよかんが仲睦まじくお座りしている。山と海を越えた顔合わせ、技術と産業の発展にありがたく思う。
「ん? 夏祭さんはまだなのかな?」
「掃除当番……」
しめやかに言い、唯音はサインペンを取る。態度に示されていないが、柑橘にお絵描きできることにわくわくしているそうで、ペンを器用に指で回していた。
「週イチ掃除なんスよね。しかしbutしカシ、サボりが頻出スルんデス。萌子、現役ノ頃、ムカつく心グッとコラえテ、オ勤めシテたっスよ」
「萌ちゃんも幼稚園、小中高てずっと空満やったねぇ。華ちゃんは、大学ここにするんやろか。受験のこと、聞いてへんやろ」
「空大じゃナイっスか? わざワザ遠クへ通ウ意味アリまセン」
少々むくれる萌子。唯音の真似をして、ペンを回してみたものの、夕陽に気を取られて失敗したらしい。夕陽はというと、ペンを拾ってあげて、再びみかんに目鼻を描くのに取りかかった。
「ビコーズ、はなっちハ山持チ土地持チ政治家ファミリーなんデス。代々大臣トカ議員トカやっテルんスよ。はなっち父ハ市議会議員、進学就職ハ地元デどーニカできマス。マジっスよ大マジ☆」
「い、いわゆる豪族なんだ」
にわかに信じがたいなあ、ふみかは思った。奔放に育った野生児、華火に抱くものはそのひと言だった。でも、荒々しい口調でじゃじゃ馬娘のわりには、お皿が無いと物が食べられない、お弁当は重箱、家政婦さんがいる、などなど意外と育ちはいいのか? なんて節があったものだし……。華麗な一族は、実は身近にいるようだ。
「空満の表を司るのが、夏祭家よ。限りなくいつき給はれたのね。ご家族に恥じぬよう、教え導いていかなきゃ。もちろん、あなた達もよ。皆、箱入りのお嬢さんだもの」
親指を立て、まゆみ先生は「良し!」のポーズをしてみせた。責任と誇りを持ち、楽しんで教師の仕事に勤めている安達太良まゆみを、二〇三教室にいる全員(空満高校で清掃中の華火も含め)は、敬っている。
「失礼致します!」
扉を三回叩く音のすぐ後に、緊張ぎみで真四角な入室の常套句があった。
「日本文学国語学科、宇治紘子です!」
肩をやや過ぎた緑なす黒髪、縁なしの眼鏡、豊かな体躯を漆黒のスーツで武装し、自覚をせずとも威圧させる人物が、一直線に歩いてきた。
「こちらに安達太良先生はいらっしゃいますか…………ええええ!?」
宇治先生の目に飛び込んだものは、こたつでくつろぎながら、みかんやいよかんに落書きをする女子の図であった。
「かかかか、課外活動中に遊ぶとは、どういうことなのですか!!」
厚みのある声と健康な体を揺らし、自堕落な光景を咎めだてする。起こした左腕には「文学部日本文学国語学科」と金の糸で刺繍された臙脂色の腕章をはめていた。別称「腕章の女史」の由縁だ。
「食べ物を粗末にしてはいけません! 昔教わらなかったのですか!」
「ひろポン、堅スギっスよ。後ホド、スタッフがオイシくイタだきマス☆」
萌子―女史の認識では、わざと片言の日本語を用いて、奇抜な格好でへらへら笑う授業態度・成績は平均以下の一回生、に感情をむき出しにした。
「どこがなのですか!? そして、私に徒名を付けないでください!」
「コレも立派ナ文学PR、布教活動なんデスよー☆ デスよネ、ゆうセンパイ☆」
「うつくしきもの、瓜に書きたる児の顔、にあやかりましてぇ」
夕陽―女史の認識では、礼儀正しく、学びに積極的で、作品や言葉をとても大切にしている授業態度・成績は言うことなし、学生の鑑の二回生、には、
「瓜ではなく、蜜柑じゃないですか! 間違っています、本居さんであろう方が!」
がっかりします! を全面に押していた。
「ほんまは、瓜にするはずやったんですよぉ。やけど、季節柄なかなか用意できへんなりましてぇ」
「みかんを、代用した……です」
この子は……化学科の四回生。入部後、当学科の聴講生になったそうですね。安達太良先生が仰るには、卒業研究を最速で出して、当大学院にて研究を続けられるのですよね。とても優秀な学生だとうかがっております。そちらで頷いている方は、大和さん―発言は少ないですけど、理解度が高く、しっかり記述できて授業態度・成績は「良」の二回生、ですね。サークル長なのですから、場を引き締めていただかないと!
「ですけどけど! 課外活動なのですよ! 遊んでいないで、その文学PRという活動を正しく行うべきです!!」
「遊んでいるわけではありませんわ、宇治先生」
「安達太良先生!?」
反応がひとつひとつ激しい女史である。まゆみ先生は、温めていた足を断腸の思いで抜き、脱げ防止のストラップを略せずハイヒールを履いた。
「誰にでも文学が楽しめるように、隊員は知恵をしぼっていますのよ。読む以外にも、文学への入り口はありますわ」
「そそそそ、そんな、先生まで」
まゆみ先生が、どうしても宇治先生を見上げる形になっているが、隊員らは、宇治先生が小さくなって感じられた。白と黒、古も今も対比される色である。
「よっ、待たせたなっ!」
冬用の体操ジャージをはおったセーラー服が、扉を蹴破るように開けた。火の点いた導火線みたいな結び髪が、視線を引きつける。
「はなっち」「華火さん……」「華ちゃん」「華火ちゃん」
女子高生隊員・夏祭華火、堂々降臨。
「おこたにみかん、軽妙洒脱じゃねえかっ」
「えらいぎょうさんぶら下げてぇ……。ベルトやんなぁ?」
ベルトの万国博覧会を、一手に率いる華火は得意気に答えた。
「全校の掃除サボり男子に、鉄拳制裁してやったんだっ。女子軍が負けかかっててよ、面白そうだから飛び入り参加して、ズボン狩ってやった」
「授業ノ後ハ必殺ダぜ、っスな」
「おうっ、あいつら引っぺがすたびに阿鼻叫喚してた。はなび様にかかりゃあ、ざっとこんなもんよっ!」
今日の華火は、絶好調にいっそう磨きがかかっている。
「はははは、破廉恥です!!」
武勇伝を聞きつけて、腕章の女史は昂ぶった。
「金時、いたのかよ」
「金時ではありません、宇治です!」
日本文学課外研究部隊と宇治先生は、面識がある。大学祭後夜祭ライブ、学内の人々が子どもに変えられた事件、酔いどれバスケットボール事件、互いに魅せて魅せられ、助けられ助けてと、ご縁が深い。
「女の子が、男の子の衣服を脱がせるものではありません! 自慢するなどもってのほかです!」
「女の子はおとなしく慎ましやかにーってか? 時代錯誤だろっ。いい年してんのに、こんぐらいで赤面かよ。恋愛経験ナシなのか?」
「せせせせ、赤面なんてしていません! 大人をからかわないでください!! あなたはい
つも偉そうにしていますよね!」
「あんだってーっ!?」
すごむ華火を、顧問が羽交い締めにして制した。
「おほほほほ! ごめんあそばせ宇治先生。夏祭は親譲りではない無鉄砲な所がございま
して。私の監督が行き届いておりませんで、申し訳ございませんわ。何卒、お許しくださ
いな」
「だあっ、こらあ、離せごぶさたまゆみっ!」
「夫婦生活は南国です、私の名前は安達太良まゆみ」
「安達太良先生が仰るのなら……と、言いたいところですけどけど!」
宇治先生は、腕章を留め直して、まゆみ先生よりも小さき少女を指差した。
「私は、夏祭さんを隊員とは認められません!」
暖かくなっていた二〇三教室に、暴風のごとき宣言が吹く。
「この方が日本文学課外研究部隊の品位を損ね、風紀を乱しています! そのうえ、彼女は附属高校生ですけど、部外者です! 大学生と席を同じうして文学を究められる水準に達しているようにもみえないのですよ!」
「宇治先生、あなた」
たまりかねたまゆみ先生を、今度は華火が待ったをかける。
「……どーすりゃ、認めるんだ?」
予想に反して、落ちこぼれていそうな少女は落ち着いていた。魚心あれば水心、では教員の私、宇治紘子は。
「勝負をして、私に勝てば認めることにします! 負けたら、夏祭さんは退部していただきます!!」
「一騎打ちか」
「はい! 一週間後、霜月二十三日、月曜日、十五時、場所はこちらにしましょう。私が古典の問題を三問出します。正解が二問以上で夏祭さんの勝ち、一問以下で私の勝ちです! 出題範囲は『平家物語』巻第九の宇治川です。文法の問題、現代語訳、読解の三本勝負、時間は三十分とします!!」
華火は唇を固く結び、頭を縦に動かした。
「一世一代っ! この戦い、全力ぶつけて勝ってやらあっ!」
熱意を受け入れ、腕章の女史は星をちりばめたような笑みを浮かべ、
「結果がどうなろうとも、悔やむことなしですからね!」
跡を濁さず、日本文学課外研究部隊の拠点を去った。




