第六段:林檎ヨリモ美シキ(五)
五
「ふみセンパイ、ゆうセンパーイ☆」
林檎に食べられた仲間が、何事も無く現し世へ帰ってこられた。萌子は感極まり、抱きついて顔をぐりぐり押しつけていた。
「く、くすぐったいってば」
「萌ちゃん頑張ってくれたんやねぇ。あはは、お手紙書いといて良かったわぁ」
日文三人娘のそばでは、最年長と最年少のいとこ組が、また会えたことを対照的に喜んでいた。
「姉ちゃん、あたし、やっつけたぞっ! 待たせちまったけど、姉ちゃんが言ってた着眼大局で、どーんと撃破できたっ!」
「華火さん、偉い……ですね」
「おうよっ、やればできるってこった!」
「私の夢でも、いといたく戦っていたわー」
背後で、さらりと割り込んできたのは、
「うげ、安達太良まゆみ」
ヒロインズの司令官は、「少年改革ハチス」の台本を丸め、華火の頭上に漂う空気を斜めに切って、成敗するふりをした。
「うげ、なのは私の方よ。大人数で唄えばなほなほ嬉しや、な赤い林檎に、ろくろ首ならぬろくろ腕がくっついていて人を取ってばくばく食べちゃう悪夢にうなされていたんだから。はなびグリーンともえこピンクが倒してくれたけれどもね。今夜は林檎と蜂蜜でまろやかにしたカレーライスにしましょ!」
ご立腹のまゆみ先生を、ヒロインズは苦さと酸っぱさをミキサーにかけた表情で眺めていた。先生の特殊な能力が、悪夢を実現させていることは、ご本人には黙っておこうと誓ったのである。
「まあ、誰が見ても発禁物なんですけど」
「あらま、ふみちゃんどさくさにまぎれて台本チェックしてたんやな」
和やかになってきたところに、数名の演劇部員がおろおろさせて矢継ぎ早に訊いてきた。
「研究部隊のみなさんも、見ましたよね、変なリンゴ」「幽霊の手がにょきにょきって伸びてきて、つかまれてない!?」「気がついたら、体育館に戻っていたの……他の役者もおんなじみたいで」
『どういうことなのかな!?』
腹式呼吸で発された、通る声が合わさる。息がぴったり、第二体育館を越えて、別の校舎にも届いたのではないだろうか。
「にゃご、エ、エート、ソレは、ソノ、しドロもドロ」
ワイが食い止める! な気分に乗ったものの、いかにうまく答えようか。考えあぐねる萌子に、ミッドナイト・ブルーのマントが翻る。
「本番が迫っていて、多忙で疲れたあまり幻覚を見ていたのであります!」
ヒロインのピンチに、叫ばずとも駆けつけるアルティメットカイザーがリアルの世界に君臨した、萌子にはそう思えた。カイザーにコスフィオレした島崎の存在が、大きく、まぶしくなっているようだった。
「ハチスのキーアイテムは、林檎であります。サブリミナルすれすれに頻出するでありますから。小生、森先生、作者の近松先生も幻覚に惑わされていたのであります。換気も充分では無かった環境であります。集団幻覚になるのも訳無いでありますよ」
部員は「まあ、ねえ……詰めててしんどかったし」「島崎が言うなら、そうなんだろね」「明日は練習、早めに終わらせましょう」と納得がいったらしく、ほっとして舞台や道具製作へ足を向けた。
「……内密にしておいた方が、よろしいでありますよね」
「ナイスフォロー、サンキューっス。島崎クン☆」
万歳してはしゃぐ与謝野明子に、島崎青年の心臓は、転びでるのではないかというぐらい高鳴っていた。
「あえっ、映像の出来上がりを、たたっ、確かめていってくださいであります……」
キャットウォークにて、近松先生と森先生は常のごとく隣り合う。全員が息災であったのを確かめ終え、下稽古を待ち望んでいた。
「あやつは、やはり呪いのものだったよ」
他者には聞こえぬよう、抑えぎみに近松先生が話す。
「行使者の特定ができなかったがね。すまない」
切なそうな面持ちの上司に、
「謝るべきは自分である。内部の分析には至れず、意識不明となっていた」
森先生は、こちらの失策を簡潔に伝えた。情が無いわけではない。彼には、甘え癖がある。しかし武家の矜恃ゆえ、醜態を演じないように努めている。それを踏まえて、部下の彼女は「気にかけない」ことで応えているのだ(彼の自制心に対する評価は「不可」としているが)。
部下の「思わない思いやり」を恩に着つつ、林檎型の呪いのものについて話を続ける。
「物にも、言霊にも寄せておらぬ。初めての事例だ」
「無から有を生成した、という事実で正しいだろうか」
「うむ。君の詩で表すならば『神の御わざ』かね」
「人間以外の行使者か。異例である」
日本文学国語学科における裏の業務が、始まった。勤続三十数年の近松先生でさえ経験が少ない、まして勤続十年ほどになる森先生は記録に目を通したくらいで直接関わった件はゼロだ。
「今後は注意して学内を巡ろう。まずは主任に報告だ」
「了解した。文書作成は、自分が行う」
「よろしく頼んだよ」
規定に従い、彼らは動く。濃くなるだろう学内での日々へ、思いを馳せておこう……近松の眼下に、剣になりかけの青年と、ここに光をもたらした娘が在った。
「青春だね」
好きな物事への並々ならぬ傾きゆえに学級でなじめず、孤立していた娘は、秋学期に居場所を見つけ、仲間にも恵まれ、実りある学生生活を送れているようだ。
青年が、単眼鏡に指さしたり、マントをつまんだりして娘に何か説明しているらしい。娘のしぐさや表情に、でれでれするばかり。熱い想いを振りまかれている側は、友達として中庸な温度で接している。色恋に疎いのだろう。
「ロマンスにするかどうかは、君の筆運びしだいさ。そうだろう、森君」
シナモン色の巻いた髪がきれいなエリスは、
「林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ」
と先人の詩を口ずさみ、指を組んで新たに紡いだ祈りの詩を捧げる。
「若きふたりの道に、光あれ」
〈次回予告!〉
「空満大学文学部日本文学国語学科の中世文学担当、四回生担任、宇治紘子です!」
「平平凡凡な自己紹介だなおいっ。カタブツ全開なのは伝わるけどよ」
「なななな、なんなのですか!? 初めて次回予告に出させていただいたのですよ、誰がお送りしているのか、最初に説明しておかなければいけないじゃないですか!」
「あーそーですかー。四角四面っ、真面目スギるといろいろ大変だなっ」
「ああああ、あなたこそ、その適当さを直すべきではありませんか!?」
―次回、第七段 「宇治華の合戦」
「金時とバトんのか。三行で終わるんじゃねえの?」
「わわわわ、私の事を侮りましたね!? 後悔しても知りません! 誤解を正しておきますけど、私の好きなかき氷の味は、苺味、練乳抜きです!」
「意外と乙女チックなんだな。あたしはメロン味だけど。果汁とくり抜いた実に氷かけてもらうんだっ、器はメロン半玉だぞ」
「裕福な暮らし向きじゃないですか! ですけどけど、財産が全てではないのですよ! 絶対に負けたくありません!」




