第一段:これも日本文学課外研究部隊(二)
二
私たちが稀有な事態に巻き込まれるまでは、ごく平和だった、空満大学。ここは文学、化学、音楽、体育など多様な分野を学べる少人数制の学び舎。歴史ある図書館に、コンサートホールなど施設にも恵まれているのに、なぜか受験生の射程外にされがちなんだよね。でも、私にとってちょうど良い所だし、それなりに楽しんでいるよ。
いろいろうわさが絶えない空満大学に入って早二年と六ヵ月、私、大和ふみかは、友人の夕陽ちゃんと図らずも、とある課外活動に参加させられてしまったんだ。私たちの担任が顧問として立ち上げた「日本文学課外研究部隊」。私と夕陽ちゃんが所属する日本文学国語学科公認の「講義以外でも日本文学を研究して、日本文学の魅力をまずは学内から広める!」グループ。一見すれば真面目な活動だと思いますが、全く違います。まあ、これから分かるので、あえて説明しないでおくね。
本日最後の講義を終えて、私と夕陽ちゃんは研究棟へ移動した。本当のところ、まっすぐ帰宅して、図書館から借りっぱなしの本を読みたかった。でも、足が勝手にあの場所へ動いてしまうんだ。
「入隊して二週間、かあ……」
自動ドアをくぐり、思わずつぶやいた。
「ほんま、時間たつん早いねぇ」
隣を歩く夕陽ちゃん。肩まである波打った髪と、黄色のリボンがふわりふわり揺れる。
「せやけど、珍しいね。ふみちゃんあんまり居残りせえへんやろ?」
「う、うん」
手前の階段を二階まで上る。そこから左の通路へ。
「ふみちゃんすぐに辞めるんちがうかぁて、心配したんやけど」
どきり。図星だったなんて言えない。まあ、辞めようとすれば、まゆみ先生が「おはじき名人さん」を全校にばらしかねないから無理だなあ。うーん……あ、次の角だ。また左、だね。
「そんな必要なかったわ。ふみちゃん、楽しそうやもんねぇ!」
「え、そうかな?」
「そや。ようはしゃいでるやんかぁ」
たいそう大きく頭を振る夕陽ちゃん。それから、ずり落ちたメガネを両手でくい、と上げた。私、地味にやってるつもりなんですけど……。ため息が出るよ。
いくつか部屋を通り過ぎ、活動場所―二〇三教室へとさしかかった。すでに誰かが、廊下の真ん中に立っている。互いの身長に差がありすぎる、ちぐはぐな二人組。
「あ、もう来てはるわ!」
腕をつつかれ、「行こ!」と促された。先客のもとへ、急いで足を運ぶ。
「すみません、待たせてしまいました!」
私たちに気づいて、二人がこちらに目を合わせた。
「いいえ、今、来たところ……です」
背の高い方が、口を小さく動かした。腕には、きれいにたたんだ白衣をかけている。講義がまだ残っていたんでしょうか。
「後輩の実験、手伝っていた……」
「そうやったんですか。やから早く来られてたんですねぇ、唯音先輩」
「……です」
そうそう、日本文学課外研究部隊には、私たちのほかにもメンバーがいるんだ。
途切れ途切れに語り、決まったパターンで話を結ぶのが、仁科唯音先輩。化学科で一番に卒業研究を出したことで有名。化学者で作家だったお祖父さんとの悲しい思い出を乗り越えて、三人目の隊員として加わりました。
「華ちゃんも来てくれたんやね」
唯音先輩の後ろに回った小さい方の子に、夕陽ちゃんが声をかけた。うまく隠れたと思っているのかもしれないけれど、結んだ髪が飛びだしているよ。
「おーい、華火ちゃん」
「だあっ、見つかったか!!」
四人目の隊員が、悔しそうに姿を現した。セーラー服に体操ジャージ (上着)を羽織ったその子は、どう考えても大学生ではない。
「姉ちゃんが行くつったから、ついてきてやったんだぞ。あと、帰ってもやることなかったし。とにかく、感謝しろよなっ」
「は、はあ」
「間抜けな反応だな、ふみか。それでも二十歳かっ?」
ごめんね。でも呼び捨てだけは勘弁して。
「華火さん、言い過ぎ……です」
「むう。姉ちゃん、あたしはなあ……」
姉ちゃんこと先輩のいとこにあたる、夏祭華火ちゃん。空満大学の隣、付属空満中…違った、高校に通っている。くだけにくだけて、粉になった言い回しは生まれつき、だそうです。姉ちゃん奪還のため、単身で乗り込んだのに仲間になっちゃったんだ。
「あはは、ほんまに仲睦まじいお二人さんやわ」
私の傍らで、温かく見守る友人。だが、彼女はこの後、自身に起こる大変な事態に気づくよしも無かった……。
「仲良しサンは、他ニモいるっスよセンパーイ☆」
後方より、何者かが猛スピードで突っ込んできた!そして、両手をいっぱいに広げ、夕陽ちゃんへ熱烈な、抱きつき攻撃!!
「ひいいやああ!!」
「ゆうセンパイ、イジりガイがありマスなー。あんなトコこんなトコにパラダイス要素満載デス!」
「ああああ、やーめーれー」
どんなトコに手をつけているのかは、置いといて。
「もう、ほどほどにしない? 与謝野……えーと」
「与謝野・コスフィオレ・萌子っス☆ シッかり覚エテくだサイ!」
夕陽ちゃんを解放して、きらりん☆ポーズ。カメラ目線なのが、あざとい。
「今日は、テニスのご婦人かな?」
複数束を縦に巻いた長髪と、膝よりはるかに上のスカート、背負われた高級感あふれるラケット。庭球界の切り札でも狙っているのだろうか。
「ヨくお分カリっスね、ふみセンパイ。朝からキソタイだッたノデ、スポ魂アニメのコスプレで気合入レタんスよー」
その場で素振りをしてみせる萌子ちゃん。ちなみに「キソタイ」とは、基礎体育の略。一回生の必修科目です。
「ずっとコスプレで講義に行ってたんやね……ううう」
「ハイ、ソレがコスフィオレな萌子ですカラ☆」
うずくまる友人と、敬礼する後輩。そんな構図を見かねた華火ちゃんが、
「もっとおとなしく出てこいよ、よさのあきこ!」
言ってはならない名前を口にしてしまった。
「……本名で呼ぶなバカタレエエエー!!」
空気をビリビリと震わせる絶叫。既に気づいていたと思うけれど、与謝野・コスフィオレ・萌子は別名。「萌」から邪魔なものを取り除けば、簡単。近代で活躍した情熱の歌人が、一字違いで復活する。
「コレのセイでイジらレルんデス、いツモいツモ!」
取り扱いが難しい、最後の隊員。アニメ好きで、コスプレイヤーでもある直の後輩は「ホントウのワタシ」を探し求め、加入した。ギリギリまで正体を明かさず、「謎の最終ヒロイン」として私たちを助けてくれていたよ。
「はいはい、どーもすんませんした」
「誠意足リてナイっス、ボケはなっち!」
「ボケだって? はなび様にどの口きいてんだっ」
「一コ下の分際で、エラそうデス!」
あーあ、言い争いはじめちゃった。
「華ちゃん、萌ちゃん、もうやめや。先生方に迷惑やで」
トーンを押さえて呼びかける夕陽ちゃん。後ろに並ぶ研究室の扉を指して二人に注意するも、効果なし。
「えぇ加減にしいやぁ」
「あんまりうるさいと、怒られるよ」
私も手伝ったけれど、なおも応酬は続く。互いにありふれた罵倒ばかり繰り返している。研究室から怒号が飛ぶのも、時間の問題だ。
「てめえなんざ、あたしが三分で燃やしてやらあっ!」
「へっへー、萌子はソノ半分デ、はなっちヲ星クズにしマス☆」
「やれるもんなら、やってみろよっ」
「イイっスよ、後悔シテも知リマせんカラ!」
パン、パン!!
『?』
手拍子が、いざこざに終止符を打った。短いけれども、廊下中にしっかり響きわたっていた。いったい、誰が……?
「喧嘩をする、はしたない……です」
―唯音先輩。しばらく会話から外れていましたが、良いところで入ってくれましたね。感謝します。
「……悪かったな」
「ふにゃ……。萌子モ度ヲ越シまシタ。ゴメンナサイ」
先輩を前にして、頭を垂れる二人。ようやく鎮火できたみたいだね。
「皆さん、来て……」
唯音先輩が、二〇三教室へと誘う。何か重大なことでもあったのだろうか。
「扉に、書き置きが、ある……です」
確かめにいくと、扉の真ん中よりやや下に半紙が貼ってあった。全員が、その内容に視線を集めた。
日本文学課外研究部隊総員に告ぐ!
故あって、寸劇の場所をA・B号棟前に変更したわ。
私は先に待機しているから、十六時半に集合されたし!
なお、変身したうえで活動場所へ来ること!
今日も楽しく文学PR、頑張りましょ。
司令官 あだたらまゆみ
わざわざ毛筆でしたためるのが、まゆみ先生らしいなあ。一文字、いや一画一画に魂が込められているよ。
「とりあえず、変身しよっか」
貼り紙を破らないようにそっとはがして、すぐ後ろの日本文学国語学科共同研究室へ鍵を取りにいった。
日本文学課外研究部隊の中で「変身」とは、「専用衣装に着替えること」をいう。戦隊ものを参考に作られた衣装は、全身タイツと趣を異にしていた。ひとことで表現するなら、アイドルや魔法少女が着そうな服。また、隊員それぞれに合った色、髪飾り、スカートの丈、履き物で個性を出しているのが、なんともにくい。しかも、考案・製作したのは顧問だから、活動への情熱が生半可じゃないことが十二分にうかがえるわけです。
―これより変身に入りますが、見苦しさを考えて音声のみとしています。どうか、悪しからず。
「今日ノ寸劇、配役どーナッてたっスか?」
「萌ちゃん、法師の親類やで。うちは、法師のお母さん」
「あたし童役っ。んで、姉ちゃんは」
「医者……」
「私は、ある者役だったよね。あ、法師は?」
「安達太良先生やよぉ」
「そーだったな、よっ、記憶力ピカイチゆうひ」
「いやうち、そんな物覚え良うないでぇ。あれま、華ちゃん、前」
「へ?」
「リボン、ゆがんでるわぁ。直してもええ?」
「おう、すまん」
「ゆうセンパイ、甘ヤカしチゃダメダメっス」
「あかんの?」
「自力デ変身できナイヒロインは、ヒロインでハあリまセン」
「おカタい物言いだな、よさのあきこさんよ」
「ぐああー!! 本名出すなバカタレはなっち」
「すみません……です」
「にゃにゃ、いおりんセンパイは悪クないスよ」
「そーだ、そーだっ。姉ちゃんがあきこに謝る必要ないぞ」
「ダーカーラー、その名で呼ぶな!」
「もう、ええ加減にしぃや。さっさと変身せんとあかんよ」
「はいはい、すんませんした」
「ゆうセンパイが言うナラ、変身ニ専念しマース☆」
「私と唯音先輩、終わったよ」
「なんだかんだやってたけど、あたしも完了」
「うん、ちゃんとリボン結べて良かったわ」
「萌子モ、タダ今完了シタっスよー」
―変身、終了。わずか五分で変身した私たち。所要時間が短くなっていることに、慣れを感じさせる。果ては飛び跳ねるか、腕を大きく回せば一瞬で済むんじゃないかなあ。まあ、ともかく。
いざ、A・B号棟へ!
空満大学は、二つのキャンパスで成り立っている。一方は、海原キャンパス。空満駅から徒歩三分の場所で、体育学部のために作られた。一方は、国原キャンパス。ほとんどの学部が通う所で、二〇三教室がある研究棟やA・B号棟が属している。ちなみに、空満駅から徒歩三十分。バスを使っても徒歩のおよそ三分の一。どうして体育会系より、長い距離にキャンパスがおかれているのだろう。足腰をきたえるべき対象が違っているよ。嘆くあいだに、目的地に到着。
「来たのはいいんだけれど」
思った以上に、行き交う人が多い。基礎教科に文学部や外国語学部の講義が開かれている校舎だから、にぎやかなのかもしれない。
「センセ、ナイス判断! オ客サン大量ゲットできマスね☆」
両手を双眼鏡の形に丸めて、クルクル回りだす萌子ちゃん。あの、鼻息荒くなってるよ?
「うう、あんまりジロジロ見んといてぇ」
夕陽ちゃんが縮こまって、メガネと胸部を必死に手で押さえていた。気のせいか、男子学生の視線が集まっている。逆に女子から注目の的なのは、
「……」
すらりとして寡黙な唯音先輩。無表情でどこか頽廃的な瞳に、心ひかれるのだろうか。文系乙女の想像力をかき立てそうだものね。芥川・太宰と並ぶのも夢ではありません。
「むうううう」
微動だにしない先輩の腕にしがみついて、うなっている子がいた。
「華火ちゃん?」
「姉ちゃんに見とれんな、有象無象っ。ってか人多スギ」
口をとがらせ、通る人々をにらみつけている。以外にも人見知りなんだよね。
「おい、ふみか」
「は、はい」
「まゆみ、どこにいるんだ?」
えー、そう訊ねられても、困るなあ。私は頭をひねるしかなかった。
「先ニ待っテルんスよね? しかしbutしカシ」
「いない……です」
やっぱり分からないよね。何度確かめても、まゆみ先生がいないんだもの。ショートカットに、弓を象ったペンダント、白いスーツの、細くて小柄な人。いったい、いずこへ。
「ふみちゃん、ふみちゃん」
夕陽ちゃんが肩を叩いてきた。髪につけたリボンを揺らし、とある方向を示す。
「あそこに座ってはるの、安達太良先生ちがう?」
「え」
A・B号棟を背にして、ななめ右。複数のベンチが円に並べられ、腰かけたり、付近で立ち話する人々であふれている。しかし、一か所だけ誰も寄り付かないベンチがあった。そこにぽつんと、足をそろえて座る者が。
「本当に、まゆみ先生?」
疑うのも無理なかった。白スーツに、弓の装身具、体型はまさしく先生なものの、唯一異なる点があったんだ。そう、首より上に……。
―天に向かってそびえ立つ、三本の細い柱。
柱の下には、頭部を収める大きな半球。
すべてが金属により出来ていて、重々しい。
逆さにすれば、足がついた鍋のよう。
かの仁和寺の法師もかづいたといわれる―
鼎。その人は鼎をかぶっていたんだ。
「ええええええええ」
当分の間「え」以外の文字を忘れていた。だって、現代に鼎をかぶり物にする習慣は無いんだよ? というより、そもそも売っているの? いろいろ訊きたくなっちゃうよ!
「ふみセンパイ、どーしタんスか……っテ、ふひゃひゃひゃ!!」
異変に気付いた一回生。だけど、ベンチに目を向けた途端にふき出した。奇天烈な器に頭を入れた人の、どこに笑いを誘う要素があるのか。
「まゆみ、そこにいるのか……どわはははっ!」
続いて唱和する高校生。顔が隠れて表情が読み取れない相手が、行儀よく座っていると、おかしみを感じるらしい。半ばあきれていたら、夕陽ちゃんまで「あははは、あはは」とお腹を抱えた。ぜんぜん面白くないってば! ねえ、唯音先輩?
「……!!」
まさか、あなたまで大声を発するとは。私の感覚が皆とずれている、なんて思いたくないよ。取り残されて、やるせなくなった時、鼎さんが席を立った。それから小走りで、私+爆笑中の四人の前まで移動した。
「ちょっと、何なんですか」
鼎さんはたどり着くやいなや、グッと親指を立てた。このサインからして、もう誰か見当がついてしまったね。さあ、種明かしといきましょう。
「良き人の 良しとよく見て 良しと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見!」
一首を詠み終え、かぶっている物を両の手でさっと引き上げた。切り揃えられた髪が、かすかにそよぐ。
「五人五色、良き反応をしてくれたわ。それでこそ、スーパーヒロインズ!」
「もう、驚かさないでくださいよ……」
遅ればせながら、笑わせてもらった。
「ふみかの言う通りだぞ、いたずらまゆみ!」
先生が現れて、いきなり華火ちゃん恒例行事スタート。どうも人名を覚えるのが苦手だそう。
「ふふっ。いたずら改め、寸劇兼かくし芸の練習と呼びなさいな。あと一つ!」
鼎を置いて、ビシッ!と全員に人差し指を向け一言。
「私の名前は、安達太良まゆみ!」
小さくガッツポーズして、満面の笑み。もう一度ききたい人は、ぜひ先生の講義を受けてください。
「はい、次はあなた達の番よ」
え、どういう事ですか。
「変身の後で必ずすべきこと、あるでしょ」
もう忘れちゃったの?と腰に手をあてて、ため息をされた。ヒロインになって、やるべきことって、もしかして、いつものアレですか。
「正解よ。さ、堂々と名乗ってちょうだい!」
うわあ。あえて人が集まる場所でさせるなんて、恥ずかしさこの上ないんですけど。
「ふみちゃん、やる時はやらなあかんよ」
「定位置に、並ぶ……です」
「へっ、いっちょ決めてやるか!」
「萌子ノ本気、見セテやりマス☆」
皆さん、やる気に満ちあふれているようで。ええい、ままよ!
「やまとは国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ もえこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて…スーパーヒロインズ!』
今回もつつがなく決まりました。五人になって間もないのに、言うタイミングやポーズがばっちり合って、気持ちいい。それが伝わったのか、近くにいた学生と教員から拍手が送られた。どうも、ありがとうございます。
「いいわねー。これぞ、文学と戦隊の逢瀬! あなた達、最高に輝いているわよ」
お褒めの言葉を仰って、まゆみ先生は脇に抱えていた鼎をかぶり直した。
「それでは、楽しく寸劇始めましょ!」
「ふぉふぉ。A・B号棟前に剽軽な御一行がおると聞いたら、正義の味方やないかえ」
活動に取り組みはじめたところに、翁が豪快に笑いながらやってきた。立派な白銀のあごひげよりも、陽光を強くはね返す見事にまでつやめいた頭に目がいってしまう。また、着慣れた分厚い背広と履きつぶされたつっかけが、ただ者でないことを物語る。
「あらー、剽軽とはたいそうおカタい物言いをなさいますわね、土御門先生」
翁へ即座に切り返した、まゆみ先生。挑みかかるような口調に、五人は驚いてしまった。
「見た事あると思うたら、安達太良嬢かや。鼎かぶってお遊戯会かいな?」
土御門隆彬先生、まゆみ先生と同じく日本文学国語学科の教員で、担当は中古文学(専門は『古今和歌集』『後撰和歌集』)。学生の間では「翻刻の翁」と呼ばれ、恐れられているんだ。
「おほほほ、はずれですわ。誰かさんのせいで、かような事をしていますのよ」
「はて、なんじゃいな」
まゆみ先生が激しくヒールを鳴らし、土御門先生の真正面まで進む。前、見えてらっしゃるんですね。
「忘れたおつもりかしら? 来週末の『日文教員花の宴』でかくし芸大会をしようと仰ったのは、どちらの、どなたと思って?」
顔が隠れているけれど、きんきん鳴り響く声からしてどんな表情か読みとれた。というか、先生同士で芸を披露するんですか。しかも「花の宴」って文学部らしいですね。
「……なあ、まゆみの態度、違ってねえか?」
グリーンが背伸びして耳元へ訊ねてきた。
「他の先生とは、こんな感じだよ」
私も初めて聞いた時は戸惑った。学生に対しては打ち解けた話し方をされるのに、こんな風に変わるんだもの。先生なりに上手く喋り分けているのかもしれない。
「ああ、ああ。思えば、さような事を云うとった。しかし、お嬢や」
「なんですの?」
じっくりと加熱する、まゆみ先生対土御門先生。どちらに軍配が上がるのか……。
「遺憾ながら、かくし芸大会とやらは一昨日、歌合戦に変更になりましてな」
「なっ……!!」
まゆみ先生、驚愕。背後に落雷を描きたいぐらいのすさまじさ。一方、土御門先生は相手の反応を楽しんで、目を細めている。
「早う知らすべきやったが、なかなか捕まらんで、困っとった。まあ、今云うたから準備できんことはないわな。歌が得意な安達太良嬢には問題無しか」
「むむむ……」
あごひげを上下になでる翁に、小さくうなる安達太良嬢。
「ふぉふぉふぉ。それにしても、鼎とは滑稽かな。雅なわたしには、とても真似できませんな」
鷹揚なたたずまいで、土御門先生は上着のポケットから扇を抜きだした。片手を大げさに振って、それを開く。中心には「雅」と書かれていた。遠目だと「邪」にも間違えかねない。錯覚だといいけれど。
「では、楽しみにしとりますぞ。安達太良嬢や」
さらば、の代わりに「雅」な扇を後ろ手に振って、翁は研究棟側へ去っていった。磨かれたような頭が、しつこいまでに照り輝く様を見送った。
「……おのれ」
『?』
突然、くぐもった声がした。私たちの前にいらっしゃる鼎先生が、体をわななかせている。
「おのれ、土御門隆彬ー!!」
天を貫くほどの叫びが、広場にとどろいた。同時に、まゆみ先生の頭上より大量の白雲が渦を巻きながら現れた!
「ふえええええ!?」
腰を抜かすイエローに構わず、白い雲が空一面に広がってゆく。青い画用紙に濃い白のインクが染みて、浸食するみたいに。
「おい、またあれなのかよっ」
グリーンが、語気を強めて言う。しかし、態度と裏腹に足を震わせていた。
空がだんだん薄暗くなり、人々が不安そうにざわめく。戸惑っている間にも、白雲がキャンパス上に漂い続ける。
「まゆみさん、白い雲……ですか」
「これは、事件が起こりそうな予感がするよ……」
日本文学外研究部隊の顧問・安達太良まゆみ先生は、ただ者ではないみたいなんだ。活動中に、変てこな現象が起きるんだけれど、先生が関係しているんじゃないかな、と皆思っている。変てこな現象、というのはね―。
「たたたた大変デス!!」
もえこピンクより警報。
「まゆみセンセが、センセが、光ってるっスよ!」
『!?』
目線を下へ戻したら、ピンクの言うとおり、先生が真っ白な光を帯びていた。まぶしさがだんだん強くなり、ついには頭頂部―鼎の三本足からバビュン!!と空高く放出された。
「えっ、うそ!」
「雲の次は、怪光線か!?」
グリーンとさっきのビーム (?)について議論している間に、先生が倒れてしまった。頭から落ちる際に、鈍い音がした気がする。
「眠りに、入った……ですね」
ブルーがまゆみ先生の呼吸を確保して答える。さらなる嫌な予感……。
「てめえら、あれ見ろっ!」
研究棟側を指さすグリーン。そこには、ふらふら歩くたくさんの人々。私たちの方へ目指しているようだ。身なりは違えど、ひとつだけ共通する部分があった。
三本足がついた金属器。しかも、用法を守らず、頭にかぶっている。
「コリゃまたファンキーなコスプレっスね。センセのファンっスか?」
「桃色、冗談よせよ。ってか、こいつらどこから来たんだ?」
「よう見たら、さっきまでいてはった人たちや。違う人も交じってる」
「まゆみさんの、しわざ……ですか」
「土御門先生にカチンときて、同じ目にあわしてやろうと思ったのかもね……」
変てこな現象とは、説明が難しい。普通ではありえない、何も無いところから不思議なことが起きるんだ。白い雲、先生の気絶(したように眠る)が鍵を握っているみたいなんだけれど、詳しいことは不明。不思議なら何でもありでもなく、日本文学が絡んでいる。『徒然草』の例で、暴れ出した「猫また」を必死で調伏した件、『檸檬』の檸檬爆弾を乗せた画集の城を攻め落とした件が記憶に新しい。
「戦闘フェーズに突入っスよ!」
ピンクをはじめ、各ヒロインが体勢を整える。こんな状況に出くわしたくなかったけれど、お約束だから我慢しなきゃ。日本文学課外研究部隊、またの名を「スーパーヒロインズ!」の裏の活動が、始まる!
「せっかくやから、かっこよう出たいんやけどなぁ」
先ほどから、イエローがしきりに左右に目を配っている。なぜだか、地面が微かに揺れている……。
「あの人達、突進している……です」
『ええー!!』
覚束ない足どりだった鼎の集団が、手足を激しく振ってここまで来ている。うろたえているうちに、踏みつぶされそうな勢いだ!
「絶体絶命、ってか。こうなりゃアレしかねえだろ」
グリーンがピンクに目配せする。
「……アレっスね」
「青姉も黄色も、分かってるよな」
「……です」「はい」
え、私にはさっぱり……。なにか秘策でもあるの? 誰でもいいから教えてもらおうとした時、ピンクが大きく息をすい込み、こう叫んだ。
「オペレーション・愛のバラバラ☆ 全力疾走、実行っスー!!」
襲いかからんばかりだった人々が、ちょっとひるんだ。その隙に皆が私と先生を残し、文字通り四散した。
「ほえええええ!!」
私、見捨てられた!?戦う気まんまんだったのに!? ひどい、ひどすぎるよお! 隊長を置いてきぼりにして、いいんですか?
「独りで戦えるわけ……ないじゃない」
じり、じり……。後ずさりするごとに、鼎をかぶった人たちが間合いをつめてくる。若干数が減ったようだけれど、グリーンたちを追ったのだろうか。……それはともかく。
「選択肢はひとつ、だね」
相手に背を向け、せいいっぱい、走る!!逃げる以外、考えられない。いつも戦えば勝つとは限らないんだから! 今はとにかく逃げるべし。
ドドドドドドドドドド!!
覆面の人が、群れをなして追いかけてくる。向こうでぽつんと横たわる先生が見え、申し訳なく思いつつ、ほっとした。すみません、後で必ず助けにいきますから!
「本当に、もう……」
知らないうちに研究棟のあたりまで逃げていた。まゆみ先生のスーツと同じ白の壁が、いやというほど日を反射している。手をかざして、懸命に足を動かした。鼎をかぶった新人類・鼎人に追われながら、この理不尽さを一言で述べた。
「どうして私がこんなことにー!?」