第五段:鯉しなば(一)
一
空高で、なっちゃんの名前を知らない人はいないんだな。入学した時、三年生の男番長と女番長に決闘を申し込まれたんだげど、一分もかからないでボコボコにしちゃったんだよ。運動部のキャプテンみんなに勝負を挑まれだときも、らくらく倒しまくっでたんだな! それだけじゃないんだな、なっちゃんのお家、空満の土地ぜんぶを持ってて、すんげくお金持ちなんだ。だがら、毎年学校にお金を寄付してっがら、校長先生と教頭先生が、なっちゃんが前を通るたびにおじぎばっかししてるんだな!
こんなに有名人なのに、なっちゃんはいつもひとりでいるんだな……。なっちゃんのこと、コワい人だって思っでて、誰も話しかけよとしないんだな……。みんな、なっちゃんに目を合わせないよに避けたり、近くにきたら「殺されるぞー」って逃げたり、腰ぬかしで「お許しください、夏祭様!」って土下座までしてるんだよ。クラスでもひとりで、誰ともしゃべらないでいるんだな。いじめられでるわけじゃないんだげど、距離をおかれてるっでいうか……。みんな、なっちゃんのこと、誤解してるんだな。なっちゃんは、なっちゃんは、全然コワくないふつうの女の子なんだな! トコ、なっちゃんのこと、ずっと気になってるんだよ。だがら、
今日こそ、なっちゃんとお友達になるんだな!!
「なっちゃん、なっちゃんなっちゃんなっちゃん!」
朝、教室に入ったら絶対すること。
「おっはよ~なんだな!」
廊下側のいちばん後ろの席にいるなっちゃんに、あいさつする!
「……あ?」
なっちゃんが、うつぶせてた体をぬらりと起こしたんだな。ちょっと寒くなると、なっちゃんはいつも机で眠そうにしてるんだな。
「なっちゃん、おっはよ~なんだな!」
「…………」
どんよりした目で、トコを見ていたんだな。でも、なっちゃんたら朝からずっとこんなカンジなんだな。
「今日の時進先生の古典、新しいのを読むみたいなんだな。楽しみだね~」
「……」
なっちゃん、ずっと黙ってばっかしなんだな。昨日は、あんまし眠れなかったのかもしんないな~。それとも、最近入った大学のサークルてのかな? それで忙しかったんかもしんないんだな。
さっきから、みんなの視線がこっちに集まってる。なんか、ヒヤヒヤしてるんだな。いんや、そんなの関係ないんだな! 気にしないで、トコはおしゃべりを続けるんだよ!
「ンと、なんだっけな、コワいお話って先生言ってただな。『あめつき物語』だったっけ」
「……『雨月物語』」
「ハっ!? あれ、『うげつ』って読むんだ~。トコ知んなかったんだな。なっちゃん、物知りなんだな! ありがと~なんだな!!」
さっすがなっちゃん! 大学で教えてもらったんかな。うらやましいんだな~。
「……とっとと帰りやがれ、西大寺」
「も~、違うんだな~。トコは、尼ヶ辻なんだな!」
西大寺くんは、トコの隣の席に座ってるコなんだな~。いっつも名前ちゃんと呼んでくれないんだな。しょぼぼんぼんだな。
「いーから帰れってんだ……」
あっ、なっちゃんジャージを頭にかぶっちゃった。こーなったらもう出てこないんだな。あっちいけ、ってことなんだな……。
「わかった、また後でなんだな~!」
あんまし話しかけっど、機嫌悪くしちゃうがら、とりあえずここまで! またね~って、手ふって、離れたんだな。
「お帰りー、トコ」
「前栽、平端あ~」
席に戻っだら、前栽と平端が待っでてくれたんだな。
「トコ、またなっちゃんにフラれたんか?」
がっはっはあーって、前栽が口をおっきく開けて笑ったんだな。
「今日はいっぱいおしゃべりできたんだな! 二分だよ、新記録なんだな!」
「やったじゃん、おめでとさーん」
窓んとこに腰かけてた平端が、ひゅんと降りてきてトコの頭をグシャグシャなでてくれたんだな。ちょうどハネてた部分だったがら、なおって助かる! そこ、ブラシとかドライヤーでやっでもきかないんだよ~。
「でもさあ、名前間違えられてなかった? 西大寺って」
「前栽、言わないでだよ~」
「トコの隣のバレー部のヤツっしょ? 位置的に惜しスギ! あっはっは、どんまい!!」
平端ってば、机叩いて大ウケしてるんだな。
「トコ、男子並みに背高いからさあ、間違えられんの分かるけどね。がっはっはっは」
「も~、笑いごとじゃないんだな。トコ、ちょっと気にしてんだよ」
トコ、女子の中で一番身長高いんだ。体育や部活だったら活躍できっからいいんだげど、お洋服のサイズがあんまし合わなくでイヤなんだよ。普段着で男の子サイズしか着れなくなったときは、マジでヘコんだんだな。もっとフリフリの、リボンがついたカワイイの着てみだいのにな~。
「でも、大進歩じゃね? 前は完全ムシされてたじゃん。なっちゃんに認められたってことっしょ」
「そ~なんだな! トコ、頑張ったんだな!!」
「よくやったよくやった。ホメてやんよ」
平端にまたなでてもらったんだな。嬉し~。
「その調子で、お友達作戦、成功させなよ。せっかく一緒に空大行くんだからさ」
わっ、前栽もなでなでしてくれた。前栽の手、おっきくてふかふかしてて気持ちい~。二人にかわいがってもらえるの、トコ好きなんだな。ずっとこうしてたいだよ。だげど……。
「あたしら、空満にいられんの今年で最後だもんね」
また、始まっちゃっだ……。
「トコと空大の体育学部行きたかったけど、親が地元の体育大受けろってうるさくて。経済的な事情っすよ。ここ、私立にしちゃ学費安い方なのにさ。現実って、キビシいよな。ホント」
平端が長い髪をかきあげて、ため息ついてたんだな。
「ウチは、内嶺教育大。ずっと第一志望だったし、小学校の先生ていう夢、叶えたいからさ。絶対合格するぞ!!」
よっしゃあ、やったるでー! って、前栽は気合い入れまくってたんだな。後ろに炎がメラメラしてそうだっただよ。
「だから、トコのお世話できんのもあと少しってわけ」
「んだ……」
行ってほしくない。トコの本音はそう。でも、平端も前栽も、自分の進む道があって、やりだいことに向かって走るんだがら、わがまま言ってらんないんだな。三年間おんなじクラスと部活で頑張っできたのにさ、お別れとか、つらいんだな…………。
「コラ、テンション暗いぞ!!」
「でっ!」
平端に頭グーパンチされだんだな! ガチ殴りじゃないげど、痛い。
「あたしらだって寂しいんだっつの。トコがそんなツラしてると、よけい悲しいムードになるじゃんか」
「笑って卒業したいからさ、残りの時間を楽しくやってきたいんだよ」
腕組みしで口をへの字にしでる平端と、歯をみせでニコニコしでる前栽。そだね、寂しいのはトコだげじゃないもんね。顔上げなぎゃ、前みなぎゃ!
「ウチらがいなくても、強く生きるんだぞォ~」
ぎゅ~って、前栽が抱きついてきだ。おなかがふかふかで気持ちいいな。
「早くなっちゃんとくっついて、バラ色のキャンパスライフ歩めよー」
今度は平端も。さらさらの髪から、い~いにおいがするだよ。フローラル系かな?
「ありがとーなんだな。前栽と平端もファイトなんだな!」
んだ。みんな頑張ってんだがら、トコだってなっちゃんとお友達になるためにベスト尽くすんだな!
そだよ、あの日からトコはずっと ―。
なっちゃんとは、空中で初めて会ったんだな。えと、「くうちゅう」じゃなくで「そらちゅう」。トコが行っでる学校、「空満」っで名前で、幼稚園から大学院まであるんだよ。でも「空満○○」ってきっちり呼んでる人はあんましいなぐて、略して言っでる。高校だったら「空高」で、大学だったら「空大」ってカンジ。トコは、中学から通ってたんだな。なっちゃんは、幼稚園からみたいだよ。
空中に入っで、最初の体育の授業があっだ日のことなんだな。お隣のクラスと合同で、五〇メートル走のタイムを計っでたんだよ。トコは一組で出席番号が一番だっだがら、最初に走ったんだな。タイムは7秒! 自慢ってわけじゃないげど、全体でトップ記録だったんだな。トコ、走るの大好きで得意だもんね! だげど、トコよりも速い人がいたんだな。
「夏祭、6秒18!」
その子は、トコの記録をあっさりと破ったんだな。ゴールまで一瞬で飛んでったもんだがら、みんな「えっ」って声をあげてたんだな。先生まで口をあんぐりさせてただよ。
周りが驚いてばっかしだった中で、トコはしっかり見てたんだな。ちっちゃな体で、ムダな動きなんがこれっぽっちもなぐって、ゴールへまっしぐらに走ってたんだな。いんや、あれは走ってたんじゃないんだよ、風になってた。トコは、風を味方につけるカンジで走ってたんだげど、その子は風とひとつになってたんだな。ひとつというか、風そのものだっただよ。風を人にしたら、あの子なんだろなって。トラックを自由に吹きわたってぐ。トコには、真似できないんだな。
その子 ― 二組の夏祭さんは、授業が終わっだら一番にグラウンドから出てったんだな。あんれ? って思ったんだな。入学して何日かしだのに、ひとりだったがら。おかしいなって思ったんは、その時からじゃなかったんだな。夏祭さん、走った後ずっと、みんなと離れたとこにいでた。怒っでるよな顔して、だまりこんでたんだな。あんまし、クラスになじめてないんかな? お友達がまだできてないんかな? トコ、気になっだがら、いつも一緒にお弁当食べてた子に「ごめん!」ってあやまって、夏祭さんのあとを追っかけたんだな。夏祭さんは早足で歩いてて、距離が開いてたけど、ピロティと渡り廊下の間らへんで、やっと追いついたんだな。
「一年一組、尼ヶ辻とこよなんだな!」
トコ、おっきな声で自己紹介したんだな。そしたら、夏祭さんは「なんだよ?」ってふり向いてくれたんだな。
「夏祭さん、さっきの、すんげかったんだな! トコよりも速く走れる人、初めて会ったんだな!」
「……」
夏祭さん、トコのことじっと見でた。授業の時みだいなムッとした顔で。
「フォームきれいだね~。普段がら走っでんのかな? トコ、ここの陸上部に入りたくで来たんだな! 夏祭さんも?」
あんだけ速く走れるんだもんね、きっと夏祭さんも陸上やりだいんだろな。夏祭さんなら、いーいライバルになりそだな! だげど夏祭さんは、
「……うるせえよ」
低い声で言ったんだな。そんで、はおってたジャージをかけ直しでから、
「あたしは、走りたいから走るだけだっ。陸上とか興味ねえ」
夏祭さんが真剣な顔をしで、トコを見すえたんだな。
「かっけ~んだな」
「は?」
口を開けて、夏祭さんは首をかしげたんだな。
「走りたいから走る! やっぱしトップは、走ることへの思いが違うんだな! トコ、勉強になったんだな!」
衝撃的だったんだな。もっどタイムを縮めたいとか、自分の限界に勝ちたいとか、強い相手と競争したいとかじゃない、純粋な理由。格言なんだな。書道のプロの人に書いてもらっで、キンキラキンの高級な額ぶちに入れて、殿堂みたいなとこにかけてもらいたいだよ!
トコ、夏祭さんのこと、もっどいっぱい知りたいんだな!! これは、運命の出会いってやつなんだな! 人生のターニングポイントなんだな! そだよ、きっどそう!!
「夏祭さん、トコとお友達になってくださいなんだな!」
「ムリ」
一秒できっぱりと断られちゃったんだな。
「え~!? なんで? なんでなんだな!?」
「友達とか別にいらん。特にてめえとか未来永劫ムリ」
がが~ん!! 夏祭さんの言葉がトコにのしかかってきたカンジがしたんだな。お友達いらない、トコとは特になりたくない……。こんなに暗い気持ちになったの、初めてなんだな……。
「わかっただよ…」
夏祭さんがそこまで言うんだったら、トコは、トコは……!
「トコ、負けないんだな」
「へっ?」
「トコ、何が何でもなっちゃんのお友達になるんだな」
心の中に、ボワっと火がついたんだな。なっちゃんとは、ここでおしまいにしたくなくなったんだよ。今の実力じゃ上回れないタイムを叩きだすよりも挑戦したいこと、できたんだな。
「いらんつってんだろうがアホ。ってか、勝手にあだ名つけんなっての」
「あきらめないんだな! 友達いらんなんて、寂しいこと言わせないんだな!」
逃げよとするなっちゃんを通せんぼしたんだな。トコの宣誓、聞いてほしいんだな!
「しつけえな……」
ため息をついて、なっちゃんはトコの広げた腕の下をくぐり抜けて、廊下のむこうへ歩いてったんだな。トコは、遠ざかってくなっちゃんの背中に向かって、力いっぱい叫んだんだな。
「しつこくてもいいんだな! 覚えておいてなんだな、トコはなっちゃんとお友達になるまで、追いかけ続けるんだなあ~!!」
あの日から、トコ、毎日なっちゃんに「お友達になって」って言ってきたんだな。ホームルームの前に、休み時間に、昼休みに、帰りのあいさつの後に、なっちゃんの教室に行っで、話しかけでたんだな。でも、避けられてた。そんでも、トコはあきらめなかったんだな。はじめは無視されでも、続けてっだらきっと聞いてくれる、心を開いてくれるっで、信じでるから。高校三年でなっちゃんとおんなじクラスになっでから、なっちゃん、トコの話ちょっとは聞いてくれるよになったんだな。
なっちゃん、ホントに友達いらないって思っでるんかな? そりゃケンカもするし、ぶつかる時もあるげど、そんなピリピリしたことも一緒に乗りこえていっで、もっと仲良くなれんだよ。もしそだったら、悲しいだよ。ひとりでいるのがいいっで、トコ、泣いでしまうよ。誰とも話さないで、ツンツンしてで、ずっどにらんでるなっちゃんのこと、ほっとけないだよ。なっちゃんがトコのこと嫌ってても、トコは、なっちゃんのことキライになれないんだな。どしたらなっちゃんに「お友達になっていいよ」って言ってもらえんのかな……。




