第四段:ねてもさめても(三)
三
図書室から歩いて三分ぐらいのところに、年季の入った巨大な建物がある。太い柱、アーチ形の屋根と、希臘の神殿を思い起こさせるこの建物は、図書館だ。空満大学付属の機関で、「空満図書館」と名付けられている。蔵書数は全国の大学で随一を誇り、国宝や文化財もいくつか所有している。夕陽たちのいた図書室は、空満図書館の分館のようなものだ。
その神聖な建物の横には、草原が広がっていた。隅に自転車置き場が見え、反対の方向にに小高い丘がぽつんとたっていた。丘の周りに木々が並び、
「くっ、まだ来ねえのか……っ」
ぴょこんと突き出たポニーテールを跳ねさせ、少女が地に片膝をついた。少女は緑色のかわいらしい衣装を身にまとっていたが、歯を食いしばり、うっすら汗をかいて、とても平穏な様子ではなかった。
少女が手で、前から吹いてくる物をさえぎる。強い風に乗って襲いかかるは、何枚もの薄い桃色の紙きれ……ではなく、花びらだった。
「夏炉冬扇っ……、季節外れもいー加減にしろよ」
うすら寒い神無月に相応しくない物。春の風景を代表し、その美しくも儚い様を、古の人々が歌や文学にて表したという…………桜。花は風の渦を彩り、乱れ乱れて散っては立ち向かう者を翻弄していた。
「もう、これまでかっ……」
行く手をはばむ桜吹雪に押される少女。小さい体が今にも飛ばされそうだ。もはや、ここまでか。緑の少女が、力無くひざまずいた―。
「世の中よ 未知こそなけれ 質量いる!」
「疑うたらあかん!」
螺旋を描いたリボンと透き通った青の空気弾が、少女を覆い隠そうとする花びらを払いのけた。
「青姉! 黄色!」
少女の背後に、二人の女性が並び立っていた。背が高く、ピストルのような物を構えている者と、蝶結びにしたリボンを髪の横に飾り、ロングスカートをはいた者。色は違えど、少女と似たような服装だった。
「ゆうひイエロー、遅ればせながら参上や」
「いおんブルー、起動……です」
もうお分かりかと思うが、彼女たちの正体は夕陽と唯音である。二人が入っている日本文学課外研究部隊には「スーパーヒロインズ!」という異名があり、ヒロインに変身して学内に起こる不思議な現象と戦っているのだ。
「万死一生っ、助けは呼んどくもんだよな」
緑の衣装を着た少女が、安堵して腰を下ろした。この少女こそ、いおんブルーに通信した華火だ。今は変身して、はなびグリーンになっている。
「あらま、人手足りへん言うてたのに……?」
イエローが、おかしなことに気づいた。グリーンだけで戦っていると思っていたら、実は他にヒロインがこの場に居合わせていたのだ。
「五人、揃てるんやけどぉ」
鋭い指摘に、グリーンが「しゃあねえなあ」とぼやいた。
「コレにはワケがあんだよ、ワケが」
隠してもどうにもならないと悟ったのか、グリーンは事の発端を話し始めた。
* * * * *
昼休み、あたしは高校を出て空大へ行ったんだ。今日、弁当持ってきてなかったからよ、大学の食堂でも、ってな。あたしんとこの食堂もいーけど、常に混んでるし人多いから嫌だったんだよな。
んで、研究棟を通ってた時、声かけられたんだよな。
「はあい、夏祭さん」
知ってるやつだから、こっち向いてやった。
「おう、まゆみじゃねえか」
思った通り、まゆみだった。白いスーツと、首に弓の飾りがついたアクセサリーつけてて、いつも通りニコニコしてた。
「これからどこへ?」
「食堂っ!」
「ふふっ、奇遇ね。私も行くところだったのよー」
歌ってるみてえに言って、まゆみが「一緒に行きましょ」つって、しばらく隣で歩いてたんだ。
「なあ、まゆみ。今日、古典で文法やってたんだけどよ」
でっかい図書館あたりぐらいで、まゆみにしゃべったんだ。
「んーと、なんだっけな……なんとかカソウつったんだ。あの、『世の中に たえてさくらの なかりせば』ってやつが例文の」
なんでこんなこと話したんだろな。でも、まゆみなら聞いてくれるんじゃねえかっていう期待みたいなもんがあったから、乾坤一擲で言いだしたってわけだ。
「反実仮想ね。『……せば~まし』でしょ」
「あ、そうそうソレ!」
まゆみ、すげえなっ。「なんとかカソウ」でよく分かったもんだ。大学で古典教えてるだけに、頭いーんだな。
「ソレの意味が、全然わかんなかったんだよな。ナニナニしなければ、ナニナニだったのにって。結局どーいうことを言ってんのか曖昧模糊だった」
「先生に質問しなかったの?」
「無理難題っ。あたし、先生と話すとかダメなんだよな。なんか、言いづらいてゆーかさ」
まゆみはたぶん、深い意味じゃなくてフツーにきいてたんだと思う。でもな、あたしにとっては、こう、胸に槍みてえなもんが刺さるっていうか。あんまり触られたくないっ
つーか。
「ん? 私とは普通に話せているじゃない」
「まゆみは別。ってか、誰かとしゃべんの苦手。だから、まゆみにきいてんだ」
分からんけど、まゆみは他の先生と違うんだよな。しゃべりやすいとか、目線が同じとか?
「あー、ごめん。人見知りさんだったわよね」
そんなにキツく言ってないのに、かなり謝ってくれた。ってか、あたしが人見知りってこと知ってたんだ。
「だけど、少しずつ直していくのよ。じゃないと、あなたと仲良くなりたい人が、どんどん遠ざかっていくわ」
「おう……」
いつかそーなるってのは、大体わかってる。直さねーとこの先ダメだってわかってるけどよ……。
「お説教はそれぐらいにして、反実仮想の意味についてよね。さっきの歌、もう一度詠んでみて」
ハイ、とあたしにふってきた。おいおい、授業みてえになってんな。いーや、詠んでやるかっ。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし
「はい、よく覚えていたわね。ありがとう。じゃあ、次は訳してみて」
「えっと、『この世の中に、桜がまったく無かったら、春の心は穏やかでいられるのに』か」
現代語訳はノートに取ってるし、やったばかりだから忘れてねえぞ。どーだっ!
「あらー、完璧よ。さて、問題は『……せば~まし』ね。『せば』が入っていたのは『桜がまったく無かったら』、『まし』は『春の心は穏やかでいられるのに』だったわね」
お、分かりやすっ。まゆみってまとめんのウマい。古典の先生だったら品詞分解とかいちいち説明してくるから、頭がゴチャゴチャすんだよな。
「夏祭さん、ここでひとつ、質問よ。歌の『世の中』に、桜はある? ない?」
「ある、か? 『無かったら』つってんだから、実際にはあるんだよな」
「正解。では、春の心は、実際には穏やかなの?」
「むう……」
そうそう、ココで悩むんだ。あまりにも考え込んじまったもんで、
「穏やかでいられるのになあ、と言っているのよね」
まゆみがもう一つヒントをくれた。いられるのになあ、ってことは……。
「……穏やかじゃない、か?」
「当たり。ということは……?」
もう分かったわよね? みたいな目で見つめてきた。おうよ、この歌は……。
「ほんとは、桜があるから春の心は穏やかじゃないんだ。そー言いたかったんだっ!!」
すると、まゆみがものすごくキラキラした笑顔で、拍手したんだ。
「大正解! 反実仮想とは、事実に反したことを仮に想定することなの。そうすることで、事実をより強く示せるのよ」
欣喜雀躍っ、あたし、今すげー嬉しい。そーか、反実仮想って事実を強く言うためにあえて反対のことを言うってことなのか。
「ほー。凍解氷釈っ、今のですんげえ理解できたぞ。あんがとな」
「お役に立てて何よりだわ」
そう言って、まゆみが「良し!」って親指を立てた。って、ここまでは、平穏無事だったんだ。急転直下すんのは、この後で―。
「桜といえば、最近の会議を思い出すわねー」
さっきの話に桜の和歌があがったからか、まゆみが桜つながりの話を始めたんだ。図書館のそばの庭みてえなとこに、桜の木が生えてたしな。
「空大でも、秋入学を導入するかどうか話し合っていたのよ」
「秋入学か」
テレビでいってたな。外国にならって、秋に入学をする大学が増えてるとかそんなこと。
「結局は否決されたんだけど、一部の学部がうるさくって。国際化を進めるために必要だ、今こそ空満を天下に知らしめるんだ、て力説してもう大変」
「大学も楽じゃねえんだ」
そーしたら、まゆみが大げさに首を縦に振ったんだ。
「そう、楽じゃないの! もう決まった事なんだからいいんじゃないですかって言っておいたのに、相手が何を言ったと思う?」
おいおい、奥様がたの井戸端会議みてえに白熱してんぞ。テキトーな返しで済まそうとしたら、そんな隙もくれなくってよ。
「『今時の若者には季節感だの風情だの気にしてませんよ』ですって。入学の時期を変えたぐらいで騒ぎやしない、とも言ってたわ。仏の私もカチンときたわね」
「そっ、そーなのか」
生返事したあたしも悪かったのかもしれねえけど、まゆみの怒りはおさまる気配がなかったんだ。
「今度、反対派を率いて総攻撃をしかけることに決めたわ。まあ、あくまで仕事に支障が出ない範囲でだけどね。二度とふざけた口を利かせないようにしてあげるわよ!」
まゆみが声をデカくした時、背筋にイヤなもんが走ったんだ。この世がまっ暗になるカンジもした。そーすっと、なんとなく薄暗いなーって空を見たら、あたしたちのちょうど上に白い雲がたかってんだ。
「ヤバいな……」
まゆみと白い雲の組み合わせが、どんだけマズいか。けどよ、あたしには止められなかったんだ。
ついにまゆみが激烈に怒っちまって、
「世の中に 絶えず桜の 盛りあれば 春の心は のどかなりけり!! 桜が無い入学式なんて、侘しいに決まってるでしょ。そんなのいつの時代の若人でも理解できるわよ。とにかく、秋入学は絶対に認めないわ、この安達太良まゆみの名にかけて!!」
荒々しい宣戦布告をしたら、まゆみの体が光って、その場が激しく揺れたんだ。んで、光が空へ伸びてって、白い雲をいっぱい呼びだした。空が全部白くなると、まゆみは光るのを止めて、倒れ込んじまったんだっ。
「まゆみ、まゆみっ!」
何度呼んでも起きねえ。白い雲が出る時はいつもそうだっ。昏睡状態ってか!?全力でゆすっても、目を閉じたままだ。しかも、しんとして不気味なカンジが漂ってきた。
あたしとまゆみだけが取り残されたみてえで、怖くなってたら、
「はなっち!!」「華火ちゃん!」
ふみかとあきこが、でっかい図書館の階段を駆け下りてきたんだ。
「ケガとかしてナイっスか?」
「おう、何ともねえ」
「外の様子が変だったから来たんだけれど、まゆみ先生だったんだね」
ふみかたちのおかげで、心細くなくなったのは良かったんだけど、
「センセを医務室に運びマスか?」
「そうだね……」
まゆみを皆で運ぼうかってとこで、突風が吹いてきたんだっ。またその風、なんかを巻き込みながら、あたしたちに突っこんできたんだ。
「何なの!?」
「前が見えねえっ」
「ふにゃー!!」
巻き込んだやつで目つぶしされちまって、動くことすらできなかった。んで、風が止んだら、あたしたち、あの桜の木まで飛ばされてたんだよな。春でもねえのに、満開でよ。常識的にありえねえだろ。
「まゆみのしわざだな……」
白い雲ときたら、次は戦闘だ。あたしは、提げてたスポーツバッグからヒロイン服をひっつかんで変身したんだ。
* * * * *
「んで、いざ勝負! ってなったんだけどよ、戦えるのあたしだけだったんだ」
いきさつを語り終え、グリーンはやっと体を起こした。
「ふみかは、変身できねえし」
ちら、とグリーンがななめ後ろを見た。木陰で赤いパーカーをはおった女の子が、情けなさそうに立っていた。
「ふみちゃん」
「ごめん、イエロー」
ふみかは決まり悪そうに頭をかいた。
「ったく、ありえねえだろ。ヒロイン服を洗濯したまま忘れやがってよ」
グリーンが大げさにため息をつく。女子たるもの、身に着ける物を清潔に保たなければならない。しかし、ヒロインたるもの、いつでも変身できなければならないのだ。
「取りに、戻ればいい……」
「あー、先輩それは厳しいですぅ。ふみちゃんの家、ここから早うても片道一時間もかかりますからぁ」
冷静な判断を下したブルーだったが、簡単にはいかず。
「ほんと、ごめん」
ふみかは、小さくなって身をひそめるばかりだった。
「桃色なんか、もっとヒドいんだぞ。なんか知らんが、桜の花を見たら動けなくなっちまって」
口をとがらせるグリーン。弱り目に祟り目というところか。ふみかがいる隣の木に、五人目のヒロインがうずくまっていた。ハートのブローチ付きの帽子をかぶった、黒髪ロングの乙女。膨らんでいる袖とフリルが、懐かしの魔法少女を想起させている。
「ふひゃひゃひゃ…………ガタガタ」
「どないしたん?」
ひざを抱えて、ひどくおびえる彼女にイエローが近寄ると、アニメのキャラクターのごとく、やけに高い声が返ってきた。
「ピンク、桜ダメなんデス…………」
花が視界に入らないよう、気をつけてピンクは顔を上げた。猫のような瞳には、いっぱい涙がたまっていた。
「ダッテ、ダッテ……」
泣きじゃくりながら、必死の形相でイエローを見つめ、ピンクは溜めこんでいたものを吐きだした!
「桜の下ニハ、不気味なハナシが渦巻イてイルじゃナイっスかー!!」
語尾が、白い空へとこだました。風情ある場を、たちまちにしてぶち壊す絶叫。いったい彼女に何があったのか?
「桜ノ樹ノ下ニハ屍体ガ埋マってイル! 桜ノ林ノ花ノ下ニ人ノ姿ガなけレバ怖シイばかりデス! 梶井基次郎ト坂口安吾がソウ書イてマス。死体カラ流レル液ヲ吸ッて、花ヲ咲かセテるんスよ!? 花ガ咲クト、気がオカシくナルんスよ!? ドウ考えテモ怖イじゃナイっスか! ぴぎゃー!!」
矢つぎ早にしゃべるピンク。ときおり口元に流れた涙を飲みこんでは、むせていた。
「桃色さん、どの作品に、書いてある……ですか」
「先輩、今そんなん訊いてる場合やありません!」
真剣な表情で問うていたブルーに、イエローが叱咤した。普通に訊ねているならまだしも、メモを用意して興味しんしんに聞きだそうとしていたので、大人しいイエローでもつい我慢できなかったのだろう。
「もう、文学に熱心なんも、ほどほどにしといてください」
イエローはそう注意してから、ピンクを撫でた。叫びに叫んでパワーを使い果たしたのか、再びかがみこんでしまっていた。
「申し訳ない……です」
「せやけど、グリーンやったら、今日のお相手さんをすぐやっつけられるんちがうの?」
ヒロインはそれぞれ、専用の武器を持つ。イエローはリボン、ブルーは空気銃というように。グリーンの武器は花火で、ひとたび当たれば木切れを焦がすほどの火力を有している。今回倒すべき桜とは、相性がバツグンなはずだ。
「できるなら始めっからそーしてる。けどよ……」
グリーンがうつむいて、前方に人差し指を伸ばした。
「……人質とられてるんだ」
はらり、はらりと散りゆく花びらの向こうには―。
「安達太良先生!」「まゆみさん……!」
幹に、女性が囚われていた。真っ白いスーツを着こなした、細やかなその女性は、安達太良まゆみであった。日本文学課外研究部隊の顧問にして司令官、そして、一本の桜を満開にさせた張本人である。
四方から生やされた枝に、まゆみはきつく縛られていた。だが、危機にさらされているにもかかわらず、まゆみは平和そうに眠りこけていた。
「こいつがまゆみを盾にしてるせいで、燃やせねえ。あと、やつの花びらを見てると、なんか意識朦朧っ……」
突然ふらつき、グリーンが倒れかけた。
「緑さん!」
「……青姉、黄色、あいつをどーにかしてくれ…………っ」
仲間に抱きとめてもらうも、ぐったりするグリーン。ブルーとイエローは思った。そういえば、この場所に駆けつけてから、頭がぼんやりしている。浮いた感じになったというのか、別世界に入った気分だった。
桜の真下にて、猫がたくさん群がっていた。みな眠っており、異様なほど静かで、恐ろしさを感じる。早く事をおさめなければ。ブルーとイエローは、グリーンをふみかたちの元へと託した。
「ブルー先輩、やってみましょうか。うち達の合体技」
「……です」
まともに戦える者は、二人だけ。意識を途切れさせる桜花を、いかにして撃ち破るべきか。悩む余裕はない、倒すのみ。戦う意志を示す、あの詞を宣言して。
「いざ、反撃開始やぁ!」「いざ、反撃開始……です」
桜が風にたゆたう中、黄色と青のヒロインが呼吸を合わせ、
『疑わず、質量いれ! いおん・ゆうひコラボレーション!!』
と叫ぶやいなや、二人は風を身にまとい、姿を消してしまった。
「ど、どこへいったの……?」
ふみかが辺りを見回しても、イエローとブルーはどこにもいなかった。薄桃色の花びらだけが、相変わらずひらひら散っている。
―逃げてしまったのだろうか。ふと、ふみかは暗い考えを抱いた。頭の良い二人だから、賢い判断をとったのかもしれない。しかし、
「逃げるわけ、ないよ」
イエローたちが戦いを投げ出す人物じゃないと、ふみかは固く信じ、戦えない中間のそばに居続けたのだった。
「…………っ!」
桜の眠気でくたびれていたグリーンが、飛び起きた。
「グリーン!?」
「おう、びっくりさせちまったか」
「いや、いいけど……。平気なの?」
「へっ、この通り完全回復っ、気分爽快だっ!」
拳を素早く振り上げて、グリーンは自らの元気さをアピールした。
「青姉たちがやってくれたんだよな?」
「そうなのかなあ」
「そーに決まってんだろ、マヌケふみか。ほらよ、桜が散ってねえじゃねえか」
先ほどまで吹雪いていた桜が、すっかり止んでいる。こはいかに。
「やっぱ、コラボ技ってのはすげえもんだよな。あっちの木から黄色のリボンが飛んできてるじゃねえか……って、おい、なんかこっちに来てんぞっ!?」
「え」
嘘かまことか確かめるまでもなく、黄色いリボンが、強風に乗せられてふみかたちへと吹き荒れた。風には色がつけられていて、冷たい水のような青色だった。流されてくる黄色のリボンは、細かく切られており、銀杏の葉と間違えそうな形をしていた。
「とても、きれいだね」
ふみかは、袖に留まったリボンを、ひとひら、ふたひらと手の平に乗せて、息を吹いてみた。眠気でぼーっとした頭を覚ます、まぶしい黄色だ。
「ゆうひイエロー、ただいま戻りましたぁ」
リボンと戯れている間に、消えていた仲間が帰ってきた。黒ぶちのメガネと、波打つ栗色の髪に結ばれた大きなリボン。まさしく、イエローだ。そして、彼女の後ろには、無造作な短髪を風にまかせたブルーが、静かに立っていた。
「青姉、まゆみっ!」
グリーンが瞳をきらめかせて、ブルーへと走っていった。
「無事、救出……です」
ブルーの両腕には、まゆみ先生が抱えられていた。おまけに、桜に群がって眠っていたはずの猫も、肩や足元にまとわりついていた。
「いったい、どうやって?」
コラボレーション技で、何が起こっていたのか。気になって訊ねると、イエローがメガネをくい、と上げて説明してくれた。
「先輩が大量の空気を使うて、小さな台風みたいなんを作ったんや。それで素早く木まで近づいて、先生を返してもらったんやよ」
「んで、このリボンの切れ端はなんだ?」
ポニーテールにたくさん付いたリボンを、面倒くさそうに取りながらグリーンが言うと、イエローは「ごめんなぁ」と一緒にリボンを取り除いてあげた。
「桜に対抗してみたんやわぁ。眠気を誘われたらあかんから、リボンをぎょうさん作って刈り取っててん」
「私達の技を、応用した……です」
「す、すごいよ。イエロー、ブルー」
見事な戦略とコンビネーションに、ふみかは感嘆するばかりだった。比べて、自分は変身できず、何の役にも立っていない。情けなさが募るふみかを見かねて、
「やっぱり、ヒロインは五人おらんとあかんわぁ」
「ほえ?」
イエローは得意気に笑い、ふみかへと手を伸ばした。すると、イエローの髪に結ばれたリボンが手の方向へ、すっ飛んでいった。
「三十三に身を変えて、救いの手を差しのべよ! 観音廻りの舞!」
直線をなして放たれたリボンが、ふみかの全身を巻きつけて繭を作った。出来上がった繭は黄金の光を発して、すぐさまほどけてゆき……。
「大和は国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし!!」
リボンを解いて現れたのは、赤い衣装に身を包んだヒロインだった。
「じゃじゃじゃーん! 日本文学課外研究部隊・隊長、ふみかレッド降臨!」
変身前と大違いの力強いポーズを決めて、堂々と登場!
「なあ、赤の様子、変じゃねえか?」
「激しい、発熱反応……です」
「うちのリボンで、ふみちゃんの中に眠るやる気を引き出したんやよ」
誇らしく胸を張ったイエロー。隊で一番豊かな胸が、通常より盛られているようにみえた。
「レッド、仕上げは頼んだで!」
「ラジャー!!」
レッドは勇壮に答え、グリーンを引っぱり出した。
「いざ、共にけりをつけん!」
「へ!?」
こんなに積極的なレッドを、目にしたことがあっただろうか。明日は雨か、嵐か。それとも槍が降るか。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき!! とにかく、桜は散るからこそ、きれいなんだから!」
「だーっ、もう、しゃあねえなあっ」
熱が冷めないうちに、相手を叩こう。レッドは円形の髪飾りを外し、グリーンは指の間にスーパーボール大の花火玉を二、三はめていった。
『やまと歌よ、花となれっ! ふみか・はなびコラボレーション!!』
レッドが髪飾りを弾き、続いてグリーンが花火を投げた。赤と緑の螺旋が、風を切って桜の木へと真っ直ぐに進んでいった。螺旋は幹に当たり、火花を派手に散らした。そこから蜘蛛手のように炎が広がってゆき、激しく燃えさかり火柱をあげた。火がおさまると、燃えていた桜は炭にならず、寒さを耐え忍ぶ枯れ木に戻ったのだった。
「これにて、一件落着だね!!」
「ソレ、あたしのセリフっ!」
気分が高揚したままのレッドに、グリーンがチョップをお見舞いした。
「いたた……あ、雲が」
空を白くしていた雲が、次から次へと退いていた。ヒロインズの真上あたりから、涼やかな青と共に、太陽が顔を出しはじめた。
「空が、笑ってるわぁ」
「黄色さん、文学らしい、表現……です」
先生の心にも、雲が消えていますように。ヒロインズは、少しの間だけ、晴れゆく空に思いを馳せるのだった。




