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川の間の国とアウルム 2

町の片隅、といっても殆どが顔見知りで血の繋がりがあるような小さな集落、に用意された家に川の間の国から来た男が住むことになった事を知らない者はいなかった。日干し煉瓦が積まれた家は小さな窓以外からも所々光が差し込み、藁で編まれた寝床に横たわったハビオンの顔を照らした。被っている布で顔を覆うぐらいが関の山だろう、瞼を閉じても壁の向こう側から囁かれる好奇の言葉が一層よく聞こえてしまう。窓と言うには歪な四角い隙間から差し込む光が減ったと同時に子供たちの足音と甲高い笑い声が壁を越えるて聞こえてくる。どこが閉鎖的なんだか。


ハビオンが運びこまれたコムの町は、朝は早くから町のあちこちで異様なにおいと黒い煙が漂っていた。カフー・ミルカはこの町で太古から続いている技術で、硝子を含む土を丸く珠にし黒緑の鉱物と植物の灰を掛け合わせた粉を表面にまぶし焼いて生みだされる深い深い青は蒼珠と呼ばれ高価な装飾品を作る材料として川の間の国へアプールの様な国を跨ぐ商人から持ち込まれる。この技術はコムの町に住む人々の間で親から子へ受け継がれ流出する類のものではない事は周知の事実で、それ故に蒼珠はとても高額で取引されているがこの町はそう潤ってはいないようだ。


一日中寝転がっている藁のしなやかさが薄れだすのが早く、足に巻かれた包帯を取り換えに来た少年は壁の色と同じ布切れを纏っていた。痛み止めを兼ねた草タバコを噛み気分を紛らわせているハビオンの顔を少年は見ようとしなかった。草タバコの匂いは独特だ。その所為もあるのだろうが、細い指が包帯を解くたびに、その都度彼の手が強張った。閉じられた瞼がさらにきつく閉まり、激痛を押し殺している体に触れる度、その怯えは顕著に体を伝い、無言でもハビオンにはその声が聞こえた。うつす病を隠し持っている可能性のある未知の来訪者。本来は知る必要のない恐怖を押し付けられた哀れな子供が抱く感情は理解できる。一子相伝で受け継がれるカフー・ミルカがただの一度もこの町から流出した事がないように、この少年もまた沈黙を貫きながら蒼珠を作り続け、こぞってそれを身につけようとする特権階級が払う法外な値段を目にすることがない世界に居続けるのだから。


持ち込んだ荷物の中から地図を取り出し何度も確認したがコムの町は川の間の国から地理的に近く、同じ文化圏に属し民族的に近いと言える。黒い髪。浅黒い肌。白い爪。真っすぐな鼻筋。男は髭が濃い。砂漠に住む人々を総称し砂漠の民と呼ぶが、川の間の国の住人はバルバルやイグロよりも圧倒的に体毛が多い。この少年はまだ幼く男の体はしていないが、ここの町民と川の間の国の住人の容姿はそんなに変わらなかった。しかし、どうしたことだろう、この少年とは言葉が通じない。


「私はハビオン。君の名前は?」


一日3度、この部屋を出ていく少年に感謝の言葉を送るが、オアシスよりも小さな辺土で話される方言や訛りしか介さないのか、少年が振り向くことはなかった。蒼珠の仲買人はアプールだけではない。この町の誰かは意思の疎通ができる教育水準にある。看病を押し付けられた少年はどう見ても優遇された環境に置かれた子供ではない。数日ハビオンに付き添いケガの様子を見ていたアプールだが、本来の目的を達成し早々に帰郷した彼が残していった食料がまだ底をつくはずがないのだが、町ぐるみか、それとも誰かの差し金か、意図的に出される食べ物は日に日に少量になり味が薄れていった。夜襲を誘う装飾品はアプールに渡してあるから、命までは取られないと思うが。生殺与奪を握られた手負いの乞食に食事を運ぶ少年の顔は日に日に暗く染まっていった。


「ハビオン。これを」


出された味のない食事を終え藁に横になると、ハビオンの背後に少年が立った。ハッキリとした声が聞こえたが、その声の出所を確認する前に少年は部屋から立ち去っていた。床には茶色の草束が置かれていた。ハビオンはその草を見ると、それをすぐ藁の中に隠した。荷物の中から草タバコを取り出しその草束の半分を混ぜてから、時間をかけてゆっくりその草タバコを噛み始めた。独特の匂いが辺りを漂い始め、野生のまだ未熟なザールの実を食べた時の様なえぐみがハビオンの舌から鼻を抜けた。原型を無くすまで噛み続けた草を藁の下の砂と混ぜ、またその上に藁をかぶせ、その上に自身の体を置いて曇った夜を過ごした。


ハビオンの足は順調に回復し多少引きづってはいるが歩けるようになった。彼は滞在の許可が与えられた事や介抱をしてくれた謝礼をしたいと申し出てた。男は懐から小さい黄色い鉱物のかけらを取り出して、コムの町の住人が見えるようにそれ手の上に乗せた。住民は静まり返った。不都合な真実は隠し通すとしても、建前として懇意にしている商人から預かった客人を無下にする事も出来ず、加工技術を提供したいと言った男をコムの町で一番整った工房に案内した。男は黄色い鉱物を薄く延ばしカフー・ミルカの蒼珠に熱で融合させた装飾品の作り方を見せた。町の職人は装飾品の美しさに喉を鳴らしたが、黄色い鉱物はこの辺りで採れるものではないことを知っていたし、この町の財力では装飾品の加工に使用する分量を買うことができないことを熟知していた。一連の加工工程を見終わったコムの住人は、礼として与えられた技術の価値を理解していたからこそ、飾られた蒼珠とハビオンを忌々しく見みるしかなく、軽い挨拶を交えた後、工房から足早に去っていった。


工房の入り口の近くで群がった大人達の後ろから作業を見ていた少年は、炉の近くに残されたハビオンに近寄った。机の上に乗っている装飾された蒼珠を手に取って、静かにそれらをこの工房で作られている蒼珠と見比べた。鈍い黄色を手で少しこすると更に艶がでた。ハビオンは少年の手から蒼珠を摘まんで、持っていた柔らかい動物の皮で磨き始めた。どこからか油を取り出して皮に少量を馴染ませ、表面を少しづつ撫でていく。磨き終わった蒼珠が再び少年の手に戻ったが、それは一時前と同じ物ではなかった。表情を崩さない少年をハビオンは少しの間観察していたが、足の痛みを思い出し、動かずにいる彼を放っておいて、使った工具を元に戻しだした。工房が片付き、ハビオンは少年の手から蒼珠を摘まんで、皮袋に入れ懐にしまった。二人で町の片隅にある小屋に戻ると、少年は初めてハビオンの顔を直視して、彼に向かって声を発した。


「ハビオン、私にもできるだろうか?」

「もちろん。君の名前は?」


ハビオンにあれだけ怯えていた少年は「サイラス」と笑顔の様な顔で答えた。


一人の子供を除いて誰もその技術を真剣に学ぶ者はいなかった。サイラスは修行の一環で作った蒼珠をハビオンに売り、少しの黄色い鉱物を融通してもらった。サイラスから加工の練習用に鉱物を借りている事にしてほしいと頼まれたハビオンは、その通りにした。


「言葉を話せるんじゃないか。」


低温の炉で黄色い鉱物を溶かしていたハビオンが独り言を言った。彼の足はまだ完全には治っていない。炉の端に置かれた大きめの石の上から足を放り出して居心地悪く座るっている横で、サイラスは炉の柔かい炎が映り込む目を微動だにせず、隣から聴こえてきた声の主に無表情で返答した。


「時と場合によりますよ。」


同じ布切れを纏ってハビオンの横に立つ姿に怯えているそぶりは見て取れない。二人だけの時、何らかの騒音に取り囲まれている時、どうやら町民がいる時に会話をしている姿を見られたくないようだ。となると、サイラスは意図的に会話を避けていたのか。どうやらこの町には何かあるらしい。誰もが買えない鉱物を彼だけが持っているなどと、町の人々に不信や妬みを買わないよう発せられるサイラスの言葉の端々から、彼の頭のよさや用心深さが見て取れた。


温まって溶けた黄色い鉱物をダートの尻尾で作った筆で蒼珠の表面に乗せていく。それを炉の中に暫く入れ融合させる。細々とした手順が順番通りに施行され、最後の過程を経て磨かれ見出された魅惑的な華を持つ蒼珠がサイラスの手に渡された。見たこともない宝石の様な蒼珠を握りしめ、少年は一度下を向いた。下を向き続けた。座っているハビオンがもう少し体を屈めれば、サイラスの秘められた悲しみに手が届いただろうが、サイラス自身がそれを許さなかっただろう。沈黙が拡散し、一日の終わりが果てしなく思われた。顔を上げたサイラスは、ハビオンをいつもの小屋に連れて帰った。夕食後草束がまた床に置かれた。その晩、草タバコにそれを混ぜ、暗闇の中で一人、異物を噛み殺した。吐いた草タバコを藁の下の砂に混ぜ、その上に藁を被せた。闇がようやく晴れて窓から差し込んだ月光に照らされたハビオンは、その中で呟いた。人間が考える事は、いつも同じだと。


「字を教えて欲しいんだ。」


炉の温度を調整していたハビオンに一際大きな蒼珠が手渡された。晴天が広がる外からの光が届かない廃坑の様な工房の中で、炉の前に立つサイラスをハビオンは後ろから眺めていた。最初から最後までの手順を一人で行うように指示されたサイラスは、座った石の上から木の棒で書かれた文字一覧の横を何回も通りながら作業に当たった。文字が読めて書ける者が圧倒的少数なコムの町に書く為の用具など置いてあるわけもなく、砂の上に書かれた文字はその存在が罪であるかのように、移動するたび起こる砂ぼこりで埋もれていった。ハビオンはその度に文字をサイラスの手が空く隙間に書き直した。


「粘り気のある土をもし知っているなら持ってきてもらえないだろうか?」


翌日、サイラスは湿った土を持ってきたが、その土はうまく固まらず何かを書ける前に崩れてしまった。記録媒体である粘り気のある土がこの町にはない事が確定し、文字を固めて渡すことは現実的ではなかった。加工の手順を一通り覚えたサイラスの蒼珠を手の上で転がしその技術に満足したハビオンは、装飾技術の向上に力を入れてはどうかとサイラスに提案した。その提案にサイラスはあからさまに安堵の表情を浮かべた。一度大きく息を吸って胸をなでおろし、綻びた笑顔がほんの少しの間浮かんだ。サイラスはハビオンの足がもう殆ど回復している事を知っていた。有無を言わさない時間の流れに、あまり感情を出さない少年は、親が決定した運命に逆らおうと、その瞳に拒否、抵抗、反抗を垣間見せ年齢相応の子供にようやく見えた。ハビオンはそれがとても嬉しかった。無理強いをしているつもりはないが、大人でも音を上げることがある技術を習得する為に払う対価として、捨てられた子供らしさと言う特権。こんなに腫れた両手で蒼珠を加工し続けている、何が彼を突き動かすのか。文字の一覧の横に様々な模様が付け足された。線の強弱や構成、図柄の意味や配置、反復の頻度、川の間の国で好まれる文様を小さい蒼珠に正確に写し取れる技術の習得をハビオンは厳しく指導し、サイラスはそれに応えようと必死に修練を重ねた。


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