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呪華の詩  作者: 葵(あおい)
邂逅、終わりの始まり
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母と子

「ライア、何をする気?」


 路地裏から飛び出そうとするライアの袖を咄嗟に掴んだセリカ。慌てた表情が胸中を代弁する。


「あの生贄を助ける、放っておけないでしょう?」


「ちょっと待って。貴女、刀は持っているみたいだけれどそもそも戦えるの? 左目に眼帯をしているけれど、怪我をしているんじゃないの?」


「これは……」


 左目を覆う眼帯を軽く抑えたライアは、ほんの一瞬儚げな表情を見せる。僅かな間に何かが思考されたのか、視線が僅かに泳いだ。


「これは怪我なんかじゃないわ。それよりも、あの大蛇が神の使いでないのなら生贄の女性は無駄死にする事になる。それほど愚かな話は無いでしょう?」


「でも……!! 例え倒せたとして、古くからの習わしを捻じ曲げたらこの街全体を敵に回すことになるんだよ!? 街の人達が私達の話をおいそれと信じると思う? 貴女にこの街の歴史を変える覚悟があるの?」


「何が習わしよ、何が歴史よ。人の命とどちらが大事か、よく考えてみるといいわ」


 余りにも感情に任せた切り返しに、セリカは短い声を発した。


「そんなの……そんなの私だって解ってる!!」


 雨に濡れた髪がセリカの表情を覆い隠す。髪の隙間から微かに覗く唇が、血が滲む程に強く噛み締められていた。


「私はもう行くわよ」


 吐き捨て、路地裏から飛び出そうとするもその足は再び止まる。理由は単純明快、生贄と大蛇の間に第三者が割り込んだ為だった。


「やっぱり私には我慢出来ない。リリー、貴女を生贄にするなんて」


 悲観するような声が、降り頻る雨に攫われて消え入る。


「おかあ……さん……?」


 薄汚れた服を纏う少し年老いた女性は生贄の母親であり、此処まで走って来たのか息を切らしながら瞳を潤ませていた。


「大蛇様、どうか娘を……どうか娘をお助け下さい……」


 母親の咽び泣く声が悲痛に木霊する。


「お願いします……お願いします……」


 懇願、命乞い、母親は何一つ恥ずこと無く、娘を救いたい一心で土下座を続けた。顔は泥まみれになり、涙で乱れ、そんな母親の姿を見たリリーの胸は分厚い鎖に締め付けられたかのように痛みを発する。


「お母さん? 私は大丈夫だから。この街の皆が幸せになるのなら、私はこの役目を喜んで引き受けるから……!!」


 怖くともこうする事で街が護られるのならと、リリーは精一杯の強がりで己が胸中を欺く。無意識に震える身体が、恐怖に抗えない心の内を晒していた。


「貴女はお母さんのたった一人の大切な家族。親として、母として……目の前で大切な娘を見殺しにするなんて出来ない。例えそれが、この街の掟に背く事になろうとも」


 親子のやり取りを見ていたライアは強く拳を握る。彼女は眼前の光景に、夢に見た自身の過去を投影する。


「セリカ、私は行く」


 決意の籠った声色、しかしそこに感情は無い。


「もう、勝手にして」


 短い会話が終わると同時に白き大蛇は鋭利な牙を剥き出し、生贄の母親へと飛び掛った。


「お母さん……!!」


 蔓延る負の感情が刺々しく暴れ回る中、リリーは目を瞑り最悪の状況を想定する。だが、本来聞こえる筈の母親の悲鳴は木霊せず。


 一瞬の静寂。


 代わりに訪れた甲高い金属音は、大蛇の牙を刀で受け止めた際に発せられたもの。舞い散った僅かな火花が虚空に攫われるも、すぐに雨に撃ち抜かれて消え入った。


「貴女は……?」


 恐怖からか腰を抜かせたリリーの母親は、牙を受け止めたまま振り返るライアと視線を合わせる。泥に(まみ)れて、涙か雨か解らない程に濡れてしまった顔。母としての覚悟が宿った瞳からは、娘を護るという確固たる意志が垣間見えた。


「ただの通りすがりよ」


 独白と共に振り抜かれた刀は、猛る大蛇を純粋な力で押し返す。


「重いわね……!!」


 木の幹のような太い胴体が地を滑る。その膨大な質量が故に、僅かな砂煙が舞った。


「どう見ても神の使いには見えないわね」


 怒り狂う大蛇は耳を劈く咆哮をし、真紅の眼をはち切れんばかりに見開く。撒き散らされる唾液は辺りに飛び散り、至る所を無差別に溶解させた。


「二人とも早く逃げなさい、此処は私が止める」


 ライアは再度向かってくる大蛇を別方向へ誘導し、自身へと注意を引く。救われた親子達は彼女の背に何度も深い会釈をし、涙ながらに感謝の言葉を投げ掛けていた。


 地を縫うように淡々と走り、跳躍し、大蛇の目を欺きながら時間が稼がれる。狙いを定められない大蛇は様々な箇所に突っ込み、分厚い体躯に傷跡を蓄積させていく。傷跡から染み出した血液が、雨と混じり合って赤い糸のように地を彩った。


 それからして、二人が逃げた事を確認したライアは口元を歪める。


「何をやっているのかしら、私」


 それは今の状況を、母親を失った日と重ねて見てしまった自身への皮肉からだった。


「ライア……!!」


 突如、名を称呼する叫び声。その声色には、何かを警告するような焦燥が含まれていた。ライアは、今この状況において眼前の魔物から注意を逸らした事を悔やむ。


「──ッ!!」


 時、既に遅し。


 巨大な尻尾が鞭の如くしなり、華奢な体躯を凄まじい速さで打ち付けた。自身の腹部に沈みゆく分厚い尻尾の映像が細切れに映る。衝撃をまともに受けたライアは地に何度も衝突し広場中央の高台へと衝突。立ち込める瓦礫と砂煙がその威力を言わずと物語った。

 

 尚も怒り狂う白き大蛇、君臨せし(まやか)しの神。


 大蛇はその瓦礫ごと喰らわんと、鋭利な牙の生え揃う大きな口を裂けるほどに開けて、獲物がいるであろう箇所に顔面を埋めた。


「そう簡単にはいかないわ?」


 だが、またしても甲高い金属音。鼓膜を劈く調べが、ライアの意識をはっきりと覚醒させる。大蛇の正面からの衝突はたった一本の刀で止められた。深い海を連想させる蒼い瞳が、大口を開ける大蛇を映して鋭さを増す。


「あまり調子に乗らないで」


 同時に、辺りの気温が何かに感化されるようにして急激に下がり始める。虚空を揺蕩う凍て刺す魔力。知能を持つ白き大蛇はそこで初めて理解する、自身の敵う相手では無かったと。


「さようなら、神の使いと祀り上げられた愚かな大蛇」


 その理解は、あまりにも遅過ぎた。


 水平に振り抜かれた刀は受け止めていた大蛇の牙を軽々とへし折り、顔面の上半分を容易く斬り裂いた。まさに一刀両断、血飛沫すら赦されず。斬り口は軽快な音を立てて凍結し、大蛇は死すら気付かぬままに葬り去られた。

 

「殺意を向ける相手を間違えたわね」


 先程までは大蛇であった肉塊が、雨に濡れた地に吸い込まれるようにして堕ちた。倒れる際に水溜まりを弾いた音が木霊する。同時に訪れる静寂の中、雨音だけが律動的に響いた。


「結局は自己満足ね、私は馬鹿よ」


 虚空を仰ぎながら振られた刀が、刀身にこびり付いた血を全て飛ばした。


「ライア、貴女その力……」


 駆け寄ったセリカは目を見開く。静かに頬を伝う涙。声すらあげず泣くライアは、意識の中で過去へと至っていた。


「……今度は救えたわね」


 セリカは雨のせいで気付かぬ振りをし、何も追求せず、そんな彼女の手を引いて人目のつかない小屋へと連れ込んだ。

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