芽生えの憎悪
吐き気を催すほどの生臭い血の匂いと、口の中を支配する鉄の味。自身も浅からぬ傷を負い 、左目に眼帯をした少女は口腔に流れ込む液体をゴクリと飲み込んだ。
そんな少女の目の前で、大人の女性が力無く横たわる。美しかったであろう艶やかな黒髪は乱れ、血で濡れる顔に纏わり付いていた。
「どうして……!!」
辛うじて命の灯火を繋ぎ止めている女性の手を取る少女。握られた手には既に力が篭っておらず、ただ少女のなすがままだった。そんな二人を逃すまいと、辺りを囲う灼熱の業火が迫る。
崩壊、死してなお時を刻む街。
城下町であっただろう周囲にかつての面影は無く、ただ熱に溶け崩れて終わりを待つだけの状態だった。
朽ちた栄華。堅牢な建物や古い民家が崩れる度に、風に巻き上げられた火の粉が宙を舞う。炎とはこんなにも熱く、こんなにも身を焦がすものなのかと、少女は心の底から恐怖心を抱いた。
「お母さん……どうして私を助けたの……」
熱で乾き切った唇が、嗚咽の為に小刻みに動く。
「貴女の事が大好きだからよ」
親子で同じ色をした、深い海を連想させる蒼い瞳同士がかち合う。吐血してもう長くない事を悟る女性は、少女の手を強く握り返した。
「ライア、貴方は強く生きなさい。きっと認めてくれる仲間が見つかるから」
訥々と紡がれる言の葉が、女性の身体を蝕む傷跡の深さを代弁する。
「そんなの無理だよ……ねえ、死なないでよ……」
淀んでしまった瞳から涙を流し、両手で女性の手を包み込むライアと呼ばれた少女。握り慣れたその手に、少女は多大な感情を抱く。自身を守り抜いて来てくれた手、導いてくれた手、誰よりも力強かったその手が、今や力無く垂れ下がろうとしている。
失いたくない、彼女の率直な想いだった。
「貴女を護る事が出来て私は幸せだった。私の元に生まれてきてくれて……ありがとう」
儚く弱々しい笑顔は、ライアの心を強く締め付ける。
そして。糸が切れたように繋ぎ止められていた灯火は消えた。慟哭の末、残酷にも時間は平等に流れる。
「街を焼き払ったのは誰、私の幸せを奪ったのは誰。いいえ、そんなの誰でもいい。私が一人残らず……」
──殺す。
それはまるで壊れた機械人形のよう。感情という部品だけが抜け落ちたように、延々と虚空だけが仰がれる。
同時に、まだ幼き少女の心に、後の世を変える大きな憎しみを生んだ。