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先週みつけた美しい二つの光景

 家と会社の往復ばかりでも、一週間を振り返るとストックしたくなる場面が出てくるときもある。次の月曜日になれば流されるようなそんな小さなスナップを書き留めてみました。

 ないものねだりなのか、一途な若い男の子の顔って、琴線に触れるんだよねぇ

 花冷えで縮んだ最中(さなか)、美しい景色に二つ出逢った。

 ひとつは通勤途上の朝のこと。4月の部署異動で片道40キロメートルの遠距離をこなすようになった。海岸線や山道をくねくね通っての1時間コースである。新緑の山並みや夏の群青を思わせる波の照り返しに目を洗うのも始めの3日までで、あとは往復2時間を分刻みする新たなルート探しよりほか前に進めるものはないと思っていた。

 それは往路の後半、海岸線から山を縦断する低い峠を超えたあたり、ジグザグになった農道を走り始めた時のことだ。農道には珍しく信号機が設置されている。手押し信号が黄色に点滅してきて、歩行者用の信号機の下には大小20人の小学生の一団が青に変わるのを待っていた。わたしは、黄色を確認した手前からゆっくりブレーキを踏んだ。

 先頭の、ランドセルが似合わなくなった小顔で長身の女の子が小走りで先に渡り、向こう岸に黄色い旗でガードレールをつくった。静止画像になった彼女の顔は大人びていて、その落ち着いたうりざね顔を順々に下におろしていくと七頭身に少しあまりが出た。渡り始めた年下の子たちは彼女の()の旗から外れることなく順々に並んでわたっていく。真ん中には黄色い帽子の1年生が3人抱えられ、皆んなその子たちの歩幅に合わせて歩いて行く。その間、女の子に頭一つ思春期を越された男の子が半ズボン履いた疾り(はしり)で何度も何度も足りないガードレールを補うように横断歩道を往復し、下級生の渡しを促す。

 手押し信号の青色の時間は、道路の間尺に合わせているだけで子供たちの間尺には合わせてはいない。車道の信号が青色に変わって2秒後に、やっと全員が渡り終えた。全員を送り終え、元々の最後尾に戻った男の子が深々と礼をしている。腹に力をいれた本物のお辞儀だった。途中からわたしは、七頭身を超えるモデルのように美しい女の子でも黄色いお花畑のような可愛い一年生でもなく、半ズボン(ばし)りの男の子だけに視線を送っていたのだ。それなのに、テレビの謝罪会見か高校野球の開会式でしか見たことのないお辞儀を急にされ、こちらが何も用意してなかった礼を尽くされれて、慌てた。「何か返さねば」と、バックミラーに後続車が写っている中でわたしがやれたのは、車同士の合図に使う片手をあげた挙手だけだった。

 朝日の照り返しで見えるかどうか怪しいまま、わたしは車を走らせる。バックミラーには同じような朝の通勤車だけが映り、20人の子供たちの誰も映らなくなった。周りはまだ水の入らない田んぼばかりで建物の欠片も見えてこない。どれだけ遠くにある学校へ彼らは通うのだろうか。それを思って、深々とお辞儀した男の子の顔を思い浮かべようとしたら目元が熱く震えてきそうで、わたしはフロントガラスの先だけを見るようにして車を走らせた。


 ふたつめは、雨の土曜日。下の子が東京に帰り、空いた部屋に妻のめいが泊まりにきた。学校が古くて狭い寮生活なので、息抜きにわたしの作った外食を食べに週末泊まりに来る。今週は、パルメジャーノ

レッジャーノとデジョンのマスタードを使った割としっかり目のシーザードレッシングを朝につくったおいたから、ランチは肩ロースと春キャベツのトマト煮でパスタをメインに残った春キャベツでシーザーサラダを添えたものを出し、夜は肩ロースの脂身で塩漬けしたマダラを焼いてアボカドと漬けにしたキハダマグロをシーザードレッシングに絡めるまでの下準備は終わっているので、あとはウイスキーハイボールが美味しく飲めるように近場の温泉にでも入って身体を整えるだけとなる。

 いそいそ出かける準備をしていたら、「わたしもついていく」と声が掛かる。以前に行きつけの岩盤浴に誘ったらホイホイ素直についてきたので、同じ(てい)らしい。若いのに「かたまった肩のコリが取れるのよね」なんて、ウキウキしながら小さなバックに女の子らしいものをいろいろ詰めている。今度も、おじちゃんと一緒に入るとこって聞くから、今度は男女別々裸になって入るところだからおじちゃんとは別々で、「同性の他人が一緒」って答えた。

 車で20分。新しい通勤ルートと幹線道路が重なっているからかいつもより早く近くに感じた。まだ4月だから枯れ枝にしか見えないが、このあたり一帯ワイナリーなんだっていうと、オーストラリアに短期留学したのを鼻にかけて「バロッサ・バレーみたい」なんて、遠くを見つめてる目でほんの少しうっとりしてみせたりする。雨の日の遠足も、土曜の昼下がりにワイナリーに併設されたレストランやスパをこんな若い女の子と一緒に廻るのだから、どうしたって小粋でオシャレな雰囲気がプラスされ小鼻の両枠がくすぐったくなる。

「がっこうからもそう遠くないんだし、沙也加も彼氏できたらデートに使ったら。ここは付き合い始めたカップルがデートするのにぴったりだから」

 雨が降ってなければ、スパの入ってる建物の反対が白を基調のつるバラに囲まれていて、芝生広場を挟んだ向かいには結婚式場を兼ねたチャペルがある。女湯も同じつくりなら、屋外の浴場までのアプローチに5月にはマーガレット、6月にはアヤメが一斉に立ち上がるように咲く。うりざね顔の若い綺麗な横顔を覗きながらそんな話を準備していたら、雨の降りしきるなか両手でジェラート二つ持った男の子が目の前を通り過ぎた。

「おじちゃん、あの子、きっと初デートだよね。付き合い長いカップルだったら、こんな雨の日に駐車場突っ切ってまでジェラート買いなんか行かないもの」

 男の子は小柄で少し骨ばった、おしゃれとは縁遠い雰囲気だった。東京へ戻った下の子と少し重なった。車窓からとはいえ四つの目で凝視されているのに、そんなことに気づく余裕のないところが、先の夢ばかり見て周囲の現実にはひとつも目を届けようとしないあいつと繋がった。一刻も早く溶かさず落とさずジェラートを彼女の待っている車に送り届けようと、それだけを見つめている顔だった。

 ベージュ色のジャンパーの背中に数十の雨粒が斑となって染みている。それを見送りながら、車の中の彼女が彼の顔を見つけたらジェラートよりも先に彼のずぶ濡れの頭をふいてあげることを願わずにはいられなかった。

「ちょっといいよね、あの子」

 さやか、おまえも少し見えないもの見る目が出来てきたじゃない。


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