閑話ー狼視点 ~前編~
満月の夜。虫の音と葉の擦れる音だけが響く森に、ぽっかりと開いた場所。
そこで俺はうっかり月を見上げてしまった。
雲一つない夜空に静かに存在するそれは、意思とは関係なく俺の血を滾らせる。必死にそれを宥めようとするが、ドクンドクンと強くなっていくそれに逆らうことは出来なかった。
近くでは護衛兼従者のベレットが何事か言っているが、彼が何と言っているのか全く聞き取れない。
「くっ、あっ……」
限界だ。
もう全身が熱くなっている。
変わるのを止められない。
一瞬体が光ったあと、俺の目線はベレットの腰辺りまで低くなっていた。全身は白く艶やかな毛に覆われ、両手は身体を支えるために地面についている。
さっきまで着ていたはずの服は、無惨な姿で俺の周りに飛び散っていた。
「あーあ、だから止めるべきだと言ったのに……」
完全に白い狼へと姿が変わり、やっとベレットの声が聞こえてくるようになった。
どうやら俺に呆れているらしい。
右手で顔を押さえ、溜め息を吐いている。
「おい、もう聞こえているぞ」
「ああ、これは失礼致しました。つい本音が」
ベレットは全く悪びれた様子もなく言った。
その時。
――アォオーーン。
――アオーーン。
どこからか複数の狼らしき遠吠えが聞こえてきた。声音からして、縄張りに入ってくるなとかそういった意味合いのものだろう。
「殿下、もしやこれはいつもの……?」
「ああ、まずい。ここはあの遠吠えの狼たちのテリトリー内だったようだ。俺はここから離れる。テリーゼの町で会おう」
「え? あ、ちょっと殿下!!」
ベレットの了承を聞き届けずに走り出す。
もたもたしていられない。早くしなければ狼たちに見つかってしまう。
人狼は、その異質さ故なのか本物の狼たちから嫌われている。自分達の仲間のような姿なのに、人のような臭いと不気味な空気を纏っているからだ。
だから、そんな存在は排除しようとしてくる。見つかればひとたまりもない。
俺は走った。全速力で走った。
だがそんな努力虚しく、一匹の狼と出くわしてしまう。そして、その狼は俺を認識するや否や、並走しつつ仲間の狼を呼ぶために吠えた。
――アオーーン。
どこからか返事のような遠吠えが聞こえ、それを皮切りに次々と仲間の狼が姿を現し出す。
ざっと見ただけでも二十頭は超えそうだ。
これは本当に失敗だったかもしれない。ベレットの忠告を聞いておくべきだった。
そんな風な考えが過ったが、今はひたすら足を動かす他ない。
俺は必死に走った。