第三話
ベルーシュカ村には、遥か昔からの言い伝えがある。
『森巫女を人狼と出会わせてはならない。神秘の森と森巫女に災いをもたらすだろう』と。
実際、何代かの森巫女は人狼と出会ったことにより、命を落としたり不幸になったりしているのだそうだ。森もそれに引きずられるようにして荒れたと聞く。
「どうしよう? まさか、出会ってしまうなんて……」
「リリア、まだこの狼は起きていない。お前はばば様のところへ行って、お知恵を借りて来るんだ。俺はこの狼に泉の水を掛けてから行く」
「わ、分かった」
リリアは狼の腕を慎重に下ろすと、ばば様の家へ向かってすぐに駆け出した。
ばば様とは、今年七十歳を迎える老齢の賢女で、前任の森巫女だ。リリアは彼女から森巫女としての仕事を教え込まれており、師としてとても慕っていた。
二年ほど学んだ後は、本当に困ったとき以外は頼らないことにしていたのだが……今回はどうしようもない。事情を話せば、あの厳しい師でも協力してくれることだろう。
――ドンドンドンッ。
「ばば様っ! ばば様、起きていらっしゃいますか!?」
――ドンドンドンッ。
「ばば様――」
「あーもう、なんだいなんだい騒がしいねえ。そろそろ寝る時間だっていうのにまったく……わたしゃ、お前をそんな風に育てた覚えはないよ!」
そうやって、迷惑そうにドアを開けたばば様は、どうやら言葉通り寝る前だったようだ。いつもひっつめている白髪は下ろされていて、クリーム色をしたリネン生地の寝巻きの上に黒いガウンを羽織っていた。
彼女はリリアの様子を見るなり眉根を寄せる。
「も、申し訳ありません。焦ってしまって……」
「ちょっと待ってな」
ばば様はそう言って中へ戻っていくと、すぐに手巾を片手にリリアの元へと戻った。そして、その手巾でリリアの顔を拭う。
「頬に血なんて付けて……一体、何があったんだい?」
ばば様の手にある手巾を見ると、土と血が少しついていた。己の掌を見れば、同じく土と血がついている。
どうやら手で頬を触った為に付着してしまったようだ。
「それが……」
リリアはかいつまんで事の次第を話した。
ばば様は話が進むにつれ、表情を険しくしていく。
「本当に起きていなかったんだね?」
リリアの話を全て聞き終えると、ばば様は念を押すように訊く。
「はい。瞼は閉じたままでしたし、ピクリとも動かなかったので大丈夫だと思います」
「なら、誤魔化せるかもしれない……」
ばば様が少し考えている様子を見守っていると、父がこちらへ戻ってきた。
何やら少し慌てた様子だ。
「お父さん、どうかしたの?」
「狼が人の姿へ戻ってしまったんだ。春になったとはいえ、まだ夜は肌寒い。裸のままあそこに置いておくのは不味いから、どこかへ運ぶなり服を着せるなりしたいんだが……」
いかんせん場所がなあと、父は困ったように首の後ろを掻く。
因みに人狼は青年だったようだ。たまに女性が先祖帰りの場合もあるそうなので、その点ではまだ男性で良かったのかもしれない。
「なら、ここへお運び。誤魔化すにもちょうどいいからね」
ばば様は思案から戻ると、そう提案してくださった。そして、一人で無理ならグルトを使いなとも、言ってくださる。
「はい、ありがとうございます!」
父は礼を述べると、グルトの家へと向かっていった。
グルトはばば様の甥っ子で力が強い。きっと、すぐに二人で運んで来てくれることだろう。
「リリア、お前はその手をなんとかしたら服の調達してきな」
「はい」
「それが終わったらここへは近付かないように。いいね?」
「分かりました」
リリアは了承すると、自宅へ向かった。
そして、父の服を物色する。
父は結構大柄だから、服が小さ過ぎるということはないだろう。まあ、ぶかぶかかもしれないがないよりはいいはずだ。
次回は人狼さん視点の閑話です。
ちょっと長くなってしまったので、前後編に分けました。
2話連続で更新する予定です。
「え、何それ。別に読まなくても良いんだけど」って方は、第四話の前書きに流れを書いておこうかと思いますので、そちらをご覧ください。
では、ここまで読んでくださってありがとうございました。
次回もお楽しみください!