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前世でも毎年冬に流行したインフルエンザ。
この世界と比べても、前世のほかの国と比べても圧倒的に衛生環境の良い日本ですら毎年飽きずに流行ったのはひとえにインフルエンザはそのウイルスの型の多さから毎年、少しずつ性質を変えていることに加えて、強い感染力を持っているせいじゃないかと思う。ただでさえ飛沫感染で、咳をしようものなら1m先まで菌が飛ぶというのに、感染者は自分が感染したことを正確に知るには医療機関で検査してもらうしかないという不便さがあった。
そのせいか、毎年冬になると先生たち…とくに内科の先生達から聞かされたのは、妊娠検査薬だけでなくインフルエンザ検査薬もコンビニエンスストアや薬局で売ってくれないかなという願望だった。
一日に何十人も予約外でインフルエンザ疑いの患者さんが来院し、そのたびに看護師さんに指示をして検査して、陽性ならば処方し、解熱してから2日間は外出禁止で…とただでさえ面倒くさいのに、やれ彼氏がインフルエンザと判定されたからと熱も症状もないのに受診してみたり、以前から腰が痛い、膝が痛いと言っていたのにインフルエンザの関節痛かもしれないから調べてほしいと来院されたらいい加減キレたくなる気持ちもわからなくはない。
ただ、先生たちに愚痴られるそのたびになんで売らないんですかね?と返すのだが返ってくる答えは大抵、やはりスワブと呼ばれる長い綿棒ような検査棒を鼻の穴につっこんで鼻の奥の粘液を取ってこなければならないという検査法だからだろうという答えだった。
尿をかけるだけで簡単に検査可能な妊娠検査薬とは違い、鼻の奥にものを入れるというのはやはり一般人にはハードルが高く、それなら痰や唾でできないんですかと聞いたこともあったけれど、痰は誰でも出るというものではないし、唾では菌がうまく判定できないのではないかという予想と、開発してくれたら膨大な金が儲けられると思うけどがんばってみない?という謎の勧誘だった。
しかもこの検査のさらに不便なところは菌がある程度増殖した状態でなければ検査できないため、発熱してどんなに早くても6~8時間ほど経たなければ陽性にはならず、たとえその時、陰性だったとしても、その時点では陽性ではなかったというだけで、インフルエンザは発熱後24時間以上経ってから検査しないと陰性…つまりインフルエンザではないと言いきれないのだ。
つまり、熱が出たから、つらい。検査して。と発熱後10時間ほどしてから来た患者さんが熱にうなされながら検査して陰性だったとしても、まだインフルエンザの可能性があるから、明日また熱が下がらないようなら検査しに来てね?と結局、二度手間じゃんそれ、という残念なことになりかねないのである。
そしてこれは私は医療機関に勤めるまで知らなかったことだけれど、インフルエンザは肺炎や脳症などの合併症にでもならない限り、最悪、薬を飲まなくても治る病気なのだそうだ。
え、じゃあなんでわざわざ副作用で異常行動も指摘されている薬なんて飲むんですかという私の素朴な疑問に
『インフルエンザはウイルス感染だから普通の風邪と同じ。だから薬を飲まなくても治るけど薬を飲めばウイルスの増殖を抑えられるから早く治る。ちなみに一般的な風邪薬を飲んでも症状は多少和らぐかもしれないけど菌の増殖は抑えられないから早く治したいならインフルエンザの薬じゃなきゃ意味ないよ』
とは、一番お世話になった内科の先生の言葉である。
さらにいえばインフルエンザの薬は発病して48時間以内に飲まなければ効果が期待できないと聞いた時にはさらに面倒くさいなと思ったものである。
しかしここは魔法が使えるファンタジーな世界。
ここなら先生たちが欲していた誰でも簡単に検査できるキットが作れるはずである。
「というわけで、これなら検査できるはずです」
検索くんの力を借りて大量生産可能な、つまり私以外の人でも作れる方法を考えた結果、
1.長さ5㎝以上の長すぎない棒を用意します
2.鑑定スキルを効果を高める機能を持つブラックスパイダーの糸を棒の先に何重にも巻き付けます
3.出来上がった棒にクリーンをかけて消毒し、鑑定スキル保持者が糸の部分に鑑定を付与します
これで感染した可能性のある人の舌を数回ぐりぐりするだけで判定できる異世界産インフルエンザ鑑定キットの出来上がりである。
………これを日本で販売出来たら大儲けできるのになぁ
ちなみに実はインフ…じゃなくシハブキヤミについての知識を持った鑑定スキル保持者が鑑定すれば検査するまでもなく相手が感染者かどうかすぐにわかるのだが、イフェルさん曰く、それだと鑑定スキル保持者の人数が圧倒的に足りないし、なにより病気を理解するというハードルが私の想像以上に高いらしく、理解できた数人の保持者が検査キットを作ったほうが圧倒的に早いということだった。
「あとはブラックスパイダーの糸をどうやって大量に仕入れるかだな」
「冒険者ギルドももちろん協力はするけど、そんなに強い魔物ではないとはいえ、数も多いわけではないからな」
「それもあるがそもそも糸にスキルを付与なんてそう簡単にできるものはないぞ。付与スキルを得るだけでも何年かかることか…」
「養殖したらいいんじゃないですか?」
私の言葉に全員が一斉にこっちを向いた。
ヤメテ、こっちみないで
「そんなことできるのか?」
「まさかその知識を記した本ももっているんじゃないんでしょうね?」
さあ、今すぐ出しなさいと迫ってくるイフェルさんに、しまった、余計な事言ってもうた!と後悔しても後の祭りで。
「人工繁殖 ブラックスパイダーの育て方」と急いで検索するはめになった。
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(イフェル視点)
シハブキヤミは治る病気だと次の春、みんなが笑って言える日が来るかもしれない。
そう昨日までなら信じられなかったであろうそんなことを本気で思わせるほど彼女の出す紙や本に書かれた内容はどれも画期的なものだった。
シハブキヤミの特効薬に、感染したかどうかの鑑定、魔物の繁殖、そしてスキルの付与。
そんなことが本当にできるのかと思う一方で書かれたどれもが実現可能だと思わせるようなものばかりだった。……いや、正確には付与だけは別物か。
「だから、スキルを付与したいー!って強く思えばできますって」
「それでできたらだれも苦労しないよ」
「ナツちゃんの魔力があってのものなんじゃないの?」
確かに生まれ持っているギフトとは違い、スキルは後天的に得るものであるが、それでも望んだからと言って誰もが得られるものではない。
「魔力の強さは関係ないんじゃないかと思うんですよね。どちらかといえば思いの強さじゃないかと」
「思いの強さ?」
「付与したい!鑑定したい!っていう強い思いというか…気合みたいな?」
なんだそれとその場にいた全員の気持ちが一致したことだろう。ロヒシに至ってはあからさまに胡散臭いものを見る目をしており、顔に出しすぎだと後で注意しなければと思ったその時、バタン!っと扉を開ける大きな音と共にポーションを手にターリヤの家に行っていたイルザが息を切らして帰ってきた。
「ターリヤさんの子!治りました!!もう、苦しくないって…!!」
肩で息をしながら、それでも叫ぶように紡がれた言葉は泣いているようにも聞こえた。そんなイルザの言葉にギルド内で次々に歓喜の声があがる。
「本当に?」
「治ったのか……!良かった!」
「神よ…感謝いたします」
金なら何とかする!!頼む!娘を助けてくれ!!
この数日間そう何度も何度も頭を下げていたターリヤを思う。誰もが助けられるなら助けてやりたいと心から思い、けれど誰一人助ける手立てを持たずに歯痒い思いをしていた。ただそれは今回の、ターリヤのときだけじゃない。これまで何度だってそんな思いを誰もがしてきたのだ。
「イルザ」
「はい?」
もうそんな思いはしたくない。
その想いはここにいる、いやこの街の、この国の多くの者の願いで。
それを叶えることができるのならば。
「なんとしてでも付与スキルを習得しなさい」
「は?………ギルド長、嬉しすぎておかしくなりました?」
失礼な。私はいつだって本気です。