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さて、目の前に出された湯気のあがる飲み物を見て思う。
これ、一体何のお茶だと思う?
前世で30歳も過ぎたいい年をした大人だった私は、けれど信じられないくらい偏食家で好き嫌いが激しかった。コーヒーが嫌いなのは当たり前として、カフェオレでも苦く、なんなら商品によってはプリンのキャラメルすら苦く感じる私は当然緑茶もあまり好きではなく、紅茶もミルクティーなら美味しいと感じるくらいで、あとは好き好んで飲もうとはしなかった。そんな私の前にねずみのお姉さんことルルンさんが出してくれた一杯のお茶。色的には茶色いし前茶や麦茶っぽいけど……この世界のお茶の種類なんぞまだ調べていない私にはこれが一体なんなのか、おいしいと思えるような飲み物か判断できず。
「心配せずとも毒などいれていない」
「あ、いえ。それは、はい。わかってます」
いつのまにか敬語じゃなくなった美形エルフさんことイフェルさんはもともとがそういう口調なのか、それとも私のあまりの馬鹿さ加減に敬語を使う価値もないと判断したのか。とはいえ、確かにこの先故意にしろ偶然にしろ毒やこの体に良くないものを口にする可能性もあるわけで、毒耐性を創っとくかと、さくっと新たなスキルを創り、恐々お茶を一口含む。
あ、よかった。麦茶っぽい味だ。
「それで先ほどの話の続きだが、かのうやはいえんとはなんのことだ?」
「あーその質問に答える前にいくつか確認したいことがあるんですけど…低級ポーションってもしかして種類があったりするんですか?」
冷静になって考えてみれば、私のポーションに対する…というか、ファンタジー的認識でいえば、ポーションとはMPを回復するものと、HPや怪我や病気を治す一般的なポーションの2種類だし、それが詳しく分かればと思い、検索した。つまり何が言いたいかというと、検索ワードを「ポーション 種類 階級」で検索したのだ。そこに低級・中級・上級・特上級とあり、さにらMP回復に特化したポーションもあるというのを目にして、てっきり大きく分けて2種類だと思い、その先の低級や中級にそれぞれ張られたリンク先まで見てはいなかった。それがたぶん今回の勘違いの原因で。
「そもそも、低級ポーションと一口に言ってもいくつか作り方があることは?」
「スキルを使用するか、光魔法で作るかということですか?」
「それもあるが、そもそもスキルで作るものは使用する薬草などの種類によっても効果や効能に差が出る。君は冒険者ギルドでカッコンやタイソウを買取ってもらったと思うが、あれらで作れるのが熱が出た時などに一番飲むことの多いポーションだ。それとは別に怪我をした際によく飲まれるポーションもある。大体この2つが今この国の市場で最もよく取引されているポーションだ。ところで君が作ったこのポーションはスキルではなく光魔法によるものだな?」
「あー……えーっとですね」
敬語とともに眉間のしわもどこかへ行ってしまったらしいイフェルさんの言葉は落ち着いたものだったが、森でいろいろステータスを隠して弄った私には痛い質問で。
「責めているわけではない。君のその見た目だ。隠そうとする理由はなんとなく察する。ただ隠したのにわざわざこのポーションを売りに出したのはなぜだ?」
「それは…」
ただのうっかりです。
といえるはずもなく。言葉に詰まる私に、けれどイフェルさんは怒ることはなく。
「君も知っている通り、魔法で作るポーションは術者の知識に依存する。どれほど強い魔力を有していてもそれがどのような怪我や病で、どうすれば治せるかという知識がなければポーションは作れない」
「!?」
「このポーションを鑑定したとき、多くの怪我や病に効くと出た。つまりそれは君がそれだけ多くの知識をもっているということだ。違うか?」
いやいやいや、検索さんそんなこと言ってませんでしたやん!と内心叫んだ私に、聞かれてねえからなと誰かの声がする。いや、私の脳内つっこみだけども。
確かに病院の中で知識レベルは底辺と言われる事務方でも、元医療機関に勤めていた者として多少は病気のことを知っているかもしれない。ただそれはあくまで先生たちの暇つぶしという名の話相手ついでに色々聞いていたぐらいのレベルで、そんな知識と呼べるほどのものではない。けれど、もしそれがこの世界の一般的な知識をも超えるものだとしたら。
「ちょっと」
「?」
「ちょっとだけ、お時間いただけますか」
本当はスマホはなるべく人前では使うまいと思っていた。明らかにこの世界にはないものだし、ただでさえこの世界の基準をもってしても変わっているであろう私がさらに奇異の目を向けられかねないものはなるべく隠すつもりだった。けれど、これは誰かの命にかかわりかねない問題で。
私の作ったポーションが原因で助かるはずだった命が助からないとか、そんなことにだけはなってほしくない。
とりあえずスマホを取り出す前にまず目の前の低級ポーションを鑑定する。……というか、そもそもなんで完成しなかったときにしとかないんだ私。
低級ポーション
製作者 八月朔日なつ
一口飲めば手術の必要ない怪我や病気であれば治すことが可能。HPを60%まで回復。
結果、思わず頭を抱えた。
ちなみに下のほうにレシピとあり、どうやらスキルでも作成できるようで一瞬喜んだもののクリックして書いてあったラインナップに再び沈んだ。
…レッドドラゴンの涙とかどうやって手にすんだよ、このファンタジー!
続いて中級ポーションを鑑定したけど大きな違いは手術しなければ治らないような病気や怪我を治せること。スーパードクターいらずですね。こんちきしょう。あとHPは80%まで回復。さすがにこの場で上級と特上級を出すわけにはいかないからこれ以上鑑定できないので、ここでスマホを出して検索。なになに?上級クラスで身体欠損や非手術適応な末期癌までも治癒可、特上級で瀕死状態でも完治?あとHPは特上にもなると全回復したうえ20%増量するらしい。お菓子か。
ついでに先ほど私のポーションを持っていくように指示されていたターリヤさんって人のお子さんの件も検索しておく。と、どうやらお子さんは麻疹…つまり、はしかで、すでに肺炎を合併。死亡予定時間まであと2時間39分…がゆっくりと画面が変わり、状態:良好になる。どうやら間に合ったらしい。
ほんと、調べたことについてはちゃんと答えてくれるんだなこの検索くん。
さて、あとは前回見逃した低級ポーションをとりあえずクリックして、ちゃんと現在この世界で作り方が確認されているポーションの種類を調べる。
……え、抗菌作用すらない?上級ポーションですらごくわずかな菌にしか効果なし?細菌感染でほぼアウトとかどんだけだよこの世界!
ようやく先ほどからのイフェルさんたちの反応の意味を理解する。
確かに私のポーションはどう考えても異常だ。こんなものを売り出せばこのポーションを手に入れるために争いが起きかねないし、なにより下手したら私の命も危ない。そんなのは絶対にごめんである。健康で長生き。これ、お金儲けの次に大事なことだから。
「イフェルさんたちの伝手で、連絡を取れそうな薬師さんや光魔法を使える人たちはどれくらいいますか?」
「は?」
「?」
「…………そうだな、大体7、8人ってところだ」
ようやくスマホから顔を上げた私の言葉に、当然全員が怪訝そうな顔をしたが、一番早く答えてくれたのはロヒシさんだった。
それくらいの人数ならいけるか?
実は森で検索くんアプリに一つ新しい機能を創りつけておいたものがある。それが印刷機能で。
調べた内容をこの世界の人たちが理解できるような文字と内容に翻訳し印刷できるその機能は、いずれ偏食家な私が腕のいい料理スキル保持者と出会った際に、日本のものを作ってもらうためにと創っておいた機能だ。ただし実はこれ、印刷に1枚10円かかるという微妙な制約があるのだ。
しかし背に腹は代えられないし、必要経費だと、とりあえずいくつかのポーションの作り方と、知識が増え診断ができるよう、主にこの世界で考えられる毒や流行りそうな感染症の書かれた部分を印刷する。げ、この時点で5000円超えてるんだけど。そして厚さが辞典並み…。これを7、8人分は高い…と戸惑ったところで、ふとコピースキルを創ればいいんじゃんと気づく。やったね!これで量産できるよ!
「これをその人たちに渡してもらうことはできますか?」
「これは………!」
先ほど一般的な低級ポーションを調べて思った。この世界のポーションはこと病気においていえばほぼ総合感冒薬と変わらない。つまりウイルス感染の症状を弱めることはできても感染そのものを治す機能はないし、細菌感染に至っては効果すらない。体力のある大人が風邪をひいたならこれを飲めば多少よくなるだろうが、小さな子供や体力のない老人では効果が今一つで、そのまま放置すれば肺炎などの合併症もありえるだろう。
「先ほど聞かれた化膿や肺炎について、おそらくこれを読まれたほうがずっとわかりやすいと思います。それと知識といわれましたが、正直私は専門知識などないただのちょっと光魔法が使えるだけの幼女です」
中身はおばさんだけど
「ちょっと……?」
「これに書かれたことはたぶん私の知識を優に超えています。だからここに書かれた意味を聞かれてもたぶん詳しく説明はできないと思います。でも、これを読んでもらえば少なくても光魔法を使る人たちのポーションは格段に質が上がるはずです」
「これがあればシハブキヤミも治せると……?」
「シハブキヤミ?」
え?それはちょっと知らない子ですね
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(ロヒシ視点)
この少女は一体これまでどれほどの闇を見てきたのだろうかと何やら小さな四角いものを見つめているホヅミさんを見ながら思う。
先ほどルルンが出した普通のお茶に見せた反応。
普通の子供ならまず考えない毒入りという可能性を真っ先に考えてお茶をまっすぐ見つめていたのは鑑定していたためだろう。それをわかっていながらこちらに敵意はないと伝えたイフェルに、わかっていますと答えつつも音にならないほど小さな声でホヅミさんが何かつぶやいたのが分かった。…たぶん解毒スキルも持っているのだろう。鑑定してなお信じられず、解毒までしなければ飲めないほど信用されていないことを嘆く気持ちがないわけではない。けれど決してそれに怒りを感じないのはこれまでホヅミさんが見てきた世界を想像するだけでそれが仕方ないと思えるからだ。
冒険者ギルドから今に至るまで一度も変わることのない表情。
鑑定水晶すら欺くことができる魔力量。
そして規格外のポーションを生み出す知識。
そのいずれも並大抵の者では得られないもので、それをこの年齢で…いやもしかしたら年齢や姿すら好きに変え、いくらでも偽れるであろうホヅミさんは、もはや何歳なのかすらわからない。7歳よりずっと幼い可能性もあれば、もしかすればここにいる誰よりも長い時を生きている可能性もあるのだ。
そんな彼女がようやく顔をあげ、アイテムバッグの中から取り出したのは分厚い本だった。
「これに書かれたことはたぶん私の知識を優に超えています。だからここに書かれた意味を聞かれてもたぶん詳しく説明はできないと思います。でも、これを読んでもらえば少なくても光魔法を使る人たちのポーションは格段に質が上がるはずです」
それは術師だけじゃない、たぶんこの世界の誰もが喉から手が出るほど欲しいものだろう。
「これがあればシハブキヤミも治せると……?」
「シハブキヤミ?」
イフェルの問いにはっとした全員の視線がホヅミさんに集まる。
シハブキヤミ。
毎年寒くなりはじめるころに流行りだす病はいつもこの街にも大きな爪痕を残す、死に至る病で。
おととしの冬、亡くなられたおばあさんの遺体に触ることすら許されず泣き崩れていた二チカの姿は今でも忘れることができなかった。
「これだ。この通りに作ることができればこのシハブキヤミは治るのか?」
「ん?………ああ、インフルエンザか」
ホヅミさんが出した本の上に重ねられていた数枚の紙。どうやらポーションの作り方が書かれているらしいその中の一つがシハブキヤミに効くと書かれていた。
「あー……どうやらこれを飲んでも副作用は出ないようですし、これなら治ると思います。ただインフ…じゃなかった、シハブキヤミは飛沫感染なので、感染者はマスクをしてもらうなりして感染を広げないように対策した方がいいですよ。あとはまあ感染してない人が飲む薬でもないので、感染してるかどうかちゃんと判定してから飲んだほうがいいでしょうね」
「ひまつ……?マスク?」
「判定とは?まさかシハブキヤミに感染したか鑑定できるのか?」
またホヅミさんの口から出た新た言葉に、呆然とする俺たちとは違い、いい加減多少のことでは動じなくなったイフェルが詰め寄ると、やはりホヅミさんは表情一つ変えず。
「しょ、少々おまちください」
そういってまた小さい四角い何かに視線を落としたのだった。