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結局、多めに用意しておいた分もすべてみんなのお腹の中におさまり、片付けをかって出てくれた子達に片づけをお願いして、食卓に浄化魔法をかけたあと取り出したのは昨日用意しておいた勉強道具一式だった。
それを私の手伝いをかって出てくれた年少組の子たちにそれぞれの席においてもらうように頼み、配り終えたところで、片づけを終えたらしい子供たちがムギさんたちと一緒に戻ってきた。
「終わったよー!」
「ん?これなぁに?」
「俺の席にも置いてある!」
「片付けありがとうございました。皆の席にそれぞれ勉強道具を置いたので、とりあえず座ってもらえますか?」
「え!?これもらっていいの!?」
「みんなで一つじゃないんだ!?」
「これって……」
勉強道具と聞いて目を輝かせて嬉しそうに自分の席に着く子供たちに、前世の日本ならなかなか見られない光景だなと思いながら見守っていた私は、向かいの席で驚き目を見開いているキヌアくんに首を傾げた。
「どうかしました?」
「これ、僕の名前だよね?」
「え?」
「どれどれ!?」
予想通りある程度文字を知っていたらしいキヌア君の文字表は彼が触れた瞬間、辞書へと姿を変えていて、てっきりそのことに驚いたのかと思いきや、どうやら驚きの原因は別にあるらしい。
「誰のかわかりやすいように名前を書いておいたんですが…違いました?」
「え、いや!あってるんだけど……」
「え、じゃここに書いてあるのは僕の名前?」
「これ、わたしのなまえなの?」
「ぼく、こんななまえなんだ!」
綴りが間違っている可能性を全く考えていなかったため、キヌアくんに失礼なことをしてしまっただろうかと焦った私に対して、子供たちから上がったのは意外な歓声で。
「一体どういう…」
「ギルドカードをもらった時、初めて自分の名前が表示されてるのを見て、すごく嬉しかったけど、これはそのときよりさらに嬉しいよ…。まさか自分の名前が書かれたものがもらえるなんて」
「………?」
「ナツちゃん、この国では自分の名前がどう書くのかギルドに登録したときに初めて知る子が少なくないんです」
「え…」
孤児院という環境だからこそ、1人に1つ物がもらえるなんてあまりないことで、だからこそ喜んでくれたのだろうかと思った私の予想に対して事実はさらに上を行く展開だった。
まさか自分の名前も見たことがないなんて、そんな可能性思い浮かびもしなかったのだ。
「これほんとうにもらっていいの!?」
「わたしのなまえ……すごい、うれしい!」
「ぼく、じぶんのなまえかけるようになりたい!」
「私も!」
「ぼくも!」
頑張って勉強してねって渡して喜んで貰えるだけでも前世の感覚で言えば特殊なことなのに、まさか名前1つでこれほど喜んでもらえるなんて思ってもみなくて。
胸が温かくなるような、でも鼻の奥がすこしツンとするような痛みを、私はなんと表現したらいいのだろう。
「お、驚くにはまだ早いですよ!今から使い方を説明しますから、みんなこっちに一旦集まってもらっていいですか?」
「「「「「「はーい」」」」」」
表情筋が死んでてよかったと、心から思った私は、きっと前世なら目を潤ませて少し赤い鼻を啜っていただろう。
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(ムギ視点)
昨日、彼女が子供たちに文字を覚えてもらいたいと言い出した時、驚いた反面、心のどこかでそんな無茶なと思った。
この国の識字率は低く、大人ですら生活に必要な最低限な文字しか読めない者がほとんどのなか、子供たちに教えるなんてそんな時間と手間をわざわざ割けるのは貴族くらいなもので、アタシ自身も子供たちに教えてあげたいと思ったことは正直一度もなかった。
というより、アタシほどの知識では教えてあげられないというのもその原因の一つで、自分でもどうやって覚えたかと言われれば冒険者時代に張り出された依頼書などを読むため何度も見かける文字をギルド職員から教わりながらどうにか読み方を頭に叩き込んだくらいで、書けるかと言われれば、正直自信がなかった。
だから教えるなんて思い浮かびもせず、昨日彼女が口にしたときは市までのたった短い数日で何ができるのだろうと、正直、思った。けれど。
「まずこちらの表から説明しますね。これが初期段階のものです。この文字を押してもらうと、……このように音が鳴ります」
「え!?」
「なにいまの!?」
「すごい!こんな魔法初めて見た!!」
「これはあくまで私の持論ですが、文字を覚えるのは音で聴くことと書くことが重要だと思ってます。そこで、自分が普段何気なく話している言葉がどんな文字でできているのか、まず文字の種類を覚えるまでこうやって音で聞いて、こっちにあるノート……開くと薄い線の書かれた白い紙があるので、そこに書いて覚えてください」
初めて見る白い滑らかで綺麗な紙に薄く書かれた線。
そこに彼女が不思議な木の棒を押し当ててすらすらと動かすと、そこには文字がいくつも書かれていた。
「えぇ!?いまどうやったの!?」
「白い紙に木の棒を押し当てただけだよね!?」
「こ、これまさかペンなの?」
「え!?でもインクつけてないよ?」
「これは鉛筆といってインクの必要ないペンなんです。そしてこの消しゴムという白いのを使ってもらうと………こうして間違えたときは消すことができます」
「「「「「!?」」」」
「すごい!こんなの初めて見た!」
「これ、本当にもらっていいの?」
「はい。鉛筆や消しゴムは使うだけ減ってしまうものなので、なくなればまた用意しますが、大事に使ってもらえると嬉しいです」
無邪気に喜ぶ小さな子供たちとは違い、私や年長組やルルンなどは見たことのない魔法具に驚きすぎて声すらでなかった。
「ある程度文字を覚えれば今度はこれが文字表からこういったカードタイプの辞書に自動で変化します。
これの使い方ですが、調べたい言葉をこれに話かけてもらって、例えば………『オーク』と言えばこういう風に自動で検索して、オークの情報を表示してくれます」
「わっ!なにこれ!」
「なにこいつ、きもちわるい………」
「え、オークってこんなかおしてるの?」
「そう!これすごいそっくり!!なにこれ?」
「これは絵といって、そのものの特徴をわかりやすくなるようにできるだけ忠実に描かれています。これが気持ち悪くて耐えられない場合は『イラスト変換』と言ってもらえると、多少和らぐかと……」
「うわ、オークがかわいくなった!」
「なにこれ!?オークがにっこりしてる!!」
「こんなかわいいオークみたことない!」
「現実とはちょっと違うので、覚えるためにはあまりおすすめしませんが、覚えてしまった後でどうしても気持ち悪いのは耐えられないという子はこの機能を使ってください。ちなみに戻すときは『戻れ』と一言声をかけてもらえば戻ります。あと、この辞書は文字と絵のほかにこうやってオークについて説明した文も少しですが載っていますので、その読み方が分からないときはこうして文字を押してもらえば……こういう風に音で再生することも可能です。あ、あと言い忘れましたが、この音は押した本人と押した本人が聞かせたいと思った相手にしか聞こえないようになっていますので、自分の出した音が他の子の邪魔するなんてことはないので安心してください」
驚きすぎて何から驚けばいいのか、そもそも声すら出ないアタシ達とは違い、すごいすごいと喜ぶ幼い子たちの純粋さが羨ましくて仕方なかった。
これ、どれだけの魔法と技術が込められてるの!?
そもそもたとえこれを完成させられる魔力があったとしてもこれだけの知識を有している彼女が一体何者なのよ?
こんなすごい技術、子供たちに、それも全員分をたった一晩で用意したなんて、一体どういうこと!?
次から次へと湧き出る疑問に呆然と立ち尽くしていた私の裾をちょんちょんと軽く引っ張られた感覚があり、はっと我に返ってその手を見ればそれは子供たち…ではなくルルンの手だった。
「ムギさん、これ欲しい」
「ルルン?」
「私もこれが、欲しい」
年長組の1人の子の名前が書かれた辞書なるそれを握りしめたルルンの勢いに、こんなルルンを初めて見たという驚きが逆にアタシを冷静にした。
「ルルン、落ち着きなさい」
「これ、見て。絵の精巧さもすごいけど、この説明文。短く的確にまとめてあって、わかりやすい」
普段のんびりしているとはいえ、ギルド職員であるルルンは私より読める文字が多く、辞書の持ち主でないルルンには触れて音を出すことはできなくても読むことはできたのだろう。
「素材の絵とかもよく特徴をとらえて書いてあるし、これがあれば依頼書の説明も簡単にできる」
確かに冒険者ギルドや商業ギルドの依頼書はすべて文字だけのため、この辞書があれば説明は格段にしやすくなるだろう。
「これ、持って帰らないとイフェルさんに絶対怒られる」
「持って帰っても怒られる気はするけど…まあでも確かに欲しいわよね」
こんなすごいもの欲しがらないものがいないわけがなく、とはいえ、こんな物まで簡単に用意できるのかと頭を抱えるであろう聡明な商業ギルド長の姿が簡単に脳裏に浮かんで、あの子、また眉間のしわが増えるんじゃないかしらと余計なことまで考えてしまったのは現実逃避に他ならない。
大人どころか、貴族や王族すらいくら払ってでも欲しいと思えるようなこれをぽんぽんと子供たちに渡す彼女に唖然とするしかなかった。
「失くしたときは自動で手元に戻ってくるように魔法をかけてあるので、探しても見つからないときは戻ってこいって強く念じてください。そしたらちゃんとそれぞれの名前が書かれた物が手元に帰ってくるはずです。これは辞書だけでなく鉛筆や消しゴム、そしてこちらのドリルにも同じ魔法が施してあります。それで、次にこのドリルの使い方だけど…」
純粋な年少の子たち以外が呆然と説明を聞くだけの中、彼女の説明はまだまだ続いた。




