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事務とはいえ本来私は医療機関に勤めるべきではない考えの持ち主だった。
死が身近にある病院で、月にいくつも失われていく命に、心動かされることはほとんどなく、つい先日まで元気に外来に通院し、そのたびに憎まれ口をたたいていく患者さんが突然亡くなっても驚きこそすれ、憎まれっ子世に憚るなんていうわりにあっさり逝ったななんて思う人間だし、糖尿病が悪化した所為で状態が悪いからと入院するよう説得する医師に、いつ死んでもいいから入院は嫌だと、散々好き放題食べて糖尿病を悪化させたくせに、この上食べたいものを食べられなくなるという理由だけで駄々をこねる80歳を優に越えたおじいさんにだったら今すぐ家に帰って二度と病院に来るなと思う程度には人の命を軽視していた。
ちなみにいつ死んでもいいという患者さんに限ってその直後、腰が痛いから湿布を出せだの喉が痛いから風邪薬が欲しいだの宣うのだ。日本の医療制度ってちょっと甘すぎると思うんだよね。
人一倍愛してくれた祖母が亡くなった時も、口数は少ないもののめいいっぱい愛情を示してくれた祖父が亡くなった時も、涙ひとつ流れなかったし、最低なことに通夜でお坊さん3人が経をハモりだしたところで睡魔に負け、気を失った私は自分でも自覚のある相当のクズだ。
それくらい命に対して無情で、命の価値は平等じゃないと思っている私でも、さすがに小さな子供が苦しんでいれば可哀そうだと思うし、助けられるなら助けたいと思うもので。
「チコ、今日はスープを作ったの。一口だけでも食べましょう」
重湯をキヌアくんに持ってもらい食堂に戻った私が病気の人用の食事も作ったのでと声をかけただけで案内された部屋には10台ほどのベッドとそれぞれに横たわる子供たちがいた。
その中の1人で一番やせ細り、自力では起き上がれないほど弱った子供が噂のチコリーちゃんだった。
そんなチコリーちゃんにやさしく声をかけ重湯をスプーンで掬い差し出すムギさんにもし食べれなければ大至急ポーション点滴にしなければと見守っていたのだが、どうやら杞憂ですんだらしい。チコリーちゃんがゆっくりと嚥下した瞬間、変化は劇的だった。
「………シスター?」
「チコッ!あなた声がっ!!」
重湯を口にする前にチコリーちゃんを鑑定したところ、結果は重症肺炎・脱水症・栄養失調という低級ポーションで治る病気だった。だから中級ポーションで作った重湯なら治るだろうと思ってはいたが、さすが体力80%回復は伊達じゃないらしい。
さきほどまで骨川筋子さんだったチコリーちゃんが、長期間寝たきりの間に失われたであろう筋力をも一瞬で取り戻し、失って久しかった子供らしい艶々とした髪や肌に自分でも驚いたのだろう。
自分の劇的な変化に驚き、体を支えてくれていたムギさんに状況説明を求めた小さな声は、ムギさんの涙声にかき消された。
「チコッ…!!チコ!!」
「いたいよ、シスター」
たくましい腕に抱かれ苦しそうにしながらもそれでも嬉しそうなチコリーちゃんの声によかったと安堵したのは私だけではないようで。
すとんっと崩れ落ちるように隣でしゃがみこんだキヌアくんや、気になってまたこっそり扉の陰からのぞいていたキビを含む子供たちの大歓声がみんながどれだけチコリーちゃんたちを気にかけていたのかを示していた。
「キヌア、みんなにもスープを。手伝って」
「うん!」
「私も手伝うよ、シスター」
「ありがとう、チコ。でも今日は大丈夫だから、明日からまた手伝って」
「僕もてつだう!」
「わたしも!」
「ぼくも!ねえ、いいでしょ!シスター」
涙声で鼻をすすりながらそれでも他の子たちにもと明るい声を出すムギさんに指名されたキヌアくんが急いで立ち上がり重湯をそれぞれの皿へと盛って手伝いをかって出た子たちに渡していく。そうして病気や怪我で臥せていた子達のそれぞれの口に運ばれた重湯は無事、効果を発揮したようで。
明るい賑やかな声がいくつも上がる様子を部屋の端で見守りながら、よかったよかったと安堵していたのだが。
「ナツさん」
背後からかけられた低い声に、あ。と思う。
そうだ、イルザさんがいたことをすっかり忘れていた。
「あれがどういうものなのか、もちろん説明してくれますよね?」
イエスorハイしか許されない声音に私はまたうっかりやらかしたことを自覚したのだった。
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(ムギ視点)
いつかきっと、この病気も治るって言える日が来るのかな?
そう青白い顔で力なく笑った今は亡き親友の顔を今でも鮮明に覚えている。
俺が必ずみんなを助けてみせるから!絶対治せる薬を手に入れてくるから!
そういって街を旅立っていった愛しい子供たちの訃報を聞いて泣き崩れた日を忘れたことはない。
こんな老いぼればかり生きて、子供らを助けてやれぬなど……本当にすまぬ
街一番の薬師であるばば様が冷たくなった子供の手を優しく擦りながら小さな背中を丸めて呟いた言葉がずっと耳に残っている。
だれかが悪いわけじゃなくて、誰も悪くないからこそやり場のない怒りや後悔に押しつぶされそうになったことは何度もあった。どんなに願っても、どんなに祈っても神様は助けてはくれないし、救世主は現れない。結局どんなに力を尽くしたところで誰も、助けられない。そんなことを考えそうになる自分を必死に抑えつけていた。けれど。
「ナツさん、あれがどういうものなのか、もちろん説明してくれますよね?」
「………も、黙秘します」
突然現れた小さな子供が奇跡を起こしてくれた。
「やだなぁ、ナツさん。なんでちょっと怯えてるんですか?私怒ってませんよ?」
「ハハ、デスヨネー」
もう2度と聞けないと思っていたチコの元気な声。
ここ数日は起き上がることはおろか、話すことすらできなったチコの笑い声を聞いたのはいつが最後だっただろう。もちろんチコだけじゃなく、早かれ遅かれ力尽きたであろう子供たちの元気な姿も、もう2度と見ることはできないと心のどこかで覚悟していたものだった。
「おねえちゃん」
「ん?なにキビくん」
イルザによって壁際に追いやられていた彼女の裾を引いたのは喜ぶ子供たちの輪からいつの間にか抜けていたキビだった。
「ありがとう、おねえちゃん」
「え?」
「みんなをたすけてくれて、ありがとう」
キビはどちらかといえばここの子供たちのなかでも一際おっとりとした子で、口数も多くなく、いつも世話をしてくれる兄や姉のような子供たちの後ろを手を引かれてゆっくり歩くようなそんな子供だった。
ああ、そうだ。朝が特に弱くて、いつまでもちゃんと起きれずふらふらしているキビの手をほんのひと月前までいつも優しく引いていたのは、チコだった。
「ぼく、なんでもするから。みんなをなおしてくれたぶん、なんでもする。だからまたあしたも、あのしろいスープつくってくれる?それをのんだらチコたちもっとげんきになる?」
キビの声は決して大きくはない。
それでもその声は急に静かになった部屋によく響いた。
ああ、そうだ。アタシは一体なにをやってるんだろう。
「あのね、キビくん」
「ホヅミさん」
キビになにか言いかけたホヅミさんの言葉をさえぎって深く深く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「え」
アタシはこの孤児院唯一の大人で。子供たちを守り慈しみ、そして勝手に子供たちの親代わりのつもりでいたのに、喜んでばかりいて、助けてくれた人にお礼のひとつも告げ忘れるなんて、本当に情けない大人だ。
「あ、ありがとうございました」
「ありがとうごじゃいます!」
「ありがとぉー」
「ありがとうました!」
「ありがちょごじゃます」
アタシの言葉に戸惑うホヅミさんに、はっとしたようにキヌアがアタシと同じように頭を下げたのを皮切りに子供たちから一斉に感謝の言葉が上がった。
「ちょ、ちょっとやめてください、みんな!ムギさんも、頭を上げてください!!そんな大したことしてないですから、私!」
「ナツさんの基準は全くあてにはならないですけどね」
「イルザさんはちょっとだまっててもらっていいですか!?もう、キビくんも!そんな簡単に何でもするなんていうもんじゃありません!私が変態だったらどうするの!?」
「へんたいって?」
「うぐっ!ちょ、ちょっとイルザさん!ここの子たちこんな可愛くて大丈夫なんですか!?攫われますよ!?」
「ムギさんもいるし、街のみんなもいるので大丈夫です。むしろナツさんが大丈夫ですか?」
「辛辣!さっきまでの優しさはどこにいったの!?イルザさん!!」
2人のやり取りに次々に笑い出す子供たちの声を聴きながら、アタシはぐしゃぐしゃになった顔を隠すため、まだ下げたままの頭を上げられそうにはなかった。




