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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第四章
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 駆けつけた警察官たちは皆言葉を失った。一人の銃を持った男が五人の子供を殺害し現場は血の海だった。殺人の容疑で逮捕されたのは島崎秀幸。子供たちを銃殺した後自ら通報した。パトカーに乗せられた島崎は自らの勤務地である警察署に送られた。そこで本庁の刑事たちに取り調べを受け、基本的には素直に話していたが犯人については。『ぞわぞわさんがやった』の一点張りだった。


 拘置所に身柄を移された島崎は一人で静かに過ごしていたが、夜になり眠ろうとすると決まって加奈が現れた。島崎は嬉しくてどんどん加奈に話し掛けた。これまでの親子の時間を埋めるかのように。加奈も笑顔で島崎の話を聞いているようだった。だが刑務官に注意され謝った後また加奈の方を向くと、いつも加奈はいなくなっていた。また明日会えるのが楽しみだ。そう思いながら島崎は眠りにつく。


 今日は朝から刑務官に面会室に連れてこられていた。驚いたことに待っていたのは本田だった。島崎が逮捕されたと連絡を受けて病院を抜け出してきたようだ。本田は島崎に対し取り調べをする時のような鋭い視線を向けた。昔は鋭い目付きを作るのが苦手だったのに、今ではなかなか様になっている。だがその目の奥には深い悲しみを感じる。そういう非情になりきれないところが本田の魅力だろう。島崎はそう思っていた。「すみません。大変な時に」島崎は椅子に座るなり深々と頭を下げた。「いやいやいやいいんだ父さん。俺が来たかっただけだから」さっきまでの鋭い目付きは消えいつもの本田に戻る。「しかしまぁこうやって父さんと話せるのも今回が最後かもしれないなぁ」のっけから別れの挨拶かと思ったが島崎には理由がわかっている。「警部補に降格の上島の駐在所に出向になった。おっと勘違いしないでくれよ。俺にとっては嬉しいことなんだ。課長なんて気が重いだけの仕事だよ。胃潰瘍にまでされちまって。都会の喧騒を離れて島に行けるのも悪くない。まぁ松井の奴は懲戒免職になったがね。指揮官はあいつだったからな」本田は笑顔でそう語った。清々しい言い方だったが島崎には悲しく見えた。それから本田は捜査本部が事実上の解散になったことを伝えた。時効が存在しないので名義上の捜査は続行されるが、本庁の刑事たちは本庁に戻り、所轄の刑事たちも通常業務に戻るそうだ。捜査が行き詰まっていたし、指揮官もクビ。何より捜査官の一人が殺人を犯したのだからその判断も無理ないだろう。他にも本田は胃が痛い話や島崎との思い出話等をしていたが、一番島崎の興味を引いた話は入江正が自殺したという話だった。警察の調べによると入江は自らが勤める病院の一室で自らに注射器で毒を注入して死んだらしい。体内から発見された毒はニコチンだったという。入江らしい最期だと島崎には思えた。これが彼なりの息子への愛情なのだろう。これで子供たち五人の犯行を知るのは島崎と小松直子だけということになるが、小松直子は島崎の言ったことを完全に否定していた。内心は簡単に読み解けたが、あの様子なら蔵和田想和子について、ぞわぞわさんについて、息子が犯したであろう殺人についての真実を墓まで持っていくことだろう。そうなれば実質島崎だけが真相を知る唯一の存在ということになる。島崎は考えていた。五人の子供がやったことを世間に公表するべきか。公表すれば信じてもらえるかどうかはともかく、少なくとも被害者遺族に真相が伝わる。事件の捜査をしてきた島崎にとってそれは一つのけじめに思えた。真相を知って救われる人もいるかもしれない。公表することは義務かもしれないとさえ思えてならなかった。


「じゃあ父さん。俺はもう行くよ」そう言って本田は立ち上がった。まるで一日の仕事を終えたときの様な軽い雰囲気だ。最後まで島崎に悲しみを悟らせまいという配慮なのだろう。「なぁ本田」だが島崎は徐に口を開いた。すると背を向けていた本田がもう一度島崎の方に向き直って。「なんですか島崎さん」課長と部下ではなく先輩と後輩。二人の空間だけが過去に戻っているかのようだった。「俺は人殺しか」島崎は刑事の目とはまた違った真剣な目をしている。本田もそれは悟っただろう。だが本田は島崎に刑事特有の鋭い視線を向けると。「ええ。あなたは人殺しです。でも島崎さんは本物の刑事です」そう言って本田は敬礼をした。本物の刑事。そんないいもんじゃない。でもお前が後輩でよかった。お前の部下になれて光栄だった。島崎はそう思った。


 部屋に戻った島崎は子供たちが死んでいった瞬間を思い出していた。最初は薄井陸。死んでしまうその瞬間まで泣きながら人のせいにしていた。事実憐れであったとは思う。次が斉藤光貴。五人の中で最も抵抗が強く、最後まで罵声を浴びせてきたが所詮は悪ガキといったところ。その次に入江大地。島崎が掴みかかると、自分は将来両親のような医者になって多くの命を救うと言って命乞いをしてきた。ならお前は何故人を殺した。それに父親のことを顧みなかったお前に両親のような医者になると言う資格はない。次は小林琳人。友達が殺されていく中恐怖で動くことができなかった。その恐怖はお前が殺した人も感じていただろう。またお前の母親がいじめていた蔵和田想和子も同じ恐怖を感じていたかもしれない。ぞわぞわさんの情報を流布したのもお前だ。母親の罪を背負う必要はないが犠牲にはなってもらう。そして最後は細川匠音。最後にするのは危険かもしれないとも思ったが、何の抵抗もしてこないだろうという気持ちが強かった。匠音にとってこの結果こそが望んでいた結果なのだろう。匠音が許せなかったのは自らを無視した大人たち。だから子供だけで犯行を行い大人たちを騙した。大人たちはぞわぞわさんを怖がり匠音を無視できなくなった。そして島崎が現れた。真の意味で自分を無視しない存在。自分の悪事を止める存在として島崎を選んだ。“ぞわぞわさん。見つけてね“とはそういうことだった。島崎を歩道橋から突き落としたのは、自らの姿を島崎に晒すことによって廃ビルを想起させるためだったのだ。もちろん島崎があの場で死んでしまう可能性はあった。だがもしそうなったとしても匠音の計画はそこで終わっていただろう。そうなっていたらどうなっていたのか。今となってはもうわからない。だが匠音は島崎に撃たれる間際。『ぞわぞわさん。いたでしょう?』と満足そうな笑顔で聞いてきた。そして島崎も。『ああ、いたよ』そう肯定した。大人が子供相手に行う根拠の無い肯定とは違う。島崎が正しいと思ったことを正しいと認めただけだ。知り合って別れるまでの時間は短かった。それでもこれまで生きてきた中で最も心が通じた存在だった。もしも来世があるとして同い年の子供同士で会うことができれば、友達になることもできるかもしれない。いや、やはりそれは無いな。例え何度やり直せたとしても、どんな境遇であったとしても自分と匠音はこういう関係だろう。死ぬか死なないか、あるいは死ぬ方が逆になるだけだ。お互いがお互いの最大の理解者でありながら、決して交わることのない道を進む。それでいい。それがいい。だから島崎は五人の罪を世間に公表することはしない。四人の被害者はぞわぞわさんに殺された。五人の子供たちを殺したのもぞわぞわさん。それで間違いないのだ。


 そろそろ見回りの刑務官が交代する時間だ。島崎の唯一の心残りは江美子のことだった。彼女には何もメッセージを残していない。もちろんこうなることは全く予想しなかったわけではない。だが江美子なら全ての顛末を察してくれると思っていた。それは恐らく間違いない。問題は島崎自身がなにか残したいと思ったことだ。こうなってしまった今、もう江美子に会うつもりはない。手紙を書くつもりもない。島崎は少し考えた後、徐に自らの腕に噛み付いた。不思議だが痛くない。それなりに血が出た。これなら十分だろう。島崎は壁に文字を書いていった。『ぞわぞわさんがくる』江美子ならこれでわかってくれる。「ありがとう江美子」島崎はそう呟くとTシャツを独房の扉のノブに結びつけた。後悔はない。Tシャツを首にまきつけ島崎は体重をかけた。両親、警察署の仲間たち、本田、生嶋。色んな人たちとの思い出が島崎の頭に浮かんでくる。だが一番多くそして輝いていた思い出は江美子と加奈の三人で過ごした思い出だ。酷い夫で父親だったが、こんな時ぐらいはいい思い出だったと振り返っても許してくれるよな。そう思っていると島崎の手が温かい手に包まれる。目の前にいたのは加奈だった。やはり迎えに来てくれた。そうして島崎は事切れるのだった。


 こうして後にぞわぞわさん事件と呼ばれる連続殺人事件は幕を閉じたのだった。

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