07 最後の攻略対象サマ、ヴェロール
コンコン、と軽快なノックの音が響く。
「姫様、昼食をお持ちしました」
そう言うと私は姫様の部屋の扉を開け、書類作業に追われている姫様に、今日の昼食を載せたワゴンを見せる。
書類をまとめ、机をざっと片付けた姫様にそれを差し出す。――これは余談だが、姫様は書類作業もできる、というよりしなければならない。王女であるからそれは当然といえば当然なのだが、ここにあるのは国レベルの書類がほとんどだ。それ故、私は軽率に姫様の部屋を掃除できないし、当然机を掃除することもできない。姫様の許可があれば部屋の掃除はするが、いくら許可があろうと机の上は掃除できない。怖いじゃん!
「あら、ありがとう」
そう言って微笑んだ姫様のそれは、キラッキラ輝く眩しいオーラを纏っていた。いや本当に。
「いただきます」
姫様が食事を始めた。
――否、始めようとした瞬間、来客があった。コンコン、と軽快なノックの音が聞こえたのだ。
「……如何致しましょう、姫様」
今は昼食の時間だ。邪魔されたくはないだろう。
そう思っていたが、姫様は違った。
「いいわ、通しなさい」
仕事熱心な姫様は、昼食時であろうと仕事をするつもりらしい。
姫様に言われるまま、扉を開けて来客を確認する。
そこにいたのは――
「ヴェロール、さま……」
最後の攻略対象サマ、ヴェロール。
彼について少し話をしよう。
ヴェロールは神官長という地位についていて、それなりに偉い人だ。……いや、この国においては王族の次に偉いと言ってもいいかもしれない。財務長官とか色々な役職はあるが、この国は宗教が結構普及しているので、神官長という立場はそれなりに高い。
冬を思わせる白銀色の長髪は軽く結ってあり、美しいアメジストの瞳はメガネで隠されている。
そして、なにを隠そう、私の一番推しだったキャラなのだ。――そして、アイリスのバッドエンドがそれなりに悲惨なキャラでもあった。
「少々姫様と話したいことがございまして……よろしいでしょうか?」
否という選択肢を最初から与えないという雰囲気を醸し出す彼の笑顔。私はこの笑顔に惚れた。私はこれを密かに『ブリザードスマイル』と呼んでいる。
……いや待て、惚れちゃダメだろ。今は仮にもアイリスなんだ。
それに、私が惚れたところでそれが実る可能性はないに等しく、そしてそもそも姫様のために恋を実らせる気はないのだ。
「えぇ、いいわ。入りなさい」
「失礼します」
彼は入ってくるなり書類の束を机にのせ、「今度の祭りの企画書を提出しに参りました」と言った。
この世界には、いくつかの祭りがある。
彼が務める宮廷教会――すなわち、宮廷が抱えている教会で、宗派らしい宗派はない教会だ。神官長であるヴェロールが神の声を聞く力を持っているので、神の言葉を人々に伝えるための場と言った方がいいだろう――は、祭りの企画運営を担当しているのだ。
そして直近のイベントは恐らく、『花祭り』だ。
異性に花を贈り合うという、大変ロマンティックな祭りだ。
しかも、渡す花の種類で相手に想いを伝えられるのだ。まずここが、攻略対象との関係性が分かるポイントだ。
ゲームなら選択肢があるが、現実ならば選択肢は無限大なのだ。少し……いや、かなり楽しみだ。
「花祭り、ねぇ……昨年も好評だったわね。それなら否とは言わないわよ。わたし自身も楽しめましたし」
姫様がそう言えば、彼はニッコリと笑って「ありがとうございます」と返した。――どこか狂気じみた何かを感じるのは私だけだろうか。
「では、要件はそれだけです。食事の邪魔をしてしまって大変申し訳ない。失礼します」
「えぇ。……アイリス、送ってあげて」
「……はい」
正直気は乗らない。一番の推しと隣に並んで歩くとか無理だろ。
――違う、そういうことではない、『わたくし』に関する問題があるのだ。それは私が監獄生活を送ることになるかもしれないという――
「ありがとうございます、アイリスさん」
「……行きましょう」
仕方がない、と割り切って私は歩き出した。
「して、アイリスさん。姫様のお加減はいかがですか?」
皆様お忘れだろうが、虚弱体質だ。いや、虚弱というほどではないが、他者より体が弱い。だから一応この場では虚弱体質と呼ばせていただく。
この際だから、姫様の虚弱体質について説明しておこう。
姫様は、『頑張りすぎると目眩などで倒れてしまう』という体質を持っている。
それ故、姫様は過去に何度か倒れた。そのうちの1回が、ドドリーと料理を勉強していた時だ。
姫様は勉強熱心がゆえ、頑張りすぎてしまったのだ。そして、倒れた。
その時に姫様を救ったのが、当時15歳くらいであったクロールだ。
彼は最年少で宮廷薬剤師になった。そして、姫様を救ったという功績があったため、彼は王宮はおろか、庶民たちにまで名が轟いた。
まぁ、彼の話はさておき。
「えぇ、大丈夫です。なにせ私が見守ってますから」
「貴女の場合は見守るではなくストーカーと言った方が適切な気が……おっと失礼、口に出ていましたか」
コイツ……!反論の余地がないではないか!
だがしかし、彼には弱みもあるのだ、私は知っている!
「それを言うなら貴方もでしょう、姫様ファンクラブ会員番号2番、ヴェローナさん?」
そう、彼は私と同じ姫様ファンなのだ。
この王宮には『姫様ファンクラブ』なるものがある。特に姫様に、あるいは姫様と何かをする訳では無いが、姫様ファンの同志たちと月1で秘密の茶会を開くのだ。
もちろんこれは非公式で、秘密のファンクラブだ。
しかも彼は、本名で登録するのは気が引けたらしく、わざわざヴェロールという名前からヴァローナという女性名にしたくらいだ。それほどまでに姫様ファンクラブに入りたかったか。姫様愛が末恐ろしい。
ちなみに私は、姫様ファンクラブ会員番号1番だ。
「それを公衆の面前で言ったら……分かりますよね?」
「さぁ?私には分かりません」
ニコニコと言ってやれば「このアマ……!」と悔しそうに歯ぎしりをした。ざまあみろ!
それから私はヴェロールを教会まで送り――その途中、「良いんですかー、ここで大きい声であのことを言っちゃってもいいんですよー?」「ぶっ殺……っ、ゴホッ、分かっていますよね、アイリスさん?」とふたりの大声が城に響き渡っていた――私は姫様の元に舞い戻った。
もちろん、先までの会話のことは黙っておいた。