35 好きか嫌いかと問われれば
ヴェロールにお姫様抱っこされたまま連れていかれたのは、舞踏会会場から少し離れた小部屋。
疲れた令嬢や紳士のための休憩室――とは名ばかりの、要は恋人の逢瀬のために用意された部屋だ。
とさり、と柔らかなベッドの上に降ろされた。
(……ん?なんかおかしくないか?ベッドの上?)
そして近づく、ヴェロールの笑顔。覆い被さるようにして彼は距離を縮めてきた。
(えっ、あの、何をなさっているのでしょうかヴェロール様……?)
にっこにこしたまま近づく彼の顔。
私はどうすれば良いのでしょうか?
「……はぁ、少しは抵抗してくださいよ」
「うぇっ?」
「勘違い、してしまいますよ」
少し寂しげに笑い、軽く私にデコピンすると、彼は私から離れていった。
(はー……良かった。本当ビックリした……)
急に距離を縮められるものだから、反応が遅れてしまった。本来ならぶん殴っていた距離だぞ、アレ。……アイリスの本能として、ね?
「で?一体何がどうなっているんです?」
「……あ、えっと」
かくかくしかじか、かくかくしかじか。
「……なるほど、つまり姫様を毒殺しようとした犯人がアステアの第二王子であるクラウディオ様で、犯人が分かったからソイツを殺そうとしたが失敗、どころか同じ得物を使うと分かり親近感が湧いてしまい、仲を深める結果になってしまった、と」
「り、理解が早くて助かります」
「それで、メイド兼護衛対象の第三王子は婚約者と無事結婚したと。おめでたいことですね」
「え、えぇ、そうですわね」
「ここまでは分かりました。で、貴女はいつ帰ってくるつもりなのですか?」
「……え?」
「まさか、帰るつもりは無いなんて言いませんよね?」
わぁ、すっごく怖い笑顔!どんな強面なお兄さんでも裸足で逃げ出しちゃうね!……なんて現実逃避がしたくなるくらいには怖いんです、はい。
「か、帰りたい気持ちは山々なのですが」
「えぇ」
「……姫様とか、他にも色々な人に」
「えぇ」
「不必要だと、異分子だと、言われてしまう気がして」
「……ほぅ?」
「アステアの第三王子の護衛やメイドをしたわたくしは、リエールにしてみたら異分子で、要らない子で、帰ってこない方がいい存在で……っ!?」
いつの間に近づいたのだろうか、私がそう言っている間に、また覆い被さった彼によって口を塞がれた。
さっきよりも長く、荒く。
……ヤバい、恥ずかしすぎてヴェロールの顔が直視できない。
「……誰がそんなことを言いましたか。それとも、アステアの誰かに何かを言われたのですか」
「い、言われて、ません……」
「わたくしの目を見て言ってください」
横を向いた私の顎を掴み――はせず、そっと撫でて頬、瞼、そして髪と、彼の手は少しずつ上がっていった。大切なものに触れるように、そっと撫でられた。
(そんなこと言われても無理!恥ずかしいから顔見れないっつってんじゃん!……あ、言ってはないか)
「アイリス?」
(あぁぁぁ……なんで今、このタイミングで呼び捨てにするの……!益々顔見れない!)
「……少しいじめすぎてしまいましたかね。すみません、久々にふたりっきりになれたものですから」
そう言って彼は柔らかく私の髪を撫でる。……さっきからずっと撫でてるよね、気に入ったのかな、アイリスの髪。
「…………誰にも何も、言われてません。ただ、わたくしが思っただけです。もうわたくしは捨てられるのかな、と」
「そんなことはしません。姫様も、私めも」
その強い言葉に、私は思わず彼の方を見る。
強い意志を秘めた紫色の双眸にバッチリ射抜かれてしまい、私の心臓がズキューンと撃ち抜かれた。……ではなく。
「姫様は貴女の帰りを今か今かと待ちわびています。料理人たちも、クロールも、ルーナも……そして、私めも」
「……っ、」
「皆が貴女の帰りを待っています。だから、やることが終わったなら早く帰ってきなさい……アイリス」
そう言われた瞬間、私の頬に一筋の涙が流れた。
「……本当、に?」
「えぇ」
「本当にみんな、私の帰りを待ってる?」
「はい」
「要らない子だって、思ってない?」
「思っていませんよ」
「……帰り、たい」
「えぇ」
「私、姫様のところに……ヴェロールのところに、帰りたい……!」
「よく言えました」
見たことがないくらいに柔らかく温かく、優しい笑みを浮かべたヴェロールは私を再び抱き抱え――もちろんというか何というか、お姫様抱っこだ――部屋を出た。
そしてあろうことか、そのまま舞踏会の会場に戻った。
「アステアの第二王子であらせられるクラウディオ・アステア殿。そして第三王子であらせられるクラジオ・アステア殿」
私たちの登場で静まり返った会場に、ヴェロールの凛とした声が響く。
「アイリスは我ら、リエールの人間。そろそろ返してもらいたいのですが、よろしいでしょうか」
ヴェロールがそう言った途端、クラジオとクラウ、そしてすっかり参加者として馴染んでいたルーノとノリアが声を上げて笑いだした。
「いいも何も、僕としてはずっとお迎え……というか君を待ってたんだけどね」
「早くそんな恐ろしい者持って帰ってくれ。いつ夜這いに来て殺されるか分からん」
「えー、でもオレっちとしては帰って欲しくないなぁ。面白いもん、アイリスちゃんってさぁ」
「だがなノリア、あの兄ちゃんの顔見てみろよ。ちょっとでも嫌だって言ったら殺しそうな目だぞ」
「うわ、こわぁい。しょうがないなぁ、丁度いい玩具は返してあげるよぉ」
「ちょっとノリア、本心丸聞こえなんだけど……ぐえっ」
今までお姫様抱っこだったのに、急に俵担ぎみたいな持ち方になった。ヴェロールの肩に私のお腹が乗っている状態だ。
急に体勢が変えられたものだから、「ぐえっ」と潰されたカエルみたいな変な声が出てしまった。舞踏会の参加者からの目が痛い。泣きたい。
「皆様、快い反応をありがとうございます。では早速ですが、我々はリエールに帰らせていただきます」
そう言ってヴェロールは、私を担いだまま会場を出た。――その姿がメインヒーローそのもので、改めて惚れ直したことは黙っておこう。
――ちなみに、後ろからは
「あのアイリスちゃんが女の子みたいな表情してるよぉ」
「あの嬢ちゃんがな……」
「是非とも僕があの表情を引き出したかったんだけどね、残念」
「いや、兄上にはそれは無理だろう」
なんて声が聞こえた。今度会ったら全員ぶん殴る。
◇◆◇
城門前には馬車が止まっていた。「さ、乗ってください」と促されるまま、私は馬車に乗った。
「……アイリス」
正面に向かい合って座った瞬間、声をかけられた。……あっ、これダメなやつだ。大丈夫かなって思ってたんだけどな。
「そのドレスは一体誰から?」
思っていた質問(尋問ともいう)とは違い、拍子抜けした。
「あぁ、クラジオ様とその婚約者……じゃない、妻のアクレシア様に仕立てていただきました」
「そうなんですか。アクレシア様はともかく、クラジオ殿にはたっっっぷりお礼を差し上げませんとね」
笑顔が怖いぃぃぃ!
「……随分似合っているじゃないですか。きっとアクレシア様の見立てが良かったからでしょうね。いえ、そうに違いありません。そうでなければ私めは……ふふっ」
(笑顔が怖いって言ってんじゃん!何最後の「ふふっ」って!怖すぎるわ!)
「帰ったらすぐにいつもの服に着替えてくださいね」
「えっ、と」
「着替えてくださいますよね?」
「……はい」
ヴェロールに正面からニッコリと笑顔を向けられてしまっては、否と答えられる人はいないだろう。
「なんなら今すぐ脱がせてもいいんですよ」
「丁重にお断りしておきます」
突然そう言われるものだから、全力で顔を逸らしながら断りの言葉を告げるくらいしかできなかった。……この人こんなキャラだったっけ、と甚だ疑問ではあるが、今はそれどころではない。いや、ある意味私は今危険な状況にあるのだけれど。
「そんな遠慮なさらず。私めとしても容認しがたいのですよ、貴女が他の男の選んだ……しかもよく似合っている服を着ていることが」
ごっそりと表情が剥がれ落ちたようなそのヴェロールの顔は、まさに「無の表情」と形容するに相応しい顔だった。――いつもみたいな怖い笑みではないし、ましてや睨んできたり怒っている様子もない。
「……っ、」
「そういえば、まだ花祭りの時の返事を貰っていない気がするのは私めだけでしょうか?」
「き、気のせいではないです……わたくしはまだ返事をしておりません……」
表情を取り戻したヴェロールだが、取り戻した顔が恐ろしい笑顔ってどういうことかね。もっといい表情を取り戻して欲しかったよ私は。
それに、今まで逃げていたことを本人から指摘されてしまった。もう私は逃げられない。
「できれば今すぐにでも答えを貰いたいのですが。……私めが渡した花の花言葉、調べましたか?」
「えぇ、調べました」
「そうですか。私めも調べさせていただきました。アイリスがくれたのはシオン。そしてシオンの花言葉は、『貴方を忘れない』ですよね。……一体どういう意味が込められているのですか」
渡す時から、いつかは問い詰められるだろうと思っていた。
でも、いくら彼相手だろうと、転生云々の話をするわけにはいかない。
「色々ありまして。ですが、ヴェロール様にお伝えするようなことは何もありませんよ」
「なら何故これを私めに?」
「……ヴェロール様への言葉ではなく、これは自戒のようなものです。気にしないでください」
「そう言われると余計気になるのですが……まぁいいです。いつか聞かせてもらうことにしましょう」
ホッとしたのもつかの間、「で、私めへの返事は?」と問われ、再び緊張感が私を襲った。
「……わたくし、貴方のことは嫌いではありません。むしろ、好きか嫌いかと問われれば好きな部類です」
「えぇ」
「異性として好きかと問われれば、それも否ではありません」
「えぇ。しかし、貴女はその感情をそのまま受け入れることができない、といったところでしょうかね」
「……さすがヴェロール様、ですね。まさにその通りです」
「なるほど。……我慢がきく限りは待ちますよ。私めとしては十分待ったと思っていたのですがね。アイリスの中でまた答えが出ていないのなら、催促しても意味はありませんからね」
やれやれ、と言わんばかりの困ったようなヴェロールの笑顔。
なかなか見られないその表情に、私は釘付けになった。
(…………私の中で答えは出ているの、でも怖い。私がヴェロールの手を取ったら、姫様が不幸になってしまう気がして。姫様は私に「幸せになっていい」と言ってくださったけど、まだ怖いんだ)
「……せめて、」
「はい、なんでしょう」
「せめて、姫様がディラスと結婚式を挙げたのをこの目で確認して、姫様が幸せだと分かってから。それまでは待ってください」
「もし姫様とディラスが結婚しなかったらどうするのですか」
「ディラスに限らずとも、姫様が幸せになったと、この目で確認できたら、ですね。そうしたら、わたくしはヴェロール様にちゃんと返事ができると思います」
「……いいでしょう、それまでは返事は待ちます」
「ありがとうございます」
「返事は、待って差し上げますよ」
その強調された言葉は聞こえなかったフリをした。




