出会ったのは
「すごい人ですねぇ」
「ほんと、ここまでくると逆に感心するよなぁ」
「こら、あまりぼやっとしてると離れ離れになる。きちんと私の手を握っていろ」
「はい!姫さま!」
「なにその男前な言葉。姫さんほんと女にしとくのがもったいねぇよ。男の俺でも惚れちまうわ」
「五月蠅い。それ以上言うとあの人の波に放り込むぞ。それに誰もお前には言ってない」
「え、俺の扱いひどくね?」
多くの人で賑わう王都への道を歩みながら、セリア、キャロン、ノアの三人ではコントのような会話が飛び交っている。『歩く』といっても周りが賑わい過ぎているため、お互いがお互いを見失わないように注意しながらかつ人々の間を縫いながら進んでいると表現した方がいいのかもしれない。
「姫さんひでぇよ。最近更に俺に対する言動が横暴の一途をたどってると思うのは俺の勘違いか?」
大切な主に手を握られ、それこそ暖かな毛布に包まれた赤子のような笑顔で歩くキャロンの斜め後ろを、この世のすべての不幸の中にいるような暗いオーラを背負いつつ片手で顔を覆うノアが続く。
「ふん。なんで私がおっさんの手をとって歩かなければならんのだ。うっとおしくて敵わん」
セリアはキャロンの半ば引っ張るように二人を先導しているが、時折後ろにやる視線は絶対零度の攻撃力を有している。
「姫さま、姫さま。ノアはまだ28になったばっかりですので、おじ様というには些か語弊があるかと」
一応ノアのフォローをしようと口を開いたキャロンの言葉を、
「キャロン、そこ突っ込むとこ違うけどなー」
と先ほどまでの暗いオーラを一掃しておどけて見せるノアが笑い飛ばした。
長い付き合いの中で二人の性格を熟知しているセリアは二人のやり取りに何をいうわけでもなくそのまま進み続ける。
「きゃっ!」
穏やかな空気に包まれていた三人だったが、キャロンの小さな叫び声と急な乱入者に、誰にも分らない程度に軽く身構える。
前世の記憶を頼りに護身術を一から叩き込んでいるセリアとキャロンはもちろんのこと、そんな二人の用心棒としてある程度腕のあるノアであれば、ある程度の人数でも人物でも怯えることはない。しかし、腕のあるモノにしかわからないその構えも、すぐに解かれることになった。
「カ「カイルさま?」
セリアの言葉にかぶせるかのように、背後に立つ人物を振り返って、キャロンはそう呟いた。全身黒の衣装に包まれた彼は、何故だがひどく驚いた様子でキャロンを見下ろしていた。その手には彼女の灰色の髪が掴まれている。
先ほどのキャロンの小さな悲鳴は、急に後ろに髪の毛を引っ張られた衝撃によるものだったのだ。
何事かと顔を上げたところで、黒に包まれた精悍な顔をした青年の顔を認識し、その顔に見覚えのあるセリアとキャロンは茫然自失の状態になる。
何故なら、目の前にいる青年が、かつての姫の護衛の一人によく似ていたから―――そしてそんな彼は、姫の死後たくさんの出来事を経て、キャロンの夫となった人物でもあった。
女神姫の護衛として、そしてその常に身に着ける黒の衣装ゆえに黒の騎士と呼ばれていた彼によく似た面差しの青年―――今はジェラミー・ミネルバなのだが―――の方も、自分のとった行動が信じられず目を瞬かせては、自分の目の前に立ち表情を凍らせている灰色の髪の少女に視線を据えていた。
彼が最近眠れずにいる理由は、単純にいえば夢見が悪かったからである。このことは誰にも言う必要はないと思ったし、これからも言うつもりはない。
たとえ誰よりも近い双子の兄であってもだ。
自分がどんな夢を見たのか、どういう気持ちでいるのかも、目が覚めればすべてを忘れてしまう。ただ覚えているのは、焦燥感と愛おしさ、そうして灰色の髪。
この世界において、灰色の髪を持つ者はあまり居ない。基本混じりけのない原色のような濃い色を纏う人間が多いこの国において、灰色という薄い色彩は特殊だった。決して居ないわけではないが、その色は基本家系内の中で現れては消えていくものだ。ジェラミーは灰色の髪を持つものに会った覚えはなかったし、だからこその色が出てくる夢に魘される理由も見当たらなかった。
幼馴染のレイラに連れられて、人で溢れた街に出れば、いつも通り自分の顔に呼び寄せられた女性達と騎士という肩書に引き寄せられた男性達に囲まれた。
まるで見世物のような不躾な視線がジェラミーは好きではなかった。
にこやかに対応している双子の片割れも心の中では閉口しているはずだ。この状況を楽しんでいるのは、二人の間に挟まれてその視線から逃れられているレイラだけである。
人々に足止めをされながらゆっくり歩いていれば、視線の端を一瞬過った見慣れた色。
それが灰色だと脳が認識する前に、何故か身体が動いてしまったのだ。腕を握っていたレイラを見向きもせず振り払うと、その色に向かって手を伸ばしていた。そしてそれと同時に聞こえる小さな悲鳴と小さな身体。
その先に居たのは、見たこともない少女だった。
「あ……」
急に女性を、しかも髪の毛を掴んで呼び止めるなのど騎士に取ってあるまじき行為である。
ようやく手にすることが出来た灰色を名残惜しみながら放すと、ジェラミーはいつもの平常心を失くしていることに気づかないまま、どうにか突破口を開こうと口を開いては、適当な言葉が思いつかず口を閉じる。
そんな事を数回繰り返して、ようやくジェラミーは己を茫然と見つめ続ける目の前の少女とその後ろでこちらもまた珍しい琥珀色の瞳をこれ以上にないほど見開いて自分を見つめる少女、そして剣呑な藍色の瞳で自分から視線を逸らさない青年に声をかけた。
「私はジェラミー・ミネルバという。先ほどの非礼を許してもらいたい。その、知り合いかと思ったもので……」
しかし最後の方は、尊大は態度が通常運営のジェラミーにしてはとても珍しいほど尻込みしていた。もちろん、彼と初対面であるセリア達がそれを知るはずもないわけだが。
「ジェラミー?」
灰色の少女がそう小さく繰り返すように名を呼べは、それと同時に彼女の濃い緑色の瞳が微かに揺れた。しかしこの場に置いてそんな彼女の些細な変化に気づくことができるのは長い付き合いのセリアのみで、そんなセリアはキャロンの背後にいるため、彼女の心の声にまでは気づけなかった。
「ミネルバ……公爵家か」
ノアが確信めいた声音を発することで、セリアはようやく己を取り戻した。
あまりにも、自分の護衛に似ていたのだ。顔も、声も。しかし目の前の彼は自分達も見ても何も反応しない。
同じ魂を共有しているセリアとキャロンが出会った時は、一瞬で相手が誰なのか理解したというのに。 ということは、ジェラミーは本当にただのジェラミーで、姿形が似ているだけ、ということになる。そうなれば、彼と関わり合いになるのは得策ではない。
「その黒の衣装……。もしかしてミネルバ公爵家のかの有名な双子の弟さんということでしょうか?女神姫の護衛と名高い黒騎士の生まれ変わりという……」
隠しようもない高貴な雰囲気と態度を一瞬にして体内にしまい込むと、どこにもいる村娘の反応を想像しながら行動に移してみた。素と真逆の言動のため、中の人―――セリア本人―――は取り肌ものである。しかし人を欺くには民衆の一つとして紛れ込むのが一番得策だ。変に目立ってしまっては命取りになりかねない。
ちなみに、その内容が気に入らなかったのか、ジェラミーは最後の方で眉を潜めていた。
あまり聞きたくない表現をされたので、小さく溜息をつき訂正しようと口を開く。しかし先ほど自分に話しかけてきた琥珀色の瞳の少女が自分を通り越して更に後ろに視線を固定し、その表情を凍り付かせた。
と思えば、
「本当にすみません!用事を思い出してしまったので、ここで失礼します!二人共、行きましょう!!」
と口早に言い、頭を下げるとそのまま灰色の少女の手を掴み人ごみの中に消えてしまった。
置いてけぼりを食らった青年はその一拍の後に慌てて二人の後を追う。それは本当に一瞬の出来事だった。
こうして、忘れられない色を纏った三人は、ジェラミーの前から姿を消した。