制止
最後に部屋を出たノアの背後で、扉は重い音を立てて閉じた。
セリアが最後に紡いだ言葉は、決してはっきりと言ったわけではなかったけれど、暗に別れを示していた。それは誰が聞いても明白なこと。
しかし双子達は動けなかった。
最後に見たセリアの笑みとキャロンの眉の下がった切なげな苦笑が目に焼き付いて、扉が閉まってからも、視線はそちらに向いたまま、瞬きさえ出来ずにいた。
このままでいいはずがないというのに、誰も何も言わない。
本来なら彼らに喝を入れる役にあるはずの世話係もまた、唐突な事の終わりに着いていけずにいるようで言葉も出ないようであったし、この中で唯一平静と保っているであろう女傑は、腑抜けた青年達に呆れた様子で視線を明後日の方にむけていた。
あまりにも間抜け過ぎる部屋の様子に、初めてユリアが声を上げた。
「あのぉ」
青年達の視線がメガネと重たい前髪で顔半分を覆った女性に向く。
一見見れば不思議としか言いようのない出で立ちではあるが、彼らはすでに慣れてしまったので疑問には思わない。とりあえず、新しい音を耳が拾ったので、そちらに視線をやっただけである。
ユリアは先ほどのキャロンのように首を傾げて、問うた。それは、素朴な疑問であり、忠告でもあった。
「後ぉ、追わなくてもいいんですかぁ?………わたしがぁ、言うのもぉなんですけどぉ、多分ここ逃したらぁ、もう二度とお二人と会えなくなるとぉ、思いますよぉ」
「!!」
リュシアンが急に目が覚めたような顔で、まるで飛び上るように椅子から立ち上がる。と思えば、背後に立っていたジェラミーはすでに扉を開け放ち飛び出していった所だった。
そうしてユリアの言葉に感化された素直な双子達は、最愛の少女達を見失わないように廊下を駆けていったのであった。
残された三人はそんな彼らを笑いながら見送る。
「本当に、仕様のない子達だこと」
テレジアは自分の扇優雅に開くと、口元を覆って笑い出した。
マルセルは頭を掻きながら苦笑している。
「私としたことが、セリア殿の言葉に思わず意識を持っていかれてたみたいだ」
ユリアものほほんとした空気を崩すことなく笑みを浮かべていた。
「若いっていいですねぇ」
暢気に微笑んでいる彼女だが、実際誰よりも大変な立場に居ることを忘れてはいけない。ある程度笑いを収めたテレジアは、含み笑いをユリアに向けた。
「ユリア、あなたはどうなさるの?爵位剥奪とは、身分を平民に落とされたと同じ事ですわよ」
テレジアの黒曜石とも見紛う真っ黒な瞳を向けられながらも、ユリアはけらけらと笑って見せた。
「大丈夫ですよぉ。元々放浪している身ですものぉ。丁度師匠達がぁ、新しい研究に入ったと便りを下さいましたしぃ、しばらくはそちらにぃ、身を寄せていますわぁ」
「そう、なら良いですけれど。………こうして知り合えたのも何かの縁。何かあればワタクシ達を頼りなさい」
笑みだけを浮かべていたユリアが、ここで思わぬテレジアからの言葉に目を見張った。しかしそれも一瞬のことで、またすぐに感情を見せない笑みが浮かんだ。
「ありがたいですわぁ」
そうして三人は、少女達の元へ辿り着いたであろう双子達の行末を祈るのであった。
シュナイゼルが用意してくれていた馬車には、すでに棺が乗せられていた。何とも仕事の出来る男である。
王都からアテナイ地方までは馬車で数日ほどかかる。本来なら護衛やら付き人なので更に準備がいるのだが、乗っていくのは腕に覚えがあり、平民として自分の身の周りの世話の出来る三人のみ。
というわけで、その辺りとすべて省略した結果、セリア達はすぐにでも出発できることとなった。
残るは本人達ばかりというところで、後ろから響いた足音。
「セリアさん!!!」
「きゃ、キャロン殿っ!」
セリアとキャロンは何事かと目を瞠ってに、そしてノアは少し面倒くさがるように振り返った。
そこには、焦りの表情を浮かべつつも、全速力で走ってきた影響で、両手を膝に乗せ肩で荒く息を繰り返す青年達がいた。
「どうした」
セリアが問えば、リュシアンの力強い視線が返ってきたので、思わず息を呑んでしまう。その後に続くであろう言葉を聞きたいような、聞きたくないような、そんな気分にさせた。
「僕達も連れて行ってほしい。………君達との繋がりをこのまま終わりにしたくないんだ」
「………」
真っ直ぐな言葉にセリアは返す言葉を見つけ出せず、押し黙る。
無理を言って困らせている自覚のあるリュシアンは、眉を下げたまま彼女を見つめた。
「アテナイ地方は俺達の故郷でもある。俺達が付いていくことに、なんの支障もないはずだ」
兄を援護するように、ジェラミーも強気に出る。
二人の少女は、目線のみで会話をした。
彼らには、何度も迷惑をかけたし、利用させてもらった節もある。
その気持ちが罪悪感に代わり始めた頃、セリアはキャロンに小さく頷いて見せた。キャロンもまた、何かに同意するような仕草を見せる。
相変わらず、顔は困り顔のままではあるが。
「………いいだろう。案内役をお願いしよう」
緊張に固まっていた白と黒を纏った青年達の表情が、一瞬にして柔らいだのを、セリア達は見逃さなかった。
その素直な様子に、今度こそ堪え切れないように二人は笑みを零した。
ほとんどとすべての事情を秘密にされ、その上で言い様に利用してきた自分達にまだ心を傾けてくれているのかと思うと、それこそ無碍には出来なくなった。
何より、愛おしい人の面差しを受け継ぐ二人を、突き放すことなど到底できることではない。
今や逆転してしまった互いの立場。
平民である自分達と、貴族の中でも更に上位に居る彼らとでは、辿っていく未来はあまりにも異なる。 すぐに覚めてしまう夢ならば、これまでの罪滅ぼしも兼ねて、共に行けるところまでは行ってやろうと、そう思う。
そんな彼女達の想いを知ってか知らずか、少女達と並び立つようにして佇む護衛の青年は、とても奇妙な表情を浮かべていた。
シュナイゼルの見送りの元、セリア達三人に双子を加えた五人は、過ごし慣れたアスキウレ家に別れを告げる。
ノアは護衛も兼ねて、馬車の中ではなく御者台の上に座っている。
というわけで、馬車内に座るセリア達四人の間には、実に言葉にしずらい不思議な緊張感が漂っていた。
それもそのはず、今や彼らはお互いに素性を知る身。しかもその縁が絶妙な絡み具合を有しているだからそれも仕様のないこと。
双子達からしてみれば、キャロンは先祖に当たる存在。そしてセリアはそんな先祖達が仕えていた人物の生まれ変わり。考えてみれば、こうして向き合っていることが奇跡のそうだと思う。
―――だからだろうか、自分達が彼女達に惹かれたのは。
図らずも双子が同じことを思い浮かべた時、馬車が不自然な急停車をした。
屋敷からでてあまり時間は経っていないし、一休みするにも周りには何もない。
不思議に思って、中に座る四人が視線を外にやれば、見えたのは一台の馬車。そこに見える紋章には見覚えがあった。
それは、双子達にとっては慣れ親しんだ屋敷の家紋。それは、セリア達にとってはすべてのきっかけを作ってくれたお茶会への誘いの文に押してあった判子。
セリアは厳しい表情を崩さないまま、馬車の扉を開く。そうして、目の前に座ったまま動けずにいる双子達に視線を向け、そのまま視線を外に移した。
無言の催促である。
リュシアン達が躊躇いながら馬車の外へ飛び降りると同時に、目の前に止まったままの馬車の扉が開く。
御者の手に導かれるように下りてきたのは、金髪の長い髪が特徴的な少女だった。




