真相
「王、だと?」
シュナイゼルの言葉に疑問を覚え、セリアは眉を顰める。
目の前に居るのは、この国イリーオスの王だという。しかしならば何故、王がここに居るというのか。
するとその言葉に反応するように目の前の男性が笑った。
「!?」
その笑みを真正面から受け止めたセリアの背筋を、冷たいナニカが駆け上る。
「君を、この時を待っていたんだよ」
「違う!!あれは父上………王ではない!!」
ダニエルが扉の前で絶叫した。
白い部屋は『女神姫』を安置するトアロイ家の王宮内の唯一の私有地。部屋と云われながらながらもその中は貴族の屋敷の大広間ほどに広く、扉の前に居る王太子と棺の前にいる王の間には距離があった。
その間に居る、セリア達とも。
しかし、その表情は離れていても手に取るようにわかった。
ダニエルの必死の形相も、そんな息子の言葉を意に介さないようにただひたすらセリアを見つめてくる王の姿も。
「待っていた、私は、この瞬間を」
王であったはずの何かが言葉を紡ぐ。
「300年前からずっと」
喜びすら感じているように思える口ぶりで、己を見つめ続ける人物に、セリアはますます眉を寄せる。
この国の王と知り合ったこともなければ、言葉を交わしたこともない。
あれは、誰だ。
果たしてそんなセリアの心の声が聞こえたのか、男は傷ついた顔をした。
「姫、姫は私の事をお忘れか」
「お前は、誰だ。私はこの国の王を知らない」
まったく予想もしていなかった人物を前に、高揚していた気持ちが凪いでくるのがわかった。その気持ちのまま質問を投げかければ、男が合点がいったように目を瞬かせその視線をキャロンに移した。
「そうか、あの愚か者達は私の事を姫に知らせなかったのか。だから、だな。そうか、そうだったのか。ならば、すべて説明がつく。ははは、ならばやはり我は正しかったのだ。滅んで当然だ、あんな国」
独り言ように言葉を並べる男を前に、その場に居た全員が眉を顰めた。
ただ地面に未だ尻もちをついた状態で座っているダリアスだけが、すべてを把握しているようで、助けを呼ぶように男の名を呼んだ。
「ユージン、様」
「!!」
その名を聞き、それが人物の名だと脳が認識した瞬間、キャロンの脳裏を走馬灯のように貫いていった記憶があった。
「ユー………ジン?………ま、さか、まさか、お前はユージン・ラクへレス!!!??」
キャロンの口から、驚愕に満ちた絶叫が迸る。
極限にまで見開かれたその瞳は、ユージンと呼ばれた男に固定され、その身体は小刻みに震えはじめた。
驚き、恐れ、怒りその負の感情が、彼女の中では納まりきらず身体の外にまで溢れだしてきているようだった。
「キャロン殿!!」
扉の前に立っていたジェラミーが慌てて彼女の傍に駆け寄り、その震える肩に腕を回し寄り添った。そうして目の前の男を睨み付ける。
第二王子の護衛として、何度か王を顔を合わせたことがある彼だったが、今目の前にある表情は記憶するどの顔とも一致しなかった。それだけに、不信感だけが募る。
震えるキャロンとそれを隣で支えるジェラミーを、ユージンは一瞥した。
「ははは、懐かしい“色”だな。………エヴァ、だったか。お前まで戻っているとは。私は、姫君だけで十分だというのに」
「キャロン、誰か、わかるのか、奴が、誰か」
まったく記憶にないと思っているのは、自分の気のせいなのだろうか。
「姫さま、姫さま、あぁ、なんてこと!!」
すべての糸が繋がったであろうキャロンは、ただ一人絶叫を繰り返す。
それほど、衝撃的な何かが彼女を襲ったのだろうと手に取るようにわかった。しかし、その理由がわからない。
セリアは意を決してキャロンに近づくと、ジェラミーの腕から彼女を奪い取って両肩を揺すった。
どうしても、知らなければならない。それを説明できるのが今この場に彼女しか居ないのならば、問いただすしか方法はない。
「キャロン、キャロン。………いや、エヴァ・ミネルバ。フィアナ・アイテールとしての命だ」
そこで一度言葉を区切り、肺に目一杯の空気を注ぎ込んだ。
驚きの表情をする人々の視線が二人に突き刺さる。
それもそのはず。
『女神姫』の名は有名だったし、四公の一つミネルバ家のエヴァの名前は、『女神姫』の乳姉妹、第一侍女として今なお語り継がれているのだから。
周囲から切り離された空間の中で、セリアの琥珀の視線がキャロンの涙で揺れる緑色のそれと重なった。
今二人は、300年前の続きに居た。
用意された紅茶を飲んだ直後の眠気と共に明日を失ったフィアナ・アイテールと、眠るように息を引き取った主の亡骸を前に泣き崩れた侍女エヴァ・ミネルバとして。
『また後で迎えに行きますね』と声をかけたエヴァと、『あぁ』と答えたフィアナの二人の物語りの続きの中に。
目の前の人物によって、己の運命の幕が下ろされたというのなら、今度は自分の手で幕を上げ、そして次こそは、己の手でその幕を引くのだ。
セリアはもう一度問いかけた。
「何があったか、教えてくれ。エヴァ。………ユージン、とは、あいつは誰だ。あれが、何をした」
キャロンの震える唇がゆっくりとだか、確かな物語を紡いでいく。
「ゆ、ユージン・ラクへレス。彼は………300年前のイリーオス国王太子、そして………250年前のイリーオス国王。姫さま、姫さまは覚えておられますか。皇太子が何度となく話された見合いの話を」
話していくうちに、キャロンの震えが止まり、その口調ははっきりしていく。しかし、ジェラミーの腕は今もキャロンの肩に回っていた。そしてキャロンはそれを振り払う気がないようだ。
キャロンの問いにセリアは頷いた。
覚えているもなにも、兄と最後にした話題はその見合い話だったはずだ。
「イリーオス国の当時の王太子、ユージン・ラクへレスこそ、その何度も要請された見合いの相手。………そうして、アテナイ国を侵略した当時の王です」
「なん、だと」
キャロンの肩を掴んでいたセリアの両手が力なく落ちる。
彼女の顔から、血の気が引いた。
頭の回転の速い者であれば、キャロンの伝えた言葉の数々が一つの線となったことだろう。その最もたるが、アテナイ国元皇女、フィアナ、今世の名は、セリア・ゴビー。
ユージンはキャロンの言葉を噛み砕いて味わうように満足そうな笑みで何度も頷く。
「………我は何度もチャンスをやったのだ。あの時あの愚かな国が、大人しく姫を私に嫁がせていたなら、あのような悲劇は起きなかったであろうな」
「っ!!」
怒りで胃が煮えたぎる気分だった。
少し前、『女神姫』の前で味わったあの恐ろしい感覚が舞い戻ってくるように、セリアは感じていた。
「おま、お前が、私を………」
「仕様のないことだったのだ。我は姫が欲しかった。どうしても手に入れたかった。乱暴な真似はしたくなかったが、姫を我の手元に置くには、方法があまりなかった。それほどに当時の姫の守護は強固なものだった。だから、当時子爵家でありながら素質のあった三つの貴族に取引をしたのだ。姫を我の元に連れてくるようにとな」
それが、当時のトアロイ家、アスキウレ家、そしてクイシオン家。
テレジアとシュナイゼルが瞳を閉じて、まるで己の行いを恥じるかののように俯いた。
その心の中で呪うは、罪なき姫を殺めた当時の当主達。彼らのツケが今、子孫である自分達に襲い掛かっているのだ。その怨みは至極当然の原理といえよう。
「けれど一つ問題が起きた。我も若かったのだろう。姫の亡骸を前に、気づいたのだ。姫が死んでしまえば、その瞳を見ることは叶わないと。失望したよ、我は」
当時の悲しみを思い出したように、ユージンは苦痛に顔を歪める。
しかし今はその表情さえも、セリアには己を嘲笑うにものでしかなかった。
「永遠に、あの夢にまで見た琥珀の瞳が失われたと思った時の我の怒りと絶望がわかるか?だから我はその怒りを胸に罰を与えたのだ。我が琥珀の瞳を手に入れる機会を奪ったあの国にな」
「それ、だけのために………。それだけのために私達の祖国を、アテナイ国を滅ぼしたのか!!!」
思ってもいなかった、呆れるほど愚かしい事実に、セリアの感情が最高潮にまで達した。
琥珀の瞳に炎が宿る。
頭が怒りで沸騰し、心が熱で荒れ狂う。身体が、熱かった。まるで火の海に投げ入れられたかのように。
「姫さま!!」
キャロンの声を耳の端に聞きとめ、ようやくセリアは自分の立ち入りを把握する。『ような』ではない。彼女は今確かに、火の中に立っていた。
見上げた先に居るユージンの黒の瞳に、炎の中で立ち竦む己の姿を見た時、セリアの頭の片隅で何かが始め飛ぶ音を聞いた。
「きさまぁぁぁあ!!!」
セリアの怒号と共に、彼女を囲むように燃えたぎる炎の中から幾つもの火の玉が男に向かって飛び出していった。消え去ったはずの攻撃魔術を前に、ユージンは笑みを崩さない。
火の玉は彼の前方で何かの壁に当たったように弾かれた。
消滅することなく、弾かれただけのそれらが後方に立つテレジア達に襲い掛かった。
「しまっ!!」
まるでユージンの目の前にある壁が見えているかのように、火の玉が何かに弾かれる直前、キャロンが素早く反応した。
隣に立っていたジェラミーの腕を右手で掴み、左手でノアの洋服と床に座ったままのダリアスを回収すると、そのまま身体を勢いよく捻り、反動を使って後方へ一歩足を踏み出した。
セリアを取り囲む炎が出現した瞬間から、場の空気はこれ以上にないほどの驚愕で溢れかえっていて、誰も反応できずにいた。
目の前の光景を脳が処理しようとフル回転しているのがわかったが、それでも現実には追いつけないでいるのだ。
目の前に迫ってくるモノが火の玉だと認識した時には、それはすでに目と鼻の先にまで迫っていた。
「下がって!!」
火の玉が、直前、何かに弾かれたように消滅した。
そして唐突に目の前に現れたのは男三人を両手に引っさげた灰色の少女。
300年前という遥か昔を生きた三人の魔術師の力が、一斉に弾けた。




