黒幕
真っ黒な液体の中を漂っていたセリアの意識が、まるで誰かに陸に引き上げられたかのように一気に覚醒する。
目を開き、瞳だけで状況を確認しようと周囲を気配だけで観察した。人の気配はない。続いて頭を持ち上げ、自分の置かれている場所を確認する。
そこはどうやら応接間のようだ。
床に置き去りにされている体制のはずなのに、その肌に触れるのは柔らかな素材のカーペット。すぐ隣には、長椅子のようなものが置かれている。
―体どれくらい眠っていたかは分からない。
しかし、随分と時間が経っていたようで、意識を失う前は昼時で太陽の光をいっぱいに浴びていた外は、いつの間にか夕日の色で溢れていた。
腕は後ろで縄のようなもので縛られていたし、足もまた同じように縛られていて身動きは取れない。ただ、頭を上げれば窓の方を向いていたらしく、カーテンに遮られていない夕日が直接セリアの顔を照らし、眩しくて目を細めた。
どうやら、予想していた最悪の展開―――地下牢へ繋がれるという危機は免れたようだ。
「姫さま」
これからどうしようかと考え込もうとした刹那、長椅子の反対側から声が聞こえた。
「キャロン」
どうやらこれまた幸いにも、セリアはキャロンと同じ場所に押し込まれていたようである。
「無事か」
「はい。ですが、腕も足も縛られていて身動きが取れません」
「私もだ」
その時、セリアの足元にから扉の開く音がした。頭の先に窓があるので、その反対側には部屋への入り口があったらしい。
セリアとキャロンを示し合せたかのように同時に口を紡ぐ。
入ってきたのは、お腹の膨れた恰幅のある壮年の男性。
「おや、お気づきになられたようですね。思っていたよりも随分と早いお目覚めだ」
この当主が、どれだけ自分達の事を知っているか、探る必要がある。
というのも、ユリアのようにその纏う色から縁者と認識しているのか、もしくはテレジアやシュナイゼルのように本人であることを理解しているかによって、対応を変えなければいけないからだ。
どれもこれも、黒幕に接触するための重要な手段である。下手すれば、今までの苦労が泡になる可能性もある。
セリア達は慎重に事を進めることにした。
「わ、私達は何故、このような所に………」
「こっここはどこですか?」
怯えたように辺りを見渡すセリアと、焦ったように問いただすキャロン。お互いに正反対の態度で相手の出方を待つ。
「そう怖がらないでください。ここはトアロイ家の別邸」
「………イングラム嬢のいうように、私達を罰するため、に?」
なおも怯えた表情をするセリアに、トアロイ家当主は心底可笑しそうに笑い始めた。
「ははは、あんな小娘のいう事など真に受けることはないですよ。あれは正真正銘の箱入り娘。己を着飾り、注目の的になること以外脳のない愚かな娘だ。まぁ、だからこそ、とても扱いやすかったのですけれどね」
「の、ノアは!?わたし達の護衛はどこに!?」
キャロンが悲鳴にも似た質問を投げかける。
「あぁ、あの平民なら今頃神の許に飛びだった頃だと思いますよ。少しは健闘したようですが、私の暗殺部隊の手練れ達には敵わなかったようで」
「暗殺部隊………?と、ということは、あの夜はやはりあなたが!」
セリアが驚いたように声を上げる。トアロイ家当主、ダリアスは満足気に頷いた。
「えぇ、その通り。ただやはりミネルバ家の双子達には敵わなかったようで全員絶命してしまったようですけれどね。まぁ、今回は、その双子達も居ません。あなた方を守ってくれる人はどこにも居ないということですよ」
扉の前に立っていた彼が、一歩ずつ、部屋の中に入ってくる。
「なにが、目的、なのですか」
セリアは知らず知らずの内に厳しい視線で近づいてくる男をねめつける。
しかし一人の少女の睨みなど、数多の修羅場を潜ってきたダリアスには効かないようだ。更にその笑みを深くするだけに留まった。
身動きが取れず、顔だけを扉の方に向けていたセリアの横に片膝をつき、彼はセリアの顎に手を掛ける。
覗きこむように少女を見れば、夕日色に反射する、宝石のように輝く美しい瞳を見つけた。
「あなたの色を、欲しがっている人が居りましてね」
「私の、色?」
「えぇ。ですから、その瞳を頂戴しようと思うのですよ。それから、もう一人の彼女の色もね、記念ですから」
そう言ってダリアスが顎を掴んでいない方の手で指を鳴らす。
次の瞬間、部屋の中に幾人かの黒装束の人物が姿を現した。ある日の夜会の帰りに彼女達を襲った者達と同じ装い。
ダリアスがセリアから離れ、逆に集団の中の二人が乱暴にセリアの腕を掴み引っ張り上げた。
「い、痛い!!止めて!」
人体の法則として動かしてはいけない方向に腕が持っていかれたため、セリアの顔が苦痛に歪む。それは、長椅子を挟んが向かい側に現れたキャロンも同じだった。
ダリアスは長椅子に腰かけて優雅に足を組む。
セリアとキャロンの二人は、そのままの恰好で引きずられ、ダリアスの足元に打ち付けられた。
カーペットが敷かれた部屋のため、直接の痛みは軽減されたが、それでも乱暴な仕打ちの痛みは計り知れない。
痛みを堪えている二人の少女になんら関心を寄せることもなく、ダリアスは奇妙な笑顔で二人を見下ろしている。
「我が主は長いこと、琥珀色の瞳を待ち望んでおられた。彼がこの世に居るただ一つの理由といってもいい。だから、どうしても欲しいのですよ。そしてあなたのその灰色の髪の毛も。なにやら、復活がどうとか言っていましたけれど、正直そこまでは私にはわかりません。まぁ、知らなくても良いのですがね」
まるで独り言のようなそれを、セリア達は何も言わずに耳を傾ける。
「とまぁ、おしゃべりはそこまでにして、頂く事にしましょう。なぁに、私の部下達は優秀です。痛みもなにも感じないようにして差し上げますよ。あなた方自身に罪はない。ただ、そのあの方の欲しがっていた色を持って生まれてしまったというだけで」
仕草も言葉遣いも貴族然としていて優雅だというのに、彼自身は身体は豚のように太っていて、その表情は気味が悪いほど醜く歪んでいた。
黒の集団の一人がセリアの頭部を固定し、もう一人が彼女の正面に回る。その手に握られているのはスプーンのような暗器。丁度人の目を抉るのに丁度良い形と大きさだ。
それが、彼らの本気を表しているようで、セリアは息を詰める。
「っ!」
キャロンの方も一人の男に髪を引っ張りあげられていた。その反対側に待機する人物の手には大きな鋏。
絶対絶命と思われる状況で、乱暴に部屋の扉を開け放った人物が居た。
「姫さんっキャロンっ無事か!!」
「だ、誰だ貴様!?」
現れたのは息の上がった藍色の青年。それなりの戦場を潜ってきたのだろう。彼の服は返り血と泥で汚れている。ただ、彼自身に負傷した様子はない。
いきなり現れた第三者に、ダリアスは驚きのあまり長椅子から飛び起きる。すぐさま彼の周りを固める数人の黒装束の暗殺者達。
「な、なぜだ。この屋敷は私の部下達で固められているはず!」
「あの黒装束の奴らか?まぁ、ちょっと手間取ったが全員片づけてきたぜ」
口笛を吹くような勢いでとんでもないことを言われたのだろう。ダリアスの目は飛び出らんばかりに見開かれている。
その視線は真っ直ぐにノアに向けられていた。
彼らの注意が逸れたところで、セリアとキャロンはこの場の幕引きの時を決めた。
「随分と遅い救世主の登場だな」
「姫さま、またそんな意地悪なことを」
セリアとキャロンは縛られていた手首を摩りながら立ち上がり、ノアに労いの言葉をかけた。
といっても一人はまったく労っているようには見えず、もう片方は少し困った顔でそんな主を諌めている。
極々当たり前の風景に、ノアはひっそりと肩で息をした。
扉を開けた瞬間に見えた二人の立ち位置に、一瞬本気で肝が冷えた事は、もし知られればからかわれるだろうから絶対に言うまいと心の中で決める。
一方、ダリアスの方といえば、そんな三人を視界に納めて唖然としていた。
身動きがとれないと思っていた琥珀と灰色の少女達の自由になった姿。そんな彼女達視線が自分に向いたと思った次の瞬間、傍で聞こえる何かが倒れていく複数の音。
傍に居たはずの黒装束の人間達が、瞬き一つの間に全員床に崩れ落ちていた。
「な、な、な」
驚きのあまり、言葉が音を成さない。
部屋の中で息をする人間が自分達三人とトアロイ家当主だけなのを確認して、セリアが一歩前に進む。そうすれば、自然とダリアスの身体が一歩後方に下がる。
二三歩繰り返したところで、ダリアスの足元に何かが引っかかったのか後方に倒れ尻もちをついた。
怯えた様子の彼を意に介するするわけもなく、少女は無表情で男に近づいていく。
「ま、待て、わ、私は何も知らない!よ、寄るなぁぁぁ」
貴族の中でも位も気品も高いはずの四公の一つであるトアロイ家当主は、蓋を開けばとても人間味あふれる情けない人物だったようだ。
まさに、虎の威を借りる狐の如し。
両腕を後ろにつき、大股を開いたまま腰を抜かすという情けない姿をさらしているダリアスの前に片膝をつき、セリアは彼の胸元を掴んで引き寄せる。
彼女の声は、低く震えていた。それは、彼女の怒りと興奮からくるもの。ようやく、黒幕に会えるという思うと心が震えた。理不尽に壊された己の前世と祖国滅亡の真実がようやく明かされるのだ。
「お前に用はない。奴はどこだ。誰だ、私の色を欲している奴は」
「………」
彼女の怒りを真正面から受け止めているダリアスは早速使い物にはならない。
小さく舌打ちをして、セリアはキャロンを見た。
主の意図を明確に感じ取ったキャロンは、傍に居たノアの腕を掴みセリアの傍に歩み寄る。セリアはダリアスの胸元を強く握ったままキャロンに手を伸ばし、二人の手は繋がれた。離れはしないと無言で主張しているかのように、強く。
灰色の少女は瞳を閉じて小さく呟いた。
四人を風が取り囲み、そして彼らを襲う浮遊感。
しかし次の瞬間には、彼らはまったく別の空間に足を踏み入れていた。
綺麗に着地したのはキャロンとセリア、そして一度同じような体験したことのあるノア。
ダリアスは目を白黒させたまま何が起こったかわからないようで、座ったままキョロキョロと辺りを見渡していた。
辿り着いた場所は白い部屋。
見えたのは中央に置かれているガラスの棺。
そして迎えたのは、黒装束を纏った壮年の男性だった。突然現れた四人の人間に驚いた様子もなく、『女神姫』の前に跪いていた男性はゆっくりを身体を起こし、その顔を後方に向けた。
その顔は酷く疲れているように見えた。
「な、ぜ?」
前にばかり気を取られていたため、後ろにある部屋の扉が開いていたことに気が付かなかった。
セリア達が振り返ったそこには、見慣れた人物達が、揃いも揃ってこれ以上にないほど目を見開いて棒立ちになっていた。
事情を知るシュナイゼルとテレジアでさえも、こうして魔術を目の当たりにしたことがないのか驚愕という文字をその顔に乗せていたし、まったく事情を知らなかったリュシアンやジェラミー、マルセルやユリア、そして金髪の見たことのない青年に至っては雷に打たれたかのように表情から四肢までの動きを止めていた。
しかし彼らの驚きは、突然現れた四人だけではなく、その向こう側に佇む人物にも向けられているようでもあった。
「父、う、え」
金髪の青年が押し殺したように声を漏らした。
「王、なぜ、あなたが」
驚きに見開かれたシュナイゼルの瞳は、真っ直ぐに棺の前に立つ男に向けられていた。




