疾走
セリアの元に、ユリアからの手紙が届いたのとレイラからの招待状が、ほぼ同時に届けられた。
ユリアからの手紙には、計画が順調に進んでいる旨を伝えるものが。
そしてレイラからはお茶会へのお誘いの言葉。もちろん、キャロンも連名での招待状である。セリアは誰に相談することもなく、了承の意を示す返事を送った。
そこに示された日付は、今日より二日後。
二日後のお昼間、リュシアンとジェラミーを除く全員が一つの部屋に集められた。
双子の彼らは曲がりなりにも騎士という職業についているので、今は王宮に居るらしい。初めて聞いた彼らの公務内容に、セリアとキャロンは無言で瞬きを数回行い、そしてなんとも不思議な含み笑いを浮かべたのだった。
というか、その事をすっかり忘れていた事を笑ってごまかしただけなのだが。
その日、ユリアも父の目を掻い潜ってアスキウレ公爵家を訪れていた。それはシュナイゼルもまた同じ。
部屋はアテナイ国の皇太子の部屋を模した職務室。セリアはあえてそこを選んだ。
兄皇子が座っていた職務室の椅子に座り、机に両肘を預け手を組んだまま、目の前に揃った同士達を見つめる。
キャロンとテレジア、ユリアは長椅子に斜めに座り、正面の机に座るセリアを見つめている。
ノアは護衛の本分を無言で示すかのように、職務机の隣からセリアを見つめた。
シュナイゼルはユリアの後ろに立ち、マルセルは長椅子の背もたれ越しに母の肩に手を乗せ、熱心にセリアの話に耳を傾ける。
思えば、平民に生まれたはずの自分がよくここまで来たものだと、己の運命に感服した。四公すべての人々と、浅からぬ縁を持ったことは、果たして自分にとって幸運だったのか、それともこれから己を突き落す火種となるのか。
脳裏を過った不吉な考えを振り払って、セリアは前を向いた。
「さて、念入りに用意した舞台もようやく最終幕を迎えることができた」
そう言った皇女の言葉はまるで明日の天気を伝えるかのように軽やかで、この舞台がどれだけ深刻なモノかを一瞬でも忘れさせた。
「今は亡き祖国の人々の悲願を果たす、最初で最後の機会だ。私は、これを、逃すつもりはない」
しかし次の瞬間には、敬礼をしたくなるような厳しい言葉が放たれる。琥珀の瞳がいつも以上に強い
光を帯び始めていた。
その瞳を見ると、人々はその場に無条件に跪き許しを請いたくなる。そんな強い琥珀の色だ。
「皆には、本当に世話になった。これがどういう結末を迎えるかは、私にもわからん。だが、それでも、私達は行く。私達が再び舞い戻った理由がそこにあると信じているからだ。もしもまた逢いまみえることあれば」
その中で、マルセルとユリアは意味がわからないという表情をしている。それもそのはず。彼らは、セリアとキャロンの本当の正体も本当の目的も知らない。
セリアは一度言葉を切って、部屋に居る全員を見渡した。
「その時は、良い終幕であったと伝えられるよう、全力を尽くそう」
そうして、セリアとキャロンは護衛のノアを伴ってイングラム侯爵家へ赴くための馬車に飛び乗った。
屋敷の玄関先で彼らを乗せた馬車を見送っていたテレジア、シュナイゼル、マルセル、ユリアの四人はその姿が見えなくなった所で静かに堪えていた息を吐く。
セリアとキャロンの取り巻く緊迫した雰囲気に呑みこまれ、呼吸を忘れていたのだ。
「母上、再び舞い戻ったとは、どういう意味でしょうか。そろそろ、彼女達の事を私にも明かしてはくださいませんか。私は彼女達のことを何も知らない」
たとえ過ごした時間が長くても、常に傍に壁があった。あまり屋敷に居ないはずの母の方が、よほど彼女達の信頼を勝ち得ていたように感じて、マルセルは少し表情を歪めながらテレジアに問うた。
「知りたければ、己の力で解き明かしなさい。ワタクシに、彼女達の秘密を明かせる権限はありませんわ」
「母上!」
それが出来ないから、自分はずっと歯痒い思いをしてきたのだ。常に穏やかなマルセルが母親に噛みつくように言葉を荒げる。
「それに………」
テレジアは扇で自分の顔の半分以上を隠しつつ、色を映さない真っ黒な瞳だけをその隙間からぞかせ息子を射抜いた。
その瞳はマルセルを見つめ、その隣に立つユリアを見た。
ユリアは気づかない内にゆっくりと唾を飲み込む。その瞳をどこかで見たことがあった気がしたのだ。無表情のように見えて、その瞳がその人物の心情を鮮明に映し出す。
あれは、そう、アテナイ国の昔語りをしてくれた、師匠の一人のように。
「すべてを打ち明けないのは、あなた方に余計な火の粉を被せたくないから。これ以上立ち入らせないのはワタクシ達を護る彼女達なりの優しさです」
「その優しさを裏切ってでも、知りたいことがある。違うか」
テレジアの言葉をしばらく無言で聞いていたシュナイゼルだったが、途中彼女の言葉を遮るように言葉を紡いだ。
三人の視線が己に集まるのを感じながら、彼の視線はセリア達が立ち去った門の向こうを向いたまま動かない。
「私は知りたいのだ。もし彼女達がそれを望んでいなくとも、見届けたい」
「シュナイゼル?」
テレジアが眉を顰める。自分と同じ四公の一つを纏める当主が云わんとしていることがわからなかった。
シュナイゼルの瞳が、ユリアを向いた。
向日葵の宿る瞳に、分厚いメガネと前髪のせいであまり顔の半分が隠れたままの自分が映る。シュナイゼルの無言の問いの問いかけの答えを持っている彼女は、小さく溜息をついた。
「分かりましたわぁ。案内致しましょぉ。………『女神姫』の所へ」
✿ ✿ ✿
「ふふふ、いらっしゃいませ、セリア様、キャロン様」
イングラム侯爵家の玄関先にて、令嬢レイラが直々に三人を出迎える。
笑顔を振りまいてはいるが、彼女の纏う気配は淀んでいて、それに気づかないほど愚かな三人ではなかった。
「お招き頂きありがとうございます」
代表してセリアが感謝の意を述べ、続くようにキャロンとノアが頭を下げた。
「良いのですよ。わたくしもこうしてまたお会いできるのを楽しみにしておりましたもの。さぁこちらへ」
レイラに促されるまま屋敷の中へ入ろうと一歩踏み出したところで、金髪の令嬢が思い出したようにノアを見た。
「護衛の方は 別室にてお待ちくださいね」
「俺は護衛です。二人から離れるわけには」
「まぁひどい!!わたくしが何か、護衛が必要なことをするとでも!?」
レイラの甲高い声が上がる。
耳に障るその声に表情を歪めようとして、寸前の所で持ち直したセリアがノアを片手を上げて牽制した。
「大丈夫ですよ、ノア。あなたはイングラム嬢に従ってください」
「………わかりました」
ノアは口いっぱいの苦虫を一気に噛み潰したかのような顔で頷くと、レイラの後ろから現れた使用人の一人に案内されて屋敷の中に入って行った。
彼の後姿を見送りながら、表情を隠そうともしない護衛に、後で一言を言っておかないといけないな、とふと思った。
「お二人はこちらですわ。今日が天気が良いので、外でお茶会をしようと思いましたの」
無邪気に喋り続ける令嬢を冷めた視線で見つめながら、けれどその顔には柔らかな笑みを張り付けて対応する。
屋敷を真っ直ぐ突っ切り、裏庭への扉を開けば、庭園の端に揃えられた白い繊細な造りの丸いテーブルと四つの椅子が見えた。そしてその隣に立つ二人の侍女と、菓子やコーヒーが並べられた手押し車。
準備は完璧のようだ。
レイラに云われるがままに椅子に座る。
「今日用意させたお茶はとても貴重なものなんですって。東の国からわざわざ裏経路を利用して入手した緑茶と呼ばれるものだそうですわ」
「まぁ、緑茶ですか。聞いたことがあります。緑色のお茶で健康に良いとか」
箱入り娘の相手に疲れたらしいセリアが小さく横目でキャロンを見たので、主に変わって言葉を交わすために口を開いた。
レイラとキャロンの間で会話が続けられる。
その間、セリアは自然を装って庭園に目を走らす。特に問題はない、普通の庭だ。
四公の一つであるアスキウレ公爵家に客人としてお世話になってしばらく経つので、そこと比べると幾分か小さく感じる。どうやら知らない間に、かの屋敷に深い思い入れを覚えたようだ。
ただ気になることと言えば、先ほどから手押し車の上でお茶の準備をしている侍女達の様子である。彼女達の手元がわかりにくいが小さく小刻みに揺れていたし、その額はほんのり汗ばんでいる。
何かを知っていて、それに恐れをなしているようだと、セリアは当たりをつけて、再びレイラ達を向き直った。
と、同時に侍女達がお茶と菓子の乗った更を運んでくる。
三つの段から成る菓子の乗った皿は立派なものだった。
一番上にはクッキーと言った小さなモノが、二段目にはスコーンやマフィンなどの嵩のあるもの。そして最後の段には一口大のサンドウィッチが乗っていた。
「これが緑茶です。頂きましょう」
レイラが最初にお茶を口に含んだ。促すような表情をされたので、セリアとキャロンもそれに習う。こちらは呼ばれた身。礼儀として、とりあえず飲まなければいけないのだ。
たとえ、そこに何かがあるとわかっていても。
「イングラム嬢?」
急にレイラが侍女達を下がらせてしまった。
キャロンが訝しげに眉を寄せる。
普通のお茶会で、侍女を下がらせることはまずない。なぜなら、小さな細々をした世話を行分ければいけないからだ。お茶のお代わりを注いだりなど、やることは山ほどある。
それにも関わらず、かの令嬢は無言で侍女達を遠くへ追いやった。
そして気になる、四つ目の椅子。
レイラはまるで今更思い当たったかのように表情を輝かすと、両手を合わせた。
「そう!実はもう一人特別にお誘いした方がいたの!」
レイラの無邪気過ぎる声音に応えるように、近くの茂みが小さく揺れた。
そして現れる、人物がいた。
「………トアロイ公爵」
「お久しぶりですな、お二人共」
セリアとキャロンが追う黒幕に最も近いであろう人物が、奇しくもセリア達の手の届く場所に現れたのである。
先日の夜会の時よりもやや軽装のトアロイ家当主が現れると、レイラは更にその笑顔を深めた。
足取り軽く彼の元に近づき、自分よりも随分と年嵩のある男を見上げ、そしてすぐにセリア達に視線を戻す。
「ふふふ、お二人共、トアロイ公爵様にお礼を言わなければね。これからあなた方にご教示してくださるとても優しいお方なのですから」
「………どういう、ことですか」
立ち上がろうとして、急に意識が遠くなり、セリアとキャロンは同時に机に手をつく。頭に手を置いて意識を保とうとする。
眠気と頭痛が同時に押し寄せてきた。
眠いから痛いのか、痛いから、眠いのか。
「幼い頃習ったでしょう?人の物を取るのは悪いことだって」
レイラの顔はきょとんとしていて、無邪気な幼子のそれと大差ない。
それが更に、場の奇妙さに拍車をかけた。目の前には、立っていることすら困難な様子の二人の少女が居るというのに。
「とった覚えは、な………」
「あら、ないとは言わせないわ。だって、現にリュシアンとジェラミーはあなた方と一緒に居るじゃない。わたくしを無視して。それが何よりの証拠よ。あなた達はわたくしからあの二人と奪った。あの人達はわたくしのものなのに。だから、罰を受けなくちゃいけないの。でしょ?」
支離滅裂な事を言っているのに、その自覚がない令嬢は隣に立つ公爵を見た。
公爵の瞳と口元が、三日月のように歪んだのを、セリアとキャロンは確かに見た。
「えぇ、もちろんですイングラム嬢。リュシアン殿もジェラミー殿もあなたのもの。それを知りながら手を出した彼女達への罰は、私にお任せください。もう二度と、あなたを煩わせないようにその身体に教えて差しあげましょう」
「ふふふ、嬉しいわ、ありがとう」
もはや要領の得ない男と娘の会話を頭の片隅で聞きながら、セリアとキャロンは素直に意識を手放した。
最後の舞台へ向かうための、階段を駆け上がる音を、耳元で聞きながら。




