思惑
「王太子?いかがされました」
「………あ、あぁ、宰相か」
「お顔の色が優れないようですか」
王宮の一室にて、机に向かって業務を行っていた青年が額に指先を添え溜息をついていた。傍に控えていたシュナイゼルが青年に近づき声をかける。
彼の問いになんでもないと首を横に振った拍子に、王太子の金髪の髪が汗ばんだ額に張り付いた。
普段は穏やかな灰色の瞳が今は陰りを帯びている。彼はその瞳を、国中で一番信頼を置いている公爵当主に向けた。
シュナイゼルは青年の父が唯一信頼を寄せた人物であった。
だからこそ、苦しみの中で『宰相を頼れ』という言葉を残したのだろう。彼はいつも、国を思って行動してくれている。
「なぁ宰相」
鎖国じみたイリーオスという国を、宰相は憂いているはずだった。
「はい」
他の貴族の前では厳しい表情しか見せず、影で氷の貴公子と呼ばれているのは知っていた。始めてその話を聞いたとき、なんの冗談かと思ったものだ。王太子である自分を彼は穏やかな瞳で見守ってくれているから尚更。
といっても、他の貴族と面会する時の顔はいつも顰め面ではある。
それがまさかただの人見知り故と他の貴族達が知ったなら、どんな反応をするだろう。考えただけで少し笑いがこみあげて、気持ちが楽になった。
自分の脳裏に過る、父の苦しそうな顔と、その後出会った父であって父ではない者。そして残した『トアロイ家を信用するな』という言葉。
信用するものなにも、トアロイ家は王太子の母の実家だ。
「今はただのダニエルとして話してもいいか」
苦しそうに顔を歪め、王太子は両肘を机の上に乗せ、その上で更に頭を抱えた。
いつにない疲れた様子にシュナイゼルは眉を寄せる。
シュナイゼルは少し前に王に呼ばれ、王太子の事を託された。疑問を持ったがその答えすらもらうことは出来ず、ただその時の王の顔が今目の前の彼の息子とよく似ていた。
苦しげに何かを抱え込む表情。
何かがおかしい。自分の知らない何かが、王宮内で起きているというのか。
「幾つか、疑問がある。幼き頃より抱いていた疑問だ」
「疑問は、三………いえ、公司達に聞くのが一番かもしれませんよ。私よりもよほど長く生きておられる」
シュナイゼルの言葉にダニエルが肩を揺らして笑った。
「あの狸達が素直に答えてくれると思うか」
「………失礼しました。ダニエル様の持つ疑問とは?」
正直まったく予想がつかないため、心からでた言葉だった。
俯き気味だった顔が上がる。
まだ年若い次世代の王は、しかし王から実質の権利をすべて譲られたことで少しずつだが精悍な顔つきになってきたように思う。
それは良い事だが、如何せんそんな彼を見て一番喜ぶであろう王の姿が今はどこにも見当たらない。王がどれだけ息子を慈しんできたは傍で見ていたシュナイゼルは少し胸が苦しくなった。
「イリーオス国は何故ここまで鎖国的なんだ?他国と距離を置く理由は。実際に業務を行ってきて更におかしいと感じたんだ。他の国の資料が圧倒的に少ない。周りの国が何をしているのか、何を我が国の望んでいるのか、それによって我らがどうすべきか、まったくわからないんだ。それは、国のあり方としておかしくはないか?」
「………」
シュナイゼルは沈黙する。
思っていた以上に深刻な事柄に関する質問だった。
それは、シュナイゼルが宰相となった理由でもあり、長年抱いていた焦燥の原因でもあったからだ。しかし、今はその話題を避けたいところでもある。
特に、二人の少女と機密裏に遣り取りをしている今は尚更。
「それに………」
答えをくれない宰相に何も言わず、ダニエルは再び疲れたように溜息をついた。
「父は、どこへ行かれてしまったんだ………」
数日前から姿が見えない父。
一つだけ、思い当たる場所があった。
幼い頃、出来心で父の後をつけたことがあった。
忙しくてあまり相手をしてくれない父に会いたくて、一人で王宮を体験していた時に、廊下を横切る彼の姿を見つけたから、見つからないように後を追った。
そうして訪れたのは真っ白な部屋。
父はその中央に跪いていた。
彼の前に横たわるのはガラスの棺に入った美しい女性。眠っているその女性を前に、父は何事か小さく呟いていた。熱心に紡がれるそれは熱を帯びていたように、歳を重ねた今なら思える。
何故かはわからないが、そんな父が気味悪くなって急いでその場を立ち去ったのだ。
思い起こせば、あれから何度もその部屋のを訪れる父を姿を見かけた。
時間が経って、ダニエルは知った。
その部屋が王宮内で唯一トアロイ家が管理する場所であった事と、あの眠っている女性が『女神姫』という人物であるということを。
予感があった。
きっと父は今も、『女神姫』の前に跪いているのだろう。
✿ ✿ ✿
「どうして!!どうしてなのよ!!」
イングラム侯爵家の屋敷内に響き渡る、甲高い叫び声。それに続くように、激しく物が割れる音。
先日から始まったその騒音に、使用人達は一様に顔を顰めて部屋の前を足早に通り過ぎる。
その屋敷のとある部屋で、レイラはその激情を抑えきれずにいた。
何もかもが面白くなかった。自分に注目しない貴族達も、なにやらもの言いたげに見つめてくるだけの使用人達も。
それになにより気に食わないのは。
「なんなのあの娘達は!」
長椅子の上に置いてあったクッションを掴み、窓ガラスにぶつける。幸いにもクッションは軽く音を立てただけで床に落ち着いた。
その軽さが気に入らず、レイラは化粧台に置いてあった鋏を手に取り、そのクッションに向かった。
彼女の頭に浮かぶ二人の少女達。そしてそんな彼女達を見たこともないで瞳で見つめる幼馴染の双子達。
「あぁぁぁぁっっっ!」
貴族の令嬢はその長い金髪を振り乱しながら鋏をクッションに突き付けた。
「ゆるさないゆるさないゆるさない」
手に力を込めれば、鋏はあっさりと布を突き破る。その衝撃でクッションに詰められていた綿が宙に舞った。
「あなた達はわたくしのものよ。そうでしょ?ずっと一緒だったじゃない?これからもずっと一緒じゃなければいけないわ。そうよね?そうよぇぇぇぇ!?」
他の使用人達が、令嬢の悲鳴に小さく肩を飛び上らせそそくさと部屋を通り過ぎる中、しかし、彼女付きの侍女達はそういうわけにもいかなかった。
部屋の扉を軽くノックして、中に居るであろう主に声をかける。
「レッ、レイラ様」
その声は上ずってしまった。
一瞬静まる部屋の中が、一段と気味悪く感じながら、一人の侍女が扉を開ける。
「なに、なんなのよ!!」
血走った顔の令嬢に息を呑む。
「五月蠅いわ!!わたくしに指図しようというの!」
「ふ、文と!トアロイ家の使者からお預かりしておりますっ」
侍女の一人がそう叫び白い封筒をレイラに見えるように掲げて見せれば、少女はまるで憑き物が落ちたように一瞬にしてその激情で歪んだ顔を無表情に変えた。
「「ひっ」」
侍女達が息を呑む。それほど、恐ろしい変わり身だった。
「寄越しなさい」
そうして手紙がレイラの手に渡ると、侍女達は最小限の礼儀を持ってその部屋を足早に立ち去った。
持っていた鋏で封筒を開く。
差出人はトアロイ家当主。
開いた紙に目を走らせ、少ししてからレイラの口元が三日月型に歪んだ。
「ふふふふふっ!!あはははは!!とうとう!とうとうね!!わたくしから彼らを奪おうとした彼女達に罰が下る時が来たわ!!」
レイラは耐え切れないとでもいうように、ぐちゃぐちゃになった己の部屋をクルクルと舞った。嬉しくて天にも舞うような気持ちで。
これで、白と黒を纏った自分の騎士達が戻ってくるのだと信じて。
彼女は一人、無残に破壊された部屋で壊れたように踊り続けていた。




