嫉妬
彼女達が会場に足を踏み入れた瞬間、周りのざわめきが大きくなった。
人々の息を呑む音、驚きに漏れた溜息、女性達の小さくか細い悲鳴。そのどれもが、今のセリアにとって、自分を舞台へと導くただ不協和音でしかなかった。
隣に立つ青年を見上げれば、すぐに笑みが返ってくる。
すべてを心得たように彼はセリアの腰に手を当てて会場に居る人々に挨拶をして回る。その後ろに続くのは、キャロンとジェラミー。
キャロンの近くに居られるのが嬉しいのだろう、気を抜けば笑み崩れそうになる黒の彼に、灰色の少女が時々冷たく視線を向ける。まるで彼女の視線に冷気が篭っているかのように、その視線を向けられればすぐにジェラミーが背筋を正した。
後ろが非常に面白いことになっているのに気づけぬまま、セリアはリュシアンと共に前だけを向いて進み続けた。
今の彼女達は鬘もしていなければ盲目の振りもしていない。
セリアとキャロンとして、この夜会に参加していた。
本来の、茶髪を極限にまで薄く金髪に近づけた髪を緩く肩に流し、琥珀色の瞳が映えるよう薄緑のドレスを着ている。長袖のドレスに腰をしっかり絞った先を流れるのは床まで届くフレアスカート。優雅さと美しさを両方兼ね備えた今夜のドレスは、琥珀色の瞳を隠さなくてもいいセリアにとても良く似合っていた。
キャロンは灰色の髪を、金色の羽をモチーフにしたバレッタで纏めている。彼女の纏うドレスは薄い紫で、肩と腕が剥きだしになりながらも、そのスカートにはレースがふんだんにあしらわれているため厭らしさはまったくない。その姿はまさに一国の姫に相応しい装いだった。
二人の令嬢のような美しさもさることながら、ようやく幼馴染の少女から解放され声をかけるチャンスだった双子達にエスコートされているその少女達に、人々の視線は釘づけになっていた。
マルセルにエスコートされるテレジアに続いて、トアロイ家当主にあいさつをする。
その驚きに満ちた表情は見物だった。そもそも屋敷に足を踏み入れてからすでに、自分を見つめる視線の数々には気づいていた。焦燥で表情を変え、驚きに溢れたトアロイ家当主の瞳もきちんと把握済みだった。
彼自身とは初対面なので、形だけのあいさつを交わしてその場を離れる。一挙一動を逃すまいと絡んでくる視線と疑問に溢れた彼を華麗に無視する。
今日の目的は彼ではなく、別の人物。
まだ来ていないのか、目当ての視線はまだ感じられない。
「踊らないか」
「うん、喜んで」
いつになく積極的に絡んでくるセリアに思うところがあるだろうけれど、リュシアンはそのすべてを喉の奥に詰め込んで笑顔少女の手を取った。
大広間の一角に並ぶ琴楽器達が、大広間の中心に集まった若者達に合わせて音楽を奏でだす。
どうやらキャロンとジェラミーは踊らずに食べることを優先させたようで、踊る若者達の中には見当たらない。といっても、ジェラミーは踊りたそうにチラチラとキャロンの様子を窺っている。それに気づかないはずもないであろうに、灰色の少女は、自分の持つ皿に料理を乗せながらにこにことそれを黙殺していた。
音楽と共に軽やかにステップを踏むセリアに、リュシアンは少し驚いたようだった。平民の少女であることは知っていたので、足を踏まれることを覚悟で参加したものだから尚更。しかしその心配は無駄に終わりそうだ。
むしろ、踊り慣れているかのようなその足の運びはどこぞの令嬢かと思わせた。
「踊りはどこで?」
「お前が知る必要はない」
いくら相手が蛇の化身とわかっていても、屈するセリアではなかった。つれない態度のセリアに苦笑を漏らしながらも、さすがは四公の子息。リュシアンの動きに何一つ迷いは見当たらない。完璧にセリアをリードしていた。
「………」
「なに?」
「いいや、気にするな」
目の前にある顔を一時の間凝視してしまっていた。
リュシアンに質問されて自分の行動に気づき、セリアはすぐに顔を逸らす。
とても不思議な気分だったのだ。前世では、リアンと踊りを踊ったことは終ぞなかった。何度誘っても、護衛をしている身という返事で返される。頑なにセリアとの踊りを拒むわりに、彼女が踊っていると一挙一動を見逃さないとでもいうように彼の視線が彼女に絡みついた。
その同じ顔と、今自分は踊っている。
300年後という、長い月日を経て。
「その瞳、なんだか嫌だな。僕を見てるようでずっと遠くを見てる」
リアンを想うセリアの顔に、事情などまったく知らないはずのリュシアンは眉を寄せて渋い顔をして見せた。
そして次の瞬間には何かを企んだような笑顔を浮かべセリアの腰に手を回すと、そのまま自分の方に手繰り寄せる。今まで以上に二人が密着した瞬間、曲が変わった。
周りの数人は踊場から出ていき、幾人かがダンスを続ける。
「どういうつもりだ」
「仲の良さを、見せつけた方がいいんでしょ?」
この国には、男女が踊る上で幾つか知っておかなければいけないマナーがあった。それは至極簡単な事。一曲だけ踊る男女は、ただの社交辞令。二曲踊る者達は恋人。そして三曲以上を同じ男女が踊る場合、それは、彼らが将来を誓った間柄であることの無言の証明であった。
そしてすでに、セリアはリュシアンと二曲目を踊り始めてしまっている。
周りのざわめきが増す。
遠くから二人を見守っていたキャロンは瞠目し、ジェラミーは訳も分からず眉を寄せる。マルセルは片手を額に当て溜息をつき、テレジアとシュナイゼルは表情を浮かべることなく二人の様子を見守る。ただノアだけは、社交界のマナーなどわからないのでただキョトンとしていた。
同じ男女が続けて二曲目を踊り始める。それが意味することはただ一つ。
と、ここでリュシアンの肩に掛けられていたセリアの右手が、流れるように彼の首の後ろに寄せられた。
踊りの最中のため確認はできないが、リュシアンは己の首の後ろに確かに何かが添えられていることに気づく。それには切っ先があるようだ。時々ちくりとリュシアンの首を軽く突き刺してくる。
そして目の前に居る持ち主であるはずの少女の目は完全に据わっていた。
「あまり、調子に乗るなよ」
「………」
低い押し殺すような声と共に押し付けられる暗器の切っ先。リュシアンは苦笑いと溜息を同時に行いながら、降参というように両手を上げセリアから一歩離れた。
眉をハの字に曲げたまま片手をセリアに差し出し、彼女が手を取ったのを確認すると、リュシアンはセリアを伴って、今もまだ踊り続ける男女達をすり抜け踊りの舞台から退場した。
その時の二人の表情が対照的だったため、人々はそちらに注目する。踊り足りないと少し悲しげな顔をしているリュシアンに手を引かれる、なにやら憤然とした面持ちの令嬢。リュシアンが想いを寄せ、しかしうまくかわされているのだと、外野の人々は勝手に推測した。
あの白騎士リュシアン・ミネルバが女性に袖にされている。その事実は、人々に軽い衝撃を与えた。
大広間の中心を抜け、キャロンとジェラミーに合流したところで、セリアとキャロンを射抜く一つの視線があった。隠そうともせず向けられるそれは幸いにも、直接向けられている彼女達にしかわからない。
騎士であるジェラミーやリュシアンならばあるいは感じ取れたかもしれないが、その視線には嫉妬憤り妬みという女性特有の想いしか加わっていないため、そこまで気にならないようだ。ここに殺気が加わっていればまた違っていただろうが、この視線の持ち主にそこまでの度量はない。
『女神姫』の生まれ変わりと名高いはずのその容貌は今は嫉妬で醜く歪んでいる。
大広間の大きなカーテンの影に姿を隠している少女に横目で視線を向ける。
先の夜会の奇行がよほど効いたのか、彼女の周りには誰も居ない。むしろ、誰もその存在に気づいていない。
常に双子を傍に置き、人々の視線の中心に居た彼女にとって、それがどれだけ屈辱的なのか推して測るべし。
だからこそ、今の彼女の表情があった。その負の気持ちはすべて、彼女の大事にしていた双子達と共に居るセリアとキャロンに向けられていることだろう。
それこそが、セリアの目的だった。
しばらくセリアとキャロンを睨み付けていたレイラは、それから身体を翻して大広間を飛び出していく。その後を、トアロイ家当主に何かを申付けられたようだった使用人が追いかけていった。
自分の計画通りに進む状況を目の前に、セリアは人知れず口元の端を緩く持ち上げたのだった。




