閑話休題: 堅物当主の本当の姿とは
その後、シュナイゼルはアスキウレ公爵家に出入りを繰り返し、彼らは交流を深めていった。
キャロンと対面したのもその時で、彼は彼女にも深い謝罪を繰り返していた。
最初に感じた印象と異なり穏やかな様子を見せるシュナイゼルに、セリアもキャロンも、そしてマルセルですら目を見張る思いだった。
それを見て、彼の昔馴染みであるテレジアが笑って説明してくれた。
曰く、シュナイゼルはただの人見知りで恥ずかしがりやなのだと。
曰く、一度彼の懐に入れたなら、そこからはゆっくりと彼の本当の姿を見ていくことができるらしいと。
彼の本当の姿を知る良い機会は、ある日突然訪れた。
「姫」
廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。振り向けば、穏やかな表情のシュナイゼルがセリアに向かって歩いてくる所だった。
まだ日も高く、窓の外からセリア達の立つ廊下に、日差しが容赦なく照り付けている。ただ、窓は開かれていてそこから流れてくる爽やかな風のお蔭でそこまで暑さは感じられなかった。
麗しき公爵家当主の装いは今までにないほど軽装で、いつも堅苦しい燕尾服を着ている姿しか目にしてこなかったため随分と印象が違って見えた。
クリーム色の長袖のシャツに深い灰色のズボンを合わせ、膝下までのブーツを履いている。シャツの上にはズボンと同系色のベスト。
この恰好は、貴族達の軽装の主流らしく、マルセルや双子達、そして屋敷に居る間はノアもこの服装だ。
300年前は、逆に燕尾服が軽装として主流だったため、時代の流れを感じてセリアは少し遠い目をした。あの時代、他人に肌を見せることはご法度だったため、男女問わず堅苦しい服をしていたものだ。
「姫?」
急に自分ではなくその遥か向こうを目を細め眺めはじめたセリアに、シュナイゼルが訝しげに声をかける。
「あ、あぁ、シュナイゼル殿。来ていたのか」
「はい。今日もテレジアと少々話がありまして。………その」
シュナイゼルは自分の居る理由を手短に説明したあと、言い淀んだ。彼の瞳に宿る向日葵が左右に動く。
いつもは堂々としている彼がこの様に動揺するのは珍しい。
もしもこれが一般女性の前で行われた行動であれば、きっとその女性は胸を高鳴らせて彼の問題解決に大いなる救いの手を差し伸べたことだろう。
だが、悲しきかな。今シュナイゼルの前に居るのは、実の兄に野蛮と評され、自他共に短気と認められている300年前の時を経て生まれ変わった皇女である。
「なんだ。用がないならいくぞ」
最初は不思議そうにシュナイゼルの見つめていた瞳も、彼が言葉を答えあぐねている内に冷たいそれへと変わり、そして最後には素っ気ない言葉と共に背を向け歩き出そうとした。
「ひ、姫!その、エヴァ様からこのようなモノを頂いたのですが………」
「?」
慌てた様子でシュナイゼルは言葉を紡いだ。そして再び目の前の少女が向き直ってくれたことに安堵しつつ手に持っていた一つの小さな封筒を手渡す。
それはもうすでに開かれていて、中身を出すのは容易だった。
差出人はキャロン。受取人はシュナイゼル。
内容はピクニックへのお誘いだった。
あぁ、とセリアは声を漏らした。そういえば昨日からキャロンがその話題を何度か口出していた事を思い出したのだ。
今はそれどころではないと断れば、泣きそうな顔をされたので、渋々了解したのは記憶に新しい。もちろんこの企画が、最近根を詰め過ぎているセリアのために催されるものだとわかっての参加だ。
「シュナイゼルにも招待状がいったか。まぁ、強制ではないが、アスキウレ公爵家の庭でお昼と食べようという簡単なものだ。もし良ければ来てくれないか。その方がキャロンも喜ぶ」
キャロンを思って言葉を紡ぐセリアの表情は柔らかい。
シュナイゼルは頷いた。
「もしお邪魔でなければ参加しようと思っています。それで、その、姫やエヴァ様は甘いモノはお好きでしょうか」
「?あぁ、嫌いではないな。キャロンは大好きだぞ」
質問の意味がよくわからず首を小さく傾げながら答えを発する。そうすれば、シュナイゼルは何やら満足したような表情のまま小さく敬礼をして、セリアの元から去って行った。
残されたセリアは今だ首を傾げたまま。
不思議な気持ちを抱えたまま歩きだしたセリアの目の前に、今度はキャロンとマルセルが姿を現す。
彼らは一室の扉の前で言葉を交わしているようだった。
マルセルの手には、先ほどシュナイゼルが持っていたものと同じ封筒が握られている。大方、彼もまたピクニックに誘われたのだろう。
声を掛けようと二人の傍へ寄れば、何やら不穏な空気を感じた。
「何故わたしが?」
キャロンの表情はいつも通りだ。ニッコリとした笑顔で目の前のマルセルを見つめている。
「え、いや、ほら」
一方のマルセルはその笑顔を前に少し血の気が引いている。
「色々な人を誘っていると聞いてね。だったら、折角だし、ジェラミー達も誘ってくれないかなーっと」
「ですから、何故?」
笑顔のキャロンから発せられるのは冷気。
しばし無言で耐えていたマルセルも、しばらくするとわざとらしく喉を数度鳴らした後、素直に謝罪の言葉を口にする。その瞬間拡散される冷凍された空気。
セリアは少し口元を引き攣らせる。最近の彼女は自動冷凍機という機能を搭載し始めたようだ。といっても、その発動条件は双子というキーワード。
キャロンの様子を見て周囲が顔を引き攣らせる中、ノアだけは悪い笑顔で笑っていた。
「あ、姫さま!!ピクニックは明日ですよ!」
「あぁ」
キャロンが歩いてくる己の主に気づき、先ほどとはまったく異なる笑顔を見せてくれた。
ようやく冷凍から解放されたマルセルは胸に手を当てて深い深呼吸を繰り返していたので、横目でそれを眺めながら労いの言葉を掛けた。
「双子の保護者役、ご苦労だな」
「………いいよ。もう、自業自得だ」
彼の声にちょっとの自暴自棄な感じが含まれていたのは果たして気のせいだろうか。
兎にも角にも、ピクニックがは無事開催された。
ピクニック開催場は、莫大な広さを誇るアスキウレ公爵家の庭園の片隅。
もちろん、ピクニックといっても四公の当主二人次期当主一人を混ぜたなんとも豪華なものであるため、地面に布を引いてそこに座って食事をする、という庶民的なものには出来なかった。
朝方数人の使用人が用意してくれた簡易な机と椅子が綺麗に手入れされた地面の上に並べられている。いつの間にか季節は夏になり、先日まで風に遊ばれていたと思っていた春の花は地に還り、いつしか庭園は夏の鮮やかな花々が蕾を付け始めている。
キャロンが張り切って用意した昼食が机の上に並べられる。
流石は上流階級の中でもトップにある四公の一つ。簡易な机としても、それは中流貴族の食事台としても使えそうな立派なものだ。
今回の参加者は全部で六人。彼らがゆったりと食事をしても有り余るほどの広さがあった。
「………」
実は先ほどから気になっていることがありすぎて、一同は沈黙していた。
その場に居る大半の人物達の視線が一点に集中していて、話すところまで気が回らない、といった方がわかりやすいか。
「さ、さぁ、とりあえず座りましょう!」
気を取り直して、キャロンが声をかける。その言葉に従い、それぞれが椅子に座った。そうして開始される食事会。
しかし、思った以上にぎこちない空気がその場を満たす。
その原因は、シュナイゼルの隣に置かれたバスケット。
大の男の両手いっぱいにもなりそうな大きな籠と、その中に山のように積まれている何か。上に布が掛けられているので、中身が何かまではわからない。
だからこそ、中身が非常に気になって仕方がない。
机の上に並べられた白い食器の上を軽やかに反射する暖かな日差しも、白と赤のチェック柄のテーブルクロスを揺らす涼やかな風も、その籠の中身のせいで華麗に無視され続けていた。
セリアが喉を潤すように何度か喉を鳴らし、まっすぐにシュナイゼルを見つめた。
「シュナイゼル殿、申し訳ないが、その籠の中身を聞いても?先ほどから気になってしょうがない」
セリアが質問をした瞬間、マルセルとノア、そしてキャロンから尊敬にも似た眼差しが送られてきた。女神がここにいる。
セリアの質問を受け、シュナイゼルが食べていたサンドイッチを更に戻す。そして、何故か少し嬉しそうにいそいそと隣にあった籠に手を伸ばす。そうして出てきたのは、積み上げられたお菓子の山。
ある程度歳を重ねた凛々しい面立ちの男の手元から現れたお菓子の数々。
一同が同じ思いを胸に、一斉に沈黙した。
ただ一人、テレジアだけは手袋をしたすらりとした手を口に翳し、小さく微笑んでいる。
「まぁ、シュナイゼル。またですの?」
また、とはどういうことか
一同は、視線を、笑うテレジアと少し照れ気味のシュナイゼルを往復させつつ、事態の把握に努め始める。
「………姫やエヴァ様が甘いモノが好きだと。ぴ、ピクニックには、甘いモノが相場だと、その、聞いたのだ」
「確かに、良い心がけではございますけれど、前にも言いましたでしょう?限度があると。これだけの菓子、わたくし達だけでは食べきれませんわよ」
「………そ、そうか」
テレジアの咎めるような言葉に、しゅん、という擬音か付きそうな勢いで、シュナイゼルが眉を下げあからさまに落ち込み始めた。
「お、俺も甘いモノ好きなんで食べます!」
「じ、実は私も好きなんです」
同じ男として、居た堪れなくなったノアとマルセルが一斉に声を上げ籠の中身に手を伸ばした。
「わ、私達も食べることにしようか」
「そ、そうですね。わたし大好きなので沢山食べます」
セリアとキャロンも後に続くように声をかけた。
肩を落としていたシュナイゼルが再び嬉しそうに笑顔を浮かべた。
それは、到底社交界ではお目にかかれない笑顔だ。
穏やかに笑う顔も、ノアやマルセルの軽い冗談に耳を傾ける姿も、そして今見せた子供が楽しみにしていたおもちゃの箱を開けるようなその姿や落ち込む姿、すべてシュナイゼルのものなのかと思うと、とても不思議な気持ちになった。
―――なんだ、この可愛い生き物は。
今日初めて、テレジアを除く全員の想いが重なった。




