信じる
丸メガネの女性、基ユリア・トアロイの出現により事態が複雑になったため、三人はキャロンが待つ部屋に戻ることになった。
主たちの帰りを大人しく待っていたキャロンは、新な女性の出現に驚いていたようだったし、伝達から戻ってきたマルセルも、ユリアの存在を聞いて眉を顰める。
もはや定位置を化してしまった一人用のソファーに座って、セリアは腕を組む。
その鋭い視線はノアに向けられたまま動かない。というのも、この計画に彼女を引き込んだのは彼の方だろうという確信があったからだ。
どうしてそのような事をしたのかというが今一番の疑問だった。
トアロイ家といえば、彼らの黒幕の片腕として暗躍しているであろう四公である。これから敵として対峙していくであろうかの家の人物とお近づきになったところで、こちら側の情報がむこうに渡ってしまうだけではないか。
当のユリアといえば、先ほどまでシュナイゼルが座っていたセリアの対面にある椅子に大人しく座っていた。
ノアを除く全員の厳しい視線に晒されているにも関わらず、そこに怯えや恐怖は見当たらない。といっても、その顔が半分以上隠れている今、判別は難しい。
「可笑しな話だ。トアロイ家に次女が居たとはね」
「というと?」
マルセルが突然何かを思い出したように声を上げ、キャロンが先を促す。
茶髪の青年は片手を顎に添えユリアを見つめる。
「トアロイ家の長女は王家に嫁いで王太子を生んだ、この国の王妃。長男も次期公爵として何度かお目にかかったことはある。けれど、一度も次女の話なんて聞いたことがない」
「それはぁ、私が居ないモノとされてきたからですわぁ」
「居ないもの?公爵家に生まれた娘なのに?」
セリアは同じ爵位の高い家に生まれた娘視点で質問をしていた。高い地位の家に生まれた娘は、嫁ぎ先との繋がりを強めるための意味合いで、とても重宝されるものである。
その質問に、ユリアはコロコロと笑って見せる。
彼女の声は、双子の騎士の幼馴染、レイラと同じように高いが、決して不快感を与えるようなものではない。かの令嬢が鈴の鳴るような声だとすれば、この女性は鈴を転がすような声だ。まだ少し控えめな印象を残すその声は、独特な口調も相まって自然と耳に入ってくる。
「そもそも私が変人なんですのぉ。結婚や、貴族社会というものに興味がなくてですねぇ、それならばぁ、研究をしていたいと家を飛び出しましてぇ。それからは各地を放浪している内に父上も諦めたようですわぁ」
笑いながらさらりとすごいことを言ったような気がする。
聞いていた全員の口が開いたまま戻らない。
一足先に我に返ったセリアが背筋を正す。
「研究とは?」
「幻の王家、アイテール家のことですわぁ」
「「!?」」
その場に居た全員が息を呑む。
アイテール、それは、セリアの前世の家名。つまり、今は亡きアテナイ国の王家の事である。
しかしその名はすでにこの国の歴史の中から消え去ってしまっているはずだ。セリアとキャロンが知っているのはもちろんだが、ノアは二人から聞かされていたから知っているに過ぎないし、マルセルはアスキウレ公爵家の次期当主として先祖の手記を読んでいるから知っていただけの話である。それ以外の人間がその名を知り、しかも研究をしているとなるとまた話は違ってくる。
「何故その名を?この国でその王家を知っているものは最早居ないはず。歴史書も消え去ったはずだ」
セリアは知らず知らずの内に身を乗り出していた。そこに、何か手がかりがあるような気がして。
「私が昔隣国に行った時に、そこで出会った研究者に聞いたんですわぁ。今は私の師匠ですのよぉ、しかもお二人もおりますのぉ。アテナイ国を消し去ったのはこの国だけ。他の国々は今もアテナイ国を敬愛しておりますものぉ」
思わぬ情報だった。
確かにアテナイ国は神に愛された国としてその名を広めていた。
「それにぃ」
そう言ってユリアは、丸メガネを外しセリアを真っ直ぐに見つめた。
「私、女神姫を尊敬しておりますのぉ。この国で長い間鎖に繋がれたままでいていいお方ではありませんわぁ。なにより、トアロイ家などが手を出してよいお方ですらない。ですから私は、トアロイ家としてではなく、ただの研究者であるユリアとして、あなた方のお力になりたいと思っております。琥珀の瞳と灰色の髪を持つあなた方に、あの方をお返しすべきだと、そう思いますから」
綺麗なサファイアの宝石を思わせる瞳がセリアを見つめ、口調ががらりと変わった。それは、一つの何かを信じぬく、強い人間のそれだ。
セリアとキャロンは同時に頭を下げた。
「今までの非礼をお詫びしたい。そして、あなたの協力に感謝する」
「私、がんばりますわぁ」
丸メガネを鼻の上に乗せた瞬間、ユリアの纏っていた強さが拡散し、その口調と同じような太陽の木漏れ日を思い出させる緩やかな雰囲気に戻った。
最初に感じた興味深いという感想は、あながち間違いでもないようだ。
新しい観点を持つ人物に出会えたことを、セリアは心から感謝して、笑みを浮かべたのだった。
トアロイ家の当主に一緒に居るところを見られてはまずいと、ユリアとは大広間に戻る前に別れた。
鬘を被り直し、セリアは瞳を瞑りノアの腕に寄り添った。
まだ人々がひしめき合っている大広間では、彼らが居なくなった事も戻ってきたことも気にする者は居ない。
「テレジア様とクイシオン公爵様が何かを話されているようですね」
「トアロイの奴がかなり気にしてるみたいだ」
「これはもう、彼が黒だと言っているようなものだと思うけれどね」
状況を確認できないセリアのために、キャロンとノアが実況役を買って出た。マルセルはさながら解説のようだ。
「あ」
とそこで、三人の声が揃った。
「どうした?」」
セリアが声をかけると同時に大広間に響く聞き慣れた甲高い声。先ほどのユリアと違い少し不快なのは気持ちの問題もあるとように思う。
「どうして!?どうして急にそんな事をいうの!」
レイラの声は驚愕に染まっていた。
「わかってくれ、レイラ」
その後に続く硬い声音。やや低めのテノールはジェラミーで間違いないだろう。
「僕達ももう大人だ。これからは節度を持って接しよう。じゃないと、きっと君も困るよ」
高めのテノールは兄の方。
「嫌よ!だってずっと一緒だったじゃない!!これからも一緒でしょ!?」
縋るレイラの声に、周りがざわつくが、令嬢はきっと気づいてはいない。
双子はきっと、わざとこの騒ぎを大広間で起こしたに違いない。
ここまで幼馴染の少女が激昂するとは思っていなかっただろうが。
こうして周りが双子の幼馴染に対する態度を見せつけることで、社交界に流れていた噂もきっと違うものに変わるはずだ。
しかし、それでも、アスキウレ公爵家の主催する夜会でこのような事を起こすなど褒められたものではない。
セリアは不快感を表情に出した。
それを認めたのは近くに居たマルセルで、苦笑して彼女に声をかける。
「まぁ、決着を着けろと言ったのは僕だし、母上を見た所そんなに気にしてる様子でもないから、そんなに怒らなくてもいいよ」
「いくら思い上がった幼馴染だろうと、やり方があるだろうと言っているんだ。縋る女を上手くかわせないなどと、弟はともかく兄はやり慣れているだろうに」
「え、なに、何かあった?」
物騒な言葉にマルセルは思わず焦った。
兄の方がセリアに想いを寄せているのは明白だ。
弟の方がかなり拗れてしまった今、兄まで何かあれば、大変になるのは彼らの駆け込み寺の住職であるマルセルなのだ。
駆け込んでくる人が少なければ少ないだけ、住職の彼も平和で居られるというもの。
「興味はないが、たまたま兄の逢瀬を見かけてしまってな。お盛んで良いなと思っただけだ」
目を瞑ったままのセリアが見向きもしないまま口早に告げる。
声にならない悲鳴を上げたのはマルセルの方。心なしか、リュシアンの雰囲気が荒れているのはそのためか。
「レイラ、とりあえずここまでにしようか。テレジア様にもご迷惑になるし、君はもう帰った方がいいよ」
「リュシアン!!」
「帰るんだ。話はまた今度にしよう」
半ば強制的にジェラミーとリュシアンに腕を取られ、三人が大広間を出ていく。
最後、まるで騒ぎの非礼をするかのように頭を下げた双子に、周りの評価は回復したようだ。
その後、人々の噂話の矛先はレイラの態度に対する酷評になっていたところからも、三人の人徳の差を思い知る。
今までの、レイラのまるで双子を独占するような態度には人々もどう接すればいいのかわからなかったらしい。しかもその双子は貴族社会の中でも人気の高い青年達だ。今までは双子達の意向なのだろうと涙を飲んで端に下がっていた女性達も、これを機に動き出すに違いない。
去っていた三人を見つめていたセリアとキャロンの纏う空気が冷え冷えとしていた事に、ノアは心の端でざまぁみろと舌をだし、マルセルは文字通り頭を抱えた。
明日の己の職務室が、問題児二人の駆け込み寺になることを不幸を嘆いてのことだった。




