繋がる
先ほどキャロンに伝えた通り、頭を冷やすために部屋を出たセリアは、行く当てなど思い浮かばないまままま屋敷の廊下を歩いていた。
なんといっても場所はアスキウレ公爵家である。しっかりとした足取りで彼女は歩き続ける。迷う事はないだろうという安心感で、前に進むことが出来た。
だからなのか、もしくは神の悪戯か。
セリアは廊下の突き当りで身体を密着させている男女を見つけた。
丁度月が雲に隠れ、辺りが暗いため誰なのかはわからない。
逢引は夜会では当たり前のように行われるため、セリアは特に気にすることもなく彼らの隣を通り過ぎようと足を進める。
丁度彼女が二人の影を過ぎる最中、雲間から月が顔を見せる。
顔の判別さえ困難にしていた暗闇が月明かりで明るく澄み渡った。
普通ならば興味すら示すことのない逢引のはずだった。けれどこの時だけどうしてか、セリアは自分の瞳を一瞬だけ隠れて愛を交わしているであろう男女に向けた。
「………っ!!」
男の吸い込まれそうなアメジストを宿した瞳が大きく見開かれる。
その腕は女の肩に回っていた。運がいいのは悪いのか。二人の唇だけは、重なっては居ないようだった。
「リュシアン様?どうなさいましたの?」
「………」
白い彼を一瞥して、セリアは無言で彼らに背を向けた。
余計なものを見てしまったと、元皇女は心の中で呟く。
本当は少しだけ驕っていた部分があった。もしかしたら、彼は自分にその心を向けているのではないのかと。
ふっ、と、誰にも気づかれぬままセリアは自嘲した。
黒の弟の噂と共に白の兄の話も聞いていた。
彼は弟とは真逆で、女関係が華やかだと元々からわかっていたではないか。それがただの噂ではなく、本当のことだったというだけだ。
変な驕りで恥をかく前に、事実を知れてよかったと思うと共に、白の彼にしな垂れかかっていた女を思い出して眉を顰める。
かつて愛していたリアンの姿をした彼が自分とは別の女と居るところを見てるのは、決していい気分ではない。
ただそれだけだ。
雑念を振り払うように頭を左右に軽く振って、セリアは前を見据えた。
今の自分に、余計な事に時間を割く余裕は、ない。
✿ ✿ ✿
「………」
リュシアンは遠ざかる華奢な背中を茫然と見つめていた。あれほど映してほしいと思っていた琥珀の瞳は、身震いをしてしまうほどに冷え冷えとしていた。
「リュシアン様?」
どうにか引きはがそうと肩に手を置いているにも関わらず、己の胸にしな垂れかかってくる女性を見下ろす。
ジェラミーの事を可哀想などと思っている場合ではないようだ。自業自得としか言いようのない有様に、リュシアンは自分の口の端が微かに持ち上がったのを感じていた。自分の事なのに、どこか他人事に捉えているのは、案外先ほどの冷たい瞳のせいだろうか。
琥珀の彼女に囚われてしまった自覚をしてから、リュシアンは密かに今まであった女性との関係を清算していた。今の彼女ともこれきりだと別れを告げようとしていたのだ。
残っているのは二人。今目の前にいる彼女と、幼馴染の少女。
今まで以上に時間がかかっていた。お互い割り切った関係だと思っていたのに、それはリュシアンだけだったようで、貴族の令嬢である彼女は食い下がってきたのだ。言い争いはしたくないため、どうにか言葉の端々から言霊をとって終わりに近づいてきていたと思っていたのに。
だというのに、なんと間の悪いことか。
「離れてくれない?」
「リュシ、ア、ン、様?」
聞いたことがない低い声に、思わず顔を上げて、令嬢は表情を硬化させた。
目の前にいるのは何度も愛し合っていたはずの彼。最初は火遊びのようなものだったはずなのに、途中から夢中になっていた。どうにか彼の心を掴もうとしていた矢先に告げられた、永遠の別れの言葉。
だから、縋ったのだ。
しかし今自分の目の前に居る男性は、その瞳に嫌悪感さえ浮かべて自分を見つめてくるではないか。
こんなはずではなかった。
「遊びはこれで終わりだって、いったでしょ?しつこいんだよ、君」
冷たく凍った瞳で一瞥して、白を身に纏った青年は身を翻した。
どうにか留まってもらおうと手を伸ばし、けれどすぐにその腕は降ろされる。
またあの瞳を向けられるかもしれないと思ったら、恐ろしくなってしまった。
✿ ✿ ✿
リュシアンの事は半ば無理やりに忘れることにして、セリアは自分の進むべき道を脳裏に思い描いていた。すると自然の彼女の歩みは止まり、廊下の大きな窓の一つに片手をかける。
半分以上がかけた今夜の月は、先ほどのように雲に遮られることもなくその涼やかな光を屋敷の中に降り注いでくれていた。
300年経っても、月は変わらない。前の世で、手持ち無沙汰になった時、城から見ていた夜の空も今とまったく同じだ。
それは彼女に安堵を与えた。
「あ、あのぉ」
「?」
いつになく感傷的になっていたせいで、傍に人が居たことに気が付かなかった。
もちろん、その人物が物騒な雰囲気を出していなかったというのも理由の一つではあった。
振り返れば、そこに立っていたのは、なんともちぐはぐな雰囲気を醸し出す女性だった。
セリアは思わず首を傾げてしまう。こんな人物、夜会に居ただろうか。
目の前に居る女性は身体を見れば立派な女性だ。薄い青色のマーメイドドレスには、真珠が縫い付けられているらしく、月明かりに反射して淡く輝いている。着る人を選ぶであろう形のドレスを着こなしている辺り、スタイルの良さも伺えた。
ただ問題なのは、首から上。
緩く巻かれている金髪の髪はまだ問題はない。ただ、彼女の前髪が厚く瞳にかかっており、更にはその可笑しな丸メガネのせいで顔半分が判別不可能な有様なのだ。しかし外気に晒されているすっとした小振りの鼻と薄いピンクの口紅が似合うその唇だけ見れば、それなりに整った容姿なのだろうとは想像できた。
「すみません、私、夜会には不慣れなモノでぇ」
外見だけではなく、喋り方にも少し癖があるようだ。
「道に迷ってしまってぇ、大広間までの道を教えてくださいませんかぁ?」
「………あ、え、は、はい。私も其方の方へ戻ろうと思っていましたので、一緒に行きましょう」
あまりにも興味深い人物との突然の邂逅にセリアは一瞬意識を飛ばしかけ、しかしその呼びかけに自分を立て直す。
そうしてお互い連れ立って歩き出した。
「本当にありがとうございましたぁ。会わなくてはいけない人が居たんですがぁ、どこにいるかわからなくてぇ」
「あぁ、そうだったんですね。会いたい方とは、テレジア様の事、でしょうか」
「いいえぇ、ノア様という、護衛の方ですけどぉ」
「え?」
足が止まり、そのせいで立ち位置に距離が出来た目の前の女性を見つめる。
「ノア、に用とは」
「あぁ!!!居た!!指定の部屋で大人しくしていてくださいって言ったのに!どれだけ俺が探したと思ってんですか!」
聞き慣れない口調と聞き慣れた声音。
息を切らし、両腿に手をつき、肩で息をするノアが廊下に姿を現した。
彼の登場に心なしか丸メガネの女性が浮足立ったように感じる。わからないのはセリアだ。状況はまったく把握できず、女性と自分の護衛を交互に見つめる。
そんな己の主の表情に気づき、とりあえず息を整え終えたノアがやってくる。
「なんだ、先に会ったのか」
「説明してもらおうか」
なにやらニヤニヤしながら近づいてきたので、女性の目の前ではあるが、自分の素の態度で悪態をつく。
一瞬傍にいた丸メガネの女性が驚いたように息を詰めたようだったが、すぐさま体制を立て直していた。
ノアは笑顔のままセリアを見て、丸メガネの女性を見た。
「協力してくれそうな人物を見つけたって言ったよな。彼女のことだ」
「あらぁ、ということは、この方がノア様のぉ?」
「そう。話してた俺の主」
「初めましてぇ、私、ユリア・トアロイと申しますぅ」
「トアロイ公爵の次女だ」
「なに?」
ノアの思わぬ言葉に、セリアの眉が寄った。




