迫る
「初めまして、クイシオン公爵」
「………」
アスキウレ家の本邸のある一室にて、彼と彼女達は対峙していた。
無言で室内を見渡していたシュナイゼルは、黙って視線を目の前のセリアに固定した。彼女は念のために瞼を閉ざしたままだ。
無言が室内を包み込む。
今部屋に居るのは小さな机を挟んで一人掛けの椅子に向き合うように座ったセリアとシュナイゼル、そしてセリアの座っている周りを囲むように立つキャロン、ノア、そしてマルセルの三人のみ。
シュナイゼルは本当に口数が少ないようだ。疑問も多々あるだろうに、一向に口を開こうとしない。気配を研ぎ澄まし、慎重に辺りを窺っているようにも思える。
「魔力に気づかれましたね。それは、何故?」
セリアらしくない、探りを入れない直球な質問。
シュナイゼルは小さく瞠目する。そして、目だけで目の前に座る四人の若者を観察した。
自分よりも遥かに年若い彼ら。けれどその中で、無意識に背筋を伸ばさせるような気配を飛ばす人物が居る。
それは、目の前に居る目を閉ざした彼女だ。
無条件に彼女の足元に跪きたくなる。自分の中に溜め込んだ秘密を打ち明けて、赦しを乞いたくなる。何故なのか、どうして急にそんな事を思ったのか、思い当たらないわけではなかった。
クイシオン公爵家に代々受け継がれる書物の中に記された贖罪の記憶が脳裏を横切った。
「アスキウレ家もまだ、魔力を持つ人間が居た、か」
低く、くぐもった声が聞こえてた。
目の前の人間があまりのも表情を変えないため、一瞬誰の声かと反応が遅れた。
どうやら、シュナイゼルの声らしい。
「も、ということは、クイシオン公爵家も、ということでしょうか」
マルセルが用心深く質問を返す。その声はいつになく固くなっている。
流石の彼も、滅多に人の前に現れない四公の公爵当主であり、この国の宰相でもある目の前の人物には恐れを抱いるようである。
無理もないだろう、と、セリアは思う。
いくら飄々をしていても、マルセルもまだ年若い。
「………単刀直入に聞こう。先日の夜会の後、暗殺集団を使って私達を襲ったのは貴殿か」
セリアは視界を使えない分、気配で目の前の人物の動きをと捉えようとしていた。彼の息遣い、汗の垂れ方、そうした身体の動き。
何一つ見逃さぬように。
「我が家に、暗殺集団などいない。居るのは、隠密を司る数名のみ」
「あぁ。それは確かなはずだ」
シュナイゼルの言葉とノアの言葉。ノアは先日クイシオン公爵家に潜入してもらっていた。そんな彼の言葉なら確かだろう。
「………嘘ではないようだな」
一つ頷いて、セリアはゆっくりと瞼を持ち上げた。そうして見えたのは、驚愕に目を見開く無表情で有名なはずのかの公爵当主。
「クイシオン公爵、私は『女神姫』に縁のある者。とある理由から、彼女の亡骸を貰い受けたいと考えている。協力を、していただけないだろうか」
セリアはそう言って、口元だけを持ち上げた。
果たして今の彼女の顔は、美しくも強烈だとと評判だった皇女の顔か、それとも腹の内を探ることに長けた底冷えのする策士の顔か。
シュナイゼルの表情に、初めて狼狽の色が見えた。それはまるで、何かを思い出そうとしているようにも見えた。
それがなんとなくわかったから、キャロンは自分の鬘を外して目の前の人物を見据えた。
彼女も、名高き皇女に付き従ってきた身。それなりの策略と陰謀の中を生きてきたつもりだ。主だけに、負担をかけるつもりは毛頭ない。
「クイシオン家の方ならば、彼女の瞳の色、わたしの髪の色の意味を、ご存じなのではないでしょうか」
それが決定打になったのか、シュナイゼルはがっくりと前のめりに項垂れる。両腕をそれぞれの膝に置くその姿は、まるで疲れた老人のよう。
「なるほど、ついに、か」
セリアとキャロンの想像は当たっていたらしい。
テレジアとの初めての邂逅を思い出していたノアもまた、状況を微かにだが把握することが出来た。
まったくわかっていないのはマルセルで、しかし賢明にも沈黙を貫く。それほどまでに、部屋の空気は張りつめていたのだ。
「もう一度、質問をしよう。クイシオン家は、私達の敵か、味方か」
その言葉にシュナイゼルはいつもの表情のない顔で答えた。
「私は、誰の味方でもない。ただ、この国を憂いているだけの身」
✿ ✿ ✿
シュナイゼルが中立でありながら、この国の行く末を憂いているとわかってから、幾つかの質疑応答を繰り返した。その中で、決して味方だと断言したわけではないが、敵対しているわけでもないとわかり、とりあえず会話は終了する。
四公の一つであるクイシオン公爵家当主が、この屋敷の中で長い間広間から姿を消しては怪しまれるという事で、彼は部屋を去った。
マルセルもまた、セリアに促されるがままに退場する。母であるアスキウレ公爵当主に伝言を頼んだのだ。
彼の姿を見送り、部屋の扉が完全に閉まったことを確認して、ようやくセリアとキャロンは深い息を吐いた。久々に緊迫した空気の中に身を置いた気がした。
「マルセル様の糸でわかりました。四公の中でも、魔力を有しているのはアスキウレ公爵家とクイシオン公爵家のみ。クイシオン公爵家でさえも、その魔力は微々たるものでしょう」
「あぁ、確かに、テレジア殿に比べたら反応が少し遅かった」
セリアは顎に手を置いて眉を寄せた。
ノアは彼女達のやり取りを静かに見守る。ここに、彼の出る幕はない。今彼の前に居るのは、三百年前に不幸の死を遂げた皇女と、彼女の第一の付き人なのだ。
「しかしクイシオン公爵当主の様子を見る限り、やはり黒なのはトアロイ家か」
「けれど………」
主の呟きに、キャロンは言い淀む。
その意味もセリアはわかっている。彼女の丁度考え付いたところだ。だから、頷いて見せた。するとキャロンは止めていた言葉を続けた。
「トアロイ家に魔力はないでしょう。けれど、テレジア様と同じように、姫さまの亡骸に触れた時に魔力に反応してわたし達の存在に気づき、尚且つ姿を変えているわたし達に気づき狙ったということならば、それはつまり」
「奴らの背後に魔力を持った人物がいる。そしてそれが、すべての黒幕だということだ」
キャロンの言葉を引き継ぐようにセリアが言い切った。そうして目を合わせた二人は、ほぼ同時に溜息を落とす。
謎解きもそれなりに労力がいるのだ。
と、そこで、何もいわずに佇んでいたノアが、咳払いをして己の思考の中に沈んでいるであろう二人の少女達の意識を自分に向ける。
「そろそろ来ても良い頃なんだけどなぁ、どこにいっちまたかなぁ」
「ノアの言っていた、協力者の方、でしょうか」
キャロンが首を傾けてノアを振り向く。この部屋に来て、初めて彼女達がノアに注目した瞬間だった。 しかし、注目されるべき重要な人物がまだ来ていない。その人物の性格を思い浮かべて少し心配になってしまった彼は、扉の方へ向かう。
「なんかあったらやべぇから、ちょっと見てくるわ」
そのまま彼は部屋の外へと姿を消す。
しばらく無言のまま、ノアの背後で閉じられた扉を見つめていたセリアだったが、すいっと自分の座っていた椅子から立ち上がる。
「姫さま?」
「少し、頭を冷やしてくる。お前はこのままここに居てくれ。誰かと入れ違いになっても困るからな」
流し目で己の一番の理解者を見れば、苦笑いと共に頷きが一つ返ってくる。安心した様子で口元を緩めたセリアは、そのまま部屋を後にした。




