乱される
「キャロン殿!!」
先ほど別れてからさほど時間が経っていないというのに、どこか慌てたように声をかけてきた青年に、キャロンは思わず取り繕うのも忘れて胡乱気な目を向けてしまった。
しかし彼はなにやら興奮しているようでそんな彼女の様子には気づかない。
「な、にか?」
非常に不味い気がするので、心持ち一歩下がる。
「キャ、キャロン殿は、その!結婚をどう考えているのだろうか!?」
「は?」
ちなみにこれはキャロンから出た声ではない。
丁度後ろを通りがかったセリアから出た言葉だ。どこに行っていたのか、朝食の後から姿を消していた主が、思わぬところで姿を現す。
大方、リュシアンから逃げていたのだろうけれど。
「あ、姫さ………」
このままジェラミーに言葉を紡がせてはいけないと思い、どうにかセリアに意識を向かせようと口を開いた瞬間、双子の弟の暴走は最高潮に達してしまった。
「キャロン殿!平民であるあなたのを正妻に迎えるのは些か無理があるので、どうか俺の愛人になってはくれないか!!生涯大事にすると誓うっ!」
ジェラミーは、今の自分を気持ちを素直にぶつけた。いや、ぶつけてしまった。
「………え」
「おい」
「あー」
「ちょっと遅かったみたい」
上から、青い顔のキャロン、死んだ魚の目をしたセリア、顔半分を手で覆ったマルセル、そして困り顔のリュシアンの反応だ。
その場の空気が凍った。
青い顔でただ立ち尽くしていたキャロンだったが、何を言われたのか正しく認識したようで、その顔を徐々に強張らせていく。
次の瞬間、大きく見開いた瞳から大粒の涙が零れだす。
「きゃ、キャロン殿!!」
「その顔でっ、その声でっ、そ、のような事を言わないでくださいっ」
言い募る彼女の声は震えている。
思わぬ反応に、ジェラミーは慌てふためき、背後の二人の青年は思わず黙り込んだ。セリアはただそんな彼らを見つめている。まるで、お前らがなんとかしろ、とでもいうかのように。
そんな彼らを尻目に、キャロンは止まらなかった。
泣いていたかと思えば、次の瞬間顔を上げジェラミーを睨み付けると、そのまま右手を振りかぶった。
その手は見事彼の左頬に的中し、乾いた音が鳴った。
「もう!あなたの顔など見たくありません!二度とわたしの前に現れないでくださいませっ」
涙をぬぐう事もせず、キャロンは走り去ってしまった。
気まずさだけが残ったその場に立ちすくむ三人の青年達。
その中でもジェラミーは、心臓を中心に身体が凍っていく感覚に襲われていた。
心臓が握り潰された様に痛い。好きな人が出来たのも初めてなら、こうして愛の告白をしたのも初めて。それがここまで無残に砕け散るとは、あまりにも予想外である。
とまぁ、彼は今の言葉が愛の告白であることを信じて疑わなかった。
そしてそんな青年達の間を漂い始めたのは、ひんやりとした冷気。
まるで真冬の雪山に足を踏み入れたかのような寒さにはっと顔を上げて目に入ってきたのは、廊下の端に佇み、まるで虫けらを見るような目でこちらを見つめてくるセリアだった。
彼女の視線は冷たく、軽く殺気さえ含んでいるような気さえするが、決して口を開こうとはしない。
ジェラミーは青い顔のままキャロンの走り去った後を見つめ、マルセルは気まずそうに視線を逸らす。
「せ、セリアさん、これは」
たった一人の少女の前では一瞬にして腑抜けになってしまう、常時詐欺師の双子兄はどうにか弁解しようと言葉を紡ごうとしたが、セリアはその絶対零度にも似た視線を弱めることなく一瞥すると、彼らとは逆の方向に歩き出した。
キャロンを慰めにいくのだろう。
最期まで、彼女はただただ冷たく濁った視線を送ってくるだけで、何も言う事はなかった。それが逆に気まずさに加速をかけている事に、彼女は気づいているだろうか。
いや、間違いなく気が付いている。
「俺は、何を間違っていたんだろうか………」
「「いや、全部だよ」」
兄と友人の言葉が、綺麗に重なって、項垂れているジェラミーの肩に投げかけられた。
✿ ✿ ✿
馬鹿な男達を背に歩き出したセリアが目的の人物を見つけ出す頃には、すでに夕日はだいぶ地上に近づいてしまっていた。
基本キャロンがセリアを探すことが多いので、その逆はかなりの時間を要してしまうのである。
灰色の真っ直ぐな髪が、風を受けて彼女の肩を撫でている。
薄暗いテラスに立つそんな涼やかな背中に対し、彼女の雰囲気は寂しそうで、セリアは無言で彼女の隣に寄り添った。
「笑えない冗談ではあったな」
「姫、さ、ま」
横を向いた乳姉妹の彼女の顔は、涙で酷いことになっていた。
自分よりは喜怒哀楽の激しいキャロンだったが、基本涙を流すことはしなかったように思う。特に、この世に生まれ再会してからは、初めてのこと。
その涙が、彼女の最愛の人物と同じ顔を持つ彼によって流されたモノとは。セリアは心の中で一人ごちる。因果、とでもいうのか、これを。知らずの内に浮かんだ皮肉気な笑みを見た者は居ない。
「カイ、ル、様と、同じ、顔が、傍、にあって」
キャロンが、しゃっくりを上げながら心の内を打ち明ける様に言葉を紡ぐ。
セリアは隣に寄り添い、視線でその先を促す。
「わたし、は、いつも、ざい、悪感、を、感じて、お、おりました!」
「なぜ?」
自分の亡き後、彼女はカイルと結ばれたはず。どこに彼女が罪悪感を感じることがあるというのだろう。それは素直な質問だった。
ある程度涙を己の中に引き込んだ灰色の少女は口元を引き結んだ。
それは、何かを耐えるときの彼女の癖。そしてそれは基本、彼女の勘違いによって起きることが多い。一人で溜め込んで誰にも打ち明けるようなことをしないから、彼女の間違いは一人歩きとして取り返しがつかなくなったことは、一度や二度のことではなかった。
つまり、セリアには、嫌な予感しかしなかった。
「カイル様は、姫さまをお慕いしていたのにも関わらず、わたしが無理を言って娶っていただいたのです!あの人の傷心に漬け込んだわたしはとんでもない悪女なのです!」
「あいつは馬鹿か!!」
「え?」
自分の心をぶちまけると同時に重なるように聞こえた主の誰かを詰る言葉。キャロンは思わず目を丸くして彼女を見ていた。
セリアは頭を抱える様にバルコニーの柵に両腕を乗せて、唸っていた。
「あ、の?」
どうしたのか、セリアに声を掛けようとすれば、逆に思いきり両肩を捉えられた。
昔は自分の方が小さかった体格の差も、今はあまり変わりない。確かにまだ、セリアの方が少々高くはあるが、それでも彼女達の視線の高さは一緒だ。
何故かこの時、その事実がどうしようもなく胸に突き刺さった。
「いいか、キャロン、よく聞け」
そんなキャロンの想いを知らないセリアの表情は必死だ。
「カイルは、私を愛していたわけじゃない。あいつは、お前を、愛していたんだ」
「え?」
「今となっては、簡単に信じられる話ではないだろう。だがな、あいつは、最後には、お前に気持ちを傾けていたよ。それこそ、私とリアンで焚き付けてからかうくらいにはな」
その日々を思い出したのか、セリアの必死な顔に、一瞬笑いを堪えるような笑顔が見えた。その心の底から何かを懐かしむような笑顔は、この話が事実であることを如実に示している。
「う、嘘です。だってあの人は一度も、そんな」
新しく浮かびだした涙の雫が、キャロンの赤く染めあがった頬を滑り落ちていく。セリアは彼女を掴んでいた腕を離してバルコニーの外に視線を向けた。
「だから、馬鹿だといったんだ」
まさか、最後まで自分の想いを伝えていなかったとは。
といっても、自分の死後、色々あったであろうことは想像できたので、これ以上誰かを責める気はしなかった。ただ、彼らを思って悲しくなるくらいは許されるだろう。
「きっと、私とリアンへの遠慮の気持ちがあったんだろう。自分だけ、幸せになることへの罪悪感で、彼は口を閉ざした。………似た者同士、というわけだよ、お前達は」
セリアの呆れた笑顔を見つめるキャロンの脳裏に、カイルとの日々が溢れだす。笑った顔も、苦しげな顔も、子供達を見つめる幸せそうな顔も、年老いた疲れた表情も。
ずっと隣で見てきたというのに、結局自分達は、根本的な部分ですれ違ってたというわけだ。
「………っ」
涙を溢れさせ、悲鳴が零れないように口元を抑えしゃがみ込むキャロンに、セリアは黙って寄り添った。
いつも彼女が自分にしてくれているように。
「セリア、殿」
「遅い、馬鹿が」
少しずつかけ始めているその月が空の中央に浮かび上がって少し経った頃、セリア達の居るバルコニーに遠慮気味に現れた二つの影に、セリアは不機嫌そうに呟いた。
大凡今まで人に罵られたことがないであろう貴族の双子の弟の肩が小さく飛び上った。
「カイ、ル、とは」
先ほどの話は、半分ぐらいからしか聞こえなかった。距離もあったため、聞き取れたのは、カイルという人物とキャロンが愛し合っていた事、そして、彼女達がそれを知らずにいたことぐらいだ。
「もうこの世に居ない、キャロンの最愛の奴の名だ」
「………」
ジェラミーの顔が、世闇でもわかるほど青ざめた。それこそ、死の病に侵された病人のそれだ。
彼のショックを受けた様を見て、少々溜飲の下がる思いがしたセリアは、片手でこちらに寄るように合図をする。
泣きつかれたキャロンは今、セリアの膝の上に頭を乗せ寝入ってしまっている。このままここに居ては、どちらも風邪を引いてしまうだろう。
カイルと同じ顔を持つ彼に頼むのもあれだが、背に腹は代えられない。
セリアはジェラミーにキャロンを託すことにした。
意外だったのか、ジェラミーとその隣に居たリュシアンは反応が遅れてしまう。
それでも、キャロンを難なく抱きかかえた黒髪の彼に、セリアは鋭い視線を向ける。ジェラミーの姿勢はまるで、上司と向き合った時のようにまっすぐと直立する。
「今回の事は、不問にしてやろう。お前が世間知らずのただの貴族の坊ちゃんということは、今までのことからわかっている。だが、次はない。もし、キャロンを笑顔にさせる自信がないのなら、彼女に近寄るな。彼女は、お前が興味本位で触っていい人間じゃない。それなりの覚悟と決意を見せてみろ」
真剣なセリアに、ジェラミーもまた、強い瞳を見返して見せる。キャロンを抱えたまま、セリアに一礼をして、彼はその場を去って行った。
二人を見届け、セリアはその場に残ることにしたらしい白の彼を見た。
「で?お前は何の用だ」
今のリュシアンに、軽薄そうな笑みは浮かんでいない。
彼女が彼から逃げる最大の理由、それは、自分の愛した生真面目だった彼の顔が、人を欺くように笑うのを見たくないからだ。つまり、セリアは知らず知らずの内に、リュシアンの本質に辿り着いていたというわけである。
だが、一方で、真面目なリュシアンの彼を見てもリアンを思い出してしまうため、どちらにしろ居心地は悪かった。
「質問があったから、残ったんだけど」
「質問?」
居心地の悪さを悟られぬように彼から視線を逸らすが、質問といわれもう一度視線を合わせずを得なかった。
リュシアンは真剣な表情で、一心にセリアを見つめてくる。
「セリアさんにも、居るのかな、と思って。想う人が」
「………いる、と、言ったら?」
少し間を置いて、嘘をつく必要もないと思ったから正直に答えた。すると、細められた紫の瞳。
「それが、あの時君が泣いていた理由なの?」
「!」
泣いていたと言われて思い当たるのは一度だけ。真実を言い当てられ、セリアの瞳が一瞬驚きに見開かれた。
まさか、見られていたとは。
「僕だったら、あんな顔、君にはさせないのに」
リュシアンの小さな呟きは、焦りの表情を見せ始めたセリアに届くことはなかったし、彼もあえて聞かせようとも思わなかったため、そのままひっそりと夜風に溶けて消えていった。




