暴走する
「そうなんだーばれたんだー」
アスキウレの屋敷の庭園を一望できるバルコニーにて、セリアとマルセルは対峙していた。といっても、そこに緊迫した空気があるわけもなく。
この屋敷の未来の主である青年は、今もまたバルコニーの手すりに片手をかけ、しかしもう片方の手はお腹に置いて文字通り身を捩りながら笑いこけていた。
「お前はなんなんだ。笑わなければ死ぬ病気にでも冒されているのか?」
逆にセリアは手摺りに背中を凭れかけ、腕を組んだまま、不機嫌な視線を隠すことなく青年に向けていた。なにが面白いのかわからないが、その理由の一つに自分が含まれているのはなんとなく理解できたため、非常に不愉快である。
「いやぁ、申し訳ない。君達が来てからというもの、どうしても笑い上戸になってしまって。日々新しい発見だらけでとても面白いんだ」
いけしゃあしゃあと言い切るあたり確信犯なのは目に見えている。
どうにも食えない狸のような男だ。
「それで?」
未だ目尻に溜まった涙を拭っている青年に、右眉を跳ね上げたセリアは問いかける。
「わざわざ私をここに呼び出した理由はなんだ」
そう、このバルコニーはマルセルが専用に使っている執務室に続く場所だった。つまり、この部屋の主の許可がない限り入ることは叶わない。
「別に、深い意味はないさ。ただ、僕の大事な友人が、君達の素を知ってどういう反応をしたのかと思って」
「それなら、今朝も見ていただろう」
『女神姫』奪還の道のりさえも難しいというのに、そこに更なる問題を加えてくる双子達に閉口していたセリアは知らず知らずの内に眉間を指先で軽く揉む。
「あぁ、あの」
マルセルは今日の朝食の風景を思い出していた。
それは、熱心に話しかける双子とそれに曖昧に返事をする少女達の姿。といっても、返事を返すのはもっぱらキャロンで、セリアは視線すら向けることなく黙々と食べ続けていたけれど。
「あんなものを見た後だ。お綺麗な貴族の人間なら尻尾を巻いて逃げだすかと思えば」
それほど、あの景色は異質であったはずだ。
「………余計に周りをうろつかれる羽目になった」
「あははははは!!」
また耐え切れなくなったようにマルセルは蹲る。今度は身体の上半身すべてを手摺りの上に押し倒し、腹を抱えて笑っていた。
「っ!もう知らん!!」
眉を引き攣らせながらマルセルを見ていたセリアは、捨て台詞を吐きながらバルコニーを去って行った。
無礼講とでもいうように大きく扉を閉めるというおまけつきだ。
その後もしばらく笑っていた青年だったが、バルコニーから見える庭園の隅に見えた二つの人影に気づき、その笑い声を潜める。
手摺りに頬杖をついてその掌に顎を乗せたまま、彼は一人ごちた。
「どうなることやら」
ミイラ取りがミイラになったその結末は、彼すらもわからない。
✿ ✿ ✿
「あのージェラミー様?」
マルセルが見つけた二つの人影、それは庭園を一心不乱に歩くジェラミーと、そんな彼に手を引かれ小走りに歩くキャロンだった。
キャロンはつい先ほどまで屋敷の使用人達と共に廊下の清掃を行っていたのだが、急に彼が目の前に現れ、あまりにも深刻そうな顔をしているから何を言えばいいかわからず、かと思えばいつの間にか手首を取られ引きずられるように歩き出していた。
残りの清掃が、と声を上げようとすれば、周りの使用人達の生暖かい視線を受けたので、思わず黙ってここまでついてきてしまったのである。
「あのー………」
さて、どうしたものかと思案し始めた頃、ようやく黒の彼は止まってくれた。と、こうして彼と二人きりになるのはほぼ初めてではないかと思い当たる。
話をするときは隣に必ずセリアかリュシアンが居たし、時々彼が話してくる時があったようにも思うが、日々の生活が忙しかったのでそこまで気に留めていなかった。
彼が緊張した面持ちで自分を向き直った瞬間、キャロンは息を止める。喉の奥が奇妙に引き攣った気がした。
それと同時に、自分が無意識の内に彼を避けていた事にようやく思い当たった。
「きゃ、キャロン殿、その、お話が、したくて」
少し蒸気した頬、挙動不審な動作、決して自分を直視しようとしない濃い紫の瞳。
顔が、声が、瞳が。すべてが、『彼』に、繋がる。
けれど『彼』は居ない。自分がきちんと看取った。沢山の家族に囲まれながら彼は逝った。最期に、主と同僚に詫びの言葉を告げながら。
その言葉達は、彼の心が、最後まで自分に向けられることがなかった証しでもあった。
再び主の元に舞い戻るために、自分達は一緒になった。
リアンはフィアナだけを強く想っていたから、仕方なくカイルがエヴァを娶ったのだ。
エヴァに貴族身分はない。あのままでは、決して将来のカイルやリアンの子孫と交わることはないと危惧したエヴァが、あえてカイルに持ち掛けた縁談だった。
いや、それすらも建前だった。
エヴァはただ、カイルの傍に居たかった。だから、主を引き合いに出したのだ。
カイルの心がフィアナにあるのを知っていて、けれど、彼の傍に居たかったために、ついた嘘。フィアナやリアン、カイル達の悲劇を置き去りに、幸せを感じてしまった日々への罪悪感。
忘れていたはずのそれが、ジェラミーとの出会いで再び溢れだす。
「………お話、とは」
彼に見られない角度で作った拳に力を入れ、冷静を装いながら問うた。
「あー、その、だな」
キャロンの姿を目にして、思わず連れ出した手前、いざ本人を目の前にすると言葉に詰まってしまう。
「キャロン、殿は、剣が得意なのだな」
「はぁ」
思わぬ話の展開に、思わず気が削がれる。
ジェラミーを見れば、今度は頬を掻きながらあらぬ方向を見ていた。ますます訳が分からない。そんなに挙動不審になるならば、何故わざわざ自分を引っ張ってきたのか。
「その、女性が剣をする、というのは中々珍しいことで。い、いや!別に否定をしているわけではないぞ。騎士団には、確かに数名だが女性も居るわけだし………。しかし、あなた方はそれ以上だった。それは、誰かに?」
視線がこちらに向けられて、再び重なる向日葵のような笑顔の彼の眼差し。
その顔で、それを問うのか。
「………はい。昔、何度も手合せして頂いたので」
「なるほど、つまり、その師匠の腕が腕がよかったのだな。まるで、舞いを舞っているかのようだった。一度、あなたの師に手合せを願いたいものなのだが」
「ジェラミー様。申し訳ありません」
いつものは穏やかな笑みを浮かべているキャロンは、その時、まっすぐに口を引き結んでいた。
泣きそうな、機嫌を害したような。そのどちらとも取れる奇妙な表情。
ジェラミーは慌てる。
「きゃ、キャロン殿!お、俺がなにか!」
「いいえ。やり残していた仕事がたくさんありますので、申し訳ありませんがここは失礼させて頂きます」
ジェラミーが何か言葉を紡ぐ隙も与えず、キャロンは一度礼をすると、そのまま駆け足でその場を去って行った。
✿ ✿ ✿
「俺は、何かしたんだろうか」
「なるほど、だからさっきからそんな風に鬱陶しいわけか」
キャロンが逃げて行ってしまった後、彼女の後を追う事も出来ずにいたジェラミーは、そのままマルセルの執務室に入り浸っていた。
案の定そこには双子の兄も居た。
弟の深刻そうな表情を華麗に無視して、机の上に置いてある菓子を頬張っている兄など、初めから当てにはしていない。
弟の困った視線は、一直線にマルセルに向かっていた。
しばらく黙って執務を行っていたマルセルだったが、その子犬のような面差しを叩き切るほどの人でなしではないため、困ったような笑顔で一度作業中断させる。
セリアからは胡散臭く思われているが、友人を思うほどの情はあった。
双子の弟は貴族の中の貴族と評判ではあるものの、その実子犬のような青年だった。
その繊細な心を隠すように少し横暴にも見える性格を装って生きているため、少しでも当たりが強ければこうして震えているのである。
ちなみに、その大半は彼が無意識の内に貴族主義な部分を出してしまい、それに抗議される結果なので、自業自得と云えばそれに尽きる。馬鹿な子ほど可愛いとは彼の事だ。
対して双子の兄は人でなしを地で行く人間だ。
セリアの前ではあまりにも腑抜けになるためすっかり忘れていたが、自分の利益になるもの以外あまり興味を示さない、けれどその本性を上手く隠して生活する人の皮を被った悪魔である。
彼のその甘いマスクに、何度女性が泣いたことか。それを笑って切り捨てるのだからその性格は推して測るべし。
「ジェラミーは、キャロンさんをどう思っているんだい?」
「………す、」
「す?」
友人の質問に耳まで赤くしたジェラミーは、座っている長椅子の上でその大きな身体を無理やり小さくする。
「好きだ」
「どこが?」
矢継ぎ早に質問する。でなければ、うまいこと聞きだすことが出来ない事を、相談役マルセルは嫌というほど知っていた。
リュシアンは優雅に紅茶を飲んでいるが、聞き耳は立てているようだ。
「さ、最初はあの髪色が気になって、だが、その内彼女の控えめなところや気が利くところに目が惹かれていったんだ。そして、あの夜、あの優雅で華麗な動きに胸を貫かれた」
「なに、その詩人みたいな表現」
「うっ」
「リュシアン、君は黙っていようか。それで、君はキャロンさんを好きなんだ。じゃあ、彼女をどうしたいのかな」
「どう、したい?」
普段女という生き物に接する機会が少ないジェラミーの事である。好きだとわかって、だからといってその先まで考えは回っていないに違いない。
彼の周りに居るのは、あの少々癖のある幼馴染と、少し女性関係が爛れている双子の兄。
ある意味最悪な状況である。だからこそ、とマルセルは考える。自分が助言をしてやらねばと。
しかし、双子の弟はマルセルが思っていた以上に過酷な状況下に居たらしい。
いきなり瞳をキラキラ輝かせたかと思えば、勢いよく立ち上がり両手の拳を胸の前で握った。
「好きの次は結婚だな。ということは、求婚しなければ………いや、待てよ。キャロン殿は確か平民の身分。確かに俺は三男だがやはり公爵家の人間だ」
拳を説いたかと思えば思案するように片手を顎にかける。
「え、あ、まって、ジャラミー?」
マルセルが思わずといったように声を掛けようとすれば、
「庶民である彼女を妻にするのは、やはり公爵家としては外見が悪いな………。となれば、あ、愛人か!」
なにやら双子の弟は一人で結論に達してしまったらしい。
「「は?」」
いつもの弟の暴走を野放しにして、紅茶を飲み進めていた兄は、しかしこの台詞を聞き流すことはできなかったらしい。
「となれば話は早い方がいいな!よし、本人の意見を聞かなければ!」
まるでとんでもなく素敵な事を思いついたという風情で、友人と兄が止める暇もなく、彼はそのまま部屋を飛び出していってしまった。
「ねぇマルセル、あれ、不味くない?」
リュシアンの質問に応えるかのように、茶髪の青年の深いため息が部屋全体に響き渡った。




