始まる
「大丈夫?緊張してない?」
「な、なにかあれば俺がフォローするから、も、問題はないぞ」
目の前に座る双子達に、セリアとキャロンは溜息を零すのを堪えて笑顔を返す。
「夜会にはあまり慣れていないので、少し緊張しています」
彼女の背中を鮮やかな青の髪が撫ぜ、
「もしかしたらご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いしますね」
もう一方の彼女の金髪もまた、彼女の肩の上で揺れていた。
大女優の名は伊達ではないのだ。
日が落ちる少し前に出発し、ゆっくり進んでいた四人を乗せた馬車は静かにその動きを止めた。
ちなみにマルセルはテレジアと共にもう一つの馬車に乗っていて、ノアに至っては数日前からクイシオン家に潜り込んでいる。
まずは男性陣が馬車を降りて、その後降りてくる己のパートナーに手を差し伸べる。
ここでも笑顔を張り付けて、セリアとキャロンはその手を取った。
と同時に、セリアはその瞳をゆっくりと瞑った。彼女のキラキラした琥珀の瞳がひっそりと瞼の奥に隠れてしまう。
それを見届けながら、少し寂しい気持ちになるのは、傍でその様子を見守っていたリュシアンとキャロン。
リュシアンは紳士的な動作を崩さないようセリアの手をとり、ゆっくりと歩き出した。彼にエスコートされながらセリアは溜息を堪えながら考える。
どうしてこうなってしまったのか、と。
正直な話、双子達とはこれ以上関わり合いになりたくはなかったのだ。彼らの幼馴染も面倒だったし、社交界でも名を馳せる色男達と共にいれば、彼女達も目立つのは必須。機密裏にすべてを行おうとしている彼女達からしてみれば、それでは元も子もなくなるのではないかとすら思った。
その旨をテレジアとマルセルに正直に伝えてみれば、彼女達は冷静に諭してきた。
というのも、夜会に参加するにはエスコート役が必要なのは明白。それに、ここに参加する本当の目的は公爵家当主への陰からの接触。
各方面から評判の高いリュシアンとジェラミーはすぐにでも女性達に取り囲まれるだろうから、その辺りの事情をうまく使えということらしい。
変に相手を用意して、ずっと傍に付き添われていても面倒だし、一人だけで行って、独身の貴族たちに声をかけ続けられるのも得策ではない。
マルセルがうまいこと噂を流して、彼女達の立場は保障すると言ってくれている。
300年前の社交界には精通しているものの、今世ではさっぱりの二人は、公爵家親子の献身的な後援に頭が上がらない。
まずはテレジアとマルセルが屋敷の中に入っていく。それから少し間を空けて、今度は四が足を踏み入れた。
「さっきは言い忘れたけど、そのドレス、とてもよく似合ってる」
「テレジア様に感謝です」
セリアはそう言って自分を見下ろした。といっても、今の彼女は目を瞑っているため何も見ることはできない。
もちろん、あらゆる武に精通しているセリアである。人の気配や足音、そしてその息遣いでその立ち位置を把握できるため、決して失態を起こすつもりはない。
セリアは自分の装いを思い出していた。
流石は公爵家の女傑と謳われる女性である。そのセンスは抜群で、セリアもキャロンも何も口を出す必要はなかった。
セリアはその小麦色の髪を青い長髪の鬘で隠している。それをさらに緩く巻いて、片方の肩から前に流した。ドレスは淡い紫色で、きっとリュシアンの瞳に合わせてくれているのだろう。装飾品のどこかにエスコート役の色を取り入れるのは、社交界での暗黙の了解となっている。スラリとしたマーメイドドレスの形をしたそれは、ノースリーブのように見せかけて、その実腕の部分と肩の部分をレースのシースルーでまとめていた。レースの部分は濃い目の紫色だ。決して下品ではないながらも色気のある装いは、セリアの勝気な顔立ちによく似あっている。といっても、今はそれすらも隠されてはいるのだが。
「き、キャロン殿も、その、綺麗だ」
「ありがとうございます」
キャロンは逆に、金髪の鬘をしていた。地毛よりも少し長い癖のあるその髪を左耳の後ろを蝶々型のバレッタでキッチリ止めている。そのドレスは光加減で黒にも見える濃い紫のたっぷり広がったスカートを、金色と黒色で上品に装飾のされた肩がむき出しのトップでうまく可愛らしさを抑えていた。キャロンの甘く優しげな顔立ちをうまい具合に引き立たせている装いである。
対してリュシアンはいつものように真っ白な燕尾服に、首の前で結んである蝶ネクタイはセリアの髪と同じ青い色。
逆にジェラミーの方は、黒い燕尾服にキャロンの瞳の色のハンカチを胸ポケットに入れている。
まるで自分達がパートナーであることを主張しているような装いに、正直セリアは閉口していた。キャロンは素直に、再びドレスが着れることを喜んでいるようである。
ふいに、テレジアの言葉が脳裏に蘇る。
『セリアさんとキャロンさんには少し、変装をしていただく必要があるかと』
『変装?』
『セリアさんの瞳の色、そしてキャロンさんの髪の色が今王都を揺るがせています。王家のからの通達ですわ』
そういって彼女が一枚の紙を取り出して見せる。
手配書のようなもので、そこには、琥珀色の瞳の少女と灰色の髪の少女を見つけ次第城に連れてくるように、連れてきたものには褒美をやる旨が書かれていた。
『………なんで私達はまだ無事、なんで、しょうか』
むしろこうして今ここにいることの方が不思議だった。自分達はあまりにも目立ちすぎている。たくさんの人達とも交流してきているのだ。城下で普通に生活していたのだから。
『知り合い達になら、もうすでにジュターのばあさんが手を打ってる。すでにその手配書も誰かに握り潰されてたみたいだしな』
セリアの祖母の横暴さを思い出してか、ノアが一瞬身震いをしていた。手を回したのもきっと彼女であろう。昔から謎の多い人間だったが、誰もそれについて穿り返したりしない。
命は惜しいのだ。
それを唯一止められるであろう祖父は、普通の好々爺で、自分の妻が何をしてもかわいらしいの一言で済ませてしまうのだから余計に達が悪い。
『この屋敷の者にも緘口令をだしているので、心配は無用ですわ』
テレジアも安心させるように口を開く。
『けれど、幾人かの貴族たちにはこの話は漏れてしまっています。社交界にあって、噂にされるのも時間の問題。ですので、セリアさんには鬘と盲目の振りを、そしてキャロンさんにも鬘を被っていただきます』
『ですが、それではセリアさんが………』
リュシアンがすべての言葉を言い終える前にセリアが強制的にその会話を終わらせることにした。これ以上彼に踏み込んでもらっては困る。
『わかりました。テレジア様の言う通りに致しましょう』
先ほどから、リュシアンが何かを言いたげな瞳でこちらを見つめてくるのが気配で分かったが、華麗に無視する。
マルセルとテレジアがうまいこと言ったのか、四人が入ってもその場は少しざわつくだけに留まった。事情を知らないリュシアンとジェラミーはそれを少し不思議がってはいたが、うまく誤魔化して、テレジアの案内の元、今回の主催者であるクイシオン家の当主に挨拶にいく。
元々社交界とは縁のないところからやってきた身だ。挨拶もそこそこに自分達の目的を済ませてしまいたい。
誰かが目の前に現れた。
「お久しぶりですわね、クイシオン公爵様」
「あぁ、久しいな」
言葉は続かなかった。
例の公爵閣下は物静かな人物であるらしい。
慣れているのであろうテレジアは特に気にした様子もない。慣れた様子でマルセルが挨拶を交わし、そしてその後ろに控えていた四人の若者たちを引っ張りだす。
「クイシオン公爵、今日はわたくしの我が儘を叶えて頂き感謝しますわ。この子達が例の分家の出身で、今はわたくしの屋敷に身を寄せている者達です」
「初めまして、フィアナ・テナと申します」
「エヴァ・トーと言います」
どこか慣れない動作であいさつの礼をする。もちろん、これも演技の一つである。分家といっても田舎出ということになっているので、あまりに完璧な礼儀作法を見せても怪しまれるだろういうセリア達の策だ。もちろん、名乗る名前も偽名だ。
念には念を。相手は敵か味方か。
「シュナイゼル・クイシオンだ」
言葉は終わった。
「それじゃあ、わたくしはまだ彼と話がありますので、若い者達は楽しく過ごしてきなさいな」
テレジアの言葉に解放され、マルセルを含んだ五人はとりあえず幾人かの有名処のあいさつ回りに繰り出すことになった。
「どうして!!?」
そんな最中、少女の甲高い声が響きわかった。
といっても、相手は腐っても侯爵令嬢。叫んだといっても音量は抑えているので、そこまで大事にはならない。しかし、近くにいたたくさんの貴族達はその声に気づき、遠巻きに当事者たちの観察を始めたようだ。
「どうして!!二人がわたくしじゃない他の人をエスコートしているの!?」
―――馬鹿にもほどがあるだろう。
セリアの心の声が聞こえたのか。キャロンがさり気なくドレスの袖を引っ張ってきた。間違っても、己の主が瞳を開かないための予防線だ。
高みの見物を決め込み、面白がって状況を把握しようとするかもしれないので念のため。
案の除、青い人物の方向から小さな舌打ちが聞こえてきた。キャロンはこれ見よがしに溜息をついて見せた。
「これはイングラム嬢」
「マルセル様………」
四人しか目に入っていなかった彼女が、ようやくマルセルに気が付いた。
「この間言っていた案件の一つに、彼女達のエスコートが含まれていたんだ。だから、僕が一番信頼できる相手に任せようと思っていてね。もちろん、イングラム嬢には申し訳なく思っているよ」
マルセルの言葉にセリアは小さく悲鳴をあげる、振りをした。
そうして、あたかも慌てふためいている様子を出しながらリュシアンからさり気なく距離をとって見せる。
なんとタイミング良く現れてくれたのだろう。
セリアはキャロンのドレスの裾を一瞬だけ掴み、合図を送った。
この機会を、存分に利用させてもらうことにした。
「は、初めまして………。私は、フィアナ・テナといい、ます。本当に、イングラム嬢なのですか?それだったら私、どうしましょう」
「それはわたしも一緒です。イングラム嬢。ミネルバ家のお二人にエスコートをお願いするしかなかったわたし達をお許しください」
セリアと同様の言葉をキャロンも紡ぐ。
「あ、あらぁ?」
予想外の二人の行動に、レイラも目を丸めたようである。
「リュシアン様やジェラミー様が、毎回イングラムのご令嬢をエスコートしているというのは聞いています。本当に申し訳ありません。悪いのはわたし達なのです。マルセル様に頼まれたお二人はどうしても断ることができなかったのです。私達にも同情してくれて、こうして良くしてくださっています。本当に、イングラムのご令嬢に相応しい素敵な殿方達でしょう」
「けれど、もう大丈夫です。こうして皆様にもお目通り叶いましたし、これ以上皆様にご迷惑をおかけするわけにもいきません」
「え、ちょ」
「お、おい」
リュシアンとジェラミーの声音が焦りを帯びた。
話の到着地点が見えたのだろう。
そしてそれは、傍で会話を聞いていたマルセルも同じ。
「こうして立ち去るご無礼をお許しください」
「じゃあね、イングラム嬢。二人はきちんとお返ししましたよ」
少し申し訳ない気持ちをキャロンが、そして笑いを堪えているであろうマルセルがそれぞれの気持ちを瞳に乗せ双子を見やれば、血の気を失くした双子達が見える。
青い髪と金髪の少女達は、公爵家嫡男と共に半ば強引にその場を立ち去るためにドレスを翻す。
残されたのは、まったく話の読めない双子とその幼馴染と、そんな彼らを見守る人々のみ。




