今世とは
「………今日も良い天気だ」
雲一つない澄み渡った青い空を見上げて、琥珀色の瞳を持った少女は大きく背伸びをした。
決して大きいとはいえないベランダの端に立ち、先ほど洗ったばかりの山のように積み上げられた洗濯物が詰め込まれた籠を床に置いてからの、一休みを兼ねた動作だった。
大量の洗濯ものを洗うという大きな作業が終わり、次はそれと同じ量を干していくというまた大変な作業。その合間に少しぐらい風に当たってみても誰も文句は言わないだろう。
まだ朝が明けてそれほど時は経っておらず、肌を掠める風は少し冷たい。限りなく金髪に近い少し癖のある茶色の長い髪も、少女の背で風と共に踊っている。もう冬が終わってしばらく経つというのに、朝方は冷え込む日が続いていた。
伸びをしたせいで風通しが良くなりほんのり冷たくなった身体を両腕で軽くさすって、彼女は籠の中身に手を伸ばした。
「姫さまー、姫さまー?どこですかー?」
最後の一枚を、祖父が昔ベランダに取り付けたいう紐にかけた所で、下から声が聞こえた。それが自分を示す愛称だと知っている少女は、小さく溜息をついてからベランダの柵から身を乗り出し下を見る。
見えたのは灰色の真っ直ぐな髪。肩上の高さで綺麗に切り揃えられたその髪が左右に大きく広がっているのは、きっと誰かを探すために髪の持ち主が顔を左右に動かしているからだろう。
そして彼女が探しているのは自分だ。
ちなみに彼女は決して姫などという大層な身分の者ではない。今は、とい言葉が付け加えられるものの。
「キャロン、上だ、上」
突然聞こえてきた声に、灰色の髪の少女は上を見上げる。目的の琥珀の瞳を見つけて、彼女は目を輝かせるとそのまま建物の中に駆けこんでいった。
灰色の髪の少女が走り去った理由がわかっている琥珀の瞳の少女―――セリアは、慌てることなくベランダの柵に背中を預け、再び上を見上げた。
そこにあるのは、先ほどより濃くなった青。ただそれだけなのに、彼女は嬉しくなって笑みを浮かべた。
絶望の中に沈んだあの日、最後にこの瞳が捉えた色も確かに青色で。またこうして見れるようになるとは思っていなかったからこそ、こみ上げてきた笑みは消えずにいた。
「姫さま、相変わらず朝が早うございますね」
走ってきたにも関わらず、息一つ乱すことなく穏やかな笑みを浮かべる灰色の髪の少女に、セリアは朝の挨拶を送る。
「キャロン、おはよう」
それはただのあいさつだった。誰もが、誰とでもするような本当に些細な日々の出来事の一つ。何度も繰り返してきた言葉を聞いて、けれどキャロンは泣きそうな顔をして笑った。
「はい。おはようございます。姫さま」
彼女達は知っていたのだ。
そんな日々が本当は、砂で出来た塔のようにあっけなく一瞬にして消え去るものであると知っていたから。だから二人はいつでも笑っていた。
「今日も一日に感謝して、精一杯生きることにしよう」
セリアの琥珀色の瞳が力強い光を帯びてキラリと輝く。その瞬間が、キャロンは好きだった。300年前から、ずっと。
「はい。お供いたします」
キャロンの灰色の髪が朝の光によって光沢を増した。その一瞬にセリアは瞳を細める。見慣れた色だった。300年前からずっと。
300年前、セリアはとある国の皇女だった。
300年前、キャロンは皇女の傍付きで乳姉妹であった。
ある日、片方が永久に明日を失い、片方が絶望に溺れた。
けれど300年後の今世に、何の因果か奇跡の果てか、二人揃って生を受けた。再び出会った彼女達は誓い合った。日々に感謝し、小さな幸福を取りこぼさないようにすることを。
―――限りある生を、今度こそ後悔のないように生きていくために。
歩き出した彼女達は、まるで示し合せたかのように同時に背後をを振り返る。何もないはずのそこを見て、彼女達ははっと我に返る。
お互いの行動に目配せをしあって、二人の少女達は苦笑いを零した。
そして再び歩き出す。
―――たとえそこに、後二人の姿が足りなかったとしても。