やってくる
「なんなんだ、これは」
お使いという名目で情報収集からノアが帰ってきたのは、彼がでかけて二日後の事だった。この長さはあまり珍しものではないので、セリアとキャロンは別段心配も驚きもしない。
帰ってきて早々、見慣れない光景に迎え入れられたノアがそれだけ呟く。
「まぁ。見ての通りだと思いますよ」
「まぁ、見ての通りだ」
傍でその呟きを聞きとめたキャロンとセリアがいたって真面目に返事をする。
なにやらデジャヴを感じずにはいられない場面の気がするが、それはとりあえず横に置いておいて、ノアが二人を見た。
「見ての通りの状況がわかんねぇから聞いてんだ」
藍色を纏う己の護衛を見上げて、セリアはやれやれと見せつける様に首を横に振って見せた。
「まったく。飲み込みの遅い奴だな。そんなんだから28にもなって女性の一人も口説き落とせないんだ」
「おい、それとこれとは」
「二軒隣の八百屋の娘さんが折角お前に菓子を作ったっていうのに、お前は………」
「おいぃぃぃ!!お前がなんでそれを知ってんだよ!!?」
ノアの悲痛の叫び声に、目の前に繰り広げられていた騒動が止まった。
「あらぁ?」
鈴を鳴らしたような可憐な声は、決して、草木を通り抜ける凪いだような澄んだセリアの声ではなく、かといって水辺を反射するキラキラした軽やかなキャロンの声でもない。
それは、双子騎士の幼馴染兼世間から女神姫の生まれ変わりと噂される絶世の美少女、レイラ・イングラムのものであった。
彼女は今双子騎士の腕を片方ずつ掴み、その間に立って彼らと言い争っているところだったのだ。
それが屋敷の玄関で行われているものだから、響く声は大きく。何事かと見に来たセリアとキャロンの二人は、けれど面倒事に巻き込まれるのがいやで、階段の中ほどから鑑賞を決め込んでいた。
屋敷の玄関口から二階にかけては吹き抜けになっているので、知られないように二階から玄関の方面を見ることは可能だったのだ。
しかしそれも、ノアの大きな声により参加を余儀なくされたようだ。
「おや、セリアさん」
「きゃ、キャロン、殿」
リュシアンは取ってつけたような愛想笑いに比べ、ジェラミーは完全に異性を意識する少年のような表情だった。
キャロンとセリアは同時に心の中で溜息をついた。
幼馴染というのは幼い頃から交流があるということである。ということは、双子のそういった態度の変化にもいち早く気がついても不思議ではない。
だからこそ、彼らに名前を呼ばれた二人に、睨み付けるような鋭い視線をよこしてきたのだろう。
ちなみに今日まで、双子は毎日のようにセリアとキャロンをお茶に誘ってきていた。酷いときには一日二回もである。
その度に気まずい話題を提供しては席を立つのだが、この手段もそう長くはもたない。
というわけで、二人としては、この幼馴染の少女に早々にでも双子を引き取ってほしいのである。
「あなた達は………」
声を掛けながら、けれどその表情は硬い。彼女はすぐに幼馴染達に向き直った。
「あの人達なの!あなた達が全然屋敷に帰ってこない原因は!」
「ち、違う!!」
ジェラミーが否定の声を上げると同時に、
「帰ってない?」
キャロンが首を傾げた。確かにかなりの頻度で彼らを見るが、屋敷に戻っていないというのはどういうことか。
キャロンが疑問の声を上げるのとは逆に、セリアはただただ階段の下に居る三人の様子を窺い続けた。話は大体読めているのだ。
ただ対応するのがめんどくさいだけで。
「おや、イングラム嬢。双子達のお迎えかい?」
話がまったく進まない状況の中で、まったく別の場所から別の声が聞こえてきた。セリア達が居る階の左奥の廊下からやってきたのは、この屋敷の嫡男、マルセルである。彼はいつも通りの笑顔を浮かべ階下に居る三人に声をかける。
「すまないね、イングラム嬢。実は今彼らに、少し手伝ってもらっている案件があるんだ。だから彼らをしばらくの間私に貸してくれないかい?とても大事なものでね、今彼らが居なくなるのは少し困るんだ」
どこか含みのあるマルセルの声に、セリアは胡乱気な表情をむける。
嫡男である彼は、歴代の事情に乗っ取り、ある程度の話をすでに知っていた。そこに、少しだけ事実を織り交ぜて話してある。
ただ、セリアとキャロンが生まれ変わりであるということ、そして魔術の保持者であるということだけは彼ですら知らない。あまりたくさんの人に知られるのは得策ではないと、二人が案じたためだ。見ず知らずの人を巻き込みたくはない。
セリアの素の状態を知っているマルセルは相変わらずの嫌味のない笑顔を一瞬だけセリアに向けて、それからまた下に視線を戻す。
「あぁ、それから。彼女達は私の母の客人でね。今王都に用事があってこの屋敷に滞在してるんだ。アスキウレ家の分家の方々だから、もしどこかで会う事があるかもしれない、その時はよろしくお願いするよ」
マルセルは母に似て、事実を煙に巻くのがうまい人間だった。
なるほど、彼ならば案じることなく四公の中でも力のあるアスキウレ家を継いでくれることだろう。そして、そんな彼の誘導にまんまと引っかかったのは双子の腕に抱き付いているご令嬢である。
可愛らしく頬を膨らませて両隣のリュシアンとジェラミーを交互に見詰めていた彼女は、それから小さく溜息をつく。
「まぁ、マルセル様、そういうことでしたの」
その瞬間、セリアとキャロンはこのご令嬢を、『あまり頭の強くない世間知らずの箱入り娘』と認定した。しかしそんな人物は時にとても厄介になることを彼女達は前世で嫌というほど学んでいる。
ので、双子達同様距離を置くことに決めた。
「初めまして、セリア・ゴビーと申します。どうぞお見知りおきを」
「キャロン・シャトーです。お会いできて光栄ですわ」
「………ノアだ。この二人の護衛をしている。よろしく頼む」
流れるような仕草で自己紹介をした少女達に遅れて、ノアがぎこちなく挨拶をした。
テレジアの客人である少女達と、マルセルの用事で滞在せざるを得なくなった幼馴染達では、あまり交流もないだろうと、とりあえず己を納得させたレイラは、双子を掴んだままだった腕を離し、誰もが見惚れるような淑女の礼をとった。
「先ほどは不躾な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。わたくし、イングラム家が長子、レイラ・イングラムと申します。セリア様、キャロン様、先ほどの無礼お許しくださいませね。………ただ、毎日のように時間を共にしていたリュシアンとジェラミーがこのところ姿を見せなかったので心配してしまったのです。二人とも、わたくしが少しでも姿を見せなかったら心配して屋敷に押しかけてくるのに、いざ自分達がとなるととても疎くて。けれどマルセル様のお手伝いなのであればしょうがありませんわね。どうぞ二人の事、よろしくお願い致しますわ。噂では気難しいなどと言われているのですが、本当はとても優しくて頼りになる二人ですのよ」
淑女の礼は見せていても、話している内容はとてもじゃないが淑女の欠片もなく、セリアとキャロンは口元が引きつるのを感じていた。
マルセルも苦笑していたし、ノアに関しては表情には出していないが呆れ気味だ。けれど当のレイラの視線は忙しなく双子の方に向いているのでまったく気が付かない。
長々と語ってはいるが、ようは、『双子の騎士は自分のもの。お前達に入るこむ余地はないぞ』ということだ。
大方、他のご令嬢たちもこうして牽制してきたのだろう。だから、社交界ではもっぱら双子のどちらがイングラム家の一人娘を射止めるのかで賑わっているのだ。もちろん、その噂を仕入れてきたのはノアである。
最近の迷惑な来客への細やかな意趣返しを込めて、セリアはそれはそれは綺麗な笑顔をレイラと双子達に向けた。
「女神姫の生まれ変わりと名高いイングラムのご令嬢と護衛の生まれ変わりと云われているミネルバ家のお二人をこうして並んで拝見できるなんて、本当に夢のよう。まさに噂通り絵になる皆様に、私達がお近づきになるだけでも恐れ多いことですので、こうして皆様方の姿を遠目に拝見するだけで大満足です。ねぇ、キャロン?」
生まれ変わりの件ですでにレイラの顔はキラキラと光りはじめ、反対に双子達の表情は暗くなる。
リュシアンは、まるで余計なことを、と云わんばかりに咎めるような視線を送ってきたし、ジェラミーに関しては、最後にキャロンに話を振ったところで顔色が青ざめてしまった。
「えぇ、本当に。わたし達はこうして皆様をみているだけでいいのです。この最初で最後になるかもしれない大事な機会をしっかり脳裏に焼き付けておきたいと思います」
「ま、まぁ!!なんて素敵な事を言ってくれる方々なのでしょう!こんなに真っ直ぐ褒めて頂けるなんて光栄ですわ!本当に最初の無礼をお許しください。マルセル様、少しの間リュシアンとジェラミーをお返し願いますわね!」
三人揃って褒められたことで、レイラはセリアとキャロンを敵認定から外してくれたらしい。興奮冷めやらぬ声音のまま、双子の腕を掴んで引きずりながら、玄関の外に出て行ってしまった。
双子はこういったレイラの性格を熟知しているのだろう。大人しく引きずられていった。
「く、ふふふふ」
静かになった屋敷の玄関先に、マルセルの小さな笑いが響く。
すでに笑い始めていた彼は、若干すっきりした顔のセリアとキャロンを見て、再び口元に己の拳を持ってくると、もう一つの手をお腹に当て、大きく笑い出した。
「はっはっはっ!!さすがはセリアさんにキャロンさんだ。あのご令嬢と双子を一瞬で」
「最近構われすぎてイライラしていた。これぐらいやっても罰はあたらん」
セリアは笑顔でマルセルに返事をした。もちろん、自分のしたことを否定はしない。そうして彼女はノアを向き直る。
「知らべた結果を聞きたい。テレジア殿の元へ向かおうか」
「テレジア殿にはもう話は通してある。前に俺達が通された応接間で待ってるぞ」
貴族の屋敷にきてからというもの、自分の存在がかなり薄くなっているのを実感していたノアは、ようやく自分の伝番がやってきたと言わんばかりに口を開いた。
「………そうか。わかった」
一拍の空白の後、セリアは身を翻して歩き出した。その後を神妙な顔をしたキャロンとノアが続く。マルセルは、彼らと自分の間にある見えない大きな溝を感じていながらも、遅れを取らないように彼らの背中を追いかけた。




