逃げる
ようやく主人公と双子達が絡みはじめます。
少し長いですが、お楽しみいただければ幸いです。
当主に連れられてやってきたのは、執務室のような場所だった。
その部屋に入った途端、セリアとキャロンは息を呑んで目を見開いたままその場に数秒棒立ちになってしまう。
いきなり動かなくなった二人を見て首を捻ったのはノアで、テレジアはまるで分っていたかのように口元に小さな笑みを浮かべていた。
「やはり、見覚えがあるのですね」
「ここは、兄者の………」
「皇太子の………」
「はい。祖先が一度だけ訪れたことのある、アテナイ国の執務室の一つを模したものですわ。今は使われては居りませんが、作られた当時のままこのように保管してあります。ぜひ、お三人に使って頂きたいの」
床に敷かれている深みのある灰色の絨毯も、部屋の奥に見える大きな窓も、その前の大きな執務台も、その前に置かれている低めのテーブルも長椅子も、すべて見覚えのあるものだ。場所も忠実に再現されたる。王太子の部屋は、城の一階にあって、窓からは生い茂る木々が見えた。
心が震えるのを感じながら、セリアは無理やり震える身体を抑え込み、目の前に立つ女性を見つめる。 彼女の視線を一心に受け止め、テレジアはその瞳を大きく見開く。
目の前に立つ少女の琥珀の瞳に烈火の色を見つけたからだ。心臓が、誰かに握られたかのようにどくんと大きく音を立てた。
そんな女性の気持ちを置いてけぼりに、セリアはアテナイ国の敬礼と共に感謝を述べた。
「テレジア殿、あなたの心遣い、心より感謝する。私は、何があろうと自分の身体を取り戻し、今度こそ天に返したい。それが、私と、そして今は亡きアテナイ国の人々の弔いと信じているからだ」
「………」
テレジアは何も言わなかった。
否、言えなかった。
セリアの瞳の色、心意気、言葉。それがあまりに強烈で、呼吸を奪われていたから。けれど彼女も、四公の一つである公爵家を女で一つで支えてきた身だ。すぐに我に返ると艶やかに笑った。
「いいえ、感謝するのはわたくしの方。こうしてあなた方とお会いできたこと、本当に感謝していますわ」
―――こんなにも綺麗で艶やかな色に、出会うことができたことに、心からの感謝を。
✿ ✿ ✿
「やぁ、こんにちは」
「………」
目の前に現れた白の彼に、セリアは顔が引きつるのを感じる。
「また、会ったな」
「あら、まぁ」
その横に立つ黒の彼を見て、キャロンは驚きに目を見開いた。
セリアは気を抜けば零れそうになる溜息を押し殺して遠い目をする。ここ数日、彼女達は行く先々で、双子と遭遇していたりする。しかも、屋敷の中で、でだ。
最初は 偶然と思い猫を被って接していたセリアだったが、こう何回も重なると、流石にそうもいってられなくなるもので。
というか、猫を被るのにも労力がいるのだ。
抑えきれなくなった深い息を吐きだした後、セリアは胡乱げな目をして双子を見る。その瞬間、双子の黒い方が驚いたような表情を見せ、その反対に白い彼は笑みを深めた。
セリアは引き攣り笑いを浮かべながらどうにかこの状況を打破しようと考える。
けれどうまい案が浮かばない。それでなくても今の彼女は、テレジアからの内部の情報、そしてノアからもたらされる外からの情報で頭がいっぱいなのである。余計な事に考える力を使いたくはない。
しかも相手は、関わり合いになりたくない厄介な人物達なのだ。
「おや、いつもいる彼は?」
白々しい様子で辺りを見渡すリュシアンは小さく首を傾げた。
それは青年である彼には失礼だが、とても可愛らしい仕草だ。彼の顔が中性的なのもその理由の一つだろう。
しかしそれは、リュシアン『だけ』を知っている人に限る。
「「………」」
彼に瓜二つだった自分達の護衛、『リアン』を知っているため、セリアとキャロンの二人は自然と背筋が寒くなるのを感じた。
思わず唾を飲み込んで後ずさりをしようとしたほどだ。気が付いてすぐに己を抑制したので誰にもばれることはなかったが。
そんな二人の脳裏を無表情冷血を絵に書いたようなリアンが過ぎ去っていった。
今回はキャロンの方が立ち直りが早かった。
前世で培った余所行きの笑顔を張り付けて目の前の双子に対応する。気持ちはさながら、めんどくさい客人にお茶を出す侍女の気持ちだ。主が世界でも名高い女神姫だったため、それなりに厄介な人物とも渡り合ってきた経験が彼女にはあるのだ。それこそ自分の数倍は年齢差のある人物達とも。
だから、年若い双子など敵ではない。
―――心を揺さぶられる容姿を持っている、という事を除いて、ではあるが。
「ノアのことですか?彼ならテレジア様のお使いで少し屋敷を離れています」
「それでは、騎士様方、私達はこれで失礼しま「せっかくだし、お茶でもしていかない?」
思いきり被った台詞にセリアは今度こそ礼儀を忘れて目の前の青年を睨み付けた。
彼らが敵か味方かわからないがため下手な行動に出られないのが裏目に出た。あれよこれよという間に、セリアとキャロンは彼らが滞在しているであろう客室の方向へと案内されたかと思えば、次の瞬間にはテラスの椅子に、お茶を片手に座っていた。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。別に取って食おうなんて事しないから」
「………最初からそんな心配はしてません」
色々隠し事があるせいでうまいこと逃げ切ることが出来なかったことに口惜しさを覚えていたセリアは、悔しげにリュシアンの言葉に応えた。
取って食おうとされれば最後、逆に返り討ちにしてやる気満々だ。
むしろそっちの方がすべてがうまく収まる気さえする。
主の性格を知り尽くしたうえで、彼女が何を考えているのかある程度把握できるキャロンは、その隣で小さく苦笑している。
彼女が笑う度に小刻みに彼女の灰色の髪が揺れ、それに目を奪われているのは双子の弟の方だった。
最初は灰色の色彩にのみ目を奪われていたが、こうして接する機会が増えたため、灰色の少女すべてに関心を寄せることが多くなった。
そうして気が付いた彼女の控えめな笑顔と、頭の回転の速さをうかがわせる会話の数々。それは一気に彼の彼女に対する興味を加速させた。
ジェラミーの隠そうともしない強い視線にとうに気づいているキャロンは、笑顔の裏でどう彼と接すればいいか考えあぐねていたりする。前世で長いときを生きた彼女は、セリアよりもよほど経験値が高い。その分人々の気持ちにも敏感だった。
彼に深入りするのは禁物だ。
それでなくても自分達は厄介な立場に立っていて、これから更に複雑な状況の中に身を投じていくのである。変に仲良くなっても後が面倒になるだけ。それに、何も知らない年若い青年達を自分達の事情に巻き込むわけにもいくまい。
そう思ってはいても、彼を無碍にできるはずもなかった。
彼の顔が、前世の愛して止まない夫のものなのだから、戸惑いは倍である。
キャロンとジェラミーの戸惑いの気持ちを隣に置き去りのまま、セリアとリュシアンも対峙していた。
リュシアンからしてみれば、何度も逃げられ続けた相手をようやく目の前に留めることができたのだ。なんとか少しでも自分に利益のある情報を得たいものである。
というのも、セリアの琥珀色の瞳を見つけて以来、自分の夢との共通点を探して、彼女の情報を探っていたのだ。けれど何も出てこなかった。王都の端にある中々栄えた宿屋の孫娘で、両親を流行り病で亡くして以来祖父母の元で過ごしている。近所の人々の話を聞いても、朗らかなな娘としか返事は帰ってこなかった。
けれど彼の勘は告げていた。彼女がただの町娘でないことぐらい。
それは彼女の好戦的な瞳と態度から見ても明らかだ。普通の娘がこんなにも強い視線を持つはずがない。それに、かなり評価のある自分の顔を見ても動じないのは、彼女が初めてだった。
生まれた時から傍にいる幼馴染ですら、自分の顔に見惚れることがあるというのに。
それだけで興味がわいた。目の前の、琥珀色の瞳を持つ、何ともちぐはぐな少女に。
「お互い客人同士なんだし、少しぐらい仲良くしない?きっと有意義な時間が持てると思うんだ」
「私達はテレジア様の客人、お二人はそのご子息のご友人と伺っています。あまり有意義な点は見つからないかと思いますけど」
リュシアンが自分に興味を持っているという事を百も承知だったセリアは、それが自分の正体を見極めるためということを正しく理解してた。ノアによって、彼が自分の情報を集めているということもすでに承知の上である。
どうしても引く様子のない青年に、どうしようかと考えを巡らしていたセリアはあることを思いついた。
先ほどまで不貞腐れる一歩手前だった顔を、何かを思い出したような晴れやかな表情にすり替えた。
「そうだ!私達、お二人に聞きたいことがあったんです!ねぇキャロン」
「……あぁ!そういえばそうでしたね」
いきなり話題を振られたキャロンは、瞬時に頭の切り替えを行い、主の求める返答をした。もちろん、セリアは満足そうな笑みを浮かべた。どうやら彼女の望む応えを返せたらしい。
そして、びっくりしたのは元侍女だけではなく、急激なセリアの変化についていけなかったらしいリュシアンもジェラミーでさえも瞬きを繰り返していた。
そんな彼らを華麗に無視してセリアは言葉を続けた。
「友人達からよく聞いてたんですけど、お二人は女神姫の護衛騎士の生まれ変わりだと噂されているんですよね?」
セリアが『生まれ変わり』と言う言葉を紡ぐ否や、双子の顔が歪んだ。気分を害したのは一目両全だだが、彼女はそんなの気にしない。
今大事なのは、このめんどくさい状況をどう突破するかどうかである。
「しかも、幼馴染のお嬢様がそれこそ女神姫の生まれ変わりなのではないかとも。お二人は前世の記憶などないのですか?もしあればぜひ聞かせてほしいです。私達すごく憧れているんです、前世や運命というものに」
もちろんすべて嘘っぱちだ。
しばし沈黙が四人の間に横たわった。
「………君がそんなものに憧れているなんて意外だね。でも、憧れを壊すようですまないね、生まれ変わりなんてすべて世間の噂が独り歩きしたもので、僕達には全然関係ないんだよ」
「そうなん、ですか」
セリアとキャロンが落胆したのは本当だった。
彼女を注意深く観察していたリュシアンは、二人の落胆が本物だと気づき少し眉を寄せる。あまりにも普通過ぎる反応だったからだ。
「君のその琥珀色の瞳は家柄のものなの?それに、キャロンさんのその灰色の髪の毛も」
「そ、それは俺も気になっていたんだ」
キャロンに注目しすぎて会話がおろそかになっていたジェラミーがようやく口を開いた。
「はい。珍しいでしょう?この色は祖母のおばあ様の瞳の色だと教えてもらえました。よくこれでからかわれていたからあまり好きじゃないんですけど」
セリアはそう言って少し瞳を伏せる。
「わたしのは、父方の祖父からだそうです。その祖父も珍しい色に苦労したと聞いてます。といっても、ひ、セリア、ほどではなかったですけど」
キャロンは儚げに笑って見せた。
それがあまり触れてほしくない話題に触れたのだと、双子の青年は捉えたようで、少し気まずい顔をした後、沈黙してしまった。
「あの、私達テレジア様に用事があって………。この辺りで、失礼してもいいですか?」
気まずい空気の中で、伺いを立てるような声音でセリアは言葉をかけた。
「あ、あぁ。もちろん。ごめんね、巻き込んでしまって」
「悪かったな」
双子達は存外素直な性格らしい。少し困った顔で頷いてくれた。
「いいえ。気にしないでください」
「それでは、失礼します」
一礼をして、セリアとキャロンはテラスから抜け出した。
双子の死角に入った瞬間、セリアはキャロンを見た。その背後には、あかんべをして舌をだしているセリアが見えた気がして、キャロンは思わず苦笑して肩を竦めて見せる。
一連の会話の内容はすべて嘘である。
琥珀色の瞳はセリアの前世の名残であることは明白だったし、キャロンの灰色の髪にしても同様だ。もちろん、からかわれたという件も作り話である。ノア曰く、最強で最恐なセリアの祖母の保護下でセリアとキャロンを苛められる者など、居やしないらしい。
ここに、二名の大女優が誕生した。




