知らなかったのは
それは、久々に見た自分の在りし日の姿だった。
軽くウェーブのかかった金髪の髪は最期に鏡で見た時と同様に腰よりも更に下の辺りにまで流れていて、エヴァがいつも楽しそうに手入れをしてくれた時そのままの光沢を残している。
着せられている白いレースのドレスと同化しそうなほど白い肌も、首や手の細さも、すべてがそのままだった。目を瞑っていてもわかる。その瞳を開ければきっとあるのは今の自分と同じ琥珀色の瞳だろう。
自分が自分を見ている。しかも、300年後の、まったく違う場所で。
セリアは自分の体内の血が逆流しているのがわかった。血は荒れ狂っていて、心の臓はまるで耳元に差し出されているかのようにその音を主張する。それなのに、握った拳は酷く冷たく、身体は血の気が一気に引いてしまったかのように凍って動かない。
まるでこの世界にただ一人取り残されたかのような。
疑問は尽きなかった。
何故。どうして。なんで。
その時、隣にいるキャロンが息を詰めた気配がした。それによってセリアはようやく自分が建物の中にいて、たくさんの人に囲まれている事実を思い出した。
自分と同様に衝撃を受けているであろうエヴァ―――キャロンは、静かに泣いていた。
「姫、さま……」
その言葉は果たして、どちらの姫に向けられているのか。姿形だけの方か、もしくは、中身だけの方か。
今まで頑なに避けてきた話題だったが、そうも言ってられなくなったようだ。未だ収まらぬ逸る鼓動と血の気の引いた身体をそのままに、セリアは動揺を悟られるのように言葉を紡いだ。一言一言、絞り出すように。
「キャロン、私には、知る権利があると思うのだが、どうだろう」
主ではない声が、主の言葉を紡ぐ。
キャロンははっとして隣を見た。そして気丈な表情を浮かべ瞳に浮かぶ雫を自らの手で拭い去った。腐っても自分は、『女神姫』の一番の侍女であり、生まれた時から傍にいた乳姉妹。それは、彼女がただの弱い女性でないことを思い出す道標でもあった。
「なぁ、あれ………」
今まで空気を読んで黙っていたノアが、二人の会話が収まったのを見計らって声をかけた。セリアは彼に視線をやって小さく頷く。
「あぁ。色々説明したいところだが私達にもあまり状況が掴めない。一度、ここを出た方がいい………それに」
そう言ってセリアは少し離れた場所に視線だけを向けた。キャロンも強い瞳でそちらを見やる。
横目で流すように見たため、はっきり目を向けたわけではない。それでも二人は、同じものに意識をやったようだった。
「面倒事は、これ以上はごめんだ」
セリアとキャロンに腕を引かれながら前を進みだしたノアは一度だけ二人が見やった方向をちらりと見た。そして見つけたのは、白と黒の、こちらを見つめる二人の青年。
✿ ✿ ✿
日が暮れて、夕食も終わり、月が空の真ん中で己の主張を激しくさせた頃、セリア、ノア、キャロンの三人は『ゴビーとアンバー亭』の裏庭にて身を寄せ合っていた。
三人とも揃いも揃って黒い服装に黒いマントを羽織っている。見た目だけすれば怪しさ満点だ。
ノアには一通り説明はしてあった。今はもうないアテナイ国の事、自分達の前世の事も。ただ言っていないことがあるとすれば、それは『女神姫』の最期と、アテナイ国の人々の特性だろう。
「そういうことだ。とりあえず、今は何も聞かず私達の指示に従ってくれ」
「………よし、何がそういう事なのかさっぱりわからんが、とりあえずお前達のいう事を聞くことにする」
言いたいことをすべて呑み込んで、ノアはそれだけ言った。
彼の反応に一先ず安心して、セリアとキャロンは顔を見合わせて頷きあった。
「これはお前の方が得意だ。どうだ、三人分、いけるか?」
「アテナイ国ではありませんし、肉体がエヴァのものではないのであの頃のように、とはいけませんが、世界自体は変わっていませんので大丈夫です」
言いたい事が山ほどあって、けれど先ほどのセリアの言葉を思い出して、ノアは大人しく口を閉じた。そこでようやくキャロンがノアを見る。
「ノア、魔術について何かご存知ですか?」
「は?魔術?……魔法、ってやつか」
「はい」
いきなりの突拍子もない質問にノアは目を白黒させる。質問の意図が見えない。しかし茶化すような雰囲気でもないため、己の知っている事を素直に伝える。
「そんなの、お伽噺の話だろ。魔法使いなんぞこの世界に存在はしないし、そんな話も聞いたことがない。精々本の中だけの話だ、と認識している」
「そうです。といっても、今は、というのが付くのですが」
「どういうことだ?」
「300年前は確かに存在していたんだ。その、魔法使いがな」
それまで黙って腕組みをして己の考えに耽っている様子だったセリアが突然会話の中に入ってきた。その表情は無で、何も読み取ることができない。けれど口調はとても皮肉気だ。
「魔法使い、いえ、わたし達の前の世界では魔術師、と呼ばれていた人々は、今の人間では到底信じることができないことが出来ました。だからこそ、魔術、と呼ぶわけなのですが」
そう言いながら、キャロンは右手でノアの手首を握った。セリアは無言でキャロンの背に手を乗せる。互いが互いに触れあっている事を確認して、キャロンは目を閉じると左の指を鳴らした。それと当時に三人を突風が襲った。
キャロンに手首を掴まれているため身体の均等を崩すことを免れたノアだったが、それでも驚いてたたらを踏む。と同時に自分の足元が地面ではなく、白い床を踏んだ事に気づき悲鳴を上げそうになった。
「この移動魔法もその一つです」
平然としているのは、彼の手首から手を離したキャロンと、傍にある『女神姫』の入った棺を見つめているセリアである。
ノアは目を瞬かせる。
先ほどまで自分達は確かに外にいた。もっと詳しく説明するなら、『ゴビーとアンバー亭』の裏庭に。 なのにどういうことなのだろう。今居るのは、夕方訪れた『女神姫』の展示品が飾っている館の中。しかも一番最後部にあった『女神姫』の遺体が置かれた白い部屋である。一番警備の厳しいはずのその場所に、三人は平然と立っていたのだ。
驚くなという方が無理がある。
「お前ら、魔法使いだったのか?」
混乱状態の中にあったノアが紡いだのは、なんとも心元ない幼子が親に聞くような質問だった。
キャロンは困ったように小首を傾げ小さく頷いた。
「魔法使いだった、というには語弊があるかもしれませんが、生前わたし達は確かに魔術師でした。その素性、魂、記憶すべてをそのまま今の身体に取り込んだわたし達は確かに今でも魔術を操ることができます。この世界は300年前から魔術を拒んだことなどないのです。魔術を拒み、滅ぼしたのは人間そのものですから」
「今の世にも、きっと魔術師の素質を持つ者はいるだろう。ただその扱い方も発動法も忘れた者にとってそれはないものと同じなだけだ」
棺の前から動かないまま、セリアが淡々と語った。
「でも、ここは警備の人間が居るはずだ。気づかれるのも時間の問題じゃねぇのか」
「それも大丈夫です。少し眠ってもらってます。あ、これは姫さまの十八番なんです」
何故か嬉しそうにキャロンが言った。はにかんでいるものの、その内容は非常に物騒だ。
あまりにも重大な事を、事もなげに説明されたノアは受け止めきれないままただ顔を引き攣らせたまま黙る。すべてを消化するのに、少し時間がかかりそうだ。けれど知らなければいけない事はそれ以上にありそうで、彼は己の脳と心をフル回転させてその場に取り残されないよう決意する。
先ほどまでの笑みを収めて、キャロンは暗い瞳をセリアの方に、正しくは彼女の視線の先に眠る人物に向けた。
「キャロン、何か、私に隠していたことがあるな」
「………」
「なにがあった」
「………」
何故だか何も言わなくなった元侍女であった少女に、セリアは初めて苛立ちを覚えた。彼女がここまで頑なになるのは、何か理由があっての事だろう。そしてそれはきっと、今目の前に広がる光景の答えでもある。
「キャロン。いや、エヴァ、………命令だ。私の最期に何があったか、答えろ」
自分が覚えているのは、空になった銀のカップと底に微かに見えた錆。そして眠気に襲われた身体と、徐々に狭まっていく視界だけだった。
その先には、何もなかった。誰も待っては居なかった。自分ただ一人が放り出された気分だった。といっても、その気持ちもセリアとして生を受け、キャロンと生きて自覚した気持ちでもある。
「姫、さまは」
震える声が、後方から聞こえた。それと同時にノアの息を詰める気配もする。キャロンがどんな気持ちで、どのような表情で語ろうとしてくれているのか、主であるセリアは痛いほどわかった。けれどそれ以上に、知りたいものがあるのだ。
「あの日姫さまは、何者かによって毒殺されました。亡骸には傷らしい傷もなくて、まるで眠っているかのようでした。今目の前にあるように。そしてその亡骸は、姫さまが亡くなった二日後に、城、いえ、国から消え去ってしまったのです。わたし達は国総出で探しました。犯人も探し出そうとしました!けれど、犯人はおろか、姫さますら、決して見つけることはできなかったっ!なのに、なのにっ!!」
キャロンの絶叫はセリアの胸を抉った。
―――なぜ、こんなところに、ただ一人で、いらっしゃっるのですか。




