金曜日の午前 コウタとアカネ
「コウタ、おなかへった。購買でチョココロネ買ってきて」
白いブラウスにチェック柄のスカートの少女が教室の机の上に突っ伏したままつぶやいた。
三時限目と四時限目の間の休み時間で、確かに小腹がへる時間ではあった。
つぶやきへの反応がなかったので、少女は小さな呻き声を発しながら顔をあげた。
小柄で顔の小さな、どちらかというと、幼い雰囲気の少女だった。
髪の毛は肩の辺りで切りそろえ、軽く内側にカールさせていた。
「ちょっと、コウタ聞いてる?」
少女は大きな瞳を近くで他の男子生徒と立ち話をしていた小柄な少年の背中に向けた。
「何?」
コウタと呼ばれた少年は不機嫌そうに振り返った。
長袖シャツを腕まくりをしており、ボサボサの髪で眠そうな目をしていた。
「だから、チョココロネって言ってるじゃない」
眼の大きな少女は母親が子供に用事を言いつけるような口調だった。
「はあ? ふざけんなよ、アカネ」
コウタはアカネと呼んだ少女に一瞥をくれると、面倒なことはごめんだとばかりに背を向けた。
「チョココロネなかったら、メロンパンでもいいから」
しかし、アカネは引き下がらなかった。
「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ。俺はお前のパシリじゃないぞ」
コウタは再び振り返り、イライラしながら言葉を返した。
しかし、もともと温厚な性格らしく声を荒げてもまるで凄みはなかった。
周囲の同級生もくすくす笑っているか、つまらなそうに傍観しているかのいずれかだった。
「だって、購買まで走ったら疲れちゃうもん」
「俺だって疲れるんだよ!」
「ああ! 大変、食べる時間がなくなっちゃう! コウタのせいだ」
アカネは机を両掌でたたいて立ち上がった。
「馬鹿か、お前は!」
「馬鹿って言った! うそつきのくせに」
「なんだよ、嘘つきって!」
コウタはアカネの机に近寄った。
「だって、いうこときいてくんないじゃん!」
「なんで、お前の言うこときかなくちゃいけないんだよ!」
「だって、『ぼく、アカネちゃんのいうこと、なんでもきいてあげるね』って、言ったじゃない!」
アカネは得意そうに胸を張り、コウタは文字通り頭を抱えた。
「大胆だな。コウタ」
「愛の告白か」
「パシリっていうより下僕だな」
教室内にヤジとどよめきが交錯した。
「一体、いつの話だ!」
さすがのコウタも顔を赤く染めた。
「ほんの十二、三年前、保育園のときの話よ!」
「そんな昔の話をいつまでも持ち出しやがって! 馬鹿じゃねぇの! 時効だよ、時効!」
「何よ、うるさいわね、きゃんきゃんきゃんきゃん、犬じゃあるまいし」
「ねえ、もうやめなよ、アカネちゃん」
近くの席に座っていた三つ編みで色白の賢そうな少女が、あまりにひどいアカネの言動を見かねてたしなめた。
「シノブくん、ほうっておけ、夫婦喧嘩は犬も食わないというだろ」
先ほどまでコウタの話し相手だった黒縁メガネの真面目そうな男子生徒がうんざりしたような表情を浮かべながら三つ編みの少女に忠告した。
「ユウサクくん、そんなこというけど……」
「なになに、また、夫婦喧嘩?」
長身でショートカットの女子が面白そうに遠くから騒ぎに加わってきた。
「夫婦喧嘩なんかじゃねえし!」
「そうよ、私は単に使用人を躾けているだけなんだから」
コウタとアカネはそれぞれ反論したが、騒ぎは一向に沈静化しなかった。
「学校内で痴話喧嘩しやがって、むかつく……」
ニキビ面の太った男子生徒が後ろの方の席でブツブツ下を向いてつぶやいていた。
「何様だ、いったい!」
「美里アカネ様だ! 吉見コウタ!」
いつまでも繰り広げられている二人のじゃれあいを、クラスのほとんどの生徒は楽しんでいた。