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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

海と月とあの日の熱

作者: 溝口智子

長い間、ルカは僕の憧れだった。

太い喉、豊かな金髪、大きな手、すらりと長い足、そして人を熔ろかすような、その声。

聖堂へ向かう廊下でルカとすれ違う時、僕はいつも俯いて、彼の爪先だけを見つめていた。


ルカは「お気に入り」を連れて歩くことを好んだ。

「お気に入り」たちは色白で、華奢で、弾けるような笑顔の少年たちだった。

そのどれも、一つだって僕は持っていない。そばかすの浮いた鼻は低く、くすんだ赤毛は癖っ毛でちりちりと縮んでいる。人のいないところでそっとため息をつく、そんな毎日だった。



僕たちの学舎はリュキアの街の海岸沿いにある。教室の窓を開けると潮の匂いがして、晴れた日にはエーゲ海がエメラルドに輝くのが見えた。

クラスメイトたちは夏になれば海岸に走り、我先に海へと飛び込んでいたが、友人を持たない僕は一人教室に残り、ただ海を見ていた。


「君は海に行かないのかい?」


 背中から聞こえた甘い声に、僕は身をすくめた。まさか、そんなはずはない。


「ねえ、君?」


 再びかけられた声に導かれるように、僕は恐る恐る振り向いた。

 ルカがいた。

 陽に焼けた腕を組み、にっこりと白い歯を見せている。

 僕は教室をそっと見回した。僕以外には誰もいない。


「面白い子だね、君は」


 それが、僕とルカの出会いだった。


 ルカは校内では僕を無視したが、寄宿舎に帰ると、忍んで僕の部屋を訪ねてきた。そして隠れて煙草を吸うのだ。たったそれだけのこと。

 なのに、僕は彼の秘密の「お気に入り」になったようなつもりになって、胸は悦びに満ちた。

 その夜もルカは煙草を吸いながら、窓から月を見上げていた。月明かりに照らされたルカは聖画に描かれたラファエルのように美しかった。


「海へ行かないか」


 煙と一緒にぽつりと吐き出された言葉は独り言のようで、僕はどんな返事をしたらいいのか思い付かなかった。ルカは物憂げに僕を振り返って言った。


「海へ行こう」


 きっと僕の顔は、リンゴのように赤かったに違いない。


 太陽が落ちてきそうなほど暑い日だったことを、僕は今でも覚えている。

 あまりの暑さに授業は取り止めになり学生は海へと走った。

 僕は学舎に誰もいなくなるのを待って、ルカに指示された通り、港に続く海沿いの道を歩いた。30分ほど行くと大岩が眺望を遮る。その岩のゆるやかな斜面に、僕は手をかけた。

 熱く焼けた岩をよじ登ると小さな入り江が見えた。へっぴり腰で岩棚にかじりつくように斜面を降りていた僕の頭の上にルカの声が降ってきた。


「飛び降りてしまえよ」


 見上げると、珍しく白いシャツにカプリパンツという軽装で、ルカが立っていた。

 ルカは岩を蹴り、海へ向かって軽々と跳んだ。短い水音と白い飛沫。しばらく待つとルカの頭が水の中から現れた。笑顔で僕に向かって手を振っている。僕は幸せと熱で頭がくらくらした。ルカに手招かれるまま、常には考えられないほどの勇気で海へ跳んだ。




 入り江には狭いけれど砂浜もあって、まるで二人だけの海水浴場のようだった。泳ぎ疲れたルカと僕は砂浜に並んで寝転んだ。太陽はじりじりと肌を焼き、空は眩しすぎて白く見える。

 僕は隣に寝そべっているルカを盗み見た。ルカはシャツを脱ぎ、小麦色に焼けた肌をさらしていた。その胸は適度な筋肉をもち、美しく隆起している。自分のあばらの浮いた胸と見比べて、僕はため息をついた。


「綺麗な肌だな。真っ白で雪みたいだ」


 その言葉に振り替えると、ルカが手を伸ばし、僕の胸に触れた。


「冷たくて気持ちがいいな」


 ルカの手は僕のあばらに沿って脇腹まで辿り、擽るように腹を撫でた。

 僕はどうしたらいいかわからず、ただ、どくどくと激しい鼓動に翻弄されていた。


「抱きしめてもいいか?」

 その言葉に、僕はうつ向くようにうなずいた。

 ルカの胸は熱かった。まるで太陽を移しとったように。

 頬と頬を合わせ肩を撫で、ルカが僕の顔を覗き込んだ。間近に見る深緑の瞳。まるで海みたいで、僕はルカの瞳から目をそらせなかった。その美しい瞳が近づき、ルカの唇が僕の唇に触れた。

 軽く触れあううちに次第に激しさを増し、ルカが僕の唇を強く吸う。徐々に唇は喉に胸に落ちていった。

 僕の瞳には太陽がうつり、その眩しさに、僕は何も見えなくなった。そこには神も居ず、ルカの唇だけが、僕の世界の全てだった。



 ルカが学舎を去ったのは秋の初めのころ。

「お気に入り」の一人が、彼が煙草を吸っていることを教師に告げた。「お気に入り」ではなくなった腹いせだったと、誰かが言った。


 学舎を去る彼は僕を見なかった。振り返って、来いと呼んでくれたなら、あの夏の日のように僕は、彼を追って飛び出していっただろうに。



 今でも夏になると思い出す。あの空の眩しさと、彼の熱い肌の重さを。

 彼の中に燃えていた、太陽を。

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