第2話 追いかけっこの始まり
ステージから降りた少年が向った先は舞台から見て一番左の列。
モモが立っているのは、その反対の右端の列。一組と十組なら、校舎だって違うから、顔をあわせることは滅多になさそうだ。
(思わず逃げ出しちゃったけど、壊れた眼鏡は弁償しないと……)
教師の話を上の空で聞きながら、財布の中身を思い浮かべてはため息をついた。
モモの家は母と子の二人暮らし。
横領がばれて会社を辞めさせられた父は行方不明。
身体があまり丈夫でない母はレジ打ちのパートをするのが精一杯。
別に進学校に入りたかったわけじゃなく、歩いて通える公立校がここしかなかったから、必死で勉強しただけで、一刻も早くバイトを見つけなくては、授業料だって払えない。
この上なく不安な面持ちでモモは周囲を見回した。
心なしか、どの顔も賢そうに見える。勉強についていける自信はこれっぽっちもないが、差し当たっての問題は日々の暮らしと眼鏡の弁償だ。
教室でのオリエンテーションを終え、急いで帰ろうと廊下に飛び出した所で、モモはぎょっとして凍りついた。
伊集院正隆が目の前に立っている。
壊れた眼鏡をかけ続けている所を見ると、よほど視力が低いのだろう。
「どうしてこの場所が!?」
思わず口にしたセリフは、刑事に潜伏先を突き止められた犯罪者のようだ。
モモの頭の中で刑事役を割り振られた少年は、拳銃を突きつけるかのようにモモの左胸を指差した。
「山田モモ」
決して読み間違えることのないシンプルな名前。
名札の文字を感情のこもらぬ声で音読した少年は、ポケットに突っ込んでいたクラス分けのプリントを目の前で無造作に広げてみせた。
「極端に字画が少ないから、眼鏡がなくても何となくわかった」
「そ、それで……」
言いかけて口をつぐんだ。
別棟の教室までこうしてわざわざ出向いてくる理由は一つしか思いつかない。
「お願いです。少しだけ時間を下さい!」
身体が折れ曲がるほど頭を下げてから、モモは自分たちを取り囲んでいる生徒たちの間をすり抜けた。
「こら、廊下を走るな!」
まだオリエンテーションが終わっていない別の教室から、教師の怒鳴り声が聞こえてきたけど、モモはひたすら走り続けた。