五
上機嫌だった。嫌な気分になる方が難しい。昨日の夜、自分的には頑張れたと思う。何分勝手が分からなかった。そもそも友人と云うものがどんなものか分からない。言葉も意味も知識としては知っている。けど、実際の友人とは一体どんなものなのか? 生まれてからずっと自分は友人と云う存在がいなかった。もっと穿って言えば友人どころか、親しい間柄の人がいなかった。例外は母親だけ。他は例外なく自分にとって、恐怖の対象でしかなかった。此方が思っている事と同じく周りも自分を恐怖の対象として見ていた。そんな中で育ったボクが、友人を作ると云う事が、作ろうとする事が如何に難しいか。そして自分なりに答えを出して、遂に思い切ってリンに告白した。『ボクと友達になって欲しい』と。不安だった。友人を作ると云う行為でこれは本当に合っているのか。リンに拒絶されたらどうしようかとか。けど、それらは杞憂に終わった。リンの言葉を聞いて。
『……俺はとっくにそうだと思ってたんだけどな』
言葉が脳裏に蘇る。ボクを見上げて言うリンは少し照れたような困ったような複雑な表情だった。思わず溢れる笑み。嬉しい。ただそれだけの感情が自分を満たす。……けど、それだけに肝心な事を言えていない自分自身がもどかしい。……必ず話そう。何時になるか、聞いてくれるかも分からない。それでも一歩を踏み出す事の大切さを知った。
あの後リンは、友人なら、ナイも、メイも、もうなっているよと言ってくれた。
ボクは上機嫌だった。今日は珍しく一人でセイラムの街を歩いている。街に来る時はリンにくっついて来てたけど、今は一人も悪くない気分だ。
「んー。あれも食べてみたいな」
知らず呟きが漏れる。こんなに食い意地が張っていただろうか。けど、仕方がないと思う。リンと顔を合せて再会出来た夜の翌日、リンだけではなくメイとも一緒に入った店。そこで初めて食べた甘くて美味しいもの。衝撃だった。こんな美味しいものが在ったのかと。その美味しさが忘れられなくて、ナイが食事を用意するのが一人だけなのはあれだから君らも作ってみてよと言って、リンもボクも食事を作らされた時、甘くて美味しくなる様に料理した。けど、二人には合わなかったらしい。表情も美味しそうに食べるには食べていたけど明らかに無理をしていたのが分かった。次こそはと思いつつ、作る機会をまたナイがくれたらもう少し甘さを控えようと反省した。……結論を先に言うと次も失敗だった。また、食事を作る機会が来た。今度はリンとボクの分を作る事になったけど、出来た料理を食べたリンは前回と同じ反応だった。何で甘くて美味しいのに駄目なんだろう? 前回よりも控えめに甘くしたはずなのに。
「お、嬢ちゃん! 一つどうだい?」
ボクに掛かる声。歩いているだけで色んな店の人から声が掛かった。それらを躱しながら歩いていたが、今回は声の方を向く。屋台の主が手にお菓子を持って差し出している。興味をそそられ、近寄って行く。
「美味しい?」
とりあえず訊いてみる。
「もちろん。こいつはサービスだ。美味かったら買ってくれると嬉しいねぇ」
そう言いながら手に持っているものを渡してくれる。それは知識の中から見つけ出すと飴と云う事が分かった。口に含む。……おいしい。ボクを見ていた店主が「どうだい。美味いかい?」と、言うのでこくこくと頷く。
「ははは! そいつは良かった」
豪快に笑う店主。それを見ながら、リンにも買っていこうと思い注文する事にした
支払いを済ませ、飴を入れた紙袋を受け取る。店主が「ありがとな、嬢ちゃん。またのお越しを」と言って見送ってくれる。
それにしても、店主の対応は明らかに低年齢の者に接する態度だった。メイには気にしていないと言ったものの、それなりに気にしていたりもする。んー、《力》で変えようかな。けどそれは違う気がする。リン的にはどうなんだろう? 今度訊いてみようかな。小さい娘は好きかって。
また歩き始めて視線を巡らせる。人がいっぱいだ。来る度に思う、どうしてこんなに人で溢れてるのか。それに他種族も混じっている。もっとも、昨日会ったネーナの様な獣族がこの街では大半だけど。
口に含んでいる飴を転がす。うーん。美味しい。あれ。特に何も考えず行ける所を歩いていたけど、いつの間にか裏通りの方を歩いていたようだ。ナイが近寄らない様にと言っていた区画。……まぁいいか。進もう。探検のつもりで突き進む。周りで笑い声が聞こえる。品の良い笑い声じゃない。幾人かとすれ違うとボクを見てニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。……今頃失敗したかなと思う。
「待てよ。お嬢ちゃん、迷子かい?」
さっきすれ違った男が後ろから声を掛けてくる。関わりたくなくて無視して進もうとしたら前に数人男達が道を塞いだ。最悪だ。ボク自身が招いた事だけどさっきまでの上機嫌が落ちて斜めになった。
かなり上玉じゃねえか。俺こういうの趣味なんだよ売る前に味見させろ。傷つけたら価値が落ちるだろう。などと耳障りな声で好き勝手喋っている。はっきり言って煩わしい。
ボクが何も喋らず立っていると何を勘違いしたのか男達が近づいて来て触れようとする。もう限界だった。
「邪魔」
一言。それで近付いてきた男が吹き飛び、地面に叩きつけられた。命までは奪う気はないので軽く《力》を使って脅したつもりなのに、血相を変えて残りの男達が訳の分からない事を言いながら襲ってきた。
「……」
憮然として《力》を使い男達を叩き伏せる。それでボクの周りに立っている者はいなくなった。戻ろう。そう思い来た道を戻ろうとして振り返ると、レヴが……いた。
「お見事」
そう言って内心の読めない笑みを浮かべて、ぱちぱちと拍手をしながら歩いてくる。
「裏通りに入っていくのが見えたのでね、何かあった時に助けようかと追いかけてきたんだが必要なかったかな?」
周りの倒れた男達を見て、レヴがそんな事を言う。
「見てたならなんで、止めてくれなかったの?」
何故気配を消して後をつけたの、と言外に含ませてレヴに言う。それに対しレヴは何も言わずに、分かるだろう? と表情だけで返事をした。
ウィレーヴ・テイン・グランハイム。昨日の出会いから苦手な意識がある。リンの所へ近寄ろうとしている最中に背後から抱きつかれた。気付かなかった。感知出来なかったのだ。その事に動揺していたら好きなようにされた。ナイの知り合いらしく、悪意も害意も感じ取れなかったので、とりあえず攻撃する事はなかったけど振り解く気にもなれず、ただされるがままになっていた。その間に相手の事を視ようとしたが視えなかった。初めてだった。相手の力量が測れないのは。遭遇した事のない事態でも有り、胸中に刻まれたのは得体が知れないと云う感覚だった。
今思えば元居た世界では周りの人達はボクに対して、ボクがレヴに抱いた様な気持ちだったのだろうかとも思う。レヴもまたボクに対してそう思っているからこそ、見極めようとしているのかもしれない。
特に何も言わずレヴを見続けていたら、レヴの方が喋りだした。
「ふむ。それより移動しようか。何処か落ち着ける場所にでも行かないかな?」
「んー。レヴの奢りで店に入る」
「決まりだ。さて、どの店がいいか」
レヴが踵を返して歩き始めたので、その後について行った。
昼の時間が近い事もあり、食堂に入ろうという事になって、いつもの場所――猫屋敷亭になった。落ち着ける場所かどうかは人によると思うけど、ボクも此処は気に入っている。昨日知り合ったネーナの働く店でもあるし。
席に着くと注文を取りに来たのはネーナだった。
「昨日ぶり」
「ふむ。一日千秋の思いで今日を待ったよ」
「はいはい。ミリア、いらっしゃい。こいつに変な事される前に言ってね。うち出入り禁止にするから」
「ん。分かった。されたから、しといて」
「よし。了解」
「早くも結託して何をするつもりだい? まったく」
「あんたが呆れるところじゃないでしょ。で、注文決まった?」
「ボクこれ。今日の日替わり、マスター特製ねこまんま定食」
「らしいと言えばらしいが、相変わらずなメニューだね。さて、私はこの煮肉菜の特上盛を」
「ん、何それ? しゃにくさい?」
「大まかに言えば肉たっぷりと野菜を一緒に煮込んだもの。マスター特製メニューの一つだよ。ねこまんま定食と煮肉菜の特上盛ね。少々お待ち下さい」
最後に営業スマイルを残して、店の奥に行くネーナ。それを見送った後、レヴが話掛けてくる。
「さて、ミリア。私としては君の事をただ看過する訳にはいかなくてね。リンはとりあえず構わないが、君は違う」
「随分、率直に言うね」
「今更、迂遠な言い方などしないさ。私が危惧しているのは君がこの国に害なす存在かの一点のみ」
「で、レヴはボクの事をつけたの?」
「そういう事になるかな。君にとっては愉快ではないだろうけどね。昨日会った時、君からは悪意も害意も感じられなかった。だが、流石にそれだけで判断を下す訳にもいかず、少し調べさせてもらったよ」
奇しくも昨日ボクがレヴに対して感じていた事を、レヴもボクに対し感じていたみたいだ。
それと、調べると言ってもボクに関する情報はこの世界には無い。なら、ナイからボクが話した事を聞いたと云う事だろうか。おそらくはそうだろうと思う。《力》の在り方はこの世界もボクの居た世界も変わらない。ボクがこの世界に来た方法を聞いていれば、警戒されるのも仕方がないだろう。
「まぁそれで君の《力》に関しては大体分かった。規格外と云うやつかな。しかし、《力》の強弱など、この際どうでもいいのさ。どうでもいい訳ではないが結局は扱う者次第で、どうなるか分からない」
「つまり、ボクがどういう人間か知りたかった?」
「ふむ。飲み込みが早くて助かるよ。君が街に出てると聞いてね、尾行など趣味がいいとは思わないが、させてもらったよ」
「……」
改めて後をつけていましたと聞くのはいい気はしない。けれど、こうして面と向って話をしているという事は、少なくともボクの事を信用、もしくは警戒する必要がないと思っているのかも知れない。。
ひょっとしたら、裏通りにボクが入ったのはレヴが《力》で気付かれない様に誘導したのかもしれない。治安が良くない所で絡まれた時どういう行動をとるか。考えられない事ではないと思う。
「レヴ。ボクをあの裏通りに誘導した?」
何の装飾もしないボクの質問に対して、「ほう」と感嘆するレヴ。そして、成る程と納得した顔をしている。
「……君に気付かれないようにするのは骨が折れたけどね。君がああいう連中に襲われた時どういう判断をするか見てみたかった」
「ボクはレヴ的にはどう?」
レヴは苦笑して、頭を下げる。
「すまなかった。これまでの非礼は詫びよう」
どうやらあの時のやり取りを見て、レヴ的にはボクに対する警戒が解けたみたいだ。あれにどの位の意味が有ったかはボクを試したレヴにしか分からない。
丁度そこにネーナが注文の料理を持ってきた。
「今頃謝ってるの? これからもしないようにしなさいよ」
レヴを批難しつつ、両手に持った料理をそれぞれ注文した人の前に置く。
「ミリア、ゆっくりしていってね」
そう言い残して、違うお客の方に向かって行った。
「さて、食べようか」
「……」
「おや、どうしたんだい?」
「なに、それ?」
「煮肉菜だが?」
「……多すぎ。特上盛って何人前?」
「ははは。この店は獣族がやっている為、メニューが二種類あってね。内容は同じなんだが獣族用と人族用と分けられている。獣族は一般的に人族に比べ二倍の食事量をほこる。それで私が頼んだのは獣族用の特上盛でね、人族用にすると十人前になるかな?」
「不公平だ。ボクはそんなに食べれないのに」
「ふむ。君は少食なのかな? 定食を食べきれるのかい?」
「食べれるよ。ボクもそれ位食べれたら、いっぱい食べ歩きが出来るのに……」
食事を始めるボク達。
レヴにされた事は気分が良くはなかったけど、これ以上追求する気もないし、批難する気もなかった。逆にこの後レヴに聞き返された位だ。「君は私をどうも思わないのかな?」と。正直に言って、どうも思っていなかった。ボクが居た世界で晒され続けた悪意に比べると、どれ程の事でもないし。そして何よりもレヴ自身、ボクに害意を向けてなかった。あくまでもレヴ自身の立場上、ボクに対し試す様な真似をした、と受け取れた。それにレヴは、危惧しているのはボクがこの国に害なす存在かの一点のみと言っていたので、国に関係するような立場だと推測出来た。
最初にされた事とさっきの事を抜きにして、ボクはレヴとも仲良くなれる気がする。最初の時に感じた事は今ではもう薄らいでいた。
食事も終わり、猫屋敷亭を出たボク達。レヴの食べっぷりはもうそれは見事だった。ボクが食べ終わるのと同時に終わっていたし。
「さて、私は君の件が早々に片付いた事だし、他の件もあるのでここで失礼するよ。それとも私と離れたくはないかな?」
「ん。そんな事はない」
「……ふむ。少しは考える素振りをしてもらえないだろうか。少し寂しいのだが」
「ん。またね」
「やれやれ。ではまた」
苦笑しながら、最後にそう言い残してレヴは歩いて行った。
ボクは、どうしようかなと思ったものの、また街の散策を始めた。
そして夕方、街からナイの家に戻って、リンにお土産を渡す。
「お帰り、ミリア。て、何これ? 俺に?」
訊かれたので、「うん。そうだよ。リンにお土産」と言う。
それにすかさずナイからツッコミが入った。
「僕にはないのかい?」
「ん。ないよ」
「……一応、ここの家主なんだけど。その僕にはないのかい?」
「ん。当然」
「当然扱いなのかい? 君の中じゃ僕は」
メイがナイに対するように応じる。不満そうなナイだったけどボクもリンも無視した。それでも肩を竦めるだけで、特に普段と変わらなかった。
あ、そうだ。リンに言っておかないといけない事があったんだ。
「リン。今度、猫屋敷亭で獣族用の煮肉菜特上盛、注文して」
ぜひレヴに対抗して注文してもらいたい。期待を込めて言ったのにリンは、妙に引き吊った顔になった。
「え゛? なにをいってるのですか、みりあさん」
片言で喋るリン。なんで? と、思って小首を傾げたら、説明してくれた。
「いや、俺食べきれないから。あそこの特上盛って言ったら五人前はあるよ……て、獣族用?」
どうやらリンもボクと同じでメニューが人族用と獣族用の二種類ある事を知らなかったみたいだ。その事を教えると、さっきより頑なに断られた。んーーやっぱり無理か。リン、パフェの時も苦労してたし。
その後は食事を済まして、ナイの部屋でお喋りをした。
ん。今日もいい一日だった。……今日も? 昨日と今日の一部除いてかな。
夜。ボクは夢で思い出していた。
あの時、ナイの《召喚》に無理矢理応じた事。そして異常な状態に陥り、リンを《召喚》してしまった事。《召喚》する事に後ろめたさを覚えながらも、思い出される幼い頃に交わした約束。二度と叶うはずのない約束。それでも縋った。縋ってしまった。
自分の取り巻く世界から逃げ出せたものの完全な《召喚》として成立せず、不完全な状態で《召喚》されてしまった。存在がそこに居て、居ないと云う不確かな状態。本来なら有り得ないし、そもそもその状態で人が人として存在する事は出来るはずがなかった。この時ばかりは自分自身の《力》に感謝したかった。自身の《力》がなかったら、おそらく《理》に抗いきれず消滅するのは時間の問題だったはずだ。
そうして思い出すのはリンと交わした約束。唯一、ボクを想っていてくれた母を亡くし、生きる気力を失いながらも死ぬ事も考えられない状態だった自分。夢を視た。不思議な夢だった。自分が全く知らない世界、見た事もない街並み。そこでボクと同い年位の少年に逢った。少年のボクを見る目はボクの周りに居た人達とは違った。母親と同じ優しさを持った目。色々と話をした。同年代の子供と話した事がなかったボクは、何でもない事を延々と訊き続けていた。その内、お互いにこれが夢と云う事が分かり、いつしか別れの時間が訪れていた。
夢が覚める。名残惜しくも、抗えない別れ。徐々に夢の世界より遠ざかって行く意識。その最後にリンは「友達になろう。それでまた会おうよ」と言ってくれた。
そして目を覚まし、理解した。さっきの夢は本当に異世界での少年との出会いだったのだと。同時に約束は叶う事はないと云う事を。この出会いは本当に奇跡と云うものだったのではないかと。
もし、もしまた彼――リンと出会う事が出来るのなら、例えリンがボクを憶えていなくてもいい。そして出会う事が出来たなら、今度はちゃんと自己紹介をしよう。一方的に訊くだけで、ボク自身名乗っていなかったから。そう、ちゃんと……ボクの名前はミリアだよって。
思い出された……ううん。想い続けた名と記憶を基に、リンを《召喚》した。
《召喚》は成功したけど、ボクを認識出来ていないリン。今更ながら罪悪感を憶えたけど、嬉しかった。またこうして逢う事が出来て。
その後はリンの召喚者として繋がりを持ち、存在自体が不完全なボクは幽霊みたいにリンの後に引っ付いていった。
そして……あの日、あの夜。ボクはリンと本当の意味で再会した。
数年越しの本来は有り得ないはずの再会。二度と叶うはずのない約束。それが叶った瞬間だった。
友達になろうと言ってくれたリンだけど、ボクを憶えていない事が分かっていた。だから、先ずはあの時していなかった事を。誓った事を。
「ボクはミリアだよ。よろしくね、リン」